第8話

「ドレスを着る必要が、どこにある」


 侍女たちに捕らえられ、化粧と髪を整えられながら、リリアーデは抗議の声を上げた。


「家に帰ってきただけなのに仰々しく出迎えられたら、イヴァンが驚くぞ」


 魔王討伐の『わかり易い先触れ』から、まだ五日。


「いえいえ、そんなことは決してありませんとも。わざわざグレンデスを経由されたうえに、侯爵様からのお手紙での前触れ。これは絶対に、おめかしして出迎えるべきです」


 騒ぎの発端は、前日に届いた一通の手紙だった。


「長い旅をしたんだ。実家へ真っ先に帰って家族に会いたいと思うのは、当然ではないか?」


 正確な位置がわからないとはいえ、数日やそこらでたどり着ける距離ではないはずの場所からイヴァンが戻ったという報せと、グレンデス侯爵がイヴァンを連れてバルリオスを訪問する旨が書かれた手紙。


「領主様は本当に、罪なお方ですわ」

「私は何の罪を犯したのだろうか?」

「それはイヴァン様にお会いになられれば、嫌というほどおわかりになりますでしょう」


 侍女たちが、明らかに浮かれている。

 彼女たちは見目のいいイヴァンを昔からかわいがってはいたが、この浮かれ方はどうやら、リリアーデのためのものらしい。


「……まあ、お前たちの気の済むようにすると良い」


 目覚めと同時に捕まって、執務室に行くことを許されず風呂へと押し込まれた後で衣装室へと連れて来られたリリアーデは、身を任せるより他に道はないことを悟った。


 履き慣れない女性らしい繊細な靴を履き、鏡の前に立たされる。


 鏡に映る己を見て、知らず頬が緩んだ。

 リリアーデも、こういった格好が嫌いなわけではない。子どもの頃は好んで着ていた。

 領主の仕事には動きやすい服装が適していたし、己の身なりに割く時間もなかっただけだ。


「こんな格好で出迎えたら、イヴァンは驚くのではないだろうか」


 どことなく気恥ずかしくて、視線が下を向いてしまう。


「とてもおきれいですよ、領主様」


 今から違う服に着替える時間はないし、客人を迎える前に目を通しておきたい書類もある。服装などどうでもいいかと、リリアーデは執務室へと向かった。


 身支度に時間を取られたせいで、政務に当たれた時間は極僅かだった。補佐官たちもそわそわと落ち着きがない様子で、あまり仕事は進まず、リリアーデはそっとため息を吐き出す。

 イヴァンが戻ったら、結婚の準備を進めねばならない。

 跡継ぎも、なるべく早く産んでおきたい。

 つらつらと先のことを考えながら、グレンデス侯爵家の紋章を掲げた馬車の到着を城の外で待つ。

 これまでもグレンデス侯爵とは密に連絡を取り合っていたが、直接会うのは久しぶりだ。イヴァンを連れて来るにしても、わざわざ侯爵が来る理由は何だろうかと考えを巡らせる。


 馬車が止まり、ドアが開けられた。


 イヴァンが成し遂げることは知っていたから、心配は、していなかった。


「リリィ。ただいま戻りました」


 陽の光を受けて、金色に輝く髪。

 優しく温かみのある緑の瞳。

 リリアーデよりも、背も体も大きくなった十九の青年。先見で視た絶望をまとっていた彼よりもまだ少し若く、表情が明るく健康そうだ。


「よく戻ったな、イヴァン」


 安堵と共に、喉の奥から迫り上がる感情の波。


「リリアーデ」


 名を呼ばれ、緑の瞳に見つめられて。


 決壊した。


 無意識に駆け出して、履き慣れない靴のせいでよろけてしまって、慌てた彼に抱き留められる。


「大丈夫ですか?」


 涙で濡れていない、低くなった声。


「慣れない服を着るものではないな」


 何度も願った。

 未来へ行き、彼が呼ぶ声に反応して抱き締めてやりたいと。


「服の趣味が変わったのかと思いましたが、俺のために?」


 うれしそうに、笑うから。


「イヴァンっ」


 人目もはばからず、声を上げて泣くのはいつぶりか。


「会いたかったです。リリィ」


 力強い腕の中、忘れかけていた香りを感じる。


「約束、守ったぞ。皆で頑張ったんだ」


 イヴァンの心配はしていなかった。

 だが、不安だった。何としてでも約束を守るつもりではあったが、不安だったのだ。


「私も、お前も、皆も、生きている。生きて、また会えたっ」


 体を離そうとする気配を感じて、抗わずに応じた。

 緑の瞳に至近距離で覗かれて、喜びが湧き上がる。


「これは婚約者との再会を喜ぶ涙ですか? それとも、弟の無事に安堵した涙でしょうか?」

「私はイヴァンと再び会えて、とてもうれしいんだ」

「……そうですか。今はそれで、良いことにします」


 軽々と横抱きにされたことで、我に返った。

 イヴァンしか見えていなかった。何たる失態だろうか。


「ま、待て、どこへ行く?」

「家に帰るんです」

「だめだ、待て。侯爵にご挨拶を」

「そのお顔で?」


 イヴァンが器用に胸元から取り出したハンカチで、そっと顔を拭われた。

 片腕で抱き上げられていることに、どぎまぎしてしまう。

 きれいに施された化粧は落ちてしまったに違いない。


「バルリオス辺境伯」


 呼ばれ、視線を向けた先。イヴァンと同じ色を持つ男性が立っていた。それと何故か、グレンデス侯爵一家が勢揃いしている。侯爵夫人、小侯爵と、その妻と子どもたち。勇者であるイヴァンが居れば道中に危険はないとはいえ、何故、総出なのか。


「このような醜態をさらしてしまい、申し訳ありません。皆様でお越しになるとは存じ上げませんでした。――おい、降ろせっ」


 小声で告げてバタバタ足を動かしたが、成長したイヴァンの体はびくともしない。そのことに頼もしさを覚えつつも、リリアーデはイヴァンの名を呼ぶことで降ろすようにと再度命じる。


「イヴァン」

「嫌です」

「何がだ?」

「離したくありません」

「お前っ、そんなにわがままだったか?」


 よく考えれば、十年掛かるはずだったものを半分の時間で成し遂げたのだ。多少のわがままは許してやるべきなのかもしれない。


 もう一度抱き締めて、背中を叩いて褒め称える。


「おかえり、イヴァン。本当に、よくやった」


 だが、許せることには限度があるのだ。


「共にお役目を果たされた方々もいらっしゃっているということは、お前、王都への報告はどうした」


 ぴくりと反応したということは、やましいことがあるということだ。

 聖女として勇者を見つけ出し、旅にも同行した第一王女。侍女と聖騎士が数人ずつと、聖職者が一人。第一王女の護衛として同行したのだろう王宮騎士に、魔術師もいる。


「イヴァン。降ろせ」


 再び命じれば今度は素直に応じて、リリアーデは自分の足で地面に立った。


「任務の完遂とは、報告まで終えてからだ。バルリオス騎士団をまとめる者となるお前が、それを怠ってどうする。示しがつかんだろう」


 あまりにも戻りが早過ぎたため、何かそういった力を手に入れたのだろうとは推測していたが、まさか依頼者である国王への報告を後回しにしているとは考えていなかった。


「報告は、今しています」

「何?」


 美しい所作で膝を折ったイヴァンが、リリアーデに対して頭を垂れる。


「我が主君、バルリオス辺境伯であるリリアーデ様に申し上げます」


 静かなのによく響く声で、びりりと空気が揺れた。


「私、イヴァン・グレンデス。魔王討伐を成し遂げ、ただいま帰還いたしました。バルリオスの脅威とならぬよう、魔王城周辺の魔物と魔族の駆除も済んでおります」

「ああ。ご苦労だった」

「恐れながら、申し上げます」

「なんだ?」

「此度の任務、私はリリアーデ様より命じられたものと認識しております。あなたが行けと言うので、行きました」


 確かにリリアーデは、聖女一行がバルリオスを訪ねて来た時に、旅立ちを渋るイヴァンに行けと命じた。


「お前の帰る場所は必ず守るから信じて行けと、おっしゃられましたよね?」

「確かに、言ったな」

「魔王討伐依頼はバルリオス辺境伯家へ出されたものであり、適任者として選ばれた私が辺境伯様の命により、勇者として旅立ちました」

「お前なぁ……」

「ですから、報告の場にはリリィにも来てもらわないと」


 にっこりと魅惑的な笑みを浮かべたイヴァンを、リリアーデはじとりと睨む。


「それとできれば、正式に結婚してから行きたいです。新婚旅行で王都へ行きましょう」

「そんな悠長なことをしている余裕はないだろう」

「ありますよ。国と教会は、俺が長距離を瞬時に移動できる手段を手に入れたことを知りません」

「その『国と教会』に属する人々が、そこにいるぞ」

「大丈夫です。――そうだよな?」

「! ひぃっ」


 振り向いたイヴァンと目が合った聖女が悲鳴を上げて、聖騎士の背後に身を隠した。

 その光景を目にしたリリアーデは、首を傾げる。

 世界の滅亡を防ぐための先見はしたが、聖女一行とイヴァンの関係の詳細は見ていない。リリアーデが手に入れたかった未来には影響のない事柄だったし、人間関係の構築は、イヴァンが自分ですべきだと考えたからだ。


「だが、あの光と揺れの正体を知らないままでは、王都の人々も不安だろう」

「問題ありません」


 初めて、イヴァンの笑顔を少しだけ怖いと思った。


「お前、まだ恨んでいるのか」

「何のことでしょう」


 とぼけるイヴァンを一瞥してから、嘆息を漏らす。


「まあ、いいだろう。ご苦労だった、イヴァン。疲れているだろうから、ゆっくり休んでくれ。国と教会への対処は追って考える」

「あ、待ってください。リリィ」


 リリアーデは立つように命じたが、膝を付いた姿勢を保ったままで、イヴァンが片手を差し出した。

 特に疑問を抱くことなく、リリアーデはその手に己の手を重ねる。


「俺と、結婚してくれますか?」


 薬指に、指輪がはめられた。


「プロポーズを、ちゃんとしたくて。だからグレンデスに寄って、汚れを落として、正装で来ました」


 はにかんで笑ったイヴァンを見下ろして、リリアーデは破顔する。


「お前を欲しているのはバルリオスなんだから、プロポーズするのは私のほうではないか?」

「いいえ。リリアーデを欲しているのは、俺ですから」


 まっすぐに見つめられて、返答に詰まった。


 何故だが心臓がうるさくて、頬が熱を帯びる。


「……僕とはもう、言わないんだな」


 照れ隠しにどうでもいいことを口にするぐらいには、動揺していた。


「あなたが望むなら、戻します」

「いや、いいよ。……うん。旅立ちの時にも言ったと思うが、私の夫は、お前だけだ」

「リリィが二十二歳になるまでに戻らなければ愛人を作ると脅された時ですね。間に合わせました」

「お前、すごいな!」

「……間に合いましたよね?」

「大丈夫。間に合ったよ」

「それはよかったです」


 心底安堵したというふうに息を吐くから、つい、リリアーデは笑ってしまった。やはり彼は、愛人を許容できないようだ。


「間に合ったからな、愛人は作らないと約束する」

「絶対ですよ? 約束ですからね!」

「わかったよ。その代わり、頑張ってくれ」

「任せてください!」


 そこからは慌ただしく聖女一行の滞在先に関する指示を出し、後回しにしてしまったグレンデス侯爵一家と聖女一行への挨拶などと、対応に追われることとなった。

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