第19話 族滅の箱②
すん、と鼻をつく不快な臭い。
生き物が焦げる臭いだ。血抜き等の処理が施された肉が焦げるのとは全く違う、胸にこみ上げる不快感。作業中に間違えて髪の毛を焦がした時もこんな臭いを嗅いだ気がする。今はそれの何倍も濃く、不愉快だが。
足元には地面に四つの何かが並んでいる。多少大きさは違えど、どれも麻布を被せられて静かに横たわっていた。臭いの発生源はこれだろう。そのうちの一つを覆う布を持ち上げて中身を検める。
「うーわ、丸焦げだねぇ」
ちらりと見えたのは炭化した肉の塊。男か女かも分からないほど体も身に纏っていたであろう衣服も焼け焦げ、所々から黒焦げの骨が覗いている。炎で筋肉が収縮したのであろう、奇妙な形に体を捩らせていた。横に控えていた警吏がぱらぱらと何かの紙を捲る。
「宿帳は無事だったので身元は判明しました、
「なるほどねぇ」
まぁ、どんな功罪も消し炭になってしまえば何の意味もないんだが。
それにしても女三人というのは、偏りを感じざるを得ない構成ではあった。冒険者にとって男女の性差は、マナの多寡ほど大きな違いはないとはいえ。
麻布を再び被せ、私は周囲を見渡した。海が一望できる丘の上で、燃え残った大量のガレキが燻っている。
悲鳴。絶叫。慟哭。
さまざまな感情がそこかしこで渦巻く。ガレキはこの町で一番高級な宿――コテージの群れの成れの果てだ。突如発生した火災に巻き込まれていなければ、恋人や仲間、家族連れで賑わっていただろう。問題は、火災の原因が火の不始末や寝煙草といった可愛らしいものではないということ。
焼け出され、とりあえず居場所もなく繋がれている馬が嘶いた。前を歩く警吏はちらりとそれを見やり、「誰が聞いても同じだと思いますがね」と肩をすくめる。それでも構わない、と返答すると彼は幕舎の一つを顎でしゃくった。明らかにこの宿に元々あるような代物ではない、この警吏か軍が仮の拠点として持ち込んだのだろう。
幌を開けると中には男が一人。背中に大きな火傷の痕が見える。彼はこちらに気付き、急いでシャツを羽織り会釈をした。彼はこの火災による数少ない生存者の一人、そしてライトのパーティで唯一の生き残りだ。
シャツの間から覗く傷を指摘すると、「見苦しいものをお見せしました」と顔を伏せる。だが彼はあのライトのパーティのメンバーだ、高難易度のダンジョンに潜れば無傷とはいかないだろう。
「名誉の負傷だろう? 胸を張っていいんじゃないか」
そう言ったのだが、彼があからさまに話題を避けたい様子だった。仕方がないので本題に入ることとする。
●
……また話すんですか? 先程の方とは管轄が違う? 俺はどちらでも構いませんが、何度お話ししても内容は変わりませんよ。
俺を聴取しに来たということは、あなたもご覧になったんでしょう。あの宿だったガレキの下で見つかった焼死体。ライト、ベラ、ヒュー、そしてスイシー……。ベラはライトと幼馴染で、同じ村の出身だと聞きました。ヒューは冒険者向けの訓練所で出会ったとか。スイシーは一番の新顔で、ライト達がそこそこ活躍し出してからパーティに加入していました。男一人、女三人です。
人間関係? ……決してよくはありませんでした。
ただでさえベラとヒューがライトのことで牽制し合っているところに、後からスイシーがやって来たんですから。しかも彼女、斥候という職業だからか装備を身軽にするためか、露出が高いんですよ。ライトはしょっちゅう彼女の方をちらちら見ていました。流石にモンスターと戦闘中は控えていましたが、俺でも気付いたくらいです。ベラとヒューは気が気ではなかったでしょうね。
二人ともマナの消費を抑えるために、触媒やら法衣やらを纏わなけりゃいけないかった。しかも二人ともけっこう奥手でしたから。その点、スイシーは最初っからそのつもりだったんでしょう。ライトと距離感をぐいぐい詰めていった。
面白くなかったでしょうね、ベラ達は。でもライトはなんというか、他人の心の機敏というものに全く気が回らなかった。それに斥候とはいえパーティでは前衛ですから、後衛や回復役では通じない部分があったんでしょう。ライトが背中を預ける人間といえばスイシーです。二人の仲はどんどん深まっていった。
……そして昨日のことです。ギルドから回って来た、
夜までは随分な乱痴気騒ぎだったようです。途中からベラ達は先に宿へと戻りましたが、ライトは酒場で意気投合したチンピラ紛いや商売女達を引き連れて何軒も店をハシゴしたようで。金遣いは荒かったですが、何せ近頃は大きい依頼をいくつもこなしたばかりで懐は温かかったようですから。随分遊んで、宿に戻ってきたのは夜更けでした。
それからしばらくして……悲鳴が響いたんです。宿中に。最初は人の声だなんて思いませんでしたよ、夜啼鳥でも迷い込んだのかと思いました。ただいくら待っても悲鳴は止まず、これは只事ではないと悲鳴の元へ走りました。
悲鳴はライトの部屋から響いていました。一番最初に踏み込んだのはベラです。普段はうるさく言っていましが、かんだライトが心配だったんでしょう。でも扉を開けると、そこにいたのは裸になったライトとスイシーだった。悲鳴を上げていたのはスイシーです。腹を押さえて、最初は痛い痛いって叫んでいたんですが。途中から言葉でもなくなりました。ライトがヒューに「早く治癒術をかけてやってくれ!」って叫んでいましたが、彼女は震えて動けませんでした。見かねたベラが介抱しようとしたのかスイシーに近付いた時。彼女が血を噴き出したんです。……多分、全身の穴という穴から。
一目見て、あぁ、これはもう助からないなと思いました。ただの血じゃない、体組織混じりで粘っこくて……おそらく内臓が融けていたんだと思います。赤黒い血が床に広がって、彼女はその中に倒れて。自分が出した血だまりの中でがくがくともがいていました。
その頃になるともう悲鳴を上げていませんでした。スイシーも、そしてベラ達も。ライトは最初からずっとベッドの上で震えていましたよ。オーガの群れに一人で飛び込んでいける男が、です。「蛮勇」の肩書が台無しですね。でも、もしかしたらアイツも気付いていたのかもしれません。スイシーの死因が只事ではないということに。
やがて、スイシーは動かなくなりました。綺麗な人ではあったんですけれど、最期の形相はなんというか……本当にこれがあの彼女なのか、と思わずにはいられませんでした。血という血を身体から垂れ流し、痛みに耐えて顔を歪め、骨を折るくらい体を捩らせて。まるで老婆のようでした。
俺たちは皆、体が蝋で固められたかのようにしばらく動けませんでした。でもスイシーが最期に残したメッセージ、最初に気付いたのはベラです。他のメンバーは遺体に近付こうともしませんで。いくら恋敵だからってこのままにはできないって、せめて開いたままの目蓋を閉じようと顔に触れようとした時。スイシーが何かを指さしていることに気付いたんです。指先はライトが未だに震えているベッドの、サイドボードに向けられていました。血だまりを乗り越えて、「これ、かしら……?」――そう言いながらベラは拾い上げたんです。オーガが大量に死んでいる洞窟で見つけた、あの箱を。
……さっきの警吏さんにもお尋ねしたんですが、本当に見つかっていませんか? 掌に載るくらいの大きさの、寄木細工のような古ぼけた木箱。……そうですか、他のものと一緒に燃えたのかもしれませんね。きっと、その方がいい。
話を続けます。
ベラは箱を持って、しばらく黙ってしまった。不安になったライトが「どうした?」と問いかけると、彼女はようやく口を開きました。
「さっき洞窟で見た時は気付かなかったけれど、ただのアイテムじゃないわ……でもおかしいのよ。マナが全く通っていない」と。箱が一体何なのかは分からなくても、周囲に流れるマナを読み取ることでその異常性を理解したんでしょう。彼女は魔術学院を主席で卒業すると見込まれていたほどの才媛ですから。まぁ……ライトのパーティに参加するため学院を出奔したから、その話もなくなりましたが。
とにかく、スイシーがいきなりむごい死に方をしたんです。オーガ達が何か武器に毒を仕込んでいたなんて話も、聞いたことがない。原因は箱だと思ったんでしょう。ベラがヒューに箱を差し出したんです。彼女は治癒術士ですが、元は聖職者でした。今も教会にはよく出入りしているから、そういう曰くつきのモノには慣れています。だから「ヒュー、効くかどうかは分からないけれど解呪を――」って、ベラが言いかけたその時でした。
「近寄らないで!」
……最初、それが誰の声か分かりませんでした。
ヒューはパーティをいつも見守っていて、誰かが傷付いたらいち早く治療していて。周りから好かれているあの治癒術士は、ベラに向かってそう叫んだんです。彼女がそんな大声を出すのは初めてです。ベラも、ライトも目を見開いて彼女を見つめていました。
「ヒュー、近付かないでってどういうこと……? この箱のこと、何か知っているの?」
最初に動いたのはベラでした、ライトはまだ固まったまま。ヒューは最初黙ったままでしたが、やがて重い口を開きました。
「以前、首都の教会から助勢を頼まれたの。ある裕福な商人の家で、急に女の人や子供ばかりが全身から血を流して倒れたから救援を手伝ってほしい、って。結局原因は分からなかったし、私たちにはどうすることもできなかったんだけれど。でもその商人が言っていたの。『積み荷の中に変な箱が混じっていた、あの箱を見つけてからこんなことに』……って」
彼女の言葉に、洞窟で見た光景が頭に浮かびました。女子供のオーガが血を流して死んでいるあの光景。二人も同じだったのでしょう。
「それって、あのオーガ達と同じ……」
ライトはベッドの傍に倒れたスイシーを、ちらちらと見ながら呻いていました。
「……ちょっと待って。じゃあ何? あなた、この箱が何かを知っていたってこと? スイシーがどうなるか分かっていて……」
「知らなかったのよ! まさかとは思ったけれど、スイシーの見つけたのが本当にあの箱だなんて! だって商人の屋敷から箱はなくなっていたし、私は実物を見ていなかったから」
「だからって、何か気付いていたのなら教えてくれても――」
「……貴女にだって分かるでしょう⁉ あの女が少しでも痛い目を見ないと、ライトさんが盗られるって!」
ベラはライトへ視線を向けました。ベッドの隅で縮こまっている、自分の幼馴染を。続けて床で血だまりに沈んでいる、スイシーを見ました。
……彼女、その時まで二人がどうして同じ部屋にいたのか分からなかったんだと思います。夜中に一つの部屋で、若い男と女が裸で二人っきりですよ? 頭に魔術の知識を詰め込むことで手一杯になって、そういう俗っぽいことは何一つ知らなかったんでしょう。
信じて、いたんでしょう。ライトのことを。ふらふらと別の女に気移りしてはいるけれど、最後には自分を選んでくれると。でもようやく、自分ではないと知ったんです。彼女が何かを言おうとした、その時でした。
「ベラ、お前……それ」
ライトが彼女の足元を指さしてそう言いました。全員の視線が彼女の足元に集まり、見たんです。彼女の足を伝って生まれる、新たな血溜まりを。
スイシーが見つけてから半日もしないうちに惨死した呪物です。そんなものを持っていてベラも無事で済む訳がありません。慌てて木箱を投げ捨てましたが、もう手遅れでした。血はだらだらと流れ続け、彼女はすぐに腹を押さえて苦悶の声を上げ始めたんです。彼女は縋るような目でヒューを見ましたが、彼女はただ震えるように首を横に振るだけ。
「見捨てたのか」、ですって? いえ……どうでしょう。彼女は気付いたんじゃないでしょうか。木箱が我々のいう「呪い」とは全く別の何かから生まれたものだと。多少マナを操ることに長けているからといって、決まってしまった彼女の命運を左右できることはないと。
しばらく宿にはベラの呻き声だけが響いていました。皮肉にも、それに最初に気付いたのはヒューです。その場にいた中で、多少なりとも魔術の素養がある者は彼女だけでしたからね。ベラが発し続ける呻き声は、ただの苦悶の声ではなかった。
「ベラ、その呪文は……!」
気付きはしたけれど、それ以上のことは何もできなかった。理解できなかったんですよ、どうして今わの際にいるベラが魔術を詠唱しているのか。さっきも言った通り、ベラの才能はとびきりです。並みの魔術師なら二小節も詠唱しなきゃ発動できない魔術を、彼女は念じただけで行使できてしまう。そんな彼女が痛みを伴いながらも長々と呪文を唱えていたんです、どんな規模になるのかは想像もできなかった。
「――封じられし・生ける炎・至天の暁星・フォマルハウトの玉座より・我らの仇を・業火で焦がせ」
その部分は俺にも聞こえました。ヒューは血を流しているベラよりも血の気が引いていましたよ。彼女がそんな呪文を詠唱するのは初めてです。オーガの砦を火の海にした時だって、もっと短い呪文だった。……多分、オーガに使うことすら躊躇われるほどの術だったんでしょう。
彼女……ベラは、脂汗が滲んだ顔に笑みを浮かべながら言ったんです。「みんな燃えて、なくなればいい」。そして、最後の一小節を唱えました。俺には「イア・クトゥグア!」と……そんな風に聞こえました。どういう意味かは分かりませんが。
俺はコテージの前に広がる海へと飛び込みました。火傷はその時のものでしょう。海に飛び込んだ後に背中を焼かれたんです、海水の表面が蒸発したんでしょうね。一体どれほどの熱量が発生したのか。海の中から水面を見上げると、自分がいた宿が光り輝いていました。でもあれは……宿が光っていたのではなく、宿があった場所に光り輝く何かが動いていた――そんな風に感じました。さっきの警吏さんは信じてくれませんでしたが、あなたはどうですか? 動いていたんです。まるで炎が意志を持っているかのように。
後は何とか岸に這い上がったところを町の人に助けられて。宿に戻った時にはすでに火の勢いは収まっていましたが、ライト達の遺体はすでにガレキの下から掘り出された後でした。
……俺が話せるのは、そこまでです。
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