第18話 族滅の箱①

 全身に岩塊のような筋肉を纏った巨大な人食いオーガが、神殿の柱と見紛うほど長大な柄を備えた斧を振り上げる。命中すれば死を免れないどころか、遺体さえまともな形で残らず肉片となり果てるだろう。

 それでも対峙した戦士は不敵な笑みを浮かべ、手にした盾を構える。言葉は通じない異種族の存在であっても、それが「打ってこい」という挑発だということはオーガにも十二分に伝わった。

 洞窟内に咆哮が木霊する。一撃を以てこの不遜な戦士を屠る――その裂帛の気合とともに放たれた誓いがオーガにさらなる膂力を与えた。人間でいうところの鬨の声と呼ばれるスキルである。人ならざる一部のモンスターであっても、知能を有していればマナを消費してスキルを発動することが可能であった。

 ごう――物理的な圧力を伴った突風が洞窟に吹き荒れる。渾身の力で放たれた一撃によって、凄まじい音を立てて

 唸り声とも、呻き声ともつかない声を発しながらオーガは後ずさる。相手は明らかに自分より力が劣る、余裕で殺せると侮った人間の戦士だ。それが自分の一撃を盾で防ぎ、なお平然と立っている。

「こんなモンか? シケてんなぁ」

 見れば戦士の体が燐光を放ってる。それは無敵インヴィンシブルと呼ばれる、戦士職特有のスキルが発動したことを示していた。発動時間は短いものの、タイミングさえ見極めれば盾で受けたダメージを文字通りゼロにする。結果、行き場を失った衝撃はそのまま跳ね返り斧自身を砕いた。

 洞窟内に鋭い光が翻ると同時に、どさりと音を立てて一抱えもあるほどの巨大なオーガの握り拳が地面に落下した。いつの間にか戦士が剣を抜き放っている。傷口から鮮血を迸らせて、オーガが怒号のような悲鳴を上げた。

「あーぁ、痛そう。同情するよ。トドメさしてやろうか?」

 剣を振って血を払い落としながら、戦士はオーガへと歩み寄る。一切警戒せず、嘲りに満ちた戦士の顔にオーガが再び闘争心を燃やす。左手を振り上げて戦士へと肉薄した。

「ライト、下がって!」

「あぁ?」

 血生臭い洞窟に似合わない女性の声が響く。振り向いた戦士が見たものは、杖を構えて光を放つ女魔術師の姿だった。その光は先程戦士が行使したのと同じマナによるものだが、光量は彼女の方が段違いに多い。スキルの効果や規模は使用者に隷属するマナの量に比例する。そして女魔術師の放つ輝きは、これから彼女が使用するスキル――魔術の強大さを示していた。

「水底の果て・永劫の虚ろ・見えざるかいな・アフーム=ザーの加護により・あやまつ生者の・すべてを奪え!」

「バカ、こんな狭い所で!」

 ライトと呼ばれた戦士が青ざめる。魔術は未だ発動していないものの、その余波はがすでに現出していた。洞窟内の気温が急激に低下し、岩肌に霜が降りる。オーガも異様な気配を感じ取ったのか、一瞬戦士と女魔術師のどちらへ襲い掛かるべきか逡巡して足を止めた。

 それが、怪物の命取りとなった。


極海氷牢ブライニクル!」


 オーガの背後、影の中からさらに暗い黒色の巨大な腕が伸びる。それに撫でられた瞬間、オーガの体がびくん、と跳ねた。自身の命を脅かす何かから逃れようと体を捩るが、次第にその動きがぎこちなくなっていく。急激に熱を奪われ、その巨体が生きながらにして凍結していた。声なき断末魔を上げながら、オーガの全身が霜に覆われた。今にも絶命しそうな巨体を見上げてライトが舌打ちする。

「……ベラの癖に、余計な真似しやがって」

 ライトが再び剣を振り、すでに白い氷塊となり果てたオーガを一閃する。怪物の体は砕け、氷の破片となって洞窟に散らばった。

「アンタは遊び過ぎなのよ。わざわざオーガと正面から戦う必要なんてないでしょ?」

 女魔術師――ベラが、口を尖らせながらライトへと歩み寄った。オーガに致命傷を負わせた魔術の使い手とは思えない、うら若き女は体をゆったりとしたローブに包んでいる。その裾からは小さな札の形に整えたいくつもの触媒をぶら下げていた。ライトは眼前に突き付けられたベラの杖を払いのけながら反論する。

「今さらこの俺がオーガ如きに負けるかよ。蛮勇ドレッドノートの二つ名は飾りじゃないんだぜ……とは言うものの」

 ライト達は洞窟を振り返る。そこには先ほど氷の破片となり果てたオーガの他、これまで彼らが殺してきたオーガの死骸が転がっていた。全部で四体。オーガは血族で群れをなして行動するモンスターだ。並みのパーティでは決して討伐が容易な数ではないとはいえ、群れとしては少なすぎる。

「なんか、歯応えがなかったな」

「そうねぇ……依頼を楽にこなせるのならそれに越したことはないけれど。何か引っかかるわ」

 ライト達のパーティは熟練と言って差支えはないが、オーガの群れを討伐するという依頼には、入念な下調べや装備の準備などが必要だった。しかし今回対峙したオーガ達に従来ほどの強さはない。

「何だか憔悴しているっていうか。最後の一体以外もやる気はありそうだったけれど」

「そうだな。せっかく歯応えのある奴が出てきたっていうのに、それをお前が――」

「まぁ、ライトさんもベラさんも。ケンカはそこまでにして」

 二人の元へ、新たな人物が姿を現す。白い貫頭衣、ベラとは異なる意匠の杖、宗教的な意匠が配置された護符タリスマン。見るからに神に使える者としての装いで、この血生臭い洞窟では明らかに場違いだった。

「治癒術をかけます、動かないで下さいね」

「おう、ヒュー。頼むわ」

 治癒術士――ヒューの体がマナの光で包まれ、その光に照らされたライトの体を癒す。続けて発動した術は、強大な魔術を行使したベラの体に残った疲労を払拭した。

「でもお二人の仰る通り、オーガ達は明らかに弱っているように感じました」

弱体化デバフのスキルか魔術でもかかっていた、ってこと?」

 ベラの疑問に、ヒューは首を横に振る。

「そういう分かりやすいものではないと思います。何というか……心を病んでいたような」

「ハッ、オーガにそんなヤワな部分があるなら俺たちの仕事も楽にならぁ」

 ライトが鼻で笑い飛ばす。事実、彼の言う通りオーガの精神にそういった繊細さがあると報告された例は聞いた試しがなかった。オーガは人間と敵対している、この世界でも厄介なモンスターの一つだ。弱点になりそうな情報があれば依頼斡旋所ギルドを通して冒険者達に情報が共有されるはずだった。

「そういえば、スイシーは? どこで油売ってんだか……」

 ライトが洞窟の先へと目を凝らした時。

「おーい、こっちこっち!」

 洞窟の脇道にそれた先から、黄色い声が響いた。ひょこ、と顔を出したのは髪を肩口に切り揃えた女性の姿。

「スイシー、斥候スカウトがそんな所で何やってんだ!」

「いいからこっち来て、ヤバいんだって!」

 ライト達は顔を見合わせたが、しょうがないので斥候――スイシーの呼ぶ方へと進んでいく。脇道といってもサイズはオーガに合わせた大きさなので、四人で固まって動いても問題はなかった。

「ヤバいって何が――ッ!?」

 一足先にスイシーの指し示す方へと踏み込んだライトが息を呑む。何事かと後ろから覗き込んだベラとヒューも小さな悲鳴を上げた。

 視線の先にあったのは、横たわったオーガだった。それも一つや二つではない。これまで彼らが倒したオーガ以上の数。一つとして動いているものはなく、すべてが絶命しているようだった。中には全身血まみれの骸もある。

「オーガの……墓場?」

「墓場なら埋めるだろう」

 呟いたベラに、ライトが即座に反論する。

「じゃあ何だっていうのよ」

「俺が知るか、オーガの習慣なんてよ」

「……これ、みんな雌か子供のオーガですね」

 ヒューが前に出て、横たわっている亡骸の一つに触れる。確かに彼女の言う通り、そこにあるオーガ達の骸は先程までライトが対峙していたものと比べ一回りか二回りは小柄なものばかりだった。それでも大の男ほどの大きさはあったが。

「私達が来るより先に、毒か病気で全滅しちゃってたのかも?」

「にしては、雄のオーガが一体もここで死んでいないのは解せませんね……。子供のオーガの中には雄もいるようですが」

 亡骸を検める二人を尻目に。スイシーがライトへと歩み寄った。

「ねぇねぇ、そんな死骸よりコレ見てよ! さっきこの部屋で見つけたの」

 スイシーが持っていたのは、小さな箱だった。

 くすんだ色の木でできた、ちょうど掌に載る程度の大きさの立方体。複数の木が組み合わさってできているらしく、表面にいくつもの分割線が走っている。

「オーガのお宝かなぁ?」

 スイシーは箱を耳元で振ってみると、音から軽い何かが動く音を立てた。

「バカ、オーガがそんな小さい箱なんて作れるかよ。どうせその辺の村から奪ってきたんだろう」

「じゃあ、その辺の村から取ってきたお宝? それとも私達より先に討伐に来たパーティが落としたのかなぁ」

「村つってもケチな農村しかねぇよ、俺達より先に依頼を受けたってパーティの話も聞かねぇ。ただ何が入っているのかはちょっと気になるな。首都プロンテラに戻って鍵師にでも開けさせるか」

「……ねぇ、それって今日中に?」

「ん? あぁ~……どうしようかな」

 スイシーがライトに抱き着き、甘えた声を出す。ライトの視線が彼女の胸元に誘導された。

 彼女は斥候という職業柄、ベラやヒューとは違い非常に装備が身軽だった。防御も最低限を守る革鎧で、その下は普段着とさほど変わらない。そんな彼女が体を押し付けるようにしてライトへ身を寄せているため、否が応でも彼の意識は引き寄せられてしまったのだろう。

「ね、今日は首都まで戻らずに近くで宿を取らない? 港町アルバータに最近できたばっかりのいい宿があるんだって!」

「しかし、ギルドに報告もしなきゃいけないしなぁ……」

「えぇ~、いいでしょぉ? オーガの血もついちゃったし、きもちわる~い。お風呂入りたいなぁ」

 スイシーはさらにライトへ体を押し付ける。とはいえ鼻の下を長くしたライトの表情をみるに、その心はすでに決まっているのだろう。今は腕に感じるスイシーの豊かな胸部とともに、彼女の反応を楽しんでいるだけだ。そんな二人の様子に、ベラはあからさまに睨み付け、ヒューは視線をそらしていた。

「仕方ないな、パーティを労うのもリーダーの務めだからな! 今日はパーっとやろう!」

「ぃやったー!」

 飛び上がるスイシーを腕に抱きながら、洞窟の出口へと歩き出すライト。ベラとヒューの二人もそれに続く。

「……あ、そうだ」

 スイシーを身体から離し、ライトが振り返る。ベラ達の横を通り過ぎ、へと歩み寄って来た。

「そういう訳だからさ。、洞窟の中に何か貴重なアイテムがないか確認しとけよ。言っておくけどガメんじゃねぇぞ?」

「……一人で、ですか」

「当たり前だろう? 俺たちはこれからお楽しみの時間なんだよ」

「しかし、オーガや他のモンスターがいる可能性も――がッ」

 鳩尾に激痛が走り、たまらずその場にしゃがみ込んだ。胴体に当たったのは、ライトが帯びていた剣の柄頭。突き出したそれを腰に納め、「なんか言ったか?」と見下ろしながらライトはにやけ面で吐き捨てた。

「まさか文句でもあんのかよ」

「……いえ、何でも」

 脂汗が浮かぶ顔を上げ、ライトの向こうに佇む他の三人を見る。スイシーはくすくすと笑っており、ベラは興味がなさそうに爪をいじっている。ヒューは何か言いたげだが、視線が合う前に顔を逸らした。

「ねぇ~、そんなのに構ってないで早く行こう?」

「おう、今行く!」

 ライトはスイシーの声で何事もなかったかのように振り返り、三人を伴って再び出口へと歩き始める。そしては洞窟へ一人残された。

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