第11話
気持ち良く晴れ渡った日。
バルリオス辺境伯と世界を救った勇者の婚姻の儀は、領地の人々や家族の笑顔に見守られ、滞りなく進められた。
グレンデス侯爵と共に祭壇へと向かってくるイヴァンを見ながら、リリアーデはまた、泣いてしまった。
彼が笑っていることがうれしかった。
己を呼ぶ声に、反応できることが幸せだと思った。
「リリィは、こんなにも泣き虫だったのですね」
あまりにもぼろぼろとリリアーデが泣くものだから、困ったように微笑んだイヴァンが涙を拭ってくれる。
「あなたが流すのが、血ではなく涙でよかったです」
彼のハンカチはいつも、涙ではなくリリアーデの鼻血が染み込むためのものだった。
それを知らない司教が言葉の裏を読んでギョッとした様子を見せたことを、こっそり二人で笑う。
バルリオスとなったことを示す品として、紋章が刻印された耳飾りをイヴァンへと贈った。
リリアーデの指にはイヴァンからもらった指輪の他に、領主の証である指輪がはめられている。花嫁の指にあるには無骨な物ではあるが、イヴァンと揃いの品であることが気恥ずかしく、何だかそわそわしてしまう。
イヴァンも同じ気持ちだったのか、耳元で揺れる飾りに触れながら頬を染めていた。
司教の進行で式は進み、二人の婚姻は、王族であり聖女でもある第一王女によって、国と教会の双方から認められるものとなった。
最後に二人は向かい合い、イヴァンが膝を付き、リリアーデが差し出した右手の甲へとキスをする。
割れんばかりの歓声と拍手。
降り注ぐ花吹雪。
リリアーデは、隣を歩くイヴァンを、そっと盗み見る。
人々からの祝福の声に反応して、彼は笑顔を浮かべていた。
緑の瞳が、きらきらと輝いている。
先見で視た勇者の凱旋とは全く異なる、明るい光景。
楽しそうに声を立てて笑うイヴァンの姿が、じわりと滲んだ。
「そんなに泣くほど俺との結婚を喜んでくれるとは、思ってもいませんでした」
リリアーデがまたもや泣いていることに気付いたイヴァンが、目を丸くする。
「ほっとして、泣けてくるんだ」
「……これからは、肩の力を抜いてくれるとうれしいです」
「そうだな。お前が無事戻り、バルリオスもグレンデスも健在だ。とにかくこれで、一段落だな」
「ええ。次の段階へとようやく進めます」
大切な人が隣で笑っていることの幸福を、噛み締めた。
※
カーテンの隙間から差し込んだ日差しで、日が高く上っていることを知る。
頭がぼんやりとしていた。
喉がひどく乾いている。
「リリィ、水を飲みますか?」
咳払いしたことで目覚めを悟ったらしく、すぐ横からイヴァンの甘ったるい声がした。
全身が痛いと言おうとして、声が出ないことに気付く。
ベッドの上で体を起こし、差し出されたグラスを受け取り一息で飲み干した。カラカラだった喉が潤って、ほっと息を吐く。
「体は平気ですか?」
素肌を流れる黒髪をすくい取り、当然のように、イヴァンがそこへ口付けた。その光景を目の当たりにして、ぶわりと全身が熱を帯びる。
慌てて上掛けを体に巻き付け、逃げるように後退した。
「私は、なんて恐ろしいことをしようとしていたのだろうかと、思い知った」
驚くほどに、声が掠れている。
「良くなかったですか?」
「良いとか悪いとかではなく、あんな……あんなこと、お前以外としようとしていたなんてっ、あ、あんな……!」
「子作りがどういうものか、知らなかったんですか?」
「知識としては知っていた。だが、あんなにすごいこととは思わなかった」
「俺以外とは、無理そうですか?」
「む、無理だ! 絶対、嫌だっ……!」
「では、愛人なんて一生無理ですね」
うれしそうに笑ったイヴァンに抱き寄せられて、素肌の胸筋を前に、うろたえる。
指先に顎を掬われて、唇が重ねられた。
前の晩にもしたことだが、慣れることなどできそうにない。
ぎゅっと目をつむり、唇にも力が入っているリリアーデの長い黒髪を梳きながら、イヴァンがくすりと笑った。
「かわいい」
囁き声で、唇を撫でた吐息が、くすぐったい。
「もう少し頑張る前に、食事にしますか?」
油断して目を開けてすぐ、唇がまた、重なった。
どさりとベッドに倒されて、緩んだ隙間から、柔らかで濡れた熱が差し込まれる。
初夜への衝撃のせいで食欲は湧いてこなかったが、ここで食事を不要と言えば、間違いなくイヴァンに喰われるのは己なのだろう。
「んぅっ、いゔぁ……ん、――食事にしよう!!」
慌てて体を押し返す力にイヴァンが素直に従って、くつくつと喉の奥で笑っている。
すこぶる機嫌が良さそうだ。
「風呂にも入りたい」
「用意するよう、伝えてきます」
リリアーデのこめかみに口付けてから、イヴァンはベッドを降りた。
残されたリリアーデは勢い良く枕へと顔を押し付けて、漏れ出る悲鳴を押し殺す。
意図せず昨夜の光景が脳裏に浮かび、あまりの羞恥で涙が浮かぶ。
バタバタとベッドの上で暴れるリリアーデを見ながら着替えていたイヴァンが、とても幸せそうな顔で笑っていたことには、気付かなかった。
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