小話5 女神の嘆息

 人間は、愚かに繰り返す。


 これまでの生物が魔物として発生するのが、第一段階。

 これまでの人間が魔族として復活して、第二段階。


 繰り返される度、厳しい世界となっていく。


 祝福を与えた勇者は裁定者。誰もが見限り、終わりを望んだ。

 今回も希望は持てないのだろう。

 女神は嘆息を漏らす。


 女神の嘆息は、一陣の風となって世界を巡った。


 とある場所で、風に吹かれて布がめくり上がる。

 中身を見た少女が意識を手放した。


 第三段階である、一つ前の勇者が魔王となり目覚めるまで、あと少し。




   ※※※




 どこに行きたいかと聞いて、真っ先にリリアーデが望んだ場所は、魔王城だった。


「だって、私しか彼らを知らないだろう? 花を手向けたいと思ったんだ」


 廃墟となった城の、謁見の間。


「何を思って女神が私にあれを見せたのかは、わからない。だが、見てしまったからな」


 玉座へと花束を置き、リリアーデは女神への祈りの動作をとった。

 黙って後ろ姿を見守るイヴァンの視線の先で、リリアーデが立ち上がる。


「リリィ」


 イヴァンの呼ぶ声に反応してリリアーデが振り向く瞬間を、愛しいと思う。


「付き合わせて悪かったな」

「いえ。魔王が前の勇者なら……」


 紡ぐのを躊躇った言葉の先を理解したのだろう。リリアーデが、困ったように笑った。


「お前が泣いた未来の先で魔族となるのは、私たちだったんだろう」


 魔族も、魔王も、破壊と殺戮を望んでいた。

 言葉は通じたが、理解はし合えない存在だと感じている。何故そうなったのかを想像してみれば、わかるような気がした。

 胸を刺した感情のまま足を踏み出して、イヴァンは、愛する人を抱き締める。


「俺にリリアーデがいて、よかったです」


 反対に、失えば――イヴァンは正気を保てるのだろうか。

 考えるまでもなく、保てないのだろう。

 リリアーデが未来を視られなければ、視たとしても変えられなければ、イヴァンは魔王と同じになっていたのだから。


「そういえば、お前に報告があるんだが」


 何故かイヴァンの右手を取って、己の腹へと触れさせる。


「ここに、いるんだって。イヴァンと私の子が」


 リリアーデが心底うれしそうな顔で、笑った。


「……え?」

「だから、子が出来た」

「こども……」

「うん!」

「…………出産は、命懸けと聞きました」


 呆然と呟くイヴァンを見上げたリリアーデは、きょとんと、首を傾げる。


「散々やることやっておいて、出来ないほうがおかしいだろう」

「そうですが……何だか急に、恐ろしくなって」


 血の気が引く感覚で、目眩がする。

 命をたくさん、奪った。必要だからやったことではあるが、これまで目にした多くの骸と、リリアーデの姿が重なる。


「リリィ……! 鼻血がっ」


 慌てて取り出したハンカチで、真っ赤な血をせき止めた。


「あ~……かなり先まで視ようとしたから、仕方ない」

「何を、視たんですか?」


 リリアーデは、何でもないことのように答える。


「私は、出産では死なん。安心しろ」


 イヴァンの手からハンカチを奪い、金色の瞳がイヴァンを映す。

 リリアーデの瞳に映った己は、ひどく情けない顔をしていた。


「……いつだったか、似たようなことを言いましたよね」


 今回よりも大量に鼻血を流して、意識を失ってから十日間も眠り続けた、あの時。


「根拠は、俺ですか?」

「ああ。そうだ」


 あの時は、彼女の持つ力のことは知らなかったから、ただの気休めの冗談だと思っていた。


「お前の未来に、私はいる」


 いつも血を流しながら未来を示すリリアーデは、己が流す血には、無頓着過ぎるのだ。


「もう……俺の未来は、見なくて、いいです」


 壊れてしまわないよう、そっと腕の中へと閉じ込める。

 抱き寄せられたリリアーデは、きっとまた、不思議そうな顔をしていることだろう。


「リリィも、子どもも、バルリオスも……全部、俺が守ります」

「一緒に、皆で守るんだ」


 イヴァンの背中に、温かな手が触れた。

 無性に泣きたくなって、奥歯を食いしばる。


「子どもは無事に、産まれましたか?」

「うん! かわいい子が産まれるぞ!」

「……性別は?」

「ん〜……秘密だ」


 とても楽しそうに、彼女は告げた。


「楽しみがなくなっちゃうだろ?」

「リリィは視たのに?」

「仕方ないだろ。お前が不安がるから」

「…………リリアーデが血を流すのは、嫌です」

「出産でか? それは、難しいだろう」

「違います」


 両手を細い肩に置き、顔を覗き込む。

 リリアーデの右手は、まだハンカチで鼻を押さえている。


「先見で流す血のことです」

「ああ、これか」


 どうやら鼻血は止まったようだが、鼻の下に、血の跡が残っていた。


「顔、洗いますか?」


 手のひらに水の玉を出せば、驚きで目を見開いた後で、リリアーデは頷いた。

 おっかなびっくりといった様子で顔を洗い、新たなハンカチで水気を拭う。そうしてから、彼女は笑い始めた。


「イヴァンもだが、皆、いつもハンカチを大量に持っているんだ」

「……あなたのせいです」


 あなたのためという言い回しを、敢えて避ける。


「…………怒るなよ」


 リリアーデには珍しいことに、子どもみたいに唇を尖らせた。


「怒っているのではなく、心配しているんです」

「……お前を、安心させたかったんだ。一緒に喜んでほしくて」


 己の不甲斐なさを自覚する。イヴァンは、リリアーデに甘えていたのだ。

 こんなふうに悲しそうな顔をさせたかったわけではないのに。


「すみませんでした。でも、俺は……俺が欲しいのは、リリアーデだけで。子どもは、別に」

「そうなのか?」

「はい。むしろ、リリィの取り合いになりそうで、少し嫌ですね」

「子どもと、私を取り合うつもりなのか?」

「あなたは俺のものですから。違いますか?」


 噴き出して、リリアーデが笑う。

 笑い声が段々と大きくなり、お腹を抱えて笑いだす。苦しそうに、涙まで浮かべて。とても楽しそうだ。


「違わない。私は、イヴァンのものだ」


 ぴょんと元気良く飛び跳ねて、リリアーデはイヴァンに抱きついた。


「だが残念ながら、女は子どもを産むと変わるらしいぞ」

「リリアーデは変わりません」

「根拠のないことを言うなよ」

「だって、未来を視たあなたが、とても楽しそうに笑っているから」


 つらいことを隠す笑みではなく、相手を安心させようと努めて浮かべた笑みでもなく。今のリリアーデは、感情に嘘をつかずに笑っているのがわかったから。イヴァンは、自信満々に告げた。


「安心できたか?」

「そうですね。ですが今後、先見は……」

「うん。気を付けるよ」

「お願いします。俺が泣くのは嫌でしょう?」

「うん。すごく嫌だ」

「では、仲直りしましょう」

「私たち、ケンカしていたのか?」

「俺が、あなたの喜びに水を差しました。すみませんでした」

「……なら私は、心配するお前を茶化して誤魔化そうとした。ごめん」


 抱きしめ合ったままで謝り合って、視線を絡めた二人は、同時に表情を緩める。


「男と女、どっちがいい?」


 ウキウキと、浮かれた様子でリリアーデが顔を輝かせた。


「……女の子ですかね。リリィに似た子なら愛せそうです」


 リリアーデを抱き上げて、歩きだす。

 こうして抱き上げると、リリアーデはすり寄り甘えてくるのだ。拒否する様子もないから、恐らく好きなのだろうなと判断して、イヴァンはしたいようにすることにしていた。


「男は、だめか?」

「嫉妬しそうなので、あまり」

「自分の子に嫉妬するのか?」

「しますね」

「私は、男も女も、たくさん産みたい。わあわあと騒がしい家族に憧れるんだ」


 早くに両親を亡くして、きょうだいもなく。子どもらしい時間を過ごせなかったリリアーデが、抱く夢。


「……それなら俺も、がんばります」


 叶えてやりたいと思った。


 唐突に一陣の風が、魔王城を吹き抜けた。

 同時に、聞き覚えのある女性の笑い声がイヴァンの耳に届く。


 ふと気付けば、濃い花の香りがした。


「イヴァン。振り向いて、見てみろよ」


 呆気に取られたようなリリアーデの声音に誘われて、振り返る。

 そこは、リリアーデが手向けた花束があるだけの、廃墟だったはずだ。


 そこには色とりどりの花が咲いていた。


 崩れた天井から陽の光が差し込んで、明るく花を照らしている。


「女神のしわざかな」


 ぽつりと、リリアーデが呟いた。


「そうみたいですね」


 意図はわからないが、風と共に聞こえたあの声は、女神のものだったように思う。


「……これなら、安らかに眠れそうだな」


 優しく目を細めたリリアーデのこめかみにキスをしてからイヴァンは、女神の祝福を使って家路につくため、建物の外へと向かう。

 リリアーデのことを「死に絡め取られる役目」と表現したことは許しがたいが、もしかしたら、女神には女神の事情があったのかもしれない。

 ありがたいことにイヴァンは、これからもリリアーデと共にいられるのだ。

 イヴァンにとって、崇拝するのも、忠誠を誓うのも、愛を捧げるのもリリアーデただ一人ではあるが、リリアーデを喜ばせた女神には少しだけ、感謝してもいいかもしれないと思った。

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