第7話 地底の村②

「とりあえず俺は近くの男手に声をかけてくる。お前はウチにいろ」

「分かったよ、気を付けてね」

「……今のお前よりは安全だよ」

 引き戸を閉め、伯父はどこかへ歩いて行った。磨りガラスに透けていた背中がすぐに見えなくなる。俺は祖父ちゃんの――今は伯父の家の座敷へと腰を下ろした。窓が開け放たれた縁側には庭の塀が、その上には雲一つない青空が広がっている。

 ベルトを緩めて一息つくと、自分でも思っていた以上に体が強張っていたことに気付いた。最近はその日暮らしの生活が続いていたからか、こんな気分になるのは久しぶりだ。座った畳の感触を確かめ、大の字に横たわる。自分でも気付かないうちに緊張のし通しだったのだろう、睡魔がすぐに襲ってきた。


 どれほど眠っていたのか。目を覚ました時、一番最初に気付いたのは空に広がる夕日の色だった。

「寝ちまったか……おじさんはまだ帰ってないのかな」

 耳を澄ませるが、家はしんと静まり返っている。以前なら親戚たちが集まりうるさいほどの騒音に満ちていた祖父ちゃんの家だったが、一人になるとこんなにも静かだったのか――当たり前のことに今さら気付き、苦笑いする。

 少し小腹が空いた、何か拝借しよう。元々は勝手知ったる祖父ちゃんの家だ、どこに食べ物が置いてあるかは分かっている。そう思い立ち上がった時だった。


――……


 何かの音が聞こえた。微かに、だが気のせいではない。何だ、と訝しむ間もなく音は立て続けに届く。


――……、……


 再び心がざわつく、同時に確信する。だ。俺の記憶の奥底に眠っている、脳を裏からかりかり引っ搔くようにして心をざわつかせる何かは、この音が知っている。俺は音のする方、背後の開け放たれた窓へと振り返った。


「……ぽ」


 目が合った。

 目が見えた訳ではないが、合った、合ってしまったと確かに感じる。俺の視線に、あいつのそれが絡んでいる。


「……ぽ」


 俺と同じように、奴は俺を見ている。女だ。白くつばの広いシルクの帽子、白いワンピース、黒く長い黒髪。奴はその黒髪の間から、真っ直ぐに視線を向けている。祖父ちゃんの家はぐるりと背の高い生垣に囲まれている。なのに顔が見えるということは……奴の背丈は2メートルを軽く超えていることになる。


「……ぽ、ぽ」


 これは声だ。喜びの声だ。俺には分かる、あいつは喜んでいる。何故か? 決まっている。ずっと待っていたのだ、ガキの頃に逃してしまった俺が、再びこの村に帰って来たから。


「ぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽ」


 泡が弾けるような音が響くなか、それに混じって悲鳴が聞こえる。うるさい、アイツに気付かれるだろう――辛うじて正気を保っている脳の片隅で毒づく。しかしそれが自分の喉から発せられていると気付いたのは、気を失う直前だった。



「――ジン、おいジン! 大丈夫か⁉」

「……おじさん?」

 俺が間抜けな返事を返すのを見て、伯父はようやく一息ついた。

「よかった……もうのかと思ったぞ」

「持っていかれるって……痛っ」

 気付けば頬がじんじんと痛むし、顔も冷水でびしょびしょに濡れていた。近くにはブリキのバケツが置かれている。

「バカ、心配かけんじゃねーよ」

「……コウちゃん?」

 傍らにいたのは伯父だけではない、従兄のコウジ――伯父の息子もいつの間にかそこにいた。

「マジでビビったよ。親父から連絡を受けて急いできたら、家の外にも響くくらいデカい悲鳴が聞こえてさ。家の中じゃ親父が暴れるお前を取り押さえているし、こりゃあヤバいって思って急いで井戸から水を汲んでぶっかけたよ」

「別にわざわざ井戸なんか使う必要なかったろ、風呂から汲んでくりゃあよかったんだ。相変わらずお前はいつまで経っても抜けてんなぁ」

「だって、井戸水の方がなんか効くって感じするだろ? 親父だってジンを遠慮なしに殴り過ぎなんだよ」

「仕方ねぇだろ、それで正気に戻るんなら安いもんだ」

 久しぶりに見る彼らのやりとりに、憔悴しながらも笑みが零れる。そんな俺を見て伯父たちも一安心したようだった。

「なぁ、アレは?」

 名前を出さずとも、何を指しているかは明確だった。伯父は首を横に振る。

「アイツはこっちから招いたり、扉を開いたりしない限り中には入ってこれねぇ」

 なら安心だ――そう言いたかったが、伯父の顔は強張っていた。

「だがお前も一生この家にいる訳にはいかねぇだろ、明日には出るぞ」

「明日?」

「あぁ、明日だ。お前を無事に逃がすにはがいる、しかも前回より多く集めなきゃなんねぇ」

「前よりも多くって……」

「祖父さんがポックリ逝った後、2年くらい後か……。村外れに立ててあった地蔵が壊されちまってな」


――八尺様を封じている地蔵様が誰かに壊されてしまった。それもお前の家に通じる道のものがな。


 伯父の言葉で、確かに以前祖母ちゃんからそんな連絡を受けたことを思い出した。

「俺の兄弟や親戚連中も急いでこっちへ向かってはいるが、数が揃うのはどうしても明日の昼過ぎまでかかる。悪いが今晩も二階へ一人で籠もってもらうぞ」

 そう言いながら伯父は俺に何かを握らせる。手を開いてみると、中にあったのは一枚のお札だった。



「じゃあ、念のため確認するぞ」

 祖父ちゃんの家の二階、窓が全て目張りされた一室で伯父は俺の脳内へ刷り込むように言った。

「日が暮れたら俺はここの扉を閉める。明日の朝まで俺も、コウジもお前に声をかけることはない。誰かが話しかけてもそれは俺たちじゃない、だから絶対に耳を貸すな」

 以前祖父から聞かされたことと同じ忠告を伯父が繰り返す。

「前に頼んだケイの婆さんもすでに死んじまった。こんなこともあるだろうと思って余分にお札をもらっておいたが、まさか使う日が来るとはな……」

 ケイというのは、辺りの村々でこの手の厄介事を解決するために呼ばれる拝み屋のようなことをしている老婆だ。過去に俺がアレに付き纏われた時にも助けてくれたのだが、当時でもかなりの高齢だということが伺えた。まさか自分の死後も気に掛けていてくれたとは、頭が下がる思いだ。

 窓を目張りする紙の上には、先ほど握らされたものと同じお札が部屋の四方に張られている。一角には像の乗った箱、そして四隅には盛り塩が置かれていた。コウジが食料の入った袋を押し付けるように手渡してきた。

「すまん、本当はもっと栄養のある食事をさせてやりたいんだが……。ウチには女手がないからこんなものしか準備できなかった」

「大丈夫だよ、心配してくれてありがとう」

 笑顔でそう返したかったが、自分の顔が緊張しているのが分かる。頬をぎこちなく動かすことしかできなかった。伯父が俺を安心させるように、肩をぽんぽんと軽く叩く。

「そろそろ時間だ」

 廊下に差し込む外の光が僅かになっている、もう日没だ。

「じゃあ……頑張れよ」

「うん、また明日」

 静かな音とともに、伯父が戸を閉める。瞳に不安が色濃く浮かんでいたが、きっとそれは俺も同じだろう。二人分の足音が段々と遠ざかり、部屋はしんと静寂に包まれた。

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