第14話 私塾の夜④
木造建築の中、周囲を見渡しても人の姿はどこにも見当たらない。シュネルも、シルヴィもそこにはいなかった。
「どういうことだ、一体何が……?」
窓から覗く空の色は黄昏色だが、俺がシュネルとともに私塾を訪れたのは昼前だ。「何らかの事情で立ったまま意識を失い、時間経過にも気付かないままシュネル達に見知らぬ場所へと運ばれた」ということであれば辻褄が合うものの、それはただの屁理屈だ。そもそも彼女たちにそんなことをする益がない。
とにかく何をするにも情報が不足していた。
「そもそも、この場所は何なんだ……?」
独り言を言っても詮無いが、そうやって逐次自分の状況を確かめないと気が狂いそうだった。窓に取り付き周囲を見渡すと、今いる建物は小高い丘のような場所の上にあることが窺える。丘は濃霧に囲まれており、まるで雲海に浮かぶ山の頂のようだった。
黄昏色に染まった空には光源となる太陽が見えるでもない。霧の中に目を凝らすと、今いる建物の正面に何かが浮かんで見えた。細長い板状の物体や、柱のようなものがいくつも点在している。
さらに目を凝らすと、それぞれの物体に字が書かれているのが分かった。板状の方はまるで見たことのない文字だが、柱の方は――
〈先祖代々之墓〉
書かれていたのは漢字だった。問題はそこではない。
板は卒塔婆で、柱は墓石だった。問題はそこではない。
建物の眼下に広がっているのは墓地だった。問題はそこではない。
墓地の周囲には白線でトラックラインが引かれていた。問題はそこではない。
墓地があるのは校庭で、つまり俺が今いる木造建築は学校の校舎ということがようやく分かった。問題はそこではない。
「墓地が浮かぶ、校庭」
ひどく窮屈になった喉から、呻き声のような言葉が漏れる。誰でも知っている有名な話だ。初めての集団生活。変化する環境。学校という未知の世界に対する不安。そういった様々なものが子供達の心に落とした影から生まれるのであろう、怪談の群体。
「これじゃあ、まるで」
――「学校の怪談」じゃないか。
続いて出そうになった言葉を、無理矢理に飲み込んだ。
畜生、と呟き窓枠に拳を叩き付ける。そんなことで事態は好転しないが、少しだけ心は晴れた。ボサっとしていても始まらない、とにかく何か解決の糸口を探さないと。まずは現実的な可能性から潰す。
先ほどシュネルが言っていた「幻覚」という可能性から確かめることにする。腰に帯びていた革のポーチから、コルクで栓のされた試験管を取り出した。中に入っているのは彼女が調合した気付け薬入りのポーション。先日「八尺様」の調書を取って以降、「
色はドブを掬ったように禍々しいが、眼下に墓地が広がるという悪夢のような状況に比べればまだマシに思えた。鼻をつまみ、一気に胃へと流し込む。
途端に喉をヒリついた痛みが襲い、激しく咳き込んだ。
「何を調合してんだ、あの人は……!」
胃が横転しそうな痛みが治まった頃、涙目になりながら外を見る。しかし俺の期待とは裏腹に、外に広がる景色は先程と何も変わらなかった。
「幻覚の類ではない、ということか」
痛い思いをして、結局は自分が異常な状況に置かれているということを確かめただけだ。他の方法――例えば自傷による気付け――を確かめてみようかとも悩んだが、この先何があるかは分からない。無用な体力の消費に繋がる行動は慎むべきだろう。先ほどのポーションは味は最悪だったが、少なくとも体に支障が出るほどではない。むしろ心なしか気力が湧き、体温も上昇しているように感じられた。
イカれた学者とはいえ、腐っても錬金術師ということだろうか。
「……変な素材でも使ってないといいんだが」
ポーションのお陰か多少前向きになったところで、今いる廊下の先を睨む。――そう、廊下だ。窓の反対側には教室が並ぶ、ありふれた校舎の風景。自分の置かれた状況に目を瞑れば「何の変哲もない」と評しても差支えなかっただろう。
この状況は、果たして俺が迷い込んだのか。あるいは連れてこられたのか。前者であればこのまま待っていても解決の糸口が見つかるとは思えず、後者であれば相手の意図を確かめたい。どちらにせよ座して待つというのは性に合わなかった。
ふと思い立ち、懐からメモ用の塵紙と鉛筆を取り出す。「夏の41日目 アントリム氏の私塾を探索中に謎の木造建築へ転移?
メモを懐に仕舞うと用心のためナイフを構え、校舎を歩き始める。いつも佩びているショートソードは流石に貴族の邸宅へ持ち込むことが憚られたため、シュネルの部屋に置いてきた。
廊下に沿って無人の教室が三つ連なっている。そして階段を挟み、さらに教室が同じく三つ続いていた。階段の反対側にはガラス張りの玄関があり、外には墓地の浮かぶ校庭がよく見える。見ていて気持ちのいいものではないので、できるだけ視界に入れないようにした。
――…… ……ッ
2階へと続く階段を見上げた時、その両脇に扉があることに気が付いた。扉の上にはそれぞれ「男子便所」「女子便所」と書かれた木札が掲げてある。
気が付いたのはそれだけではない。
――……ッ ……ッ
声がするのだ。
「女子便所」と書かれた方から。断続的に続いている声に耳を澄ませると、それが誰かの嗚咽だと気付く。
ナイフを握る手に力が入る。怪異に対して役に立つとも思えないが、俺の気休めにはなった。扉に手を掛け、できるだけ音が立たないようゆっくりと開ける。中には鏡付きの洗面台と、個室が3つ。手前から3番目の個室のみ、扉が閉まっていた。こちらに気付いていないのか、嗚咽はその中から今も続いている。
扉に触れる直前、嗚咽の声に聞き覚えがあるような気がした。
「……シルヴィ様?」
そう声を掛けると、嗚咽が止まる。
「もしそうなら、ここを開けて下さいませんか」
しばし間を置いた後、かたん、と物音がした。鍵を外した音だろうか。ナイフを鞘へ納めた後、扉に当てた手にわずかに力をこめると、扉は抵抗もなく開いた。
「……サメジマ、さま?」
和式便器が置かれた個室の隅。この空間にはひどく不似合いな貴族の少女が、泣き腫らした目で俺を見上げていた。
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