第4話

 単純なことに思い至った。

 リリアーデが死んでしまったことが原因であるのなら、死なないようにすればいいのだ。

 あの心優しいイヴァンが世界に憎しみを抱くほどということは恐らく、リリアーデは殺されるのだろう。

 事故ではなく、戦死でもない。

 悪意を持って殺されるのではないだろうか。

 大人のイヴァンは、魔族も人間も関係なく全てを壊していたようだから、リリアーデを殺すのは人間である可能性が高い。魔族と共謀したか、人間が魔族を利用したのかはわからない。

 推測の域を出ないが、死んだのはリリアーデだけではない可能性が高かった。バルリオスのみならず、グレンデスにも危険が迫っているのかもしれない。

 そうでなければ、イヴァンが全てを破壊するわけがないのだ。


 だけど、何故。誰が、何のために?


 もし先見の力が原因だとして、すでに力は発現しているのだから、リリアーデに更なる絶望は必要ない。辺境伯領やイヴァンの家族が人質に取られたのなら、リリアーデは迷わず己を差し出すだろう。

 そうならずに全てが奪われたのであれば、狙いは他にあるはずで――


「鼻血!」


 見慣れた少年の手が伸びてきて、リリアーデの鼻に真新しいハンカチが押し付けられた。

 見下ろした先、白いシャツに点々と赤い染みができている。


「もう寝てください」

「いや、待て。もう少し読み進めたい」


 それは手元の本のことではなく、先見の力で視える、未来のこと。


「朝から晩まで働き詰めで、夜は遅くまで勉強。勤勉なのはリリィの長所だとは思いますが、このままでは過労で死んでしまいます!」

「私は、過労では死なない」

「根拠のないことを言わないでください」


 薄っすら涙が浮かんでいる緑の瞳を見つめて、リリアーデは微笑んだ。


「根拠は、イヴァンだ」

「意味がわかりません」


 ぷりぷり怒る婚約者殿に読み途中の本を奪われてしまい、リリアーデは観念する振りをして、目を閉じる。

 目を閉じても先見の力は使える。必要なのは、視たい未来の主軸となる存在がそばにいること。イヴァンさえいれば、リリアーデは彼の未来を探り続けられる。


「私は絶対に死なない。死ねないよ。お前、泣くだろう?」


 からかうように、告げた。


「当たり前です。僕だけじゃなく、皆が泣きます」

「私が死ねばバルリオスは崩れるだろう。そうなれば、グレンデスも、王都も危ない」

「安全な場所でふんぞり返ってる王族なんて、滅びてしまえばいいんです」

「おい、不敬だぞ」


 数多の屍の上で泣いていた姿と現在の少年の姿が重なって、リリアーデは慌てて目を開く。

 美しい金の髪を持つ少年は、ハンカチから染み出たリリアーデの血で手を汚しながらも、溢れ出る鼻血を抑えてくれている。


「王都からの救援があれば、リリアーデのお父上は死ななかったはずなんです」

「そうかもしれんし、そんなことはないかもしれん」

「王都では魔王討伐に向けて動きだすとの宣言が出されたようですが、魔王とやらを倒せば本当に、魔族との戦いは終わるのでしょうか」


 リリアーデは答えず、イヴァンを見つめる。

 金色の瞳は目の前の少年の姿を映していたが、脳内では、別の景色を視ていた。


「リリィ……血の量が、多過ぎます」


 ハンカチは真っ赤に染まり、受け止めきれない血液が、ぼたりと垂れる。


「っ、誰か! 先生を呼んでッ! リリアーデが……!」

「大丈夫。もう少しで……」


 何かが、つかめそうだった。





 ブツリ――意識が途切れた。






   ※※※



 陽の光を受けて輝く金糸の髪。人間味を感じさせない美貌を持った青年の顔からは表情が抜け落ちていて、本来は宝石のように美しいはずの緑の瞳は、どんより暗く陰っている。


 彼は多くの人に囲まれていた。


 だが、誰の声も彼には届いていない。


 魔王討伐を成し遂げた勇者の、凱旋の光景。


 魔王がいなくなったことにより、魔族の力が弱まった。魔物も、格段に数が減っている。

 勇者と共に旅をした仲間たちが、気遣わしげな視線を金髪の青年へと送るが、誰も彼に声を掛けられない。


 王都へたどり着く前に、一行はバルリオスとグレンデスに立ち寄った。

 何もなく、誰もいない瓦礫の山だった。


「……なぜ、黙っていた」


 低い声が、仲間を問いただす。


 もし知っていれば、駆けつけられたのに。


「旅の中断は、国にとっても教会にとっても、許容できないことだったからよ」


 仲間だと思っていた者たちの顔を順に見て、彼は理解した。十年もの時を共にしたが、信頼して良い者たちではなかったのだと。


 彼が救いたかったのは、一人の少女だった。


 細い両肩に重過ぎる荷物を背負い、それでも明るく笑って前に進む、眩しい人。

 凛々しくて、決して器用な人ではなかったけれど、折れない真っ直ぐさが美しい、守るべき人だった。

 魔王を倒せれば彼女の負担を減らせると思った。

 自分が勇者の役目を成し遂げることが、バルリオスを救う道だと信じた。


 帰る場所を失った勇者は、王城へとたどり着く。


 そこで知ったのは――人間の醜悪さ。

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