第9話
これまで何度も、先見の力で世界の滅亡を視てきた。
まるでそれが既定路線かのように、魔王かイヴァンのどちらかに世界は滅ぼされてしまう。
リリアーデはイヴァンを大切な家族だと思っているから、イヴァンにそんな悲しいことはやらせたくなかったし、できることなら、共に生き残りたかった。
愛人についての話は、それを宣言したほうが魔王討伐の完遂が早まる未来を見たからで、半分は冗談だ。
「……私はお前が怖いよ」
その宣言がこんなにもイヴァンを焦らせているのなら申し訳ないとも思うのだが、結婚へと向かう速度に、若干の恐れを抱いてしまう。
「何故ですか?」
新婚旅行が終わるまでは休暇と定めたことにより暇を持て余しているのか、リリアーデのそばを離れようとしないイヴァンが首を傾げる。
魔王討伐の報奨は何がいいかと聞けば「リリアーデが欲しいです」と臆面もなく言うものだから、強制的に休暇を取らせたのだ。
「お前が戻れば早々に式を挙げるつもりで準備はしていたし、だからこそ婚礼衣装も仕上げてあるんだが……」
「結婚式、楽しみですね」
「お前の結婚への性急な姿勢が、少し怖い」
「結婚式を執り行える司教と、貴族の婚姻を承認できる王族が居てよかったです」
「早急に式を終えるため、家族も引き連れてプロポーズか?」
「父上たちは、ただの野次馬です」
「それとお前、殿下たちに何をしたんだ? 五年もの間命を預け合った仲にしては、怯えられ方が尋常じゃない」
イヴァンだけでなく、実はリリアーデも暇を持て余しているのだ。
急遽決まった領主の結婚式。皆が準備に追われることとなったために、政務は一時中断。衣装は既に決まっていて、花嫁の仕事は美しさを磨くことだという侍女たちの圧力に負け、体を磨かれる以外には何もやらせてもらえない状況になっている。
「不愉快な言動を取られたので、お教えしただけです」
「すごい教え方だったのだろうな。お前は怒ると怖いから」
聖女である第一王女は、リリアーデと同年代。誰もが見惚れる美貌を持ち、女としての己の魅力に自信がある人だ。
先見で視たことから推測すれば、何をしたのかは何となく、わかる気がした。
「俺は、リリアーデに対して本気で怒ったことはないと思いますが」
「ああ、うん。先見で視た。お前の激怒は怖かった」
何せ、世界が滅ぶ。
「……リリアーデがいなくなってしまった未来の話ですか?」
頷けば、向かい側に座っていたイヴァンが移動して、リリアーデの隣へと腰を下ろした。
「刺客には、きちんと対処をしたんですよね?」
そっと手に触れられたので、手のひらを上向けて握り返す。
「来ることも容姿もわかっていたからな。私一人では何も出来なかっただろうが、皆が助けてくれたよ。証拠を掴んで王都に行って、ばっちり王族の弱みを握った。バルリオスの家臣たちは、とても優秀だ」
「あの女も、その謀略を知っていたんです」
「よく白状したなぁ」
「ある時、誘惑してきたんですが、リリィの足元にも及ばない醜女が調子に乗るなと言ってやりました」
「おい。欲目が重症だぞ」
「激昂して愚かにも、バルリオスは今頃滅んでいるはずだなどと言い放っていましたね」
「……それは、愚かだな」
「王女の護衛騎士も来て大騒ぎになりまして。全員、半殺しにしました。女神の神殿巡りには聖女が必要だったので、殺して埋めることはやめておきました」
「バルリオスもグレンデスも無くなれば、お前の力を手に入れられるだろうという考えが、愚かだ」
それが成功した結果、世界が滅ぶのだから、本当に愚かだ。
「リリィがいない世界なんて、いりません」
凍った手で心臓を鷲掴まれたような心地がした。
イヴァンには、彼が世界を滅ぼす未来については話していない。知っているのはリリアーデだけだ。
「イヴァン……」
思わず手を伸ばし、抱き締めた。
体格差が出来たせいで、昔のように抱き締めるにはソファの座面で膝立ちすることとなったが、金髪の頭を抱き込み、頭頂部に頬を寄せる。
「頑張って、長生きするからな。安心しろ」
「……そうしてください」
大きな片手が腰に添えられたことで、途端に恥ずかしさが湧いてきた。
己の体勢を自覚して、何だか良くないことをしている気になってくる。
「と、突然、すまなかったな」
身を離してすぐ、すとんと腰を下ろした。
「リリィ?」
なんだかとても、耳が熱い。
「リリアーデ」
耳から注がれた声が心臓に到達して、暴れている。
「な、何でお前っ、いつも二種類の呼び方をするんだ?」
良くはわからないがいけない気配を感じて、どうでもいいことを口にした。
ちらりと見上げた先では何故か、イヴァンがうれしそうに微笑んでいる。
「あなたがそうしろと言ったんですよ」
「私が?」
記憶をたどってみるが、覚えがない。
「お母上が呼んでくださっていたリリィという愛称が気に入っていたからそう呼べと言った後で、両親が付けてくれたリリアーデという名も好きだから、できれば両方で呼ばれたいと言いました」
「なんだよそれ、わがままだな」
「とてもかわいい人だなと、俺は思いましたよ」
「そ、そうか……。イヴァンは律儀だな」
「あなたが喜ぶのなら、何でもします」
何故かイヴァンの顔を見上げる勇気がなくなって、腿の上で組んだ自分の手を意味もなく見つめる。
「リリィ」
先見で知っていたはずのイヴァンの声は、こんなに甘くはなかったはずだ。
「リリアーデ」
からかうような笑い声と共に呼ばれたことで、腹立たしさを覚えた。
「……幸せそうだな?」
「そうですね。やっとあなたが、俺を意識してくれそうだから」
「意識? どういう意味だ?」
右手を取られ、するりと指が絡み合う。
「くすぐったい」
子どもの時に繋いだ手とは明らかに違う。
父や騎士たちとも明らかに、触り方が異なっているのはわかった。
唐突に微かな恐怖を感じて、泣きたくなる。
――ガンッ!
突然、硬いもの同士がぶつかり合う音がした。
「え? イヴァン? どうした? 大丈夫か?」
疑問符がたくさん浮かぶリリアーデの隣では、何故かイヴァンがテーブルに頭をめり込ませている。
「理性が、危なくて」
テーブルはひび割れていて、イヴァンの額からは血が滲んでいた。
「怪我をしているじゃないか!」
「すみません。テーブルを割ってしまいました」
「テーブルは構わんが……。――誰か! ヘルゲを呼んでくれ!」
慌ただしく人が入って来たことで、ほっとする。
イヴァンといることで緊張したことなどなかったリリアーデには、己の体に力が入っていた意味が理解出来なかった。
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