第21話 彼女の雪①
吐く息が白い。自分の熱ごと吐き出してしまいそうで、外套の前をきつく閉じて口を覆う。風は止め時を失ったかのように吹き続け、港町だからなのか体に刺さる冷たさが余計に鋭く感じられた。
顔を上げると、自分と同じような格好をした男たちが目に入った。一様にこちらを訝しむような目で見てくるので、そのまま睨み返すと顔をそらされる。……この国に来てから、どこでも同じように見られる。シュバルツバルド共和国というところは、そんなに異国人が珍しいのだろうか?
男たちは毛むくじゃらの牛のような動物の背に乗ると、どこかへと去って行った。この国では馬ではなくあの牛もどきが人々の足代わりとなっているようだ。決して馬のように速くはないが、積載量は馬よりよほど頼もしそうに見える。
「お待たせしたね、サメジマ君。ようやく話がまとまったよ」
通り過ぎた牛の陰からへらへらとした声がする。俺と同様に厚着をしたシュネルが、笑いながら歩み寄って来る。助かった、そろそろ好奇の視線に晒されるのも飽きてきたところだ。
「よかったです。この国は居心地が悪い」
「そう言いなさんなって、これでも私の祖国なんですから」
「……そうでしたっけ?」
「言ってなかったかな。技術指導って建前でミドルグランド王国に送り込まれたの」
「建前、ですか」
そういう言い方をするということは、本音が別にあるのだろう。
「まぁその話はおいおいね、おいおい」
「おいおいは構いませんが、ここからどうやって移動を? そもそもどこへ向かっているんですか?」
「もちろん。この国の足といえばアレだ」
シュネルはすっかり見慣れたあの牛もどきを指さす。繋がれた二頭が、もそもそと藁だか何だか分からない束を食んでいた。
「……あれ、ですか」
「ムートというんだ。かわいかろう?」
なぜか自慢げに胸を張るシュネルの背後。束に顔を突っ込んでいたうちの一頭が顔を上げ、欠伸とも何ともつかない声でむぉうと鳴いた。
●
シュネルなりの独特なユーモアの発露だとばかり思っていたが、どうやら彼女は本当に旅に出るつもりだったらしい。そのことに気付いたのは、年の暮れが近付いた朝のことだった。
「サメジマ君、早速だが旅に出るぞ!」
……俺の宿に人が訪ねてくるのは初めてだったし、もちろんシュネルが来るのも初めてだった。無遠慮に扉を開け放った彼女の後ろで、女将が不安そうに顔を覗かせている。
「ごめんねサメジマ君、この人あんたの上司だっていうもんだから案内しちゃったよ」
「……嘘はついていません。残念ですが。本っ当に、心の底から残念に思いますが」
「何をブツクサ言ってるんだい、とにかく準備して下に集合してくれよ! 乗合い馬車の時間が迫っているんだからさ」
シュネルは言いたいことだけ言うと、騒々しく階下へと姿を消した。不安そうな顔をした女将を申し訳ないが部屋の外へと追い返し、貰ったまま収納に押し込んでいた防寒着を引っ張り出す。幸い鼠の類にはかじられていないようで、着用には問題なさそうだ。
身支度と手近な衣類を押し込んだ背嚢を背負い、宿の外に出る。シュネルもそれなりに着込んではいたが、荷物は俺よりも少なそうにみえた。
「随分と身軽ですが、大丈夫ですか?」
「心配ないよ。必要な分は現地で調達するから」
現地というと、以前言っていた「雪がドカドカ積もる、作物もろくに取れない陰気な寒い国」のことだろうか。確か以前そんなことを言っていた気がする。しかし乗合い馬車で?
「現地まで馬車……ですか?」
「んな訳ないだろう。馬車で行くのは
アルバータはこの
「そこからまた船、ですか? 寒い土地を目指すのなら北上するのが常道かと思いますが」
「船を使うのはとりあえずそこまでだよ。後は陸路と『蝶の羽』を使う」
シュネルは懐を叩いた。おそらくそこに収めているのだろう。
"蝶の羽"とは、魔力を帯びた蝶型のモンスターから採取できる一対の羽を加工したアイテムだ。片方を千切ればもう片方がある場所へ転移するという効果を持つのだが、船賃よりは高価なので旅行に使う人間はあまりいない。船で国境を超えることができない――例えば密航者――であれば話は別だが。
「まさかとは思いますが」
「察しがいいね」
シュネルが口角を歪めて笑う。こういう時、彼女の考えはロクなもんじゃない。
「私たちはシュバルツシルト共和国へ密入国する……あっ、何だその表情は」
「いえ、別に」
二日酔いになると分かっていても無理に飲まされ、後悔しながら迎えた翌朝のような気分だ。きっと表情に出ていたんだろう。
「……酷い旅になるなとは思っていましたから。ただちょっと、予想よりもさらに酷かっただけで」
●
彼女の宣言通りの旅路を経て、俺たちはシュバルツシルト共和国へ辿り着いた。予想と違ったのは蝶の羽を使った回数だ。まるで痕跡を残すかのように複雑な経由地を経て、時には二人別々の道を辿ってようやく雪国へと辿り着いた。それにしても、蝶の羽を渡してくる人間が普通の務め人やゴロツキ、チンピラまがいに兵士と一貫性がまるでないことは気がかりだったが。
背中の鞍に乗ると、ムートとやらは顔を上げて鳴き声を一つ上げる。
「飼い慣らされているらしいから、君一人で乗っても問題はないと思うよ。
「食用にもするんですかね、この国の人は」
「ムートをかい? 労働力として使うことはあるけれど、食べることはしないなぁ」
「なるほど、牛みたいですね」
「ウシ?」
「……東方のアマツにいるそうですよ、そういう生き物が」
「詳しいね、行ったことないんじゃなかったっけ」
「調べたんですよ。自分は知らないとはいえ、両親の故郷ですからね」
ふぅん、とシュネルはさして興味がなさそうでムートの毛を弄っている。
「ほら、早く行きますよ。先はまだ長いんでしょう?」
「といっても君、行き先知らないだろうが。大人しく私の後を付いて来たまえよ」
呆れたような顔で俺を見ると、シュネルはムートを先行させて前を行く。
「仕方ない、よろしく頼む」
手綱を引いてねだってみる。ムートは顔を上げ、うぉんと鳴いて先を行くシュネルのムートを追い始めた。
俺とシュネルを乗せたムートは、どこまでも雪が積もった道を歩いて行く。始めは同じようにムートに跨ったこの国の人と行き交うことがたまにあったものの、港町を離れるにつれ次第にその機会も減っていった。空を厚く覆う雲が太陽の位置を隠すために時間の経過は判然としないが、最後に誰かの姿を見てから一時間はゆうに超えていた。今は見上げるほど高い針葉樹林の間、白くなった道をずっと進んでいる。
「そろそろ教えてくれてもいいんじゃないですか?」
「何をだい?」
前を行くシュネルの背中に問いかけると、彼女は振り返りもせず疑問で返した。
「この旅の目的です。本当にただの旅行が目的って訳じゃないんでしょう? 密入国って時点でただの旅行じゃないのは分かりますが」
それにしては随分とのんびりした道行だ。後ろめたい旅ならもう少し急いでもよさそうなものだが。
シュネルは振り返ったが、見ているのは俺ではない。これまで来た道のずっと先を見ている。俺も振り返ってみたが、とくに面白いものはない。雪の上にムートの足跡が延々と残っているだけだ。
「どうかしましたか?」
「いや、別に。追手が来てないかなと思って」
「……それ、『別に』で済ませる話じゃあないでしょ」
再び振り返り、背後を注意深く見る。やはり彼女が危惧するような何かの姿はない。
「ま、一番危ない追手が来るとすれば反対側からなんだけれど」
「それは……つまり」
俺たちはシュバルツシルト共和国に到着してから、陸路で南下している。これまでの道程を地図に描くとすると、ミドルグランド王国を出てから一度南下し、"蝶の羽"を何度も使用して大きく迂回しながら北上。今は陸路で再び南下している最中だ。そしてシュバルツシルト共和国は、ミドルグランド王国の最北端と国境を共有している。
つまり俺たちは、元いたミドルグランド王国を目指しているということになる。
「黙って国外へ出た訳だから、怒られるとすれば王国の方だね。ま、本当に国外へ出ただけならさして問題はないんだけれど」
「俺達に関係することで、問題になりそうなことといえば
「サメジマ君はさ」
いつも俺の名前を呼ぶ時と比べて少し落ち着いたイントネーションで、彼女は俺の名前を呼んだ。
「怪異って、何だと思う?」
「異世界から来た化け物……じゃ、ないんですか」
「それじゃああの『白い家』や、君と最初に出会った時の『箱』が説明つかないだろう? いや、揚げ足取りがしたいんじゃないんだよ」
その口調はまるで、飲み込みの悪い生徒に対する教師のようだった。シルヴィ達にもこんな風にして教えているのだろうか。
「思うに……怪異というのは、
「忘れないため……?」
首を傾げる俺を見て、シュネルは上を指さす。
「例えば、あの白いものは何だ?」
「白い……って、雲でしょう」
「なら、その上にあるのは?」
「空とか、太陽とか……」
「なら、その太陽って一体何だい?」
「それは……」
言葉を続けようとして、詰まる。分かるはずがない。この世界の科学力では、まだそこまでの理解に及んではいないのだ。
「あの我々が太陽と呼ぶ白く光る何かは、なぜ落ちずに燃え続けて光を放っている? 星の輝きと同じなのか、全く別のものなのか? 星の海はどこまで続いている、その果てにあるのは何だ? それだけじゃない。我々はなぜ産まれる? 親の性質が子供へと受け継がれる時と、そうでない時の違いは何だ? ……まるで我々には分からないことばかりだが、異世界は違う」
シュネルは空を見上げるが、見ているのは全く別の世界だ。彼女の視線は遠い異世界へと向けられている。
「我々が得ることのできる異世界の情報はそう多くないが、異邦人たちの情報を聞く限り『マナが存在しない』ことと『この世界よりもずっと文明が進歩している』ということは間違いない。まさに星の海へと手を伸ばしている異世界だが……そんな向こう側でさえ、どれだけ科学技術が進歩しても永遠にままならないものがある。それが人の死であり、それに対する恐れ、畏怖、恐怖の象徴――それが怪異なのだと、私は思う」
「つまり……『ちょっと頭がいいからって調子に乗るな』と知らしめる存在が怪異だと?」
「詩的な表現だね」
ふ、とシュネルは笑う。こちらを馬鹿にしている訳ではないのだと思いたい。
「我々は異世界とは違い、『マナ』を操るという手段を持っていた。持っていてしまった。異世界では文明が進むまで、衣食住の確保もなかなか安定しなかったのだろう。だから貪欲に文明を発展させていったんだと思う。そうしないと死んでしまうから」
「まるでマナの存在が、この世界の文明の進歩を停滞させているように聞こえますが」
「異世界を調べるにつれ、どうしてもね。そう感じてしまうんだよ」
優秀な彼女だ。自分のいる世界を異世界と比べて、思う所があるのだろう。
「私はね、マナの欠如こそが異世界で
「マナの欠如? しかし、マナに溢れたこの世界のどこで欠如が発生すると?」
「君がそれを言うのかい? あるじゃないか、この世界で数少ない例外が」
……そうだ。ある、というより、いる。モンスターでさえマナを隷属するこの世界において、マナに見放された例外。
「その考えに根拠はないが、そう考えるようになった原因はある。怪異が現れるようになった時期だ。加護なしという人々はこの世界にずっと存在したのに、怪異は約2年前から急に出現するようになった。もちろん私が察知していないだけで、それ以前から出現していたという可能性も否定しないが」
「その2年前に、何かあったんですか」
「あぁ……おや?」
言葉を続けようとしたシュネルが止まる。正確には、彼女が跨ったムートが。自分の載っているムートも同じように足を止めた。
「どうした、何かあったのか?」
手綱を引いて行くように促すが、ムート達は顔を見合わせて進もうとしない。普段は呑気そうな鳴き声を上げているのに、今は泣き出しそうな嗚咽を漏らしている。
まるで道の先にいる何かに対し、怯えているようだ。
「仕方ない、ここから先は歩きだね。情報によると目的地まではかなり近づいているはずだから、何とかなりそうだ」
シュネルは鞍を降り、ムートに積んでいた荷物を背負う。彼女に倣い、俺も荷物に手をかけたその時。
「……あれ?」
「どうしたんだね」
手を止めた俺をシュネルが訝しむ。
「いえ、何でもありません。多分見間違いです」
「……君がそう思うのなら、それでいいんだが」
見間違いだ。そうに決まっている。
最後に他人とすれ違ってから数時間は経っている。周囲に人家らしいものはなく、人の気配はシュネルを除いてどこにもない。あるはずがない。
だから、道の両脇に聳える木々の間に。少女の姿を見た気がしたとしても、それは見間違い以外の何物でもないのだ。
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