第12話 私塾の夜②

 首都郊外、爵位を持つ貴族たちの別邸が並ぶ地域。普段なら身なりの怪しい者が歩いているだけでも衛兵たちが飛んでくる一角を、ウォートン家の所有する馬車で移動する。革張りの腰掛けは腰への負担を軽減してくれるものの、あまりに上等過ぎるために却って居心地が悪かった。

 馬車が一際大きな別邸の前で停まる。

「こちらです」

 シルヴィは門番に挨拶した後、彼から鍵束を受け取る。俺とシュネルは門番の無遠慮な視線を浴びながら門を潜った。その先は歩道が整備された森が続いており、しばし歩いた後に私塾と思しき建物が木々の間から見えてきた。建てられてからそれなりに年月を経ているのだろう、平屋建ての木造建築は私塾というよりも礼拝堂のような趣がある。

 鍵束のうち一本を差し込み、シルヴィは私塾の鍵を開錠する。

「勝手に開けちゃっていいのかい?」

「許可はいただいておりますわ。もちろんお二人に調査していただくことも」

「助かるよ、私もサメジマ君も伯爵様の敷地に立ち入れるような身分じゃないからね」

「……私『も』? 王室付きの錬金術師が?」

 俺が疑念を口にすると、シュネルはあからさまにしまった、という表情を浮かべる。

「まぁその話はおいおいね、おいおい」

「別に言いたくないなら、そう仰っていただいても構いません」

 意趣返しのように先程のシュネルが言ったそのままを口にする。とはいえ彼女が今する話ではないと判断したのなら、特段異存はなかった。ここで掘り返したせいで揉めでもしたら、調査が台無しになる。

 ぎぎ、と擦れる音を立てて重い木戸が開かれた。

「どうぞ、お入り下さい」

 促されるままに足を踏み入れようとした、その時だった。

「――君たち」

 背後から声をかけられ、俺たちは振り返る。視線の先に佇んでいるのは白髪の老人だった。だが老いてはいるものの矍鑠とした佇まいで、眼鏡の奥からこちらに向ける眼光は鋭い。「男爵」ほど不躾ではないものの、こちらを値踏みしているのは明らかだった。

 どうしたものかと動きあぐねていると、俺たちの間をすり抜けてシルヴィが前に出た。

「アントリム先生!」

 老人がそう呼ばれて、一瞬表情が柔らかくなるのを見逃さなかった。アントリム、ということはこの老人が伯爵だろうか。

「シルヴィ君、私塾の外では『伯爵』と呼ぶように教えているだろう。もしもの時に恥ずかしい思いをするのは君自身なのだよ」

「だって、先生は先生なんですもの」

 シルヴィはアントリム氏に駆け寄る。「伯爵」と「男爵の孫」では立場に格段の差がありそうなものだが、二人の素振りからは一切感じられなかった。

「君が連れてきたということは、彼らが例の――」

「はい! 私塾で起きたことを調べもらうために私がお招きしました。錬金術師のシュネルさんと、御同僚のサメジマ様です」

「どうも〜、御紹介に与りましたシュネル・ファインバーグです」

「……サメジマです」

 貴族に対する礼節などに覚えはないが、何もやらないよりマシだろう。道化のように手をひらひらと振るシュネルの隣で、とりあえず頭を垂れた。しかしアントリム氏はシュネルの名を聞き、「ほう?」と意外そうな反応を見せる。

「シュバルツシルトの魔女が、今は王室で何をしておるのやら」

(……共和国のことか?)

 シュバルツシルト共和国、このミドルグランド王国と国境を接する共和国の名前だ。もっとも共和制なのは名ばかりで、実態は軍部と癒着した一党による独裁体制が長年続いていると聞く。ミドルグランド王国とはごくごく一部で小規模な人材交流があるものの、国際関係は常に緊張状態にあったはずだ。

「アントリム伯爵様に名を覚えられているとは光栄です。優秀なもんで、何かとあれこれ頼まれちゃうんですよ」

「抜かしおるわ、せいぜい亡命先に媚を売っておくといい」

「やだなぁ、私の売り物は媚じゃなく恩です」

「確かに。媚を売れるほど器用ではないようだな」

「何なら伯爵様にもお売り致しますが」

「いらんわ、間に合っとる」

「残念。今なら香典代わりにお安くしますよ」

 険悪なのか仲がいいのか分からないやり取りを延々続けていた二人だったが、先に音を上げたのは伯爵の方だった。「さっさと行け」と言わんばかりに手を払う。

「なんでもいいが、せっかくの学び舎を壊すような真似だけはせんでくれ」

「それは勿論。子供たちへの教育はあらゆる国家の事業に優先されねばなりませんから」

「……そういう物言いが胡散臭いんだがなぁ」

 話は終わったとばかりに踵を返すシュネル。シルヴィもそれに続き、俺も二人について行こうとした時だった。

「ところで君、サメジマ君だったかな」

「は、左様です」

 咄嗟に直立不動の姿勢になる。ミドルグランド王国で「伯爵」という位にどの程度の権力があるのかは分からないが、とりあえずこうしておけば理由もなく縛り首になることはないだろう。何を言われるのかと内心身構えていたが、アントリム氏はしばし逡巡した後に「シルヴィ君のことだがな」と切り出した。

「あの子はあれで、色々と難しい境遇だ。君に何かしてくれとは言わん、だが一緒にいる時はせめて気にかけてやってくれ」

「男爵家の御令孫……という境遇が、ですか?」

「爵位にはそれに見合った、負うべき責務というものがある。それに……あまり言いたくはないが、彼女の父親を見れば察するものもあろう」

 確かに、と同意しそうになり慌てて口を噤む。

「すまないが、よろしく頼む」

「何ができると保証することも致しかねますが……可能な限り善処します」

 俺の返答を聞いて納得したのか頷いたアントリム氏だったが、「ところで」と思い出したように続けた。

「君はシュネル・ファインバーグ君とどういう関係かね」

「どういう……?」

 一番適切なのは雇用者と被雇用者なのだが、自分で口にするとしっくりこない。かといって女将に説明したように「知人」というのも、アントリム氏に説明するためには不適切に感じた。少しの間悩んだ後、思いついたものを口にする。

「飼い主と飼い犬、でしょうか」

 俺の返答に一瞬呆気に取られたアントリム氏だったが、気を取り直してぽつりと呟いた。

「そうか、ではたまに手を噛んでやるといい」

「喜んで」

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