第20話 彼女の雪②

「あぁ、あったあった。あれだよ」

「……何が『かなり近づいているから何とかなる』ですか」

 雪で足を取られるとはいえ、ムートを降りて小一時間。俺たちはようやく目的地へと辿り着いた――はずだった。しかしシュネルが指さす先。雪の積もった道の先には、特段何かある訳がない。

「何も見えませんが……」

「もっとよく見てみなよ」

 言われて目を凝らすと、雪に微妙な濃淡があることに気が付く。視線を注ぎながら歩を進めると――

「これは……小屋?」

 雪の中に浮かんできたのは、小さな掘っ立て小屋。四方に壁の成れの果てがあり、辛うじて屋根の残骸が引っかかっている。一度気付くと、雪に埋もれているのは一つだけではないことが次々に分かった。他の小屋が、井戸らしき痕跡が、沢にかかる橋のような跡形がそこかしこに見つかる。足りないのは、そこにいるはずの人間だけだ。

「これが今回の目的地、ツェーダー村だよ。ミドルグランド王国北端に位置する村さ、とはいえ御覧の通りの廃村だけれど」

「……ミドルグランド王国なんですね。シュバルツシルト共和国ではなく、ですか」

 俺たちは随分な遠回りを経て、共和国から延々と陸路を移動していた。もう国境を越えていたのだろうか。

「二つの国は国境を共有しているんだ。しかもお互いに決して友好的とはいえないから、どこからどこまでを国土とするかは微妙な部分がある。この村はその微妙な領域に位置してはいるけれど、住んでいたのは間違いなく王国民よ」

「それで、ここに住んでいた人たちはどこに――」

 俺の質問に、シュネルは答えではなく背中の荷物に結えていたスコップを差し出した。

「時間が惜しい。説明は手を動かしながらするとしよう」


 シュネルがスコップを突き立てたのは、村の外れに位置する開けた場所だった。幸いこの辺りは積雪がまだ浅い。とはいえ地面は凍ったように固く、よほど力をこめないとスコップは浅く地面を抉るだけだ。

「先に言っておくけれど、私に力仕事はあまり期待しないでくれよ」

「ハナからしていませんよ。ここから担いでムートの所まで帰りたくはないんで、倒れる前に適当に休んでいてください」

「そうもいかないんだよね、気持ちの問題として」

 いつものシュネルなら「じゃあお言葉に甘えて」などといって、すぐに休んでしまいそうなものだが。今は明らかに使い慣れていないスコップを懸命に地面へと振っている。

「……あまり無理はしないで下さい」

「善処するよ。ところで――どう思う? シュバルツシルト共和国という国のこと」

「どう、と言われても。初めて来ましたし、詳しくもないのであくまで私見ですが」

 ようやく柔らかくなった地面の一部を掘り返し、いくばくかの土を除けてから言葉を続ける。

「……正直、居心地が悪いです。俺が外国人だからでしょうけれど、向けられる視線が無遠慮で。他人を値踏みしているみたいに」

「彼らは怖いんだよ。自分達の隣に密告者がいないかといつも恐れている」

「密告者?」

 ふぅ、と頬を紅潮させたシュネルが一息ついて顔を上げる。いつも部屋で床と平行になってばかりいる彼女が、ここまで体を動かすのは初めて見た。

「この国も昔は共和制ではなく王制だったんだけれど、何十年か前かな。戦争でよろしくない負け方をしたもんだから、国民が暴動を起こしたんだ。元々雪ばっかり降ってろくに作物も取れない、ただ国土が広いばかりの国だから不満も溜まっていた。それで王室を見限った軍部が国民側について、革命が起こったんだ。結果、悪い王室や貴族の人達はみんな処刑台送り。善良な国民は自由を取り戻しました……とは、ならなかった」

 シュネルは再び地面に向けてスコップを振るう。先ほどより力がこもっているのか、一際高い音が辺りに響いた。

「それまで国を差配していた人達が軒並みいなくなったんだ。それでも何とかやっていかなくちゃならないってんで、国中から優秀な人材が集められた。でも集まってくるのは憂国の志士ばかりではなく、詐欺師紛いやヤクザ者、軍閥気取りも混じっていてね。みんな思い思いに自分が得をするよう国を動かすもんだから、革命の結果この国はさらに酷いことになった。

 中でも農業政策の失敗は致命的だったよ。『ムギを厳しい環境に置いておいて努力させると、性質が後天的に変化する』なんて夢物語をアテにした結果、これがまぁ見事に大失敗。従来のマナによる肥料精製が再興するまで、いくつもの町が飢饉により地図から消えた。正確に何人が餓死したのか、政府は未だに公表を拒んでいる」

「……よく国が保ちましたね」

「そこはほら。みんな革命の経験者だからね、自分が処刑台に送られないよう対策はしているんだ。軍部を厚遇してスパイを放ち、諜報活動を進めさせ国中を監視下に置いたりね。ただその結果、軍部の力が大きくなり過ぎて政治にも口を出すようになった。政治家にも役人にも元軍人がどんどん入り込み、その結果としてこの国は共和制を名乗りながら、今は軍事政権による独裁制が罷り通っている。国民は不満を持ちながらも、いつ自分が密告されて軍警察に連れて行かれるかと怯えながら暮らしているんだよ」

「……そう思うとミドルグランド王国って随分と平和だったんですね」

「確かにね。農業が盛んで海上交通も活発、おまけに古代遺跡による結界のお陰で首都がモンスターに脅かされないというのは大きい。他の国からすればズル《チート》だよ、あんなもん。

 それでもシュバルツシルトに気骨のある人間ってのはいるもんで、国内外に反乱分子が潜伏しては再びの革命を夢見て活動している。ちなみに気付いてないだろうけれど、私たちがここまで来るのに使った航路や"蝶の羽根"の手配も全部その反乱分子達の手配だよ」

 俺は蝶の羽を渡してきた面々の顔を思い返す。確かに堅気の人間だとは思わなかったが、まさか反乱分子だとは。

「……まぁ、密航ですし真っ当な手段ではないと思っていましたが。でも、あなたは一応この国の学者なんですよね。それも王国に派遣されるほどの。反乱分子と関わっても大丈夫なんですか」

「そうなんだけどね。さっき説明した変な農法あったでしょ? あれに錬金術師だったうちの爺様が大反対したんだけれど、その変な農法を主張してた学者ってばアホのくせに政治的な立回りには強くて。結果『粛清』されちゃったのさ。で、以降うちの家系は強硬な反体制派。反乱分子の皆様方には隠れて支援を続けているって訳だよ」

 気軽に語るシュネルだったが、「粛清」という二文字がどういう結末を招いたのか。今はできるだけ考えないようにした。

「いやぁ、爺様が主張した『空気中から肥料を精製する』ってのもなかなかトンデモな論だと思うんだけどね。もうちょっとマシな対案ならまだなんとかなったと思うんだけれど」

「とはいえ、彼らもよく我々の密入国に協力してくれましたね。さほどメリットがあるとは思えませんが」

「あるよ。メリット……というには感傷的だけれど」

 ようやく柔らかい部分が現れた地面に、シュネルがスコップを突き刺す。垂直に自立するそれは、何らかの象徴シンボルのように見えた。

「ここには彼らの指導者にとって特別な場所なんだ。眠っているツェーダー村の人々もね」

「眠っている、ということは――」

 地面に突き刺したスコップの先端が、こつんと何かに触れる。

「……当たりを引いたか。そこからは慎重に頼むよ」

 シュネルの指示に従い、スコップを横に置いて手で土をどける。黄土色の、すべすべした何かが次々に土の中から現れた。大きさはバラバラだが、元々は何か一つの形を為していたかのように集まっている。そして一際大きな塊――頭蓋骨の虚ろな眼窩が、俺を見上げていた。眉間にはぽっかりと小さな穴が穿たれている。

「村中を掘り返すかもと覚悟していたが、この付近に固まってくれているようだね」

「これが、ツェーダー村の……」

「村人たちだよ。反乱の指導者を匿ったとがで粛清された、ミドルグランドの国民だ」


 それから俺たちは、何とか協力して埋まっていた遺骨を掘り返した。全部で13体。みな一様に頭蓋骨のどこかに穴が穿たれている、恐らくこれが「粛清」の痕跡なのだろう。

 できれば全ての骨格を別々にしたかったが、まとめて埋められたからかどれが誰のものかまるで判別できない。シュネルの提案で頭蓋骨だけをより分けて埋葬し、残りは埋め戻す。村の広場であったろう場所には、13の土饅頭が並んだ。

「さっき、私達が到着した港町があったろう? 件の指導者なんだが、あの港町に潜伏していたところをシュバルツシルトの軍人に見つかってね。辛うじて彼らの手を逃れ、この村に隠れたんだ。国境ぎわだけれど、これでも一応ミドルグランドの国内だから軍も容易く踏み込まないと踏んだんだろう。だが軍は構わず村に踏み込んで指導者を確保。見せしめとして村民を皆殺しにしたんだ」

 シュネルは小瓶の中身を口に含みながら語る。酒を呑んでいるところは見たことがない、恐らく疲労回復用のポーションか何かだろう。

「ここはミドルグランド国内なんですよね。王国は何か抗議をしなかったんですか」

「もちろん、他国の勢力が軍事行動を取ったなんて国際問題だからね。抗議はしたさ、形だけ」

「……何か王国にとってもメリットがあったんですか?」

「そういうこと。ツェーダー村の虐殺を大目に見る代わりに、ミドルグランドはシュバルツシルトの進んだ技術力を差し出させたんだ。技術指導の名目で、を派遣するという形でね」

「まさか、その学者って」

「御明察。私のことだよ」

 以前アントリム伯爵が、彼女を「シュバルツシルトの魔女」と呼んで忌避するような態度を取っていたのはそういうことだったのか。

「捕まった指導者だが、その後は仲間の協力もあって再び逃亡に成功。今も潜伏し続けている。この村のことは酷く心を痛めていてね、『彼らを弔いたい』って説明すると快く協力してくれたよ」

「その反乱分子達が協力をしてくれた理由は分かりました。でも、なぜ我々はこの村の人たちを弔いに来たんですか?」

「……そもそも、この村だけどさ。彼らはどうしてこんな所で暮らしていたと思う?」

 シュネルが周囲を見渡す。廃村は、以前の姿を想起することが難しいほどに荒廃している。

「他の町から遠く離され、ろくに支援も受けられない。冬の寒さは厳しく、毎年命を落とす者もいただろう。それでも彼らには、ここで生きる以外に術がなかったんだ」

「それは、どういう――」

「君なら分かるんじゃないか? この国の奥底に巣食う、差別という病の名前を」

「……まさか、この村の人たちは」

 先ほど掘り返した頭蓋骨を思い返す。いつかのシュネルが言っていた、この世界の人間が脳味噌の側頭葉に備えるというマナを制御する"思惟体"と呼ばれる器官の話を思い出す、

「そう、彼らは被差別者だ。加護なしヴォイドという名前とともに、この小さな寒村に押し込められた人々」

 俺は足元に並んだ土饅頭に目をやる。マナの多寡を重視する冒険者が多くいたからこそ、首都での加護なしに対する蔑視が強いのだと思っていた。しかし、そうではないのだ。マナを操ることができないというだけで抱く差別の心は、首都から遠く離れた場所でさえ、人々をこんな場所へ追いやるほどに強いのか。

「もしかして、さっきあなたが言っていた『マナの欠如こそが異世界で怪異カースドを産み、この世界へ怪異を招いた要因』というのは、つまり」

「そうだ。怪異が出現し始めたのは2年前。このツェーダー村で虐殺が行われた直後からなんだ」


――よばれた


――あなたたち、が、よばせた


 あの学校で出会った怪異、「花子さん」の言葉を思い返して再びシュネルに問うた。

「そう思うようになったのは、アントリム氏の私塾だよ。覚えているかい、『異世界探訪』のこと」

「確か、異世界や異邦人ゲストが持ち込んだアイテムに関する本ですね」

「そうだ。あれを燃やすことで君は例の校舎から戻ることができた。あの本が君を異世界……かどうかは分からないが、校舎へ行くきっかけとなったことは間違いない。でも変だろう? あの本は首都中で読まれているベストセラーだが、読んで校舎へ行ってしまったなんて話は報告されていない。必要な要素は本と、そして異世界を望む加護なしの子供達なんじゃないか」

 確かにあの一件の後、アントリム氏から私塾の子供全員が加護なしとは聞かされていた。ちょうどこの村の人たちと同じように。

「この世界に現れた怪異を呼んだのは、この村の人たちが加護なしだったことが関係していると?」

「確証なんてないよ。でも一度その考えに囚われてしまったら、それ以外のことに頭が回らなくて。彼らの冥福を祈ることが、怪異の発生を防ぐことになるんじゃないか、なんてね。馬鹿みたいだろ?」

「それで密入国までしたっていうんですか? そこまで無茶をするとは――」

 言いかけて、止めた。やるかやらないかでいえば、シュネルは動機さえあれば「やる」側の人間だ。だが、まだ俺にはその「動機」が見えない。初めて会った時、彼女は怪異を理解して被害を減らすことを天命とさえ思ったと言っていたはずだ。

「なぜです。どうしてそこまでして怪異を止めようと?」

「それは……」

 シュネルが言葉を続けようとした、その時。

 ぱん、という破裂音が俺たちの間に割って入った。音が発せられた方を振り返ると、雪の中に軍装を纏った誰か立っているのが見える。一人ではない、十人ほどを従えているその姿には、多少の距離を空けていてさえ不遜な態度が滲み出ていた。

「急に黙っていなくなられると困るじゃないか! 君を追いかけて、こんな所まで来てしまったよ」

「……男爵バロン?」

 間違いない。シュネルの部屋で一度だけ顔を合わせた、彼女の支援者スポンサーで、シルヴィの父親。俺を警吏という立場にねじ込んだという男は、こちらを見てふてぶてしい笑みを浮かべていた。

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