第24話 彼女の雪④

 "蝶の羽"が発動し、転送魔術の影響で一瞬平衡感覚を失う。直後、俺たちはどこかの部屋へと放り出された。突如として俺達が出現したことで、元々そこにあった何かが跳ねのけられて周囲でけたたましい音を立て倒れる。

「ここ、は……?」

 陽が落ちてしまったようで、光源は外から差し込む街灯の明かりのみ。辛うじて今いるのが室内だということは分かる。見覚えがあるような気がして、すぐその理由に気付いた。転送された先は首都プロンテラにあるシュネルの自室だ。いつも彼女が根を生やしたかのように寝転がっているソファや、何に使うのかも分からない実験器具、呪文か論文か判別できない文字が書き連ねてある書物が周囲に散在していた。

「……どうやら、逃げおおせたみたいだね」

 横にいたシュネルが立ち上がろうとして、俺によりかかってくる。その体を起こそうと彼女に触れた時、指が濡れたことに気付いた。暗さに段々と目が慣れるにつれて、彼女の太ももから下がぐっしょりと濡れているのが見える。指先に付着したのは、彼女の体から流れ出た血液だった。

「シュネル、この傷……!」

「……男爵バロンめ。暇だからって射撃訓練はちゃんとやっていたみたいだね。しっかり当てられたよ」

 シュネルの額には脂汗が浮かんでいる。痛みに耐える彼女の負担にならないよう、その体をゆっくりとソファに横たわらせた。

「待っていてくれ、今誰か――」

「呼ばなくていいよ。……自分の体だ、専門外だがどんな状況かは自分の方が分かっている」

「でも……!」

 シュネルが手を伸ばし、俺の胸倉を掴んだ。弱々しい力のはずなのに、抵抗することができない。

「サメジマ君。今から私の言うことをよく聞いてくれ。……この部屋を出て、明朝まで身を隠せ。男爵はアホだが執念深い、すぐにでも君を探しに来るだろう。まさか私たちが首都へ戻っているとは思わないだろうが……明日の朝になれば、すぐに東方のアマツ行きの船に乗るんだ。チケットは机の引出しにある。アマツで……異邦人ゲストじゃなく、この世界の人間として生きるんだ」

 異邦人――異世界から渡って来た、本来この世界にいるべきではない人間。俺は自分がだと、彼女に話したことはないはずだ。彼女だけではない、この世界の誰にも。

「……気付いていたんですか。俺が異邦人だって」

「君、意外と鈍いんだね……あれで隠せているつもりだったのかい?」

 痛みに耐えているのだろう、顔を歪めながらも皮肉な笑みをシュネルは浮かべた。

「前に君が報告してくれた……『八尺様』のこと。私が『ミズ・8フィート』って呼んだ時、君は何も思わなかったのかい?」

 そういえば、確かそんなことを彼女は言っていた気がする。

「馬鹿だな、ここは異世界だよ……。『ヤード・ポンド法』で長さを測る馬鹿がいるか」

「……あぁ、畜生」

 迂闊だった。異世界なのに言語は問題なく通じるあまり、細かい部分にまで注意が行き届かないのだ。

「君がうっかり過ぎるんだよ。君以外にも何人か異邦人と接触していてね……生憎、望んでいたほどの知識は得られなかったけれど」

 シュネルは言葉を切ると、口を真一文字に結んで俺を見る。いつもどこかへらへらして、物事を一歩後ろから斜めに見ている彼女ではない。俺と初めて会った時、「自分を手伝え」と言ってきたのと同じ顔だった。

「……この部屋を出たら、決して振り返るな。自分の人生を生きるんだ。きっとこれからもいいことばかりじゃない、辛いこともあるだろうけれど……死ぬより、きっとずっとマシだ」

 自分が異邦人だと言ったことはない。当然、どうして俺がこの世界に来たのかも。

 俺は学校で酷いいじめに遭い、生きるのが嫌になって当てつけのように全校集会の真っ最中、学校の屋上から飛び降りた。しかし俺は死ぬことなく、気付けばこの世界にいたのだ。

 シュネルはそんな俺の最初の死因を、見透かしたかのように強く言い切る。

「あなたは、それでいいんですね」

「……後悔はしているけれど、納得はしているよ」

 シュネルは震える指で、部屋の扉を指さす。

「さぁ、行くんだ」

「……分かりました」

 立ち上がり、机の引出しを開ける。確かにそこにはチケットが二枚収められていた。一枚はアマツ行きの、そしてもう一枚はシュバルツシルト行きの定期船。俺はアマツ行きのチケットを掴むと扉を開く。振り返ると、シュネルがこちらを見て笑っていた。

(……あなたでもそんな風に、笑えたんだな)

 扉を潜る。そして彼女に言われた通り、俺は振り返ることなく扉を閉めた。



 ……ごめんね、サメジマ君。

 君に言えていないこと、まだあるんだ。


 シュバルツシルトで、国民が大勢死ぬ原因になった奴の話、しただろう?


 あれさ……私の父親なんだ。

 優秀な親と、その才能は引き継げなかったくせに、政争だけは上手になって、そのくせ「親に認められたい」っていう欲求だけは捨てられなかった息子。


 つまり、あれは私の爺さんと、父親の対立なんだ。……笑っちゃうよね、シュバルツシルトは遠大な親子喧嘩の結果、国ごと飢えて大勢が餓死したんだ。父は自分の間違いを見たくなくて、さっさと首を括った。


 でも……シュバルツシルトは、私たちを咎めなかった。責を負わせるには、政治的な正しさしかなかった父の説を採用したという自分達の間違いを認めなければならないからね。だから私たち一家は、国中から腫れ物扱いされたんだ。裁かない代わりに、ほとんどいないものとして扱う。「技術供与」なんて目的で国の外に出されたのは、厄介払いの一環だよ。


 ……だから、怪異カースドによる被害を減らしたいっていうのは私の個人的な罪滅ぼしだ。

 もちろん、そんなことをしても父の罪が償える訳じゃないと分かってる。でも……私が強く惹かれた理由は分かってくれるだろう?


 あの時。初めて出会った時。君は昔の私みたいな顔をしてたよ。……自分に生きる価値があるのかって、ずっと悶々としている顔。

 だから思わず、私を手伝えなんて言ってしまった。それが君の生きる理由になればなんて……傲慢だよね。君には迷惑な話だったろう。


 でも……楽しかったよ。


 そういえば、これも黙っていたんだけれどさ。

 他の異邦人から、君の話を聞いたことがあったんだ。


 大勢が見ている中で高所から飛び降りたのに、亡骸が消えてしまった不思議な少年の話。

 あっちの世界だと「鮫島サメジマ事件」って呼ばれているらしいよ。政府が真実を隠蔽しているとか、ウチュウジン?によって誘拐されたんだとか、……異世界に行ってしまったんじゃないかとか、噂されてるってさ。まさかその中に正解が混じっているなんて、誰も本当に信じてはいないだろう。

 君にはそのこと、黙っていたよ。多分、あんまり面白い話にはならないだろうから。……いいよね。許してくれるよね。


 あぁ、寒いな。血が減ったからかな?


 ……誰かの足音が聞こえる。もしかすると、いわゆる「お迎え」って奴かもね。……情けないことを言うけどさ。ちょっと、怖いな。



「……クソッ、何がシュバルツシルトの魔女だ! 忌々しい小娘めが!」

 男爵バロン――フィリップ・ウォートンは邸宅に戻るなり、脱いだ外套を愛用のレザーチェアへと叩き付けた。

 小娘――シュネルが転送される寸前の銃撃は命中していたはずだが、仕留めたかどうか確信はない。しかし相手は何の後ろ盾もない小娘とその部下一人だ、明日にでも部下を総動員して草の根分けてでも探してみせる――フィリップの胸中で、暗い情熱が燃える。

「転送で逃げたからといって、どこへでも行ける訳じゃあない。逃げ続けるには陸路や海路が必要だ、そこさえ押さえれば……」

 そこまで言ってから、フィリップはぶるりと体を震わせる。室内に入ったので外套を脱いだが、邸宅は冷え切っていた。室内灯の火も落とされており、家中がしんと静まり返っている。

「ん……? おい、誰か暖炉に火を入れろ! 風邪をひいてしまうだろうが!」

 怒鳴り声を上げるが、どこからも返事は帰ってこない。舌打ちをしながら火種を手に取り、燐寸を擦って火を点けようとする。……が、なぜか上手くいかない。

「何だ、湿気っているのか……? 暖炉までもが俺を除け者にするのか、私はこの家の主人だぞ⁉」

 そう叫んではみたものの、やはり誰からも反応はない。三女の婿という微妙な立場を宛がわれ、本家からは疎んじられ続けた男の欲求不満フラストレーションは、使用人への暴力という形で発散されていた。いつもなら彼が足音で不快感を示すだけで誰かしら走って出てきそうなものなのだが、今夜は誰も姿を現さない。そもそも帰宅してから、彼は誰とも会っていなかった。

(……会っていない? そんなはずは……)

 立場が弱いとはいえ、彼は腐っても貴族である。職場である軍との往復には御者が操る馬車を用いるし、邸宅の門扉を開くのは使用人の仕事だ。

 なのに。なぜ今夜彼らに会っていないのか。会った記憶がないのか。

 そもそも――


(私は、どうやってあのツェーダー村の森から帰ってきた……?)


 確か、白い怪異が現れて。

 セシリアが狂ったように跳ね出して。

 あの二人が、妨害魔術ディスターバンスはハッタリだと気付いて。

 蝶の羽を使おうとしたところで、私はあの女に向けて銃を撃って。

 それから――

 フィリップの記憶は、そこから靄がかかったように思い出せない。

 なぜか、とても嫌な予感がする。すでに手遅れとなった失敗から目を逸らし続けている時のように、酷い胸騒ぎがする。彼は暖炉の側に置かれていた火かき棒を、理由もなく手にした。冷えた鉄が掌から体温を奪う。いつか些細な失敗をしでかした使用人を、ちょうど虫の居所が悪かった彼はこれで滅多打ちにした。その時はちょうどいい手頃な凶器だったが、今の彼にはひどく頼りなく思える。


 フィリップは自身を落ち着かせようとレザーチェアに腰かけ――雪の中に尻餅をついた。


「な……何だ⁉」

 気付けば、そこは彼の邸宅などではない。ツェーダー村の森の中だ。手にしたはずの火かき棒は、何とも頼りない枯れ枝になっていた。

「馬鹿な、どういうことだ⁉」

 杉林と、振り続ける雪。降雪は勢いを増し、シュネル達に追いついた時よりも雪は深く積もっていた。その中で何かが埋もれている。

「……おい、どうした! 何があった⁉」

 埋もれていたのは、彼の部下たちだった。だが一人として動かない。凍り付いている者、雪に顔を埋めている者、そして自らの頭を銃で撃ち抜き、血を撒いて絶命している者。末期の姿はさまざまだが、皆一様に絶命していた。

「馬鹿な、私は確かに邸宅に――」

 いたはずなのに、と。言葉の続きを口にすることができなかった。

 ざ、と背後で雪を踏む音がした。

 ざ、ざ、と。その音は一定の間隔で、明確な意思を持ってフィリップへと近付いて来る。

「誰だ⁉」

 意を決して振り向く。彼の目に映ったのは、一人の少女だった。薄着のみすぼらしい恰好で、雪の中だというのに靴さえも履いていない。ぼさぼさに伸びた髪が、吹雪になびいている。

 フィリップが何か言うより先に、彼女の額に赤い滴が糸を引いた。一際強い風が彼女の髪を強く見出し、隠れていた額が露わになる。赤い水滴を流していたのは、彼女の額に穿たれた小さな穴――弾痕だった。

 そして、フィリップはようやく思い出した。自分がこの村で少女を見ていたこと。何も言わぬ死体となり果てた村人を、村の住民達を部下に命じてこの村の広場に埋めさせた。死体の一つが、土をかけられる寸前に自分を見上げていたこと――その死体こそが、今目の前にいる少女だということを。

 彼とて軍人だ。モンスターと対峙したこともあるし、死体が起き上がったいわゆる不死アンデッド系のモンスターと戦ったこともある。

 だが、目の前にいるのはそういったモノとは違う。根本的に違う。生きている世界が文字通り違うのだ、

「何だ……何だというのだ! 私は何もやっていない、お前を殺したのは私じゃないだろう!」

 罵声を浴びせられても、少女は何も言わない。ただあの時と同じ瞳でフィリップを見上げている。その視線に耐えられず、思わず後ずさったフィリップは自分の懐に帰還用の"蝶の羽"が入っていたことを思い出す。羽の片割れは首都の軍の詰所に置いてある。これさえ破れば自分は帰れるはずだ。

 少女から視線を外さず、震える指で羽を取り出す。

(何が怪異だ、野蛮な異世界のモンスター如きが、この私を脅かすなどと……!)

 包んである紙ごと、フィリップは羽を破る。これで転送魔術が発動し、彼の身体は――

「な、何故だ⁉」

 何も起こらない。

 再度羽を破る。何度も、かじかんだ指で何度も何度も羽を千切る。しかし羽はいくら千切っても、フィリップの体をどこへも転送することはない。

 雪の上に細切れになった羽が散らばる。少女はなおも羽に縋るフィリップを見下ろしていた。相変わらず枯れ木のうろのような瞳で、彼を見ていた。

 少女だけではない。フィリップが気付いた時、少女の背後の杉林でいくつもの影が蠢いていた。

 白い女がいた。

 別の白い女が、白い子供を連れていた。

 異様に背が高い女がいた。

 石の男がいた。

 臓物を剝き出しにした男がいた。

 顔の見えない少女がいた。

 異様に頭部が大きい人間がいた。

 下半身が蛇の女がいた。

 腕が四本ある男がいた。

 猿のような何かがいた。人形のような何かがいた。

 毛むくじゃらの蚯蚓のような何かがいた。

 一つ目の何かがいた。

 赤いのがいた。黒いのがいた。丸いのがいた。四角いのがいた。薄いのがいた。分厚いのがいた。大人がいた。子供がいた。男がいた。女がいた。いた。いた。いたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいた……


 フィリップは、どこかで誰かが笑う声を聞いた。それが自分の喉から発せられている声だと気付くより先に、彼は自分の精神を閉ざした。

 二度と恐怖に苛まれないように。自分の末路を考えないで済むように。正気なうちに、惨たらしい最期を迎えることのないように。

 そこにいるはずのない、禍を齎すものたちが、彼らを呼んだ少女と共に哀れな男の行く末を見ていた。



 翌朝、フィリップ・ウォートンは彼の邸宅で遺体となって発見された。彼を最初に発見した使用人は、「煌々と燃える暖炉の前で、なぜか主人の遺体が凍り付いていた」と証言したことが記録に残されている。

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