第23話 彼女の雪③

 男爵バロンの傍には、あのセシリアとかいう女軍人もいた。相変わらず剣呑な視線をこちらに飛ばしている。距離は開いているのに、喉元に抜き身の刃を突き付けられているような緊張感があった。

「追っ手が来るならシュバルツシルトからの方が先だと思っていたんだけれどね、まさか反対側ミドルグランドの方が早いとは」

 こちらだけに聞こえる声量で呟くシュネルをよそに、男爵の合図で脇に控えていた男たちが何かを構える。木材と鉄でできた細長い物体。

(銃……!?)

 ミドルグランドの軍人が携行する武器は槍や剣のほか、弓矢や弩がせいぜい。銃火器の類は俺が軍にいる間は見たことがなかったが、シュバルツシルトはそういう武器を備えていると聞いたことはある。

の作り方は教えていなかったはずだけど?」

「君を通してのシュバルツシルトからの技術供与が制限されていることは知っていたよ。だが武器を手に入れるだけなら他にも伝手はあるんだ、この程度造作もない」

 機嫌よく語る男爵には聞こえない声量で、シュネルが「下手に動かない方がいいよ」と囁く。

「銃の密輸出はシュバルツシルトでは一発で極刑もあり得る重罪だ、アレらのほとんどは密造銃だろう。しかも初期の先込め式、有効射程距離は見た目ほど仰々しくはない。おまけに彼らの装備はどう見ても雪中用じゃない、よほど急いで追いかけてきたんだ。ロクな装備もないだろうから、長引けばあっちが不利だ」

「私を無視してなぁにをゴチャゴチャ言っているんだね!? ちなみに私は親切だから教えておいてあげるが、"蝶の羽"を使おうとしても無駄だよ。妨害魔術ディスターバンスを発動中だ」

 妨害魔術は使用することで、マナを消費した周囲のスキルや魔術の行使を妨げるものだ。銃を構えている男爵の配下が魔術師なのか、あるいは他の場所に隠れているのか。

「御準備のよろしいことで。家族サービスもそれくらい熱心にされたらどうですか? シルヴィが愚痴っていましたよ、またお父様が私の誕生日を忘れていたと」

「黙れッ!」

 ここからでも分かるほどに、男爵の顔が怒りで紅潮する。本人も気にしていたのだろう。

「……どうしますか。ここまで追ってきたということは、まさか我々の目的に気付いていることでしょうか」

 男爵は確か、怪異カースドの軍事利用を目論んでいるとシュネルから聞いた気がする。本気なら怪異を止めようとする彼女の行動は目障りだろう。

「私の勤務態度は確かに不真面目だが、彼もそこまでは考えていないだろう。むしろ彼にとって目障りなのは、この村そのものだ」

「……ツェーダー村が?」

「虐殺が行われた時、彼はミドルグランド軍北方部隊の指揮官だったんだ。ここの最寄りの基地だね。より具体的にいうと、他国軍の軍事行動を見逃し、自国民が虐殺されるのを防げなかった能無しという烙印を押されてしまったんだ。彼も私と同じで左遷され、冷や飯を食わされているということだよ」

「まさか、怪異の軍事利用なんてことを考え出した原因は」

「返り咲きを狙っているんだろうね。真面目に職務に励んだ方がよっぽど可能性があると思うんだけれど」

「私を無視するなと言っているだろうが! 人の過去をコソコソと漁りおって、誰の差し金だ⁉」

 男爵が地団駄を踏みながら銃を構える。彼の部下が持っているもとの比べて銃身は半分ほどの長さだ、携帯用だろうか。

「御注進致しますけれどね、男爵。それ以上玩具で遊ぶのはやめた方がいい。雪崩が発生するかもしれませんよ」

 言われて男爵が付近の山を見渡す。麓のこことは違って積雪は十分にある、発砲音で万が一雪崩が起きれば全員まとめてあの世行きだ。

「……ならば直接捕縛するまでだ。おい!」

 男爵の合図で部下達は銃を降ろし、腰に帯びていた剣を抜き放つ。数は圧倒的に不利だ、大人しくしていれば無事にやり過ごせるという雰囲気でもない。

「もう一つ御注進だ、それ以上は近付かないでいただこう」

 シュネルが懐からカンテラのような何かを取り出す。本来は火が灯っている部分が区切られており、満たされた二種類の液体がゆらゆらと揺れていた。

「こういう事態に備えて、首都プロンテラ地下の各地にこれと同じものを仕掛けてある。この液体が混じると致死性の瓦斯ガスが発生する仕掛けになっていてね、首都は一時間もしないうちに死体があふれる素敵な街になるよ。もちろんこれの操作にマナは使っていないから、妨害魔術も関係ない」

「……それがどうかしたのかね。その妨害魔術で"蝶の羽"も通信魔術も使えないだろう、首都の仕掛けをどうやって動かすつもりだ?」

「私がそんなミスをするとでも思うのかい。一定時間連絡が来なければ、首都に潜伏している協力者が装置を作動させる仕掛けになっているんだ。何ならデモンストレーションをしようか? 言っておくけれど、風上はこちらだよ」

 カンテラに指をかけるシュネルを、男爵が「ま、待て!」と制止する。こちらへと近付いていた男爵の部下たちも、剣を構えたまま歩みを止めた。

 事態は膠着したが、打開策はあるのだろうか。俺はシュネルに近寄ると小声で話しかける。

「しかし、ここからどうするんです? まさかムートの所まで戻るのをこのまま見送ってくれるとは思えませんが」

「妨害魔術の効果範囲はそんなに広くないし、発動中の魔術師は動くことができない。何か隙でも作れると後はどうとでもできるんだけどなぁ」

「風向きが変わる前に何か打つ手があれば――ん?」

 正面に居並ぶ男爵たちの姿に、違和感を覚える。半数は剣を抜いてこちらへと近付いたまま固まっており、半数は男爵の傍に控えている。おかしい所は何もない、はずなのに。

 男爵の視線がちらりと横に動く。その口角が、ひくりと震えるように上がった。笑っている。

 その瞬間、違和感の正体に気付く。

「シュネル、一人減っている! 隠れ身ハイディングだ!」

 セシリアだ、あの女がいない。

「……しまった!」

 もう遅い、と言わんばかりにセシリアが間近で姿を現す。盗賊シーフ系ギルド門外不出のスキル、使用者の姿を不可視にする隠れ身だ。彼女がマナを消費してスキルを使用できているということは、妨害魔術が解除されているか、そもそも妨害魔術は男爵のはったりだということか。

 俺の思考はお構いなしに、セシリアが錐剣スティレットを抜いてシュネルへと迫る。カンテラを奪うのか、彼女を殺すつもりか。どちらにせよ、俺の取れる選択肢は一つしかなかった。セシリアへと飛び掛かり、身を挺して錐剣からシュネルを庇う。衣服の隙間から肌に触れる、冷たい感触。

(刺された……けど!)

 脳に伝わるのは浅い痛み。厚い防寒着に阻まれて深く刺さらなかったのだろう。セシリアの体を抱きかかえるようにして、飛び掛かった勢いのまま転がる。だが俺達の体は予想していた以上に勢いがつき、杉林の中を転がり落ちた。雪で見えづらくなっていたが、俺たちは傾斜した地面のすぐ傍にいたようだ。

「サメジマ君ッ! クソ、動くなアホ男爵ども!」

 シュネルがカンテラに手をかけているのが見える。しかしそれより先にセシリアが俺に馬乗りになり、錐剣を振り上げた。次に急所を狙うとすれば首か――咄嗟に庇おうとした腕をセシリアが掴む。片手だというのに、俺の腕は万力で固定されたように動かせない。

 雪の光を照り返し、ぬるりと輝く刃の切っ先。死を間近に感じるのは、これが生涯で二度目だった。

(殺される――!)

 思わず固く目を閉じる。


――テン


 ……だが、体に痛みも衝撃も走らない。何が、と恐る恐る目蓋を開けると、見えたのは硬直しているセシリアの顔。彼女の鋭い視線は俺などではなく、杉林の先へと向けられている。


――ソウ


(何かに……怯えている?)

 彼女に会うのはこれで二度目だが、こんな表情は見たことがなかった。何かに視線を釘付けにして、額に汗を浮かべている。いつもは能面のような表情なのに、唇が細かく震えているのが分かった。


――メツ


 そして、深々と降り積もる雪のなか。声が聞こえた。


「……テン……ソウ……メツ」


 無理に体を捩らせ、声のした方へ顔を向ける。


「……ここで怪異カースドかよ」


 そこにいたのは雪のように白い、しかし決して雪のような純白さを持ち合わせていない、奇妙な怪異姿だった。

 モンスターではない。あんな醜悪なものが、ただのモンスターであるものか。あれは怪異だ。間違いなく怪異だ。

 人間のようだが、足は一本。頭部はなく、その代わりに冗談のような目と鼻と口が胴体についている。笑っているのだろう、唇を歪めて視線をこちらへと向けていた。


「……テン……ソウ……メツ」


 何の意味があるのか、そんなことを呟きながらこちらへと飛び跳ねる。腕をぶらぶらと振りながら、一歩、また一歩こちらへと。

「い――嫌だ」

 それは、初めて聞くセシリアの声だった。恐怖しているのだ、人を殺すことなど全く厭わないであろう彼女が。怪異の純粋な害意に晒されて、怯えている。


「……テン……ソウ……メツ」


「くっ、来るな!」

「馬鹿、逃げるんだよ!」

 俺が叫んでも彼女は動かない。動けないのかもしれないが。なぜか白い怪異は、俺ではなく彼女だけを狙っているように見える。全身を戦慄かせる彼女の動揺が俺にも伝わってきた。力づくでも彼女を押しのけようとした矢先、その体がびくんと大きく跳ねる。

「……何だ、おい。どうした!?」

 気付けば白い怪異は消えていた。助かったのか、しかし事態は好転していない。まずはこの女を何とかしなければ――


「……、は」

「は?」

 セシリアの口から、言葉とも吐息とも判別がつかない声が漏れる。ぐりん、と彼女の顔が俺に向けられた。しかし眼球はてんでばらばらに動き、俺を捉えてはいない。


「は……は……はいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれた」


 ひ、と喉が引き攣る。セシリアが壊れたレコーダーのように、同じ言葉を繰り返しながらゆらりと立ち上がった。

 あれだ、先程の白い怪異だ。どんな術で、何の目的でかは分からない。しかしあの怪異が、セシリアの中へと侵入し、その精神を成り代わったのだ。

「セッ……セシリア! どうしたんだ、何があった⁉」

 男爵がこちらを見下ろして叫んでいる。セシリアが立ち上がってそちらを向くと、男爵は後ずさった。彼もセシリアに起こった、尋常ならざる事態を察したのだろう。

 セシリアは先程の怪異と同じように跳ねると、男爵達へと飛びかかった。彼らの間に動揺と悲鳴が広がる。

 怪異に乗じるのは癪だが行くなら今しかない。

「シュネル、"蝶の羽"だ!」

 男爵達と距離を保ち、身を守るようにしてカンテラを構えていたシュネルがこちらを振り返る。懐から取り出したのは、紙に包んだ"蝶の羽"だ。

「待て、そいつらを逃がすな!」

 男爵が号令をかけるものの、部下達は跳ね回るセシリアに翻弄されてそれどころではなさそうだ。

「サメジマ君、手を!」

 伸ばされた彼女の手を掴む。視界の端で、男爵が銃をこちらに向けて構えた。シュネルが蝶の羽を口に咥えて引きちぎる。その瞬間、羽の効果で転移魔術が発動した。世界が光で満たされ、全身を浮遊感が包む。


 どこか遠くで、俺はあの破裂音を耳にした気がした。

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