エピローグ

 夜が更けても、宴は続いていた。

 魔族や魔物に怯える日々の終わりを誰もが喜び、明るく笑う。

 王都中の灯りが、星のようにきらめく夜だった。


「風が気持ちいいな」


 夜風で黒髪を揺らしながら、リリアーデは深く息を吸う。外の新鮮な空気を肺いっぱいに取り入れて、力を抜いた。


「大丈夫ですか?」


 火照りを冷ますように、イヴァンが手の甲でリリアーデの頬を撫でる。


「室内の熱気で、少しぽーっとしただけだ。あと、おいしいものを食べ過ぎた」

「疲れたのではないですか?」

「少しな。だけど、大丈夫だよ」


 ここは、クリスティーナが教えてくれた秘密の場所。

 王宮の中で、王都が一望できる数少ない場所らしい。貴族たちは広間でダンスやおしゃべりに興じているため、外にいるのは警護の騎士たちだけで、この場所にはイヴァンとリリアーデしかいない。


「……あなたを無理矢理王都へ連れてきたこと、怒っていませんか?」

「無理矢理? 私は自分の足でここへ来たぞ」


 馬車には乗ったし、イヴァンの持つ女神の祝福の力で一瞬の移動ではあったが、誰かに強制されて来たわけではない。


「任務の完遂について屁理屈を捏ねて、巻き込みました」

「ああ。……私に、来てほしかったんだろう?」


 イヴァンの手が頬から移動して、リリアーデの耳を撫でる。


「俺のわがままです」

「いいよ、別に。たくさんわがままを言えばいい」

「リリアーデが、欲しくて」

「うん。あげた」

「リリィを手に入れる前にここへ来たら、帰れなくなる気がして、怖かったんです」

「そんなことにはならないよう事前に手を打っておいたが、お前に伝える方法がなかったものな」


 王族の弱みを握る目的で王都へ来たとき、イヴァンがきちんと帰って来られるよう、国王と王太子には釘を刺しておいたのだ。勇者は自分の婚約者で大切な人だから、大切な人を奪うようなことがあれば、容赦はしないと。

 それでもイヴァンの意思に反して拘束されるようなことがあれば、すぐに助け出せるように、バルリオスの人間を王都に忍ばせてもいた。


「もし、お前が帰りたいのに帰って来られない状況になったら、私がちゃんと迎えに行くからさ」


 持ち上げた両手をイヴァンの腕に添えて、耳元にある手に頬を寄せる。

 見上げた緑の瞳には王都の灯りが映っていて、とてもきれいだなと思った。


「俺はずっと、リリアーデに好かれている自信がなくて」

「恋とやらの話なら、今もわからん」

「俺は、あなたに恋をしてました」

「そうか。それなら、愛人なんて話を持ち出したのは、とても悪いことをしたんだな」

「俺以外がリリィに触れるなんて、許容できませんでした。きっと俺を焚き付けるためなのだろうとは思ったのですが、あなたのことだから、本当にやりそうで……」

「いやぁ、今思えば、無理だったよ」


 疑いの眼差しを向けられて、リリアーデは噴き出して笑う。

 イヴァンの手を捕まえて、指を絡めて繋いだ。


「お前こそ、よりどりみどりだったらしいじゃないか」

「魔王討伐後まっすぐ王都に来ていたら、また別の女性を押し付けられたでしょうね」

「うん。正解だ」

「もしかして、視たんですか?」

「まあ……たくさん、探したから」


 イヴァンが泣かない道筋を、必死に探ったのだ。


「リリアーデに、異性として好かれている自信がなかったんですが」

「さっきも言っていたな」

「気付いたんです」


 何をかと視線で問えば、イヴァンは、春の訪れのような満開の笑顔になって、告げた。


「俺はあなたに愛されてる。それも、とても大きな愛です」


 イヴァンの笑顔がうれしくて。

 それを己の眼で見られることが感慨深くて。

 鼻の奥が、ツンと熱くなる。


「リリィの行動が、俺への愛で溢れていると気付きました」


 きらきら輝く緑の瞳に、リリアーデの姿が映り込む。


「リリアーデの瞳は、俺を愛してるって、言っています」


 笑みを形作った唇が、目尻に触れた。


「俺も、リリィを愛しています」


 イヴァンが笑うと、リリアーデは幸せになれる。

 気付けば涙がこぼれて、頬を伝い落ちる。

 幸せが、こんなにも泣きたくなるものだとは思いもしなかった。


「リリアーデ」


 溢れる涙を手の甲で乱暴に拭おうとした動きを、そっと手首を握られ、封じられた。


「リリィ」


 涙だけでなく鼻水まで垂れそうで、鼻をすする。


「……何だよ」

「答え合わせは?」


 自信満々のイヴァンは、かわいいなと思った。

 魔王討伐を成し遂げた後のイヴァンからは年下らしさが失われていて、近頃は押され気味で、何だか悔しくもあったけれど。同時に頼もしくもあって、悪くないなとも感じていて――じわりと胸に熱が灯る感覚が、こそばゆい。


「お前が欲している言葉を与えてはやれんのかもしれないが……私は」


 一瞬、視線が下へと逃げてしまう。

 恋する感覚が、わからない。だってイヴァンは、気付いたら、リリアーデの隣にいたのだ。


「私には、背負わねばならぬものがある。立場もある。だから、お前なしでは生きていけないとか、そういったことは、言えない」


 イヴァンの表情に落胆を見つけたくなくて。突き放されるのも恐ろしくて。リリアーデは勢い良く、イヴァンの首へと縋り付く。


「イヴァンがいないと、私は、さみしい。お前が泣くのは嫌なんだ」


 想像するだけでも恐ろしいのに、その未来は確かに、存在していた。


「大丈夫ですよ」


 優しい声が、リリアーデの心を撫でる。

 唐突な浮遊感。慌ててバランスを取って、下に移動したイヴァンの顔を見た。

 彼は、穏やかに微笑んでいる。


「リリアーデが俺のものでいてくれるなら、俺は、泣きません」


 軽々と抱き上げられた、腕の中。イヴァンの右手が、顔にかかった黒髪をそっと払う。


 衝動に任せて、リリアーデはイヴァンの唇に、触れるだけのキスをした。


「こういうの、お前とじゃなきゃ、無理だから」


 顔が熱い。

 最近やっと慣れてきたが、自分からしたのは初めてだ。


「ああ、リリィ……」


 うっとり呟く声がして、噛み付かれるように、唇が合わさった。

 リリアーデはいつも、イヴァンに食べられてしまうのではないかと感じている。

 呼吸を奪われ、深く繋がって。

 だけどそれは、全く嫌ではなくて。むしろもっと欲しいと思いながらリリアーデは、会わない内に太くなったイヴァンの首筋に、両腕を絡めた。

 息が苦しくなって離れると、見下ろした先、イヴァンの表情が、とろりと甘い。


「この表情も、俺を愛してるって、言ってる」


 リリアーデ本人ですら理解できていない感情。無自覚なそれを見透かしたような言葉を紡ぐイヴァンに、何かをあげたくて。嘘ではない本当を渡したくて。


「世界の法則を壊したのは、イヴァンのためだ」


 恋も愛も、まだよくわからないけれど。


「それは誰も手に入れられない、俺だけの、至高の愛の言葉ですよ。リリアーデ」


 天から降り注ぐ月明かり、満天の星空。人の営みが作り出す光の海。


 幻想的な光景の中、じゃれ合うような口付けを交わしながら、リリアーデは思うのだ。


 イヴァンの笑顔が、大好きだと――。

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