第3話

 世界滅亡を防ぐ対策を考えながらも、日々の業務に忙殺される。

 いずれ結婚すればイヴァンが騎士団を率いることになるが、今はまだ見習いで、権限は与えていない。日常的な判断は現在の騎士団長に任せてあるが、リリアーデも辺境伯としての権限は持っている。

 領主の仕事では先見の力を使う頻度は減ってきたが、前触れなく襲い来る魔族との戦闘では、先見の力を使ったほうが犠牲を減らせるのだ。

 リリアーデよりも知識と経験が勝る者たちに二択まで選択肢を絞ってもらい、最後の判断はリリアーデが下す。二択まで絞られていれば倒れることはなく、先見の結果が良かったほうを選べばいい。

 誰にも知らせていない秘密の能力――先見の力のおかげで、現バルリオス辺境伯リリアーデの治世は、歴代最良といわれていた。


「好き嫌いせずに食べることは偉いし、お前の努力も認めるが」


 どんなに忙しくても共に食事をする。それが、婚約者となったリリアーデとイヴァンが作ったルールだった。

 たとえ大人に決められた婚約でも、互いを知る努力をすることを二人は選んだのだ。


「イヴァンは岩のような男にはなれないと思うぞ」


 昼食の席で気になっていたことを指摘すれば、イヴァンの食事の手が止まる。


「グレンデス侯爵と小侯爵を見てみろ。生まれ持ったものは、努力ではどうにもできない」


 大人になったイヴァンの姿を知っているが故の言葉だったのだが、それを知らないイヴァンは納得しなかった。


「父と兄は、そこまで体を鍛えていませんから」


 恐らくだが、どれだけ鍛えてもイヴァンの体には岩のような筋肉は付かないだろう。世界を滅ぼすほどの力を持った大人の彼は、背は高かったが、ほっそりとしていた。


「今のイヴァンの年齢で過度な体の酷使は良くないと、騎士団長が心配していた」

「ちゃんと考えています」

「私も心配している」

「頻繁に鼻血を出すほど無理をしているリリアーデに言われたくないですね」

「それはそうだがなぁ……」


 騎士団長から、イヴァンが過度な鍛錬をしていると聞いた。いくら周囲がそれを止めても聞く耳を持たないのだと、リリアーデからイヴァンを説得するように頼まれたのだ。

 そもそもイヴァンが筋骨隆々な岩のように強い男を目指して躍起になるように仕向けたのは、騎士団員たちなのに。リリアーデは内心、ため息をこぼす。


「確かに私の好みは騎士団長殿だし、彼をうっとり見つめたのかもしれない」


 ここまで言って気が付いた。はやし立てたのは騎士団員たちかもしれないが、そもそもの原因を作ったのは、己だと。


「しょっちゅうですよ。僕より団長を見つめる時間のほうが遥かに長い」

「そんなことは……」

「あります!」


 喧嘩をしたいわけではない。

 立てた人差し指で頬を掻きながら、次の言葉を考える。

 先見の力を使えば最良の選択肢にたどり着けるだろうが、普段の会話には使わないようにしていた。力に頼り過ぎていては、普通のコミュニケーションすら取れなくなってしまうから。


「イヴァンは、どうしてそこまで私を好いてくれるんだ?」


 本当は、大人になった彼に聞きたいこと。

 今の彼は、解決の取っ掛かりを与えてくれるだろうか。


「婚約者を慕うのは当然です」

「理由は、それだけか?」

「……あなたが、とても美しい人だから」

「私の容姿が好みだから、イヴァンも私の好みに近付こうとしてくれているのか?」

「そういうことでは、ないです」


 不機嫌な様子で黙りこくった少年は、八つ当たりするように皿の上の野菜をフォークで突き刺し、身に付いた優雅な所作で口に運ぶ。

 対するリリアーデは行儀悪く頬杖を付きながら、食事の手を止め小さく唸った。


「私も、イヴァンが好きだぞ」

「弟みたいでってことですよね。知っています」

「男としては、まだ見れん」


 周囲の人間が漏らした、呆れのため息が聞こえた。


「悪夢を見た夜、そばに居てほしいと望むのは騎士団長殿ではなく、イヴァンだ」

「……家族ですからね」

「お前の匂いは、落ち着くんだ」


 珍しく、イヴァンの手元で食器がぶつかり合う音が鳴る。


「前にメイドたちから聞いたのだが、相性の良い異性の体臭は、とても良い香りに感じるらしい」

「な、た……」

「ということは、私とお前は相性が良いのだろう。他の男に嫉妬する必要がどこにある。それともイヴァンにとって、私の匂いは不快か?」

「そんなこと……! ない、です」

「ならば私とお前は家族だが姉弟ではなく、相性の良い夫婦ということだ。私は妻として、夫の体を心配しているのだ」


 全身を真っ赤に染めた目の前の少年が、怒りで体を赤く染めているわけではないことを、経験から知っていた。

 リリアーデは止まっていた手を動かして、食事を再開する。

 そしてまた一つ、新たな気付きを得た。


「私たちは似た者夫婦なのだな」


 努力が好きなところが、よく似ていると思った。


「……どこがですか」


 疲れたようなため息を吐き出して、一足先に食べ終えていたイヴァンが果実水の入ったグラスを手に取り、口元に運ぶ。


「今はまだ無理だが、お前に心配を掛けないよう、努めるよ」

「……それなら僕は、成長期を終えるまでは控えるよう、気を付けます」

「ありがとう」


 これ以降、騎士団長からイヴァンの過度な鍛錬を心配する声は、聞かなくなった。

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