第7話

 未来が視えるのだと、彼女は言った。


「こういった文献が存在していて」


 黒髪に金の瞳を持つ少女は、執務机の上に置かれた一冊の古書を視線で示してから言葉を続ける。


「私の出自や症状、成してしまったことなどから、ヘルゲのようにこの事実にたどり着く者はいるだろう。それなら私個人の秘密として後生大事に抱えるよりも、バルリオス辺境伯家の秘密として皆に守ってもらうほうが良いだろうと思うんだ。私の子やバルリオスの子孫たちを、共に守ってもらえないだろうか」


 頼むと頭を下げられて、否やを唱える者は一人もいなかった。

 異民族の血が流れていようとも、目の前の少女は彼らの主だった。彼女はそれだけの価値を示したし、善良で頼るべき領主であることは明白だったからだ。

 ただ一つイヴァンが不満だったのは、彼女には己以外にも頼れる人が多くいるという事実。

 リリアーデが背負った重責を考えれば喜ばしいことではあるが、わがままを許されるなら、イヴァンはリリアーデという一人の少女にとって替えの利かない存在になりたいと望んでいる。


 初めて顔を合わせたのは物心が付く前だったらしいが、イヴァンがリリアーデを認識したのは、婚約者となってからだった。

 二人の婚約は、大人たちの事情が多分に含まれたものというのは理解していたし、幼いイヴァンは色恋などとは無縁で、リリアーデ本人への興味関心よりも彼女の父親である当時のバルリオス辺境伯に対する憧れのほうが強かった。

 憧れの人の息子になれるうえに直々に稽古を付けてもらえることは、この上なく光栄なこと。

 両親がそのように振る舞っていたわけではないが、兄のスペアでしかないと考えていたイヴァンにとって、良い縁談だったと今でも思う。


 リリアーデが辺境伯としての重荷を背負うこととなった日のことは、今でもはっきり覚えている。


 度重なる魔族との戦闘。

 どんな時でも勝利を手にして戻ってきていたバルリオスの騎士団。

 あの日も変わらずそうなるだろうと、誰もが信じて疑わなかった。

 騎士たちが戻ってきて、いつもするようにリリアーデは、父親を出迎えるために誰よりも早く駆け出ていった。彼女はドレスを着ていても速く走れたから、侍女たちがリリアーデに追い付けないことはよくあること。

 イヴァンは遅れず、彼女の後を追った。


「……お父様…………?」


 小さな声だった。

 一番近くに居た侍女が慌てて駆け寄り、少女の体を掻き抱いて目を塞ぐ。

 イヴァンも、誰かの手により目を塞がれた。


「大変……ねぇ、お父様のお顔が欠けてしまっているわ……探して、お医者様に縫い付けていただかなければ……大変よ、ねぇ、だれか――!」


 弱々しい少女の声が、誰の耳にも届くほどの静寂。


「お嬢様……!」


 痛いほどに静まり返っていた周囲が慌ただしくなって、イヴァンは大人の手を振り払った。

 リリアーデは気絶したらしく、城内へと運ばれていく。

 ずれてしまっていた布を騎士たちが慌てて直すのを、呆然と眺めた。


 それからのバルリオスは暗く沈んで、絶望が満ちていた。


 だが、誰も予想していなかったことにリリアーデの立ち直りは早かった。目覚めた彼女はすぐに辺境伯の継承を宣言し、手続きも滞りなく進んだ。

 リリアーデは父親の面影を追って、父親の立ち振る舞いを真似はじめた。

 イヴァンはその間、剣の修練に集中することしかできなかった。


 最初に惹かれたのは、彼女の強さだった。


 次に気付いたのは危うさ。


 いつの間にか、平等で気高い彼女の視線に焦がれるようになっていた。


 先見の力について打ち明けられた時、イヴァンは衝撃を受けたのだ。

 能力の発現に、絶望に近い精神的な不可が必要だということは、リリアーデは間違いなく父親の死に打ちのめされ、心が壊れかけていたということだ。そこまでにならなければ、先見などという神の領域に足を踏み入れるような力は手に入らなかったのではないか。

 立ち直りが早かったのではない。

 心が壊れかけたまま成すべきことを成した彼女は、強かったわけでもない。

 父親の面影、母親との繋がり。

 それを必死で手繰り寄せつなぎ止める行為が、先見の能力を活用した領土の統治だったのだ。

 だから彼女は無理をした。周囲が心配していることを知りながらも、無茶を続けた。


 これまで気付けなかったことにようやく気付いて、イヴァンは、泣きたくなった。


 リリアーデを慈しみたいと、心から思った。


「やっと帰れる……」


 バルリオスとリリアーデに危険があるのなら、共にいることで守りたいと望んだイヴァンに、彼女は言った。イヴァンにしか出来ないことを成せと。バルリオスとグレンデスのことは任せておけと、イヴァンの主君は、言ったのだ。


 だからイヴァンは今、仲間と呼べない者たちとの旅の終着点である、この地に立っている。

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