第12話

 魔王を完全に消滅させるためには、各地にある女神の神殿を巡り、祝福を得る必要があった。

 神殿の扉をひらけるのは女神が選んだ聖女のみ。

 女神の祝福を得られるのもまた、女神が選んだ勇者のみ。

 勇者を見出したのは聖女に与えられた女神のお告げで、リリアーデがいなければ、長い旅路で絆を築いた勇者と聖女は結ばれる運命だったのかもしれない。


「それなら初めから、私にお前を与えなければよかったんだ」


 女神はなんて意地悪なのかと、リリアーデは思う。


 イヴァンが勇者でなければ、彼が世界を滅ぼす未来は存在すらしなかった。

 だけど、イヴァンが勇者ではなく世界を滅ぼす未来も存在しなければ、リリアーデはもしかしたら、危険に気付かずバルリオスと共に滅んでいたかもしれない。何故なら、何度も探った未来では、バルリオスとリリアーデが生き残れる道筋は限りなくゼロに近かったからだ。

 必死になって未来を探ったのは、彼が泣いていたから。彼が泣かずに済む未来を与えてやりたかった。

 未だ恋とやらはよくはわからないが、リリアーデにとってイヴァンは、とても大切な人なのだから。


「イヴァン……よく眠ってるな」


 ベッドの中、隣で眠る夫の顔を観察してみる。

 整っているとは思うが見慣れているために、これがイヴァンだとしか思わない。

 起こさないようにそろりと動いて、彼の腕の中へとおさまった。

 安心する香りを胸いっぱいに吸い込んでから、再び目を閉じる。


 今は、しばしの休息の時。


 王都へ帰れば、聖女である王女も、騎士や侍女、司教も魔術師も、皆が皆、忙しなくなることだろう。

 だからここでは何も考えず、好きに過ごしながら休むようにと伝えてある。

 先見でも、それで大きな問題は見つからなかったし、すぐにでも王都へ発つよりもゆっくりしたほうが良い結果が得られそうだった。

 グレンデス侯爵家の人々は、結婚式の翌日にイヴァンが魔王討伐の旅路で手に入れた力を使って送り届けた。

 女神の祝福とは、なんて便利なものだろうと思いつつ、リリアーデは柔らかな微睡みに身を任せる。



 夢を見た。



 リリアーデは、それが夢だと自覚していた。



 神殿で祀られている女神像が、ぽつんと置かれている。



 すぐにそれが像ではなく、よく似た女性であると気が付いた。何となく、面立ちが第一王女と似ている気がした。

 彼女が差し出した両手のひらに、球体が現れる。

 その中では、すごい速度で歴史が進んでいた。


 世界は何度も滅んで、その度に、再構築される。

 必ず魔王が居て、聖女と、勇者が居た。

 勇者が魔王を倒す。

 勇者は必ず、何らかの理由で世界を滅ぼす。そして、再構築された世界の魔王となる。

 そんなことが延々と繰り返されていた。


 リリアーデが先見で視たものもあれば、知らないものもある。


 その球体の中で泣き叫ぶイヴァンの姿を見つけて、慌ててリリアーデは、手を伸ばした。


 リリアーデが触れた瞬間、その球体が砕け散る。


 女神像によく似た女性と目が合って、女性は安堵したように、微笑んだ――。



「リリィ!」



 揺り起こされて、目が覚めた。


 心臓が、激しく鳴っている。


「また先見をしたんですか?」


 気付けばイヴァンの腕に抱えられていて、鼻には、真っ赤に染まった上掛けの端が押し付けられていた。


「はなぢ?」


 ふがふがと言葉を紡げば、イヴァンはどこかほっとした様子で頷く。


「目が覚めたら、隣であなたが鼻血で溺れていて……驚きました」

「……ごべん」


 口の中で、血の味がした。

 枕とシーツも真っ赤に濡れている。

 イヴァンの手の上から血塗れの布を抑えれば、リリアーデの望みを察したイヴァンがグラスと盥を持って来てくれたから、口を濯いだ。

 赤い水を吐き出して、新鮮な水を飲む。


「俺がいない間にも、こうやって先見を?」


 リリアーデは首を横に振って否定を示した。

 最近では先見をする頻度も減ってきて、鼻血を出すことはなくなっている。


「たぶん……女神に会った」

「女神が、あなたに何の用で?」


 イヴァンの言い様から、彼も女神に会ったことがあるのではないかと感じられた。女神からの祝福を得た身なのだから、当然のことかもしれない。

 リリアーデは見た夢の内容を反芻して、推測した。


「世界の法則を、私が知らずに壊してしまったようだ。だが、その法則は良くないことだったんだと思う」

「……それで?」

「それで……女神は、喜んでいたように見えた」

「そのせいで、リリィが血を流したんですか?」


 声音から、女神への嫌悪が感じ取れる。


「私が女神に会うのは、先見をするぐらいの負荷が体に掛かるのだろう」


 女神との間に何があったのか、聞きたい気もしたが、聞きたくない気持ちも確かにあって。リリアーデは聞かないことを選択する。

 イヴァンなら話したくなったら話すだろうという信頼があったし、少なからずリリアーデも、女神に対しては怒りを覚えていたから。


 大切な人が、不毛で悲劇的な運命に閉じ込められそうだったのだ。何とか逃れられたとはいえ、先見で視たイヴァンの涙は、忘れられそうにない。


「起こしてくれて、助かった」


 そっと抱き寄せられる気配を察して、身を任せた。

 イヴァンの腕の中におさまって、力を抜く。


「世界の法則とは、何のことですか?」


 静かな声が問う。

 恐らく彼は、気付いている。これは、イヴァンに深く関わる話だと。


「……世界は必ず、滅びる」

「何故ですか?」


 答えることに、躊躇した。だけど思い直す。

 どうせ、あの未来はもう存在しないのだから。


「魔王か勇者が滅ぼすからだ」

「勇者が……?」


 努めて明るく、事実を告げる。


「魔王を倒した勇者は世界を滅ぼして、再構築された世界の魔王になる。それが延々と繰り返されていた」


 反応が気になって、イヴァンを見上げた。


「お前が倒した魔王は、前の勇者なんだよ」


 緑の瞳はまっすぐに、リリアーデを見つめ返す。


「何故、勇者は世界を滅ぼすんですか?」

「それぞれの理由で」

「それなら俺の場合は……」


 答えにたどり着いたことが、表情でわかった。

 唐突に腕を掴まれ、抱き寄せられる。苦しいほどに強い力で、イヴァンの腕の中へと閉じ込められた。

 リリアーデは両手をイヴァンの背中に回して、抱き返す。


「血塗れだな」


 鼻血を流したリリアーデを抱えていたから、イヴァンの寝間着も、血で汚れてしまっていた。


「着替えよう」

「そうですね。……一緒にお風呂、入りますか?」

「入るわけがないだろう」

「何故です? 夫婦なのに」

「夫婦は共に入るものなのか?」


 見上げた先、イヴァンが妖しく笑った。

 気安い雰囲気になったことに安堵して、リリアーデも合わせて、明るく指摘する。


「嘘か!」


 イヴァンにも、咀嚼するための時間が必要だろうから。


「嘘ではないですよ」

「本当か〜?」

「ええ。夫婦は互いに体を洗い合うようです」

「……グレンデスでは、そうなのか?」

「さあ?」

「さあって……待て! 降ろせ!」


 イヴァンに横抱きにされたリリアーデは、血を洗い流すためという口実で風呂場へと連行された。

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