第13話

 イヴァンはリリアーデに逆らわない。リリアーデには、聖女一行と敵対する意志はない。

 そのことを信じられるようになったからか、王女たちが必要以上にイヴァンに怯えることはなくなった。


「クリスティーナ、そこをどけ」

「いやよ」

「リリィの隣は俺の場所だ」

「あら、辺境伯は、王女であり聖女でもあるわたくしと親交を深めることをお望みよ」

「そんなものはいらん。消えろ」

「まあ! 聞きまして? リリアーデぇ!」

「誰の許しを得てその名を口にしている」

「少なくとも、あなたではなくてよ」

「仲良しだなぁ」

「どこがですか!」「どこがよ!」


 イヴァンと王女の口喧嘩と間に挟まれるリリアーデの構図は、いつの間にか、バルリオスでは見慣れたものとなっていた。

 バルリオスにも神殿はあるが、司祭が教会から派遣されなくなって久しかったため、司教と聖騎士は神殿で寝泊まりをして、リリアーデの許可を得て住民たちに教えを説いている。

 王宮騎士たちは基本的には王女の護衛をしているが、バルリオスの騎士団の訓練に参加することも増えてきた。

 王女の侍女である令嬢たちと魔術師も、バルリオスでの生活に慣れてきたようだ。


「そろそろ、頃合いだと思うんだ」


 執務室で座り慣れた椅子に背を預け、リリアーデが何でもないことのように告げた。


「新婚旅行の用意は全て、整っております」

「ありがとう。私が不在の間、バルリオスをよろしく頼む」

「謹んで承ります。……どうせなら王都ではなく、ゆっくりお休みできる場所が相応しいのですが」

「大丈夫だ。全てが終わったら、イヴァンが日帰りでいろんな場所へ連れて行ってくれるらしいから」

「そうですか。それは楽しそうですね」


 その会話が交わされた翌日には、リリアーデは、王都の地を踏んでいた。



   ※



 牙を剥く狼が描かれた紋章を掲げた数台の馬車が、王城へと到着する。

 その馬車の周囲を護衛するのは三種類の騎士たち。バルリオスの騎士、王宮騎士、聖騎士だ。

 騎士たちがそれぞれの所属を表す意匠を身につけていたために、人々にはその一団が何者なのかが一目でわかった。

 さらには王城までの道すがら、聖女が馬車から顔を出し人々へ手を振って見せたために、五年前に魔王討伐へと旅立った聖女一行の帰還は瞬く間に王都中へと広まった。


 バルリオス辺境伯家の馬車から降り立ったのは、女神より聖女の役目を賜った第一王女クリスティーナ・リングホルム。

 五年もの月日は、蕾を大輪の花へと変化させた。

 銀色に輝く髪と紺碧の瞳を持つ彼女は、誰もが目を奪われる美貌の持ち主。王太子である兄とは髪と瞳の色が同じだけで、あまり似ていない。


「クリスティーナ、よく戻った」


 妹ほどの美貌はないが、それなりに整った容姿を誇る王太子が、両手を広げて妹を出迎える。

 バルリオス辺境伯家から届けられた先触れにより、魔王討伐の知らせは既に届いていた。


「バルリオスから手紙が届いた時は、何事かと思ったぞ」


 兄との抱擁を交わしてから、クリスティーナは後ろを振り返る。


「勇者様たっての希望で、バルリオスに立ち寄りました。辺境伯様に良くしていただき、馬車と護衛もご用意くださいましたの」


 王太子が視線を向けた先では、金糸の髪の、目を見張るほどの美しさを持った青年が降り立つところだった。

 彼が勇者なら、聖女であるクリスティーナにこそ手を貸すべきだろうと考え、王太子は歯噛みする。

 その青年がうやうやしく手を差し出すと現れたのは、牙を剥く狼が刻印された指輪をはめた、女性の手。


「ば、バルリオス辺境伯……!」


 黒髪と金色の瞳が醸し出す妖しい気配とは相反する人柄の持ち主ではあるが、陽の性質にばかりに気を取られていると、喉元に突き付けられた剣に気付けなくなってしまう。そんな、恐ろしい女性。

 己の失態を思い出し、王太子の顔からは血の気が引いた。


「リングホルムの星、シーグルド王太子殿下へご挨拶申し上げます」


 辺境伯が淑女の礼をとると、その横の青年も倣って頭を下げる。

 その時になって、彼の耳元で揺れる紋章に気が付いた。


「辺境伯自らが送り届けてくれるとは、思っていなかったよ」

「夫を一人で王都へ送ることができず、共に参りました」

「夫だと? そんな報告は受けていない」


 貴族の結婚には王族の承認と教会に所属する聖職者の立ち会いが必要だが、王家にはそんな連絡は届いていない。

 王太子は、まさかと思い妹を振り返る。


「聖女でありリングホルム第一王女であるわたくしが承認し、勇者様と共に魔王討伐を成し遂げた司教が祝福を授けました」

「な!!」


 なんて勝手なことをと、喉元まで出掛かった言葉を慌てて飲み込んだ。


「以前お会いした時にお話ししたかとは存じますが、私にとって、とても大切な人ですから。再会に感極まりまして、クリスティーナ様と司教様のご協力のもと、婚儀を執り行いました」


 バルリオス辺境伯が大切にしている男には、心当たりがある。やはり、あの青年が――


「リングホルムの星、シーグルド王太子殿下へご挨拶申し上げます」


 王太子の視線を受けて、バルリオス辺境伯家の紋章を身につけた青年が挨拶の言葉を発した。


「お初にお目にかかります。イヴァン・バルリオスと申します」

「彼が、勇者様ですわ」


 開き直ったのか何なのか。淡々とした妹の言葉に、頭を殴り付けられたような心地になる。

 バルリオス辺境伯の暗殺と勇者の帰る場所を奪う謀略は失敗に終わり、辺境伯に王家の弱みを握られる結果を招いた。

 だが、勇者の籠絡に成功していれば取り返せる失敗のはずだった。何せ男とは、そういう生き物なのだから。

 聖女に選ばれたクリスティーナの美しさは誰もが認めるものだったし、たとえクリスティーナがだめでも、様々な種類の魅力を持つ者を侍女や戦力として同行させていた。せめて一度でも抱いていれば、清廉潔白そのものに見えたバルリオス辺境伯が許すとは思えない。

 遅れてバルリオス辺境伯家の馬車から降りてきた者たちに視線をやれば、誰もが顔をそらした。

 一人も欠けることなく魔王討伐という大事を成し遂げた者たちへの労いの言葉を吐き出しつつも、勇者という価値ある者を逃した怒りは、どうしても湧き上がってくる。

 王と王太子は、バルリオス辺境伯の怒りを買っていた。その状況で勇者がバルリオスのものとなれば、王家は常に、狼の牙に怯えなくてはならなくなるだろう。


「リリィ、寒くはないですか?」

「ドレスは少し、寒いな」

「上着をお持ちします」

「いいよ。耐えられる」

「いけません。こちらへ」

「おい、こんなところでいちゃつこうとするんじゃない」

「俺は体温が高いので、暖めて差し上げようとしているだけです」

「まったく……」


 漏れ聞こえた会話によって王太子は、完全なる敗北を悟った。

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