第13話 私塾の夜③
「アントリム氏と何を話していたんだい?」
私塾の中で遅れて合流した俺に、シュネルは出し抜けに問いかけてきた。
「俺とあなたの雇用関係についてです」
「ハァ? 何それ」
「あなたこそ、さっきのシュバルツシルト云々ってどういうことです」
露骨に疑うシュネルに質問で返すと、彼女はあからさまな作り笑いを浮かべてそっぽを向いた。
「それもおいおいだよ」
「はぐらかし方が雑に過ぎるんですよ」
「キミに言われたくなーい」
今この場でアントリム氏に言われた通り嚙みついてやろうかとも思ったが、雇用関係が悪化すると面倒だ。とりあえず心の中のメモ帳に「いつか噛む」と書き留めておく。
シルヴィに続いて入った私塾の中は、机とセットになったいくつもの長椅子が並んでいた。部屋の奥には黒板、そしてさらに奥へと続く扉が一枚。建物の外観から察するに、私塾のほとんどがこの大部屋の教室に割かれているようだ。壁際には生徒が私物を置いておくのであろう棚や書架などが寄せられている。本の内容は図鑑や専門書から、小説や児童書などジャンルはさまざまだ。
「それで、例の石像君を見たのはどこだい?」
「この教室の中です。夜にアントリム先生の許可を得て忘れ物を取りに来た子がいたのですが、その時に――あっ」
書架を見たシルヴィが声を上げる。
「どうかしましたか?」
「あ、いえ……何でもありません。大したことではないので」
そう言われたものの、彼女の視線の先が気になる。書架を見やると他の書籍とは離れて、一際目立つ場所に一冊の本が置かれていた。タイトルは――
「『異世界探訪』?」
書架へと歩み寄り、本を手に取るとぱらぱらと捲ってみる。勉強用の本というより、子供たちが活字に興味を抱くようにと用意されたやや娯楽向けの本なのだろう。載っているのは多くの挿絵と、それの解説。描かれているのはさまざまな風景や動物、そして何に使うのかも分からないアイテム達。少なくともミドルグランド王国の景色ではなさそうだが、とある挿絵のページで手が止まる。透明の容器の上に、金属製の器具が取り付けられたアイテム。解説には「ライター:異世界で煙草等に火を灯す際に用いられる。この世界における燐寸のようなもの」と書かれていた。
「あぁ、それ。最近流行っているんだよね」
横からシュネルが覗き込んできた。
「
「……異世界を?」
「もっとも異世界に関する情報は厳しく制限されているし、そこらの印刷屋が異邦人に聞取りできる訳でもない。全て噂を元に想像で描かれたものだよ、図鑑の形をした娯楽本さ」
「なるほど、そういう本もあるのか」
黄金でできた町、空を飛ぶ鋼の大鷲、地を這う鉄竜、星々の世界を進む船、隣の国と手軽に会話できる水晶魔術、そしてマナがなく、それを操る力を持たない人々――確かに豊かな想像で描いたものだろう。
「この本が、どうかしましたか」
シルヴィに本を見せながら問うと、彼女は少し俯きがちになって答える。
「その『異世界探訪』、教室でもすごく人気なんですよ。そこに置いてある本はみんなが読めるようにってアントリム先生が御用意くださったんですけれど、みんな夢中になって読むものだから取り合いが始まってしまって。喧嘩になってしまうから順番を決めて読むようにとお𠮟りを受けたんですけれど……前の子がもう返却したんだな、って」
手に取った『異世界探訪』は、確かに彼女の言う通り他の本に比べて特に傷みが激しいように見受けられた。教室の子供たちがよほど熱心になっているという証左だろう。殊更に子供たちの興味を惹く内容にも思えないが、流行とはそういうものだ。
「……読みますか?」
俺が本を差し出すと、シルヴィは目の前でぶんぶんと手を振った。
「いえいえ! 今は調査が先ですから。お二人のお仕事を優先しましょう」
シルヴィはずんずんと私塾内の小部屋へと向かっていく。その背中を見やりながらシュネルは「いいねぇ、お子様は」と呟いた。
「他の子供もあれくらい分かりやすければいいんだが」
「そうですね。あなたも見習って下さい」
「……私は子供の話をしたんだが。どういう意味だよ、私は君の雇用主だぞ?」
「いいから行きますよ。余計なことに構わないで」
後ろで地団駄を踏むシュネルを黙殺し、シルヴィに続いて小部屋へ入る。
いや、正確には入ろうとした。しかし部屋の入口を潜った時点で、脚が自然と止まってしまう。
「どうした労働者、私に謝罪する気になったか?」
「いや、それはありませんが」
「何でだよ、そういう気になれよ。……おっとぉ?」
続いて小部屋に入ろうとしたシュネルも、その足を止める。
「これはまた……随分なコレクションだね」
小部屋の中に広がっていた景色。先ほどの書籍に載っていたものには及ばないが、そこに並んでいたのは数多くのアイテムや資料だった。壁に貼られているのはこの世界の巨大な地図。剣や刀、長柄といった武器類、革鎧から板金までさまざまな時代の防具を始め、北方にいるという一角獣の角、怪獣の頭蓋骨、甲羅、見たこともない宝石のような昆虫の標本、野獣の骨を使った義手、人面を模した革表紙の本、絶滅したモンスターの剥製、いくつもの切り取った箇所のある香木、真珠がなる金色の珊瑚(流石に模造品だろうが)等々――そういったものが所狭しと置かれている。
シルヴィが小部屋の中心で胸を張る。
「先生が各地を巡って蒐集した品々をこちらに集めておられるそうです。私たちには『見るのは構わないが、決して手に取らないように』ときつく仰っておられました」
「アントリム氏は足で調査するお人だったか……それにしても、これほどの物を学業に供するとは豪儀だねぇ」
シュネルが金色の器具に顔を近付けて呟く。似たようなものは彼女の部屋にもあったが、それに比べてレバーやボタン、ダイヤルの数がこれでもかというほど多く、素人でも分かるくらいアントリム氏の方が高価に見えた。
「たまに言いつけを破る子もいて、ひどく怒られていました」
「怒られるで済むんなら大したもんだよ。たとえ貴族といえどモノによっては一家が路頭に迷うくらいの賠償金はふっかけられるぞ」
続いてシュネルが観察するのは、宝石や黄金で装飾を施された頭蓋骨。どう見ても人間の骨に見えたが、果たして如何なる経緯を辿れば死後もこのような目に遭うのか。心の中で頭蓋骨の本来の持ち主に同情する。
「……ん、これは?」
部屋をぶらぶらと見回っていたシュネルが、展示品の前ではたと足を止めた。そこにあったのは四方と上面がガラスでできた透明の箱だが、彼女が注目したのは箱の中身だ。シルヴィは箱を見て、露骨に眉を顰める。
「それだけは決して手を触れないようにと、先生がそのような箱へお入れになられていました」
「そう思うなら隠しでもしておけばいいのに、仕方のない伯爵様だよ」
透明な箱に納められ、外界から区切られていた中身は三つ。
一つは植物の茎の束だ、ちょうど人差し指と親指で作った輪っかくらいの太さに束ねられ、捩られている。主となる束が一つに、そこから分かれたやや細めの束が四本。辛うじて人型を模していることが感じられたが、ただの植物にしてはあまり直視していたくない禍々しさがある。
隣に置かれているのはどす黒く錆びた長い釘。まさかとは思うが、錆びは血によるものだろうか。そして最後の一つは――
「これは……絵、かな?」
「にしては緻密に過ぎるというか、まるでそのままの姿を写したような」
首を傾げながらシルヴィが呟く。掌に載る程度の大きさの紙辺には、若い男性の全身が描かれていた。こちらに向けて軽薄な笑みを浮かべている……のだろう。ちょうど眼球と心臓、そして股間が描かれている部位は酷く破られていて詳細が分からない。加えて異様なのは、シルヴィの指摘した通り異様なまで緻密に描かれていることだ。宮廷画家がどれほど時間を掛けたとて、これほどのものは描けないだろう。そして描かれた男は、どう見てもそんな肖像画が必要そうな男には見えない。
「写実的……というより、言葉通りの写実ですね」
「先生が言うには、紙ではなくとてもツルツルした表面で、通常の塗料では色が乗りそうにないとのことでした。どのように描かれたのでしょう?」
「もしかして
「この絵が……ですか?」
シュネルの推測に、シルヴィの声が高くなる。
「絵だけではなく、この三つ全部。私は専門ではないけれど、相手に模した人形を作って傷付けることで、相手の同じ場所を害する呪いが南方にはあるようだね。似姿を用意することで呪いを対象へ『感染』させるというのは、呪いの中では珍しいものじゃない。異世界に似たような呪いがあっても不思議ではないね」
「これが、ですか」
距離は保っているものの、シルヴィがその人形へ向ける視線は先程と変化している。
「まぁ……これが異物だとしても、マナのない異世界でどれほど効果を発揮したかは怪しいもんだけれどね」
「マナのない、異世界……」
シルヴィは異物らしいアイテムよりも、異世界という言葉に惹かれているように見えた。その間に俺はシュネルに近寄り、そっと耳打ちする。
「例えば『黒い巻物』のように、この異物自体が私塾に異変を齎しているという可能性は?」
「それはどうだろうか」
なくはない、と思っていたがシュネルは即座に俺の考えを否定する。
「そもそも私はこの私塾のお子様たちが怪異を目撃したということ自体、疑わしいと思うけれどね」
「では、何が原因だと?」
「多感な思春期の子供達が見た集団幻覚」
シュネルはばっさりと切り捨てた。
「幻覚だなんて、酷い言い草だわ!」
小声で話していたつもりだったが、シルヴィには聞こえていたらしい。彼女は声を荒げてシュネルへと詰め寄った。
「見たのは私だけではありませんわ! 他の学友も見ております。石像だけじじゃなく――」
「まぁ待ちたまえよお嬢さん。仮に君たちが何か見ていたのは間違いないとしてだよ?」
憤るシルヴィを制し、シュネルは小部屋の机に腰かけた。ぷらぷらと足を揺らしながら、揶揄うような声色で続ける。
「君が見た石像が、この
「ありえません。王国には退魔の結界が敷かれておりますもの、モンスターが立ち入ることはできませんわ」
確かにシルヴィの言うことは正しい。
ミドルグランド王国には王城を中心とした大規模な結界が張られており、古来モンスターの侵入を阻んでいる。教会は「神の恩寵」と嘯いているが、その実結界は王国地下に存在する古代遺跡の作用によるものらしい。
「王国を守るために結界が張られた」のではなく、正確には「結界による安全を求めて人が集まったため集落が生まれ、年を経て集落が村、街と発展し続け、王国が生まれた」というのが実情だ。結界の管理は教会が行っているものの解明できない部分も多く、動かすことも強化することもできないそうだ。
だからこそ、結界の中に出現した「黒い巻物」を始めとする怪異を野放しにしておくことは王国の存続を脅かす危険を孕んでいる。シュネルのような人間が対処する必要はそこにあった。
「では君たちが何かを見間違えたという可能性と、専門に調査している私たちでさえ遭遇したことがない怪異が実際に出現していたという可能性。合理的に考えてどちらの確率が高いと思う?」
「それは……」
シルヴィが口ごもるのも無理はない。事実、俺とシュネルは怪異の被害者と接触はできても、怪異そのものと遭遇してはいないのだ。……まぁ、そのお陰で、俺たちは今もまだ生き永らえているのではあるが。
「黒い巻物」や「白い家」、そして「八尺様」に接触した者はほとんどが死亡、あるいは行方不明となっている。発狂したために聴取ができていないものの、怪異の関与が強く疑われる例もあった。怪異の持つ害意に指向性なのか、あるいは無差別なのかは不明だが、接触して無事に済むことはほぼないと言っていいだろう。シルヴィ達はまだ視認しただけとはいえ、それでも無事でいられること自体が珍しいのだ。彼女の見た怪現象の原因が怪異とは考え難かった。その場合、「なぜ二宮金次郎と酷似している石像の姿に似た何者かが私塾を徘徊しているのか」という新たな疑問が生まれる訳だが。
「言い過ぎですよシュネル、子供相手にそこまでムキになって。大人げがありません」
「誰が大人げないってんだよ、失礼な!」
子供のように足をばたばたさせながら彼女が抗議する。
「そういうところですよ」
「私は少しでも可能性の高い方を突き詰めているだけだよ。もっとも、君は私には何かに気付いているみたいだけれど? 私には話してくれないみたいだけれどさぁ、何を気付いているんだろうねぇ」
俺が口ごもっていると、シュネルは「ほら見ろ」と言わんばかりにふんぞり返った。
「とはいえ、今回の一件が集団幻覚だとしても何か原因があるはずだ。突き止めてそこのお嬢様に現実を見せてあげよう、とりあえずアントリム氏に聞き込みだ!」
シュネルは意気揚々と小部屋を出ていく。しかし彼女に任せると、またアントリム氏と言い合いになりかねない。
「待ってください、俺も行きますから。シルヴィ様も――」
背後にいるはずのシルヴィへ声を掛けようと振り向く。が、そこには壁があるだけだった。
シルヴィがいないだけではない、あれだけ所狭しと並んでいたアントリム氏のコレクションもいつの間にか全てなくなっている。
「……シュネル! 様子がおかしい、一端こちらへ――」
戻ってきてくれ、と彼女を呼ぼうとして俺はようやく気付いた。そこはアントリム氏がコレクションを蒐集していた小部屋ではない。いや、彼の私塾ですらない。シュネルが去って行った小部屋の出口を見やったが、あったのは延々と続く薄暗い廊下だけだ。
俺はいつの間にか、見たこともない古びた木造建築の中に独りで佇んでいた。
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