第11話 私塾の夜①
いつも目が覚めるのは夜明け前。こちらに来てから一度もまともに眠れないからだ。
また悪い夢のような現実へと覚醒し、安宿のベッドからのろのろと起き上がる。買い置きのパンと冷水――「冷気魔術」によって常に冷たい水を提供できるらしい――を腹に詰め込むと階下に降りる。外に出て物置から箒を取り出し、宿の前の掃き掃除を始めた。朝日が昇り始め、ニワトリが鳴き始めた頃。玄関が開いて宿の女将が顔を出した。恰幅のいい中年女性は俺を見つけると、苦笑いを浮かべながら歩み寄って来る。
「おはよう、サメジマ君。今日も早いのねぇ」
「おはようございます」
「……でも、いいのよ本当に。毎朝掃除なんてしてくれなくても」
女将は俺が手にした箒を見て、申し訳なさそうに言った。
「俺みたいな身元の怪しいのを長居させてもらっているんです。せめてこれぐらいは」
掃き集めたゴミや枯葉を集め、ズタ袋に放り込む。後はいつも通り物置に置いておけばいいだろう。
「怪しいだなんて、アマツの人はみんな礼儀正しいじゃない。他のゴロツキみたいな冒険者に住み着かれるよりはよっぽどいいわよ」
「アマツ出身なのは両親ですよ。俺は行ったこともありません」
「……そうだったわね、ごめんなさい」
「いえ、お気になさらず。もうずっと前のことですから」
女将の表情が翳り、俺は内心やってしまったと感じた。彼女を責めるつもりはないのだが。
俺の両親はアマツ――東方にある、独特の文化を持った閉鎖的な国だ。天命を受けた者が国を統治しているらしい――からこのミドルグランド王国へと移住してきたが、俺一人を遺して早逝した。そういうことになっている。
「何でも手伝えることがあったら言ってね。力になるから」
「でしたら、朝食を用意していただいても構いませんか。軽いものでいいので」
「朝食? ……それは構わないけれど、朝ごはんまだ食べてないの? もし今のお給金が低いっていうなら、私の知り合いを紹介しようか。」
「いえ、そういう訳ではなく。知人……雇い主に持っていこうかと思いまして。今日もろくなものを食べてないでしょうから」
「それはいいけれど……」
どんな雇い主だ、とでも言いたげな視線を向ける女将。俺はガレキの山のような部屋で、ふんぞり返って訳の分からない食べ物にかじりついる雇い主の姿を思い浮かべていた。
シュネルの部屋へ毎日行く、と決まっている訳ではない。
いつも通りノックなしにドアノブへ手を掛け、開こうとして止める。
(……
部屋の中、彼女以外に誰かがいる。が、それにしては静か過ぎる。先日出くわした慇懃無礼な男が思い浮かんだ、彼以外とシュネルの部屋で出くわしたことはない。にしては会話が一切外へ聞こえてこなかった。軽食が入った袋を左手に持ち替え、腰に佩びたショートソードの柄に手をかける。
「おはようございま……す?」
扉を開くと相変わらず散らかった部屋が目に入る。その中心、いつもならシュネルが寝ているか起きたまま寝転がっている応接用のソファ。座っていたのは彼女ではなく、見知らぬ少女だった。
「君は……?」
「やっと来たか」
部屋の主はソファの対面、壁のように積み上がったハードカバーの書籍の陰に隠れていた。なぜか憮然とした表情を浮かべている。
「遅いぞサメジマ君、何をしていたんだサメジマ君。サメジマ君の仕事は私が困っていればいつでも駆けつけることだろう」
「いや、違いますけれど」
「じゃあ今日からそういうことにしてくれ。ハイ決めた、私が決めた」
理由は分からないが、なぜかとにかく不機嫌だった。自分の勤務態度に思い当たる節はないが、他に原因があるとすればこの見知らぬ少女だろうか。少女はシュネルを脅すでも困らせるでもなく、ただただ当惑した様子でソファに腰かけている。
「あの……彼女が何か? あ、とりあえずこれ。朝飯です」
「何かも何もないよ、あと朝ごはんありがとう」
不機嫌を撒き散らすか礼を言うのか、どちらかにしてほしい。
「さっきドアがノックされて、君かと思ったらその子が突っ立っていたんだ。立たせておく訳にもいかないし招き入れたんだが……」
「んだが?」
「どう対応していいか分からないから放置している」
招き入れたという割には、今にも食われるんじゃないかというくらい警戒しているのはそういう理由だったか。こんなスラムのゴミ捨て場よりも凄惨な部屋に招かれれば仕方ないだろう。
「……それで、あなたが何でそんなに警戒してんですか」
「子供は嫌いなんだ、行動の予測ができないから」
シュネルは「言いたいことは言い終わった」とばかりに、自室の研究スペースへと引っ込んだ。どうやら本当にこの少女の対応を俺に任せるらしいが、腐ってもこの部屋の主なのだからもう少し堂々としていてほしい。仕方ないので少女の方へ向き直る。
「申し訳ありません、御覧の通り私の雇用主は人と会話をする能力に尋常ならざる障碍を持っておりまして。御要件でしたら私が承ります」
「言い方ァ!」
恐らく「何でそんな言い方ができるんだ」とでも言いたいのだろうが、省略し過ぎて何が言いたいのか全く分からない。反面、少女はソファから立ち上がると、深く腰を折って礼をした。
「こちらこそ、急な来訪を失礼致しました。私はウォートン男爵家、フィリップ・ウォートンの長女、シルヴィアと申します」
「……フィリップ・ウォートン?」
俺の背後からシュネルが訝しむ声を上げる。
「ご存じなんですか?」
「知ってるも何も、『男爵』の本名だよ。彼は現ウォートン男爵三女の婿だ」
つまり目の前にいるのは、そのウォートン男爵とやらの孫娘に当たる訳だ。確かに身に着けているものは華美ではないが、下町で買えるような代物ではない。立ち居振る舞いにも気品のようなものを感じる。
「それで、男爵家の御令孫がどのような用向きで?」
「シルヴィで結構です、親しい者はそう呼びますわ。大変不躾ですが、この度はファインバーグ様とサメジマ様にお願いがあって参りました」
「お願い、ですか」
本題に入るためか、シルヴィは居住まいを正す。釣られて自分も座り直してしまった。
「実は、私がお世話になっている
「……ちょっと待ってほしい」
俺は背後で聞き耳を立てているシュネルの方へと向き直る。
「まさか俺が知らないだけで、『
「んな訳ないだろ、私にもそれくらいの倫理観はある」
「でしょうね」
あくまで「そのくらい」の部分に重きを置いて同意する。同意したのは彼女の倫理観への期待からではなく、「そんな面倒臭いことを彼女が俺抜きに進めるはずがない」という確信からだが。
「では御令孫……ええと、シルヴィ様はどこで我々のことを?」
「父から聞きました。普段は仕事のことを自宅で話しはしないんですが、お酒が入ると口が軽くなりますの」
「なるほどね、職業倫理に欠けているのは男爵様の方だったか」
背後でシュネルがあからさまに嘲笑する。仮にも男爵の娘が目の前にいるのだから、そういう態度は控えてほしい。
「それで、我々のこともお父上からお聞きになったと。この場所もですか?」
「いえ、この場所は3日ほど前に父の後を尾行して特定しました。素直に尋ねても教えてくれそうにはないと思いましたので」
3日前というと、俺が男爵と初めて顔を合わせた日だ。それにしても貴族とはいえ、軍人の後をつけるとは。
「大胆なことをなさるんですね」
「それほど切実だということ、御理解いただけますでしょうか」
「切実って言っても、どうせ私塾の子供がシーツを
鼻で笑うシュネルの前に割って入るよう挙手をする。
「話の腰を折って悪いのですが……その『私塾』とは何なんですか?」
先ほどから出てくる単語が聞きなれない俺に対し、シュネルは呆れた顔を向けた。
「学のある貴族が、自前の施設や教会に他の貴族の子供を集めて教育を施すのさ。名門なら家庭教師を雇って師弟を教育するんだが、新興だったり軍閥だったりの貴族は私塾に子供を入れるのが流行っているらしい。冒険者向けの修練所を参考にしたんだとさ」
「へぇ、そんな所が」
貴族の生活というものは、どうしたって我々平民には縁遠い。怪異が元いた異世界ほどではないが、文字通り別世界の出来事に聞こえた。シュネルから自家に対する明確な軽視を向けられたものの、シルヴィは反論するどころか申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「御指摘の通り、お爺様を始めウォートン家は長年軍人として武功を立てることで王家に仕えてきました。戦がないのは大変よいことなのですが、どうしても平時の振る舞い方があまり器用ではないものですから」
「申し訳ありません後ろの無礼者は気にしないで下さい。後でシメておきますから」
「なんで⁉ 私は君の雇い主なんだけれど⁉」
後ろで抗議の声を上げるシュネルはとりあえず無視しておく。しかし「男爵」が怪異の兵器転用なんてイカれたことを考えるのも、武門が軽んじられる現状に起因するのだろう。
「それで、私塾ではどのようなことが?」
「それが……夜な夜な、
「石像?」
これまで耳にしていた怪異が、読むと死ぬ「黒い巻物」だの、入れば死ぬ「白い家」だのと物騒な代物揃いだったため、やや拍子抜けしてしまった。しかしシルヴィの顔は深刻そのものだ。
「石像といっても大人の男性と同じくらいの大きさですし……他の子たちはまた別の怪異と遭遇したそうですが。とりあえず私が見た石像を描いてきました」
シルヴィは鞄から折り畳んだ紙を取り出し、俺に手渡す。それを広げている間にもシュネルが背後で訝しんでいた。
「石像って言っても、どうせ大道芸人か何かの仮装を見間違えたんじゃないのかい?」
「まさか、道化師が催時でもないのにあのような格好をするはずがありませんわ」
「収穫祭の余興とか」
「夜の私塾でですか?」
「異世界から来た怪異の石像が私塾にいるより、よっぽど説得力があるだろう」
「それは……!」
「シュネル、取り込み中のところをすみません」
放っておけば言い争いに発展しそうな二人の間に割って入る。
「これは恐らく、本物です」
「……へぇ」
相変わらず疑ってはいるものの、俺が冗談を言っている訳ではないということは伝わったようだ。俺の話を聞く気にはなっているらしい。
「本物の怪異ってことかい、根拠は?」
「勘です」
「はぁ?」
「すみません、それ以上のことは」
シュネルはシルヴィが描いた怪異の絵を覗き込み、首をかしげている。俺の勘を信じた訳ではないだろうが、本物だと断言する理由が分からないのだろう。しばし絵と睨み合っていたが、やがて深い溜め息とともに立ち上がった。白衣を脱ぎ、瓦礫の上に引っ掛けてあったコートを羽織る。
「言いたくないなら、そう言えってんだよ君は。雇い主に隠し事なんかして……言っておくけれどね、お嬢さん。空振りだったら出張料と顧問料を請求するから。お父様のヘソクリでもくすねておきなさい」
「本当ですか? ありがとうございます!」
「やめろ、喜ぶな!」
シルヴィが表情を輝かせ、反面シュネルがしかめっ面を浮かべる。
「さっきも言ったけれど、私は子供が嫌いなんだ! それに解決できる訳じゃないからな、あくまで私は調査に行くんだ!」
何であれ、彼女が行く気になったことは喜ばしい。……のだが、俺は素直にそれを喜べないでいた。
シルヴィが描いたという怪異の姿。この世界において異装だとはいえ、俺にとってはよく知っている風体だ。頭に髷を結い、左手には開いた本。背中には薪の束を積んだ背負子。俺はかつて、これと全く同じ像を見たことがあった。
勤勉の手本とされた、とある人物。像が模した彼の名は「二宮金次郎」という。
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