「愛してる」にたどり着くための小話

小話1 女神と勇者

 聖女は鍵で、勇者は剣。

 魔王を倒すには、剣を鋭く研ぐ必要があって、各地の神殿を巡る旅がその手段らしいと聞かされた。

 そのまままっすぐに魔王のもとに行って勝利を手に出来ると思うほど自惚れてはいなかったため、イヴァンは素直に旅をした。

 ただ、順路は効率を重視して変更を加えさせた。


「巡る順番を変えても、結果への影響はないようだ。ただ、女神から示される道順は身体的負担の少ない順路なのだと思う」


 神殿の位置が記された地図は、教会が所持している。


「なるべく早く帰ってきてくれたらうれしいが、無理をする必要はないぞ」


 鼻血が染みたハンカチを顔の中央に押し当てながら、イヴァンの主君で婚約者でもある少女は言っていた。


「省略はだめだ。神殿を全て回らなければ、魔王には勝てない」


 リリアーデが血を流しながら示した未来。

 イヴァンに与えられた役目は、魔王の討伐。

 すぐそばでリリアーデを守ることは許されず、他の人間に託して、愛しい人のもとを離れた。


 神殿の扉は、聖女以外には開けなかった。

 だから、煩わしくとも置いていくことはできない。


 猫なで声で、まとわりつく女ども。


 イヴァンと同性の騎士や司教は、女たちを諌めることなく、静観している。


 王都の人間は信用できなかった。

 これから起こる暗殺に教会は関与していないとリリアーデは言っていたが、教会も、バルリオスを見捨てたことに変わりない。

 教会所属の司祭たちがバルリオスから撤退してから、何年経っただろう。

 民にとって、教会に見捨てられるということは神に見捨てられたも同じ。

 国にも神にも見捨てられたバルリオスの人々が頼れるのは領主のみ。黒髪に神秘的な金の瞳を持った少女、ただ一人なのだ。


 一つ目の神殿にたどり着く。


 試しに己で扉を開けてみようとしたが、神殿の扉はびくともしなかった。

 聖女が触れれば、眩い光と共に扉が開く。

 開いた扉を見て、イヴァンの気持ちは暗く沈む。リリアーデから聞いてはいたが、これで本当に、魔王を討伐するまで同行者たちを撒いてしまうことはできないと悟ったからだ。


 神殿に入り、聖女と共に祈りを捧げるポーズを取れば、女神は現れた。そうして、祝福が授けられる。

 女神の祝福は、魔術師が扱う魔術とも、聖騎士が操る光魔法とも異なる力。勇者だけに与えられる特殊な能力は、イヴァンの戦闘力を格上げした。


『順路を無視したのは、あなたが初めてだわ』


 毎回、何も言わずに祝福を授けていた女神が初めて話し掛けてきたのは、二つ目の神殿だった。


「……初めて? どういう意味ですか?」


 声に出して問うて、気が付いた。

 隣にいた聖女が怪訝な表情になっているということは、女神の声はイヴァンにしか聞こえていないようだ。

 だが女神はいつものように、祝福を授け次の道を示すと、すぐに消えてしまう。


 だからイヴァンは神殿を巡るたびに、心の中で質問をすることにした。

 心の中の声でも女神に届いていると確信したのは、ひどい悪態をついてみた時に、ぴくりと女神の頬が動いたからだ。


 全く質問には答えてもらえなかったが一つだけ、女神が答えたものがあった。


『女神の祝福と、リリアーデの能力に関係はあるのでしょうか』

『…………あれは、死に絡め取られるのが役目』


 それ以降、女神がイヴァンの声に応えることはなかった。


 死という言葉が不安を掻き立て、イヴァンは更に旅を急いだ。

 同行者たちは不満の声を上げ続けたが、全てを黙殺して前へ前へと進む。


 気付けば、あれだけ煩わしかった女たちも、イヴァンを遠巻きにするようになっていた。


 イヴァンの胸にいるのは、ただ一人。


 再会を目指して前進を続ける。


 今の己を見たらリリアーデは何と言うだろう。


 未来が視えるという彼女は、こんな姿も見たのだろうか……。


 彼女の笑顔を目指して、ひたすら、進んだ。



「――イヴァン。お前、その顔で会うつもりか?」



 逸る気持ちをおさえ、実家へと立ち寄り、兄から言われた言葉。


「……何か、まずいかな?」


 ぼろぼろになった服は脱いで、風呂にも入った。身なりは入念に整えたはずだと考えつつ、イヴァンは己の顔を手のひらでこする。


「目つきが、かなり殺伐としている」

「目つき……」


 鏡を覗いてみるも、見慣れた顔がそこにあるだけだ。


「そうねぇ……うちのイヴァンは、もっとほわほわとしていて、かわいい子だったわ」

「あら、お義母様。イヴァン様は十九になられたのでしょう? それなら、ほわほわとはしていなくて良いのではないでしょうか」

「でも、リリアーデちゃんと最後にお会いしたのは五年も前だと言うじゃない。大丈夫かしら?」


 母と兄嫁の会話に耳を傾けつつ、気休めに目元を揉んでみる。


「見た目など、どうでも良いだろう。それよりも、お前の連れはどうするつもりだ」

「王女と司教は連れて行きます」

「他は?」

「先に王都へ戻るようにと提案はしました。ついて来ることを決めたのは、彼らです」

「……お前をバルリオスにやるのは、グレンデスにとっても利があることだとは、話したな?」

「はい」

「お前は私の息子だ。リリアーデのことも、私は娘のように想っている。……あの子を悲しませるようなことはするなよ」

「わかっています」

「それなら良い。では、行くぞ」

「いえ、あの……俺一人で……」

「バルリオスには既に、私も行くと伝えてある」

「わたくしたちも参ります」

「母上まで?」

「いやぁ、弟の一世一代のプロポーズ! 楽しみだなぁ」

「兄上もですか?」

「ごめんなさい、イヴァン様。皆です」

「義姉上……」


 楽しそうな家族の様子に、張り詰めていたイヴァンの心は緩んだ。 

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