第2話
リリアーデには秘密がある。
誰にも言えない、亡き母から託された秘密。
もしかすると父は知っていたのかもしれないが、今となっては聞くことは出来ない。
母がリリアーデにこの話をした時は、そういう事態にならなければいいという願いも込められていたのだろうが、残念ながら、能力は発現してしまった。
リリアーデが持つのは、先見の力。
母方から受け継いだものらしいが、母には能力の発現はなかったようだ。
能力の発現には絶望に近い精神的な負荷が必要で、そのために、母の血筋は衰退した。先見の力を手に入れようとした者たちに捕らえられ、無理矢理に能力を発現させようとする行為により、多くの者が死に追いやられた。
母に能力が発現していなかった事実は幸運なことだと理解しているが、どうせならリリアーデは、もっと早くに力を手に入れたかったと思っている。
せめて母の死で絶望していれば、父を救えたかもしれないのだ。
母を失うことでは絶望が足りなかった事実が、ひどく悲しかった。
母は徐々に弱っていったから、別れの覚悟が出来てしまっていたのだと理解していても、少女は打ちのめされた。
――リリィ
先見の力が映す未来で、大切な人が、泣いている。
――あなたを殺した、世界が憎い
多くの屍の上に立ち、全てを壊したその人が呼ぶのは、己の名。
――リリィ……リリアーデ……俺の、リリィ
探されているのに、声を掛けてやることができない。
駆け寄ってやりたいのに、体が動かない。
――あなたがいない世界なんて、いらない
目が覚めて、己の顔が涙で濡れていることを自覚した。
あれは夢だ。だけど、ただの夢ではないことをリリアーデは知っている。この力を使って四年間、何とか領主の務めを果たしてきたのだ。先見の力がなければ、十一の少女に領主の仕事など出来るはずがなかった。
震える体を起こして、涙を拭う。
涙は次から次へと溢れてきた。
リリアーデには、わからないのだ。
どうしてイヴァンが、世界を滅ぼしてしまうほどに自分を好いてくれているのかが、理解できない。
自分たちは政略結婚で、イヴァンは剣の才を見出されたことにより、バルリオスに売られたようなものだった。
九つで親元から離され、すぐにリリアーデの父が戦死してしまい、彼も不安だったに違いない。それなのに、彼は常にリリアーデを気遣ってくれていた。
もしかしたら、これから二人の間に起こることが要因かもしれない。
それならイヴァンに嫌われてみるのはどうだろうと考えたこともあったが、そうなった場合の先見では人間が魔族との戦争に負け、魔王の手により世界が破壊されてしまう。
魔王もイヴァンと同じく、魔族と人間隔てなく全てを破壊し尽くして、世界は、滅ぶ。
リリアーデは頭を抱えた。
泣き過ぎた故か、先見の力の副作用か。ずくずくと痛む頭を片手でおさえて、ベッドから降りる。
先見の力を使った後で頭痛に襲われることは、よくあった。それを無視して力を使えば鼻血が出て、それでも更に力を行使すれば、意識を失い数日は目覚めない。
最初の頃は加減がわからずに使い過ぎて、皆に心配と迷惑を掛けた。今でも心配は掛けているが、四年前よりはマシになったはずだ。
廊下に続く扉を開けて、護衛たちに声を掛ける。
リリアーデの顔を見てぎょっとした護衛は、目的地を告げると優しい兄のような顔になって頷いた。
目的地の部屋の扉を一人の護衛が叩けば寝起きの顔をした少年が姿を見せて、背後にリリアーデの姿を認めると、彼の顔に動揺が走る。
それも当然だろう。廊下を歩く間も、リリアーデの目からは涙が溢れ続けていたのだから。
「怖い夢を見たんだ」
幼子のような理由を告げた。
「共に寝ては、だめだろうか?」
断られたら、自分の部屋に戻るつもりでいた。
今の、十三歳のイヴァンの顔を見て安心すれば、気持ちが落ち着くだろうと思ったのだ。
「起こしてすまなかった」
彼が固まったまま答えないから、夜中の訪問を詫びて去ろうとすれば、手首をつかまれた。
手のひらが硬い、意外にも大きなその手は、温かい。
「だ、大丈夫、です。僕らは、結婚するのですし……」
「……ありがとう」
護衛を廊下に残し、二人でイヴァンの部屋に入った。
イヴァンの寝間着の袖で顔が拭われて、グラスに淹れた水が差し出される。涙の余韻の鼻水をすすってから、一息でそれを飲み干して、ほうっと息を吐く。
「イヴァン」
気付けば涙は、止まっていた。
「何ですか?」
鼓膜を揺らすのは、声変わり前の、少年の声。
「私の名を呼んで」
大人の彼が呼ぶ声は、あまりにも悲痛だったから。
「……リリィ?」
「うん」
「リリアーデ」
「……うん」
「大丈夫ですか? リリィ」
「うん。もう、大丈夫だ」
両手を伸ばして、そっと抱き締める。
戸惑いながらも、イヴァンは背中に手を回してくれた。
緊張が解ける心地がして、眠たくなる。
「寝るか」
大きなあくびが漏れた。
「はい。寝ましょう」
微かに笑う気配が、心地いい。
並んでベッドに潜り込み、手を繋いだ。
「僕がここへ来たばかりの頃に、よくこうして寝ましたね」
「ああ、弟ができたみたいで、うれしかったんだ」
「弟ではなく、婚約者ですけどね」
「どちらも家族だ」
「そうですけど……」
「イヴァンは、私の家族だから」
自分のよりも大きな手に甘えるように、身を寄せる。
「おやすみ、イヴァン」
「…………おやすみなさい。リリィ」
今度の眠りは穏やかで、もっと幼いイヴァンと手を繋ぎ、城内を駆け回る夢を見た。
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