第25話 白い紙

「忘れ物はないかね。しばらくはこの国に戻れんだろうから、後で気付いても手遅れだぞ」

 眼鏡をかけた白髪の老人――アントリム氏は、杖を突きながら学校の先生みたいな口ぶりで問うてきた。

「ありがとうございます、わざわざお見送りいただけるとは」

「ここまで来れば成り行きだよ。それに君達には借りがあるからな」

「借り、ですか?」

「あのまま私の私塾で授業を続けていれば、教え子達が怪異カースドに巻き込まれていたかもしれない」

「そんな、借りだなんて。俺だって巻き込まれて、シュネルのお陰で無事に帰ってこれただけで――」

「老人の謝意は素直に受け取っておきなさい」

 呆れたように顔を顰めるアントリム氏。

「そうだよサメジマ君」

 後ろからかけられた声で、アントリム氏の眉間の皺が深くなった。

「御老体には恩を売っておきなさい。死ぬ前に取り立て忘れることだけはないよう、気を付けてね」



 血を流すシュネルを部屋に残して立ち去った俺は、すぐに倉庫へと向かい包帯やら何やら使えそうなものを片っ端からかき集め、すぐ彼女の部屋へと戻る。扉を開いた俺を出迎えた時の彼女の表情は、なんとも複雑だった。

「何をしているんだ、さっさと出て行けって!」

「怪我人は黙っていて下さい」

 傷口を検める。銃弾を受けたのは太腿の上部のようだった。見たところ傷口はそうでもないが、流れ出ている血の量が異様に多い。当たり所が悪いか、動脈を傷付けていたのかもしれない。

「……できるだけのことはします。銃創の処置の仕方なんて習いませんでしたが」

 傷口を覆う様に包帯を巻いたが、すぐに血が染み出してくる。次にシュネルの足の付け根へとベルトを巻き付け、隙間に実験器具の中にあった擂り粉木棒を差し込んだ。

「動脈を締めて止血します。痛むかもしれませんが、我慢して下さい」

「は? 締めるって――痛ァッ⁉」

 渾身の力をこめて擂り粉木棒を捩り上げ、そのまま固定する。この方法で止血し易い場所なのは助かったが、怪我の功名だなどと思いたくはない。

「助けを呼んできます。ここから動かないで傷口を圧迫していて下さい」

「ふざけるなよ、私に構うな! 君がそんなことする理由なんて……」

「ありますよ。あなたがムカつくんです」

 シュネルの表情が固まる。彼女に同じことを言われた時、きっと俺も同じような顔をしていたのだろう。

「さっき、何か満足したような顔をしていましたね。後悔はあるけれど、やりとげてやったぞっていう感じの。そういう顔で逝かれても、見せられるこっちは迷惑なんですよ」

「見せてない、君が勝手に見たんだろうが! しかも迷惑って、君なぁ……!」

「怒らないで。血圧が上がると出血が増えますよ」

「誰のせいだよ⁉」

「とにかく助けを呼んできます。戻るまで死なないで下さいね」

 シュネルはまだ何か言いたそうだったが、聞いている時間はない。俺は扉を閉めると、数少ない心当たりへと急いだ。


 貴族の邸宅が並ぶ、首都プロンテラの一角。普段なら出歩いているだけで咎められ、衛兵に追い回されそうなものだが今晩は静かなものだった。目当ての邸宅に近付くと、ちょうど前に馬車が停まっている。迎え入れるようにして門が開いたので、ちょうど今帰宅したのかもしれない。忍び込む算段までしてシュネルの倉庫から道具を持ち出していたので、僥倖以外の何物でもなかった。

「伯爵……アントリム伯爵!」

 御者が振り返り、「何だお前は!」と叫びながら鞭を振り上げる。

「夜分に申し訳ございません、シュネルの部下のサメジマです。どうしても火急の要件があり御助力を賜りたく!」

「無礼だろうが! こちらにおられるのは――」

「構わん。彼は私の恩人だ」

 馬車の中から声がして、窓が開く。顔を覗かせたのはやはりアントリム氏その人だった。

「……何事かと説明を受ける時間も惜しいようだな。必要なものを言いなさい。急いで手配させる」

 俺の顔を見て何かを察したのだろう。今はその端的な物言いが有り難かった。

「シュネルが重傷を負いました。止血はしましたが、いつまで持つか……」

「教会や治癒術士ギルドを頼らないということは、何か訳ありなのかね」

「……助けてもらったことで、後々伯爵に累が及ぶかもしれません」

 はぐらかすこともできたが、できればこの人に嘘を吐きたくはない。アントリム氏は頷くと馬車の扉を開け、俺を中へと招く。そして御者に「チェゼルデン先生の屋敷へ急ぎなさい」と指示した。

「隠居した元典医の治癒術士なので、腕は確かだ。孫の相手ばかりで暇だと言っておったし、降りかかる火の粉の払い方は心得ている」

「痛み入ります、この御恩は――」

「余計なことは考えんでいい。早く乗りなさい」

 俺は促されるままアントリム氏の隣へと腰掛け、夜の首都を急ぐ馬車に揺られた。


 チェゼルデンという老医者とアントリム氏を伴い、シュネルの部屋へと戻る。シュネルが顔を上げた、心なしか先ほどよりやつれているように見える。包帯は赤黒い色に染まっていた。

「派手にやったね、ちょっと失礼」

 チェゼルデンは慎重に包帯を外し、携えてきた鞄から鋏を取り出すとシュネルの服を切る。傷口を検め「これは……矢ではないな。どこかで戦争でもしてきたか」と呟いた。

「批評はいい。何とかなりそうか」

 アントリム氏に急かされ、チェゼルデンは「光よステラ」と詠唱する。細やかな光源が出現し、彼は手にした包帯をかざした。続いてシュネルの傷ではなく、彼女が太腿のベルトに帯びていた小瓶を数本取り出す。そのすべてが割れ、中身がなくなっていた。

「これね、ポーション」

「……そうです。彼女は錬金術師ですから、自分で調合したものかと」

「いや、そうじゃなくてね」

 チェゼルデンは包帯をひらひらと揺らす。

「流れ矢、いや流れ弾か。それが体に当たるついでに、ポーションの入っていた瓶を割ったんだろうね。出血は確かにあるけれども、包帯や衣服に付いているのは血じゃなくてほとんどが零れたポーションだよ。傷自体は浅い、術の一つで痕もなく塞がる」

「……ポーション?」

 俺はシュネルと、傷と、そして割れた瓶を交互に見る。

「いやしかし、現に彼女はあんなに死にそうな顔で……」

「どれどれ? ほーん、なるほど」

 チェゼルデンはシュネルの舌の色や脈、掌を次々と確かめる。

「あんまりちゃんとした物を食べてないね、栄養が偏っている。体力あんまりないでしょ。それなのに手はマメができているようだ。何か慣れないことをした?」

 慣れないこと――彼女が慣れていないことといえば、運動。普段はほとんど動かないのに、急に長旅をして雪の寒村で地面を掘り返したりとかは特にそうだろう。

「とにかく普段の生活を見直すことだね。治癒術だって万能じゃないんだから! ところで銃創なんて珍しいから、後学のために治す前に記録していいかい?」

「え、ええ……よろしくお願いします」

 シュネルの許可を受けたチェゼルデンは、嬉々として傷口を観察し始める。はぁ、と背後でアントリム氏がため息をつく。呆れているのだろう、できれば矛先は俺に向けないでほしい。シュネルは顔を伏せている。俺もできることなら今すぐ逃げ出したかった。



「悪いが、お前に対する貸しはないぞ。昨日全部全部使い果たされたからな」

「はぁ~!?」

 大げさなリアクションを取るシュネルを、アントリム氏は手にしていた杖で叩く。銃で撃たれた場所に当たったか、「痛ッ⁉ もっと労りなさいよ!?」と彼女は悲鳴を上げた。

「器用に死にそうな顔をしおって、心配して損したわ」

「だって、あの時は本当に死ぬかと思ったんだよ!」

 俺もそう思っていた。つくづく気まずいったらない。

「人騒がせな。まぁ……それでも、応急処置がしっかりしていなければ、多少の後遺症は残ったかもしれんとチェゼルデンは言っておったがな。……それで、君達はほとぼりが冷めるまで国外逃亡か」

 シュネルはしたたかに打たれた足をさすりながら答える。

「そ、私はシュバルツシルト。サメジマ君はアマツにね。シルヴィには悪いけれど、男爵が失脚するなりして大人しくなるまでは、私も伝手を頼って隠遁しようかなと。それに……」

 シュネルが北の空を見上げる。灰色の分厚い雲が覆うその下には、シュバルツシルトの国土が広がっているのだろう。

「シュバルツシルトにも怪異が出現しているかもしれない。ツェーダー村とあの国はほとんど距離もありませんから」

「分かった。怪異の方は手に負えないが、もしウォートンが失脚するようなことがあればシルヴィあの子の面倒は私が見よう」

「……そうだ、部屋に私がいない間のカリキュラムを用意してあります。あの子たちならすぐに終わらせるでしょうが、今後の指針にはなるかと」

「あの部屋から探すのか、骨が折れるな。……それにしても、曲がりなりにも教師役が板についているじゃないか。どうせ王室付きの役職もなくなるだろう、戻ってきたら真面目に私と教師をやってみんか」

「御冗談を。子守はもう御免ですよ」

 口ではそう言いながら、シュネルの表情は満更でもなさそうだった。アントリム氏もそれに気付いているのだろう。苦笑しながら、今度は俺の方へと顔を向ける。

「サメジマ君は彼女と一緒に行かんのかね」

「俺は……いい機会ですし、色んな国を見て回ろうかと。アマツは縁もゆかりもない訳ではないので」

 嘘だ。アマツを選んだのは、そこが故郷――俺が元いた異世界となぜか似通う部分が多いという理由だけ。少なくともシュネルは、そのつもりでチケットを用意していたはずだ。

 俺が、自分の人生を生きるために。

「それじゃ、改めて」

 シュネルがアマツ行きの船のチケットを俺に差し出す。シュネルを置いて部屋を出る時に俺が持って行ったものだ。チェゼルデンの治療が終わり、ひと段落した時点で一度彼女に返していた。端には彼女の乾いた血が付着している。もしかするとポーションかもしれないが、今となってはどうでもよかった。

 あの時、チケットを持って一瞬でも彼女に言われるままアマツへ行こうと考えたのは本当だ。そうしなかったのは、偏に満足げな彼女を腹立たしく思ったからに他ならない。

 俺は荷物を背負うと、チケットを受け取った。

「では……お元気で」

「そちらこそ。もう変な輩のパーティに入るんじゃないよ」

「しませんよ、そんなこと。変な錬金術師に捕まらないようにも気をつけます」

「言ってろよ」

 桟橋を渡り、タラップを降ろして停泊していた船に乗り込む。いくつかの港を経由していくため、アマツへ到着するまで2日はかかるとのことだった。

 振り向くと、シュネルがアントリム氏の横に佇んでいる。彼女が乗るシュバルツシルト行きの船は、出港準備を終えるまでもう少し時間がかかるらしい。俺が乗り込むのを見計らったように、アマツ行きの船はタラップを上げた。汽笛が鳴らされる、間もなく出港だ。

 何を思ったのか、シュネルが船に向かって桟橋を歩いてくる。アントリム氏も止めようと手を伸ばしていた。

「……あのさぁ!」

 シュネルが叫ぶ。

「私ってば、自活とかてんで駄目なんだよね!」

「……知ってますよ!」

 あんまりにも当たり前のことを言いだすので、どこかに男爵の部下がいるかもしれないのについ叫び返してしまう。

 彼女は少し左足を引きずるようにして歩いていた。傷はチェゼルデンの治癒術で塞がり、命の危険はなかったとはいえ、傷がまだ痛むのだろう。

「部屋はすぐ散らかすし、料理なんかてんでダメだし! 1人でシュバルツシルトなんかに行ったら、すぐに飢え死にするかもしれないよ!」

「……かもしれませんね!」

 その通りだ。一体誰があなたを世話してきたと思っている。あんな相互監視社会で、あなたが長生きできるとはとても思えない。

 船が錨を巻き上げる。帆を広げ、風を受けてゆっくりと動き出す。

「だからさぁ! ……誰か、面倒見てくれないかなぁ!」

「いますかね、そんな物好き!」

「いるんじゃないかな! ……違う世界から来たってバレバレなのに、隠そうとして! 隠せると思ってる、馬鹿な奴!」

「……馬鹿なので話が見えません、ハッキリ言ってくれませんか!」

 荷物を背負い直し、船の縁に足をかける。我ながら馬鹿なことをしようとしている、このまま船に乗っていれば……と。そこまで考えてから思い直す。どうせどこに行こうと異世界だ、俺の世界じゃない。

 なら、どこだって別に構わないか。

 船を飛び降りる。一瞬感じた浮遊感で、俺はこの世界に来た時のことを思い出した。逃げる場所もなく、ただ今とは違うどこかへ行きたくて屋上から飛び降りた時のことを。抱いた浮遊感はその時と比べてずっと短く、そして心地よかった。

 着地した桟橋が音を立てて揺れる。シュネルが歩み寄り、荒い息を整えていた。やはり多少は無理をしているのだろう。

「……何をやっているんだい、アマツに行くんじゃなかったのか」

「あなたの声が聞こえ辛くて、下船してしまいました。もっとちゃんとした食事を取って下さい、腹に力が入ってないんですよ。……でも困りましたね、船はもう出てしまいましたし、行く宛がない」

 本当に馬鹿をやっていると、自分でも思う。

 でも、もしも。元いた世界でも最初からこんな風に生きていられたら、俺はこの異世界に来ることもなかったんだろうか。それも悪くはないが、今となると少しだけ寂しい。

「なら、一緒にシュバルツシルトへ来るのはどうだい? ろくでもない国だし、チケットもないがなんとかなるだろう。……いや、本当にろくでもない、掛け値なしに行く価値なんてない国なんだけれどさ」

「いいんですか? 自分の人生を生きろって誰かに言われた気がするんですけれど」

「何を言っているんだね」

 腰に手を当てて、心底呆れたという顔を浮かべてシュネルは言い放つ。

「どこで誰と生きようが、それが君の人生だろう」

「……まぁ、それはそうなんですけれど」

 自分の判断で船を飛び降りたとはいえ、なんでこの人はこんなに偉そうな物言いができるのか。

 アマツ行きの船と入れ違いに、シュバルツシルト行きの船がタラップを降ろす。

「ほら、早くしないと乗り遅れるよ。私は怪我人なんだから、君が荷物を持ってくれないと困るじゃないか」

「分かりましたよ。……よくそんな状態で、シュバルツシルトへ一人で行こうと思いましたね」

「本当だよ。何で私を一人で行かせようとするかなぁ」

「嘘でしょ? 普通この流れで俺を責めます? どういう神経してるんですか?」

「これが異世界の価値観だよ。君も早く慣れるといい」

「絶対に嘘だ」

 ……今から泳いででもアマツ行きの船に乗った方がいいのではないか。

 桟橋のたもとで、アントリム氏が呆れたような顔でこちらを見ている。その表情は怪我の身を押して船を追いかけたシュネルに対してか、それとも船から飛び降りた俺に対してか。

 先を思うと気分が沈む。この世界にも、そしていずれ出会うかもしれない怪異にも。それでも、これが自分の人生だと諦めるしかない。天命なんてものがあってもなくても、この異世界で彼女と一緒に、怪異の被害を減らすのが俺の役割なのだろうから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

異世界"Jホラー" 棺桶六 @dobugami

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画