筋肉モリモリのマッチョマン
夜の祭り会場は、無数の色と輝きに包まれていた。屋台からは誘惑的な香りが漂い、人々の笑い声や歓声が空に響き渡る。街明かりが柔らかな光を差し込み、夜空には星が輝いている。
道ゆく筋肉逞しい人々は色とりどりの浴衣や甚平を身にまとい、仲間と共に楽しい時間を過ごしている。陽の風が心地よく吹き抜け、祭りの喧騒が王都の忙しない空気を忘れさせた。
そうしてしばらく夜風にあたりながら歩くと、シノカが「プエち!」と手を振った。プエルがジーニアスと別れてからしばらく時間が経過していたが、今も酒気を帯びており、目もとろんとしている。着ている浴衣もだらしなくはだけていて、乳房を巻いた晒し布が見えていた。
「シノカさん、待ってたんですか?」
「うん、もうちょいプエちとお話ししたくてさぁ」と満面の笑顔で言いながら、シノカはおもむろに後ろ歩きを始めた。「お楽しみはこれからだかんね〜?」
プエルはシノカに手を引かれ、さまざまな出店を見て回った。初代シノビマスル頭領を模した型抜きに挑戦したり、シュリケンバーベルの的当てをしてみたり、腹筋を表した綿菓子を一緒に食べたりもした。それから祭り会場を出て、シノカに連れられて屋台のない高台にやってきた。そこから見える景色は、星空のように燦然と輝く里を一望できる夜景だった。田舎出身のプエルには経験のないことばかりで、きっと大人になっても心に残り続けるだろうと思えた。
「――シノカさんは、頭領になる気はないんですか?」
ほうと夜景を見下ろしていたシノカの横顔を見ながら、プエルはぼんやりとそう言った。
「あー、そっか、いちお鍛えさせるために来たんだっけ? おっさんからなんか聞いたん?」
「えっと、シノカさんを頭領にしたいってことくらいなら……」
「うわ、えこひいきじゃん。んでも頭領になる気はないかなぁー」
「どうしてですか?」
「んー? 筋肉モリモリのマッチョマンになりたくないから?」
んべ、と舌を出して肩をすくめる。
「なんだか、シノカさんを見てるとそれだけじゃないような気がするんです」
彼女は芯の強い人間だ。男中心の社会であっても女であることを全面に押し出し、女であることを最大限に楽しんでいる。それでいて決して媚びたりせず〝女〟を安売りしない。誰に対しても対等で、誰にも縛られず、ありのままの自分で今を生きている。それは、確固たる自分というものを持っているからこそ
「鋭いじゃん」バツが悪そうに頭をかくと、シノカは諦めたように嘆息した。
「あでも、笑うかもしんないし」
「笑わないですよ」と、低めのトーンで返事をすると、シノカは息を詰まらせた。それからわずかな沈黙のあと、「……プリンセスになりたいんよね」と、ぽつりと言った。
「お姫様、ってことですか」
驚きよりも、納得の二文字が浮かんだ。彼女が初めてプエルの容姿を評したのもその言葉だったからだ。それが自分の憧れから来るものだったのならば、プエルに対する距離の詰め方も、その羨望に自己を投影させたことによるものだったのだろう。
「うん、お姫様。守られてーって思ってんの。女の子は守られてナンボっしょ?」
「そういう考え方もありますよね。基本的には男の人の方が強いですし……」
なのに僕はどうしてこんなに弱いんだ、と自己嫌悪に陥る。幼馴染であるサヤには守られてばかりで、マホにも守ってもらっている。近所の男の子にいじめられたときも、小さいときからずっと姉が庇ってくれていた。そんなプエルの考えを読んだのか、シノカがその頭を撫でた。
「プエちはいいんだよー? 可愛いは正義ってゆーし?」
「でも、僕だって男なんですよ」
「あー、まぁね? いや、あれ? 待って? 好きでその格好してるんじゃないん?」
フリルやリボンを散りばめたような、いかにも女の子といったプエルの服装を指さす。
「えーと、うちの村の伝統で、優秀な魔法使いは女の子の格好するんです。どうしてなのか簡単に説明すると……優秀な魔法使いの男性が二人いて、一人がもう一人を出し抜いて自分の功績にしてしまったそうなんですよね。本当なら陥れられた方の功績だったものを……。それで、その恨みが今も残ってて、男性の魔法使いには呪いがかかってしまうって聞いてます」
「んー……話はそれっぽい気がするけど、女の子の格好したくらいで呪いをすり抜けられるもんか~? ちょっと疑わしいなそれ。誰が言ってたん?」
「姉ですけど……」
「そかそか。んじゃ一回お姉ちゃん問い詰めな? プエちが男らしくなりたいっていうなら、自分らしくいられる道は自分で切り拓かねーとだぜ?」
「そうですよね……」
シノカの真っ直ぐ自分を貫ける意思の強さと比べてしまい、プエルはこれまで流されて生きてきたような自分が情けなくなって、再び俯いた。
自分を育ててくれた恩人だからと、姉の言葉に従い続けたのが悪いことだと決定付けられるわけではないが、それによる意思の弱さというのはあらゆる場面で発揮されてきた。
何かを決意しても最終的に逃げることを選んだり、どうにかして誰かの手柄を自分の手柄に出来ないかと画策してみたり。意思の弱さは、そういったずる賢さの方面に流れていってしまう。
姉と向き合うのも重要なことなのだと、これまで見ないふりをしていた自分の服装について考える機会を得た。とはいえ、今さら男物を着る自分を想像できなくなっているのも事実だった。
「あー、ごめん。なんか偉そうなこと言ったけどさ、あーしも自分の道を切り拓けてるとは言えなかったわ。自分にも言い聞かせててウケる」
はは、と乾いた笑みを浮かべながら、シノカは白黒のその頭を掻いた。お姫様になりたいという願いは、今も叶えられていない。その一方で、頭領になるという期待を寄せられる日々を尻目に、彼女は自分らしくいられる道を模索し続けている。
「お姫様になりたいのと、頭領になるのとは両立できないんですか?」
「いやウケる。さすがに無理あんだけど!」
「でも、どっちも偉い人なのは一緒じゃないですか。それに、シノカさんはすごく強いんだって聞きましたよ。里で一番強いんだったら……」
「おっさんの言うこと真に受けんなし! ちょい見てみ、どう見てもか弱い乙女っしょ?」
浴衣の袖を捲り、腕を折り曲げて上腕二頭筋に力を入れてみせるが、シノカの腕は確かに里の者たちと比べると一回りも二回りも細い。ただ、そうなると午後にプエルを軽々と持ち上げた膂力はどこから来たのかと疑問点が浮かび上がる。小首を傾げたプエルの様子からそれを汲んだシノカは、観念したふうにため息をついて、足元の小石を拾い上げた。
「あんま見せたくないんだけど、トクベツね」
シノカは手に持った小石を小指から順に握り締めていき、最後に親指で抱きすくめるようにして力をグッと込めてみせると、小石がさらさらと指の間から砂となってこぼれ落ちた。
「す、凄い……っ!」
「なんか、普通の人より何倍? 何十倍? 効率的に筋肉がついてるらしくて、見た目がゴツくならないのだけは気に入ってんだけど、お姫様がこんなゴリラじゃな〜ってコンプある」
「ゴリラだとは思いませんけど、でもそれじゃあ余計に頭領向きじゃないですか?」
「んー……昔話しよっかな」
シノカは高台に設置してある転落防止の柵で頬杖を突き、どこか遠い目をした。
「あーし、里の生まれじゃなくてさ。この里には六歳くらいのときに来たんよね。そん時はまだおっさんに引き取られる前だったからあんま慣れてなくて、一人でいろんなところ行って大人を困らせたりしてたな。それでさ、一時保護されてた時の施設で親友ができたんよね。その子が王子様になるとか言ってて、だから『あーし、ぷりんせしゅになる!』とか言っちゃってさ、ウケるよね。でもそしたらその子、あーしがお姫様になったら迎えに行くって言ってくれたんよね。でも、あーしがおっさんとこに引き取られたあと、施設に見に行ったらその子はいなくなっちゃってて。里のどこにもいないし、そもそも誰もあの子のこと知らないみたいで変な感じなんだけど……ともかく、あーしがこんなカンジなのは、その子と約束したからってわけ」
「その人は見つかってない……んですよね?」
「そーやねぇ。まぁ、あーしが六歳くらいの頃のことだからね、もう十五年経ってる。でも、見つかんなくていいのかも」
鼻の頭をかきながら、シノカは苦笑した。
「どうしてですか?」
「だって、お姫様になんてなれてないし、合わせる顔ないんだもん。でもさ、それでもいつか戻ってきたらって思うと……女を捨てるなんて無理なんよね。だから頭領の話もお姫様も何もかも中途半端なんだぁ」
「だから、シノカさんは全力で〝女性〟であろうとしてるんですね。それは並大抵の意思では出来ません。自分を貫くシノカさんのこと、僕はすごくかっこいいと思います。お姫様に憧れてて可愛らしいシノカさんも、かっこいいシノカさんも、どちらも素敵ですし、何を選んだとしてもシノカさんの価値は下がりません。それに、強いのがイヤなら僕がシノカさんより強くなりますよ!」
自嘲気味にぼやいたシノカを励まそうと出た言葉だったが、本心からの言葉でもあった。肉体的に強くなれそうにないのはプエル自身にも分かりきっていたが、それでもシノカを放っておくことはできない。それに、歴史に名を刻む魔法使いになれば、きっとシノカとも並べるだろう。シノカは「プエち……」とつぶやくと、どこか驚いた表情のまま固まった。
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