第9話 地底の村④

 車中から現れた地蔵は見た目以上に重量があるのだろう。親戚のみんなが降ろすのに酷く難儀している。

「あの……大丈夫? 俺も手伝おうか」

「来るんじゃねぇ!」

 最初、誰が叫んだのか分からなかった。それが目の前にいる伯父から発せられた叫びだと気付くのに、しばらく時間がかかる。いつの間にか四つ辻を超えていた俺は、そのうちの一本を隔てて伯父と向かい合った。

「もうちょっと待ってろ。今来たら台無しになるだろうが」

「で、でも……」

 俺が動けないうちに、親戚たちは車から地蔵を降ろし終える。それを道の脇に立てると、白い布をはぎ取った。

「何……それ」

「地蔵だよ、見りゃ分かんだろ?」

 そんなことを聞きたかったんじゃない。俺はどうしてを聞きたかった。地蔵は新造したものではなく、どこかから持ってきたのだろう。所々に泥や汚れが付着している。でたらめに貼られたお札とともに、酷く冒涜的な印象を与えていた。

 降ろし終えた親戚たちは、一仕事終えたという風に煙草を吹かしたり、地蔵に手を合わせたりしている。そのうちの何人かの視線が俺に向けられていた。蔑むような、憐れむような視線。

「よし、これでいい。みんなも手間ぁかけたな」

 するりと近付いてきた伯父が、俺の手からお札をはぎ取る。抗議する暇もなく伯父は地蔵の傍ら、四つ辻の向こうへと戻っていた。

「地蔵を壊せば、アレがお前の方へ行くと思ったんだ」

「……何だって?」

 俺の問いかけにも答えず、伯父は自分自身に言って聞かせるように言葉を続ける。

「本当はもっと早くやりたかったんだ、だってあんな化け物が同じ村にいるなんて気が狂いそうだろう? 祖父さんが反対するもんだから、生きているうちは動けなくてな。祖父さんが逝っちまった後、しばらくしてからみんなでブッ壊したんだ。でも間抜けな話だよな、地蔵を壊してもアレがお前の方へ行ったなんて保証はねぇ。だから――」

 伯父の話は、途中から耳に入っていなかった。


「ぽ」


 視界の隅、四つ辻のど真ん中。

 いる。いつの間にか、すぐ近くにあいつが立っている。その名の通りひどく背の高い、白い衣を纏ったアンバランスな姿が、視界の隅で揺れている。

「ぽ、ぽぽ」

 笑っている。喜んでいる。俺を見て、とうとう手の届く所に来た俺を歓迎している。伯父は俺から視線を動かさないまま、満足そうに頷いた。

「その様子だと、んだな。上手くいってよかったよ」

「ぽぽぽ、ぽっ、ぽぽ」

 伯父の話に耳を傾けたいのに、不快な笑い声がそれを遮る。聞いているだけで胸がざわつく、吐きそうになる。うるさい、だまれ――そんな風に叫びたかった。でも話したくない、見たくない。もうアレは俺に気付いているというのに、それを認めたくないばかりにアレへ意識を向けたくなかった。

「伯父さん、なんで」

「なんでだァ?」

 俺がようやく絞り出した声を聞き、伯父が顔を歪めて吐き捨てるように言う。

「俺たちが周りの村からこんなモンを押し付けられて、どれだけいい思いができたってんだ。信心深い祖父さん達の世代はそりゃあ相応の見返りがあったんだろうがな、俺たちは何にもねぇ。水の利権がどうした、今のご時世そんなモンでどれだけ腹が膨れるってんだ」

「ぽ、ぽ」

 伯父の声に混じって、アレの声が聞こえる。アレが近付いてくる。さらさらと髪の揺れる音が、稲穂の音に混じって聞こえるほど間近にいる。

「だからよォ――」

 親戚たちが車へと戻っていく。その中にはコウジもいたが、一瞬こちらを申し訳なさそうに見ただけでそそくさと車の中へと姿を消した。最後に乗り込んだ伯父がパワーウィンドウを降ろし、顔を覗かせる。

「そいつのこと、後は頼むわ。できるだけ遠くまで逃げてくれよ」

 さっきまで話していた同じ人物とは思えないほど醜い顔の伯父を乗せ、車は土埃を上げて動き出した。待って、と叫び追いかけたかったが、それはできない。車と俺の間に、アレが立ちはだかるようにしていたから。

 全部がまやかしだったのだ。俺に優しくしたのも、心配する仕草も。すべては俺を無事から離れた場所へ置き去りにするために。

 何のために? 簡単なことだ、俺は囮なのだ。他の親戚たち――車に同乗した血縁の男たちが、アレから目を逸らすための囮であったように。俺は、村からアレを引き離すための囮だ。わざわざ遠くまで運んでから、帰り道を塞ぐようにして地蔵を据えたのだ。

 振り返り、弾かれたように走り出す。すぐ背後からあの不気味な笑い声が聞こえる。当然だ、あいつは車と併走できるんだ。俺の脚でどれだけ逃げられるかなんて、あいつの気分次第じゃないか。

 それに逃げるたってどこへ行けばいいんだ。この村はどこなんだ、首都プロンテラまではどうやって――


 俺は走るのを止め、足元を見る。地面はあの畦道ではない、岩を削ってできた洞穴の、赤土がそこにあった。

 周囲が暗く感じるのは、目がこの暗さに慣れていないからだ。先ほどまで朝方の田舎町にいたというのに、いきなり坑道にいれば無理からぬことだろう。

「……坑道?」

 自分で馬鹿みたいに当たり前のことを呟く。間違いなくそこは、田圃の畦道などではなく坑道だった。首都プロンテラの北、トール山脈に掘られた坑道。ダマスカス鋼でできたドワーフどもの「亡国のファルシオン」を拾いに、俺はここを訪れていた。

 戻っていたのは場所だけではない。


「何なんだ、誰なんだよアイツらは……!」


 俺は、どうして見たこともない男を「伯父」と呼んでいたのか。従兄弟の「コウジ」だと思っていたのか。

 俺の出身はあんな村じゃない、首都の下町だ。両親はとっくにくたばったし、祖父なんて顔も知らない。他の親戚がいるという話も聞いたことがない。

 ジンなんて名前で呼ばれちゃあいたが、俺はそんな名前じゃない。なのに俺は「ジン」って名前で呼ばれ、何の違和感も抱かなかった。あの村に入った瞬間、知らない記憶が自分の脳内に流し込まれていた。ガキの頃に田舎でアレに出会ってしまった記憶、一晩過ごした部屋でアレがやってきた記憶、ジゾウとかいう石の像があるところまで車で逃げた記憶――

 そもそも、何なんだあの世界は。馬で曳かれることなく独りでに動く車なんて知らないし、ことあるごとにあいつらが耳に当てて話しているあの板みたいなものも分からない。文化も植生もまるで見たことがない。

「もしかしてあれが、異邦人ゲストたちが元いたっていう世界なのか……?」

 垣間見た超常の世界は、思い出そうとするたび記憶からぼろぼろと零れていく。偽りとはいえあれほど頼もしいと感じていた伯父とやらも、もう顔すら思い出せない。本当にそんな世界にいたのか、ただの白昼夢だったのか――


「ぽ」


 全身の皮膚が泡立つ。

 俺以外誰もいないはずの坑道で、確かにあの音が聞こえた。異なる世界のことは次々に忘れていくのに、ある一つのことだけは決して忘れられない。忘れさせてくれない。


 のことだけは。


 懐から"蝶の羽"を取り出し、震える指で引きちぎった。アイテムの効果で体が首都へと転送される直前、少しだけ背後を振り向く。薄暗い坑道のなか、ひどく場違いな白い衣の裾が視界に入った気がした。



 ――これが、俺の経験した一連の流れだ。転送されてしばらくは、またアレが来るんじゃあないかって気が気でなくてな。毛布をかぶって衰弱するまで部屋の隅っこでガタガタ震えていたよ。

 マトモに眠れるようになるまで随分時間がかかったな。夜ごと叫びながら飛び起きるもんだから、隣の部屋の住人とトラブルになっちまって……。それで警吏に詰所まで連れて行かれた時の調書、アンタも読んだんだろう? この話を誰かにしたのはアンタ以外だとその時だけだしな。

 ……なぁ。あれは本当に、俺達とは違う世界だったんだろうか。もしかしたらドワーフどもが残していった魔術か何かによるトラップってことも……違う? 間違いなく異世界? へぇ、随分自信を持って言い切るんだな、まるで見てきたみたいに。……まぁ、俺にはもう何だっていいんだが。

 分かったろう、俺が扉を開けっ放しにするなって怒鳴った訳。多分アレはもうにいるんだよ。坑道の奥底へ置き去りにはしたけどな。地図なしじゃ慣れていても絶対に外へ出られない、あの坑道へ。


 ……なぁ。馬鹿話ついでに、一つ俺の解釈を聞いちゃくれねぇか。

 俺が体験したのは、多分……ジンって奴が経験したことなんだと思う。あいつはガキの頃、アレに付き纏われて死ぬほど怖い目に遭ってから村を出たんだ。長年村に寄り付かないよう、それこそ祖父さんの葬式にすら顔を出さないようにして生活してたんだろうな。

 でも。どんな経緯があったのかは分からないが、ジンは再び村を訪れてしまったんだ。もしかするとジンの意思ではないのかもしれない。そして、そこにたまたま居合わせた伯父が全部仕組んだんだ。ジンを囮に村からアレを追い出して、全部ジンに押し付けた。その後ジンがどうなったかは分からない。俺が見せられた……俺が流し込まれた記憶はそこまでだ。

 ただ、さらに勝手な解釈を重ねるんだが……あの伯父も、村も無事に済んではいないと思うんだよ。

 どうしてかって? あいつらが運んできたあの地蔵ジゾウって石像だよ。

 新しくこしらえたんじゃなく、どこかから持ってきた地蔵にお札を貼り付けてあったやつ。ジンの記憶じゃあの辺りでは、こういう面倒事を解決できる婆さんがいたんだ。すでに死んじまったが、生前にアレが来るのを見越して札を余分に用意していた。伯父たちは自分で壊した地蔵の代わりに、別の地蔵を用意したんだろう。どんな効果があるのかは分からんがあのお札タリスマンをべたべた貼って。

 ……でもよ、その地蔵はどこにあったんだろうな。どこに、何のために置いていた地蔵だと思う。あんな婆さんがいるような村だ。アレみたいな化け物が他にいたっておかしくない。あの地蔵は、アレとは違う何かを封じるための地蔵なんだと思う。でなきゃあいつら、あんな自信満々になるもんか。

 アレを追い出そうとして、あいつらは別のものを呼び込んだ。俺にはそんな風に思えてならないよ。

 ……まぁ、あの様子だと真っ先にジンってガキがアレの餌食になったんだろうが。


 それはそれとして、だ。

 俺はまだアレに追いかけられている、ずっとそんな気がするんだ。坑道から帰ってきても、一日だってまともに眠れた気がしない。これが俺の杞憂ならいいさ、ゴロツキがガキみたいに震えているって笑いとばしてくれれば。

 アレに見つかった奴は、その後どうなる? ジンの記憶じゃ「命を落とす」ってことになっていたようだが、そんな穏便な話で済むとは思えねぇ。

 ……しばらくしたら、この宿も退き払うよ。蓄えはあるから、船にでも乗って南へ行ってみるつもりだ。最後に誰かとこの話ができてよかったよ、本心はどうあれ真面目に聞いてくれたしな。

 じゃあな、警吏さん。二度と会うことはないだろう。くれぐれも知らねぇヤツが戸の向こうから話しかけても、考えなしに開けるんじゃねぇぞ。



 その後、彼は宣言通り姿を消した。

 無事に南へ旅立った――そう思いたいが、彼は所持金をはじめ装備や衣類など荷物のほとんどを部屋に残したまま忽然と姿を消していた。

 彼が今も無事でいるのか、それとも何かの拍子に戸を開けてアレを招き入れてしまったのか。もう俺には永遠に分からない。

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