第8話 地底の村③

「ジン、起きろ! おいジン!」

 誰かが大声で話しながら戸を叩いている。

「そろそろ出発の時間だぞ、まだ寝てんのか?」

 戸から距離を取るように寝返りを打ったが、その程度のことで微睡みを守ることはできなかった。水底から引きずり出されるように意識が徐々に覚醒する。

「今日の仕事はお前がギルドから受けたんだろ、みんなもう集まってんだぞ」

「うるせぇな、今行くよ……」

 体を起こすと節々が痛む。また酔いつぶれでもして床で寝たせいだろう、いい加減節度を憶えろとまた仲間から小言を言われそうだ――そんなことを寝ぼけた頭で考えながら、戸に指をかける。

「どうしたジン、開けるぞ?」

 違う。ここはいつもの安宿じゃない。久々に訪れた祖父ちゃんの家の2階だ。こんな所で俺は、何をしていたんだっけ?

「おいどうしたー? どこか具合でも悪いのか?」

「いや、だいじょう……」

 そう返答しかけて声がつっかえる。違う、違う。そうじゃない。この家には伯父と従兄のコウジだけだ、他に誰か……アイツらがいるはずがない。

「誰だ、お前」

 どんどんと叩かれていた戸がぴたりと止まる。返事を待つまでもなく、俺は自分が置かれた状況を思い出した。ここは祖父ちゃんの家で、俺は伯父たちに言われて、朝までここにいなければいけない。でないとが――

「なぁ、ジンや」

 戸の向こうからしわがれた声が聞こえる。誰の声か気付く前に、胸に懐かしさが溢れる。祖父の声だ。

「聞いたよ、来てるんだろう? 久しぶりに顔を見せてくれ」

 ただ、祖父はもうこの世にいない。懐かしさを押しのけ、心にどす黒い感情が浮かんでくる。

「うるせぇ、祖父ちゃんは死んだ! お前は祖父ちゃんじゃねぇ!」

 戸の向こうが再び静かになる。俺は大きくなった気が赴くまま叫び続けた。

「どうした、今度は祖母ちゃんの物真似でもするか? 俺がここを開けない限り、お前が手出しできねぇのは分かってんだ。せいぜい朝まで猿真似して――」


「ぽ」


 ぐ、と踏みつぶされた蛙のような声が俺の喉から出た。

 いずれも知っている者の声だから油断してしまった。俺は今この薄い戸一枚を隔ててアレの間近にいるのだ。


「ぽ、ぽぽぽ」


 思い出したくもないが、先ほど……あるいは過去に聞いたアレの声と比べてしまう。明確に声の帯びている声が異なる。これは嘲笑だ。俺の虚勢を見破り、虚仮にしている。

 背後でぶすぶすと何かが焦げるような音を立てた。振り向くと部屋の盛り塩がみるみるうちに黒く変色し、綺麗な円錐形が無残に崩れていく。仏像がごとんと音を立てて倒れた。平らな場所に置かれていたにも拘わらず、ひとりでに大きく揺れて。

 目張りに貼られた札の一枚がびちびちと揺れて、今にも剥がれそうになっていた。俺はそれに飛びつき、必死に抑える。

「剥がれるな、剥がれるな……!」

「ぽぽぽっ、ぽぽ、ぽっぽぽぽぽぽぽ」

 アレの声がいっそう激しくなる。

「お守りください、お守りください、お守りください、お守りください!」

 お札がぐしゃぐしゃになることも構わず握り締めたお札に、俺は馬鹿みたいに繰り返し祈り続けた。



 目張りの隙間から、朝の日差しが差し込んでいる。手の中のお札は汗と涙でぐちゃぐちゃになっていた。

「ジン、無事か?」

 戸の向こうから伯父が話しかけてくるが、あんなことがあった後だ。信用はできない。

「本当に伯父さん?」

 喋ってから自分の声に驚く。ひどくガラガラだ、声を出すたびに喉も痛い。きっと一晩中祈り続けていたせいだろう、そのお陰か今も無事でいられるのだが。

「証明はできないけどな……俺がアレなら招かれない限りここを開けることはできない。問題ないなら開けるぞ」

 ずず、と音を立てて戸が開かれる。そこには伯父とコウジが立っていた。俺の顔を見て渋い顔になっている。

「一晩でひどくやつれたな……やはり、来たのか」

「祖父ちゃんの声でここを開けさせようとしてきたよ。それと――」

 それと、誰だっけ。最初に他の誰かを真似ていたはずなんだが、よく思い出せない。

「いいよ、辛いならわざわざ思い出さなくて。食欲はあるか? メシにしようよ、温めてあるぞ」

 無理に思い出そうとする俺を咎めるように、コウジが声をかけてきた。

「もうみんな集まっている。メシが終わったら出発するぞ」

「みんな?」

 ああ、と伯父とコウジ頷く。

「親戚中の男どもが集まっている。お前を無事に帰すために、みんな来てくれたぞ」


 昨日はしんと静まり返っていた祖父の家、その一階は懐かしい顔ぶれでいっぱいだった。

「おう、ジン! 久しぶりだなぁ」

「ちゃんと稼いでんのか? 今どこで働いてんだ」

「おいメシ食えよ、いいから座っとけって。よそってやるから」

 集まった他の伯父や従兄弟、はとこ達は一様に記憶より老けていたが、俺を見かけると顔を綻ばせて話しかけてくる。昨晩の地獄のような時間から一転して皆に囲まれ、みっともないことだが涙ぐんでしまった。だが周りの男たちはそんな俺をからかうこともせず、頷いたり慰めるように背中を叩いてくれる。

「みんな、ジンの食事が終わったらすぐに出発するぞ。悪いが力を貸してくれ」

「つっても車に乗って一緒に村を出るだけだろ? 楽勝だよ、なぁ!」

 コウジが威勢のいい声を上げ、男たちも「そうだ、楽な仕事だわ」「母ちゃんより怖い女なんてそうそういねぇよ!」と張り切る。だが「女」という言葉を聞いて、みんなの顔が少し強張った。アレを思い出して、アレが来ていることを実感してしまったのだろう。伯父はそんな彼らの変化に気付かないはずがないものの、力強く頷く。

「じゃあジンは飯を済ませておけ。コウジ達は車を回しておけ、他のやつらは準備だ。くれぐれもしくじるんじゃねえぞ!」

 おう、と男たちが叫ぶ。例え虚勢だとしても、家を震わせるような大声が頼もしくないはずがなかった。



 家の門には三台のワゴン車が停まっていた。俺とコウジ、そして歳の近いもう一人の親戚は大きな白布を被せられる。

「ゴメンな、二人とも……」

「気にすんなって! 久しぶりに顔が見れて嬉しかったよ」

「こんなことでもないと、なかなか集まれないもんな」

 軽口を叩きながら俺たちはワゴン車に分乗する。俺は真ん中のワゴン車、コウジたちはそれぞれ前後のワゴン車へと乗り込んだ。俺の両脇には比較的年若い親戚が、前後の席には伯父と同じ年代の親戚が乗り込む。

「……どうだ。何か感じるか」

 助手席に乗った伯父が振り向いて問うてきた。車窓から周囲を見渡すが、どこにも異変はない。俺は首を横に振って応えた。

「分かった、行くぞ。なぁに、ドライブだと思えばいい」

「にしてはむさ苦しいけどな! ビールでも持ってくればよかった」

「バカ言えよ、こんなオッサンばかりの車で飲んだら悪酔いしちまうわ」

「ちげぇねえわ!」

 車の中に笑い声が湧き、それを合図とするかのようにエンジンがかかる。三台の車はゆっくりと走り出し、俺も白布を目深に被り体を覆い隠した。

「地蔵は壊されちゃったんだろ? 今回はどうするんだよ」

 隣に座った親戚が、車内の誰かに問いかけている。

「村境の地蔵はなくなったが、もうしばらく行ったところに道祖神がある。アレもそこから先へは出られないはずだ」

 道祖神――確か夫婦の姿を象った石像のようなものだ。いつもなら気にしたことはなかったが、どこかに地蔵のような霊験あらたかなものがあるのだろう。

「でも、誰が地蔵を壊すなんてバチ辺りな――」

「そこまでにしておけ、余計なことを喋っている余裕はねぇぞ」

 助手席の伯父が固い声でたしなめる。彼も緊張しているのだろう。車内は静まり返り、しばらくゴトゴトと舗装されていない畦道を走る音が響いた。布を上げてちらりと外を覗いてみたが、のように窓からこちらを窺うようなアレの姿はない。

「危ないぞ、頭下げてろ」

 ぐっと誰かに抑えられ、仕方なく頭を下げた。再び車の走る音を聞きながらじっと足元を見つめる。赤土でひどく汚れたブーツを履いた、俺の両足が目に入った。

「ジン、大丈夫か?」

「あぁ、うん……なんでもない」

 何かが変だ。頭がぐるぐると周り、忘れてしまった何かを思い出そうとしている。記憶の奥底から俺を刺激する何かの違和感が、間違いなく存在する。

(俺は一体、何を……)

「見えたぞ、あそこだ」

 助手席の伯父が声を上げ、俺の思考が中断される。伯父はそのまま前後の車に乗っている誰かへと連絡をしているようだった。

「こっちの車を先に進ませる。予定通りの場所でジンを降ろすよ。……あぁ、そっちも準備しといてくれ。ジン、もう布は被らなくても大丈夫だぞ」

 伯父の言葉を聞いて、被っていた布を外す。俺たちが乗った車は前を走っていた方を追い越した。

 車が停まったのは、村を出てさらに隣村を超えた辺りにある四辻だった。何度も来たことがあるから間違いない、子供の頃はここまで遊びに来たこともあった。

(道祖神……?)

 周囲を見渡してみたが、それらしいものは見えない。田圃の中に伸びた道が四方へと続いているだけだ。

「さぁ、ジン。降りろ」

 ドアが開かれ、両脇に座っていた親戚とともに車外へ降りる。畦道は相変わらず砂利まみれだったが、久しぶりに踏みしめる土の感触は心地よかった。

「でも伯父さん」

 助手席から降りてきた伯父を振り返る。

「ここからはどうやって帰ればいいの? それに、こんなところに道祖神なんてあったっけ」

「いいんだ、お前は。何も気にしなくていい」

 伯父の背後で、後続の車からも同様に親戚たちがぞろぞろと降りてくる。人間が8人、そして白い布に包まれた誰か――

「……あれ?」

 誰か、ではなかった。

 最初は後続車に乗っていた親戚の誰かが、怪我でもしたのかと思った。同乗していた親戚に、抱えられるようにして降りてきたからだ。

 だが「降りてきた」と思ったのは勘違いだとすぐに理解した。布に包まれた誰か――いや、何かは微動だにしていない。自ら降りようという意思が全くない。一陣の風が吹き、布が舞い上がって俺はようやく理解した。当たり前の話なのだ、が自ら動くはずがない。

 でもその場にいる誰もが、なぜわざわざ地蔵をここまで運んできたかを教えてはくれなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る