ジーニアスさんバグっちゃった




「もう無理、帰りたい」


 シノビマスルの里へ到着するやいなや、ぐったりとした様子のジーニアスが泣き言を洩らした。

 

「なんでジーニアスさんの方が参ってるんですか……? 思ってたよりずっと快適でしたよ?」

 

 走り始めこそ想像だにしないほどのスピードでの移動に恐れをなしたが、王都から出て広い道に出れば危険を感じることもなく、出会う魔物を全て置き去りに出来て、文句なしの快適さだった。一週間以上かかるはずの道程をわずか半日で駆け抜けたにもかかわらず、魔法のおかげで馬もほとんど疲れを感じていないのか得意げに振り返ってブルルンと鼻を鳴らす次第だ。


「すごいなおまえ、俺は吐き気が……うぷっ」

 

 なんでこの人、自信満々に自分で馬を操っておいて乗り物酔いを起こしてるんだろう。と呆れたプエルは青い顔のジーニアスを置いて、シノビマスルの里の入り口に立った。

 

『シノビマスルの里へようこそ』と大きな文字看板で飾り付けられた門がそこはかとない古めかしさを感じる。外から見える建物の作りからして特徴があり、木造の美しい格子窓や曲線を描く屋根、そして風情を感じられる庭園もあった。それらには単に古いだけではない情緒があり、まるで時の流れが静止したかのような錯覚に陥った。木造の建物ばかりなせいか、どこからともなく木の香りが漂っていて、四季折々の自然と一体になれる感覚を味わえた。

 

 そんな中、目の前で今にも吐こうとしているジーニアスを見かねたのか、門の前に立っていた見張り役であろう屈強な男二人のうち一人が近寄ってきた。

 

「合言葉は?」とだけ言い、男は真顔のまま返事をじっと待った。

 男はどちらも甲冑越しからわかるほどの筋骨隆々な肉体をしており、さらに背の高いジーニアスより頭ひとつ分ほども大柄なのもあって、ただ見られているというだけで強烈な圧迫感がある。

 

「ジーニアスさん、合言葉ってなんですか?」


「え? 知らん、なんだそれ。何も書いてなかったような……」

 

 慌てて二人でパンフレットを取り出して読み始めると、男は視線を真っ直ぐに叫んだ。

 

「合言葉はァッ‼︎ シノビマッスルッ‼︎‼︎‼︎‼︎」

 

「声でか! 自分で言うのかよ」

 

「合言葉ってなんでしたっけ?」

 

「どうぞお入りください。話は通っております」

 

「わかってて聞いたのかよ、お茶目か」

 

 男がウインクで合図をすると、もう一人の男が門を開けた。そこにはさらに案内役の男がいて、やはり筋肉隆々だった。紹介もそこそこにプエルとジーニアスを連れて里を歩きはじめた。


 シノビマスルの里の街並みは、外から見るだけではわからない活気と独特の雰囲気に満ちていた。狭い路地が入り組んだ複雑な箇所もあれば、大通りでは屋台が賑やかに並んでいたりと、人々の喧騒が絶え間なく響き渡っていた。王都ではほとんど廃れてしまった商店街とは打って変わって、ここでは職人たちが元気よく路上販売を行なっており、街の隅々まで様々な商品が並んでいる。

 

 案内役の男に案内されて住宅街に差し掛かった。縁側に腰掛けてプロテインを嗜む老人や、その手前で子供達が笑い合いながら重量挙げをして遊ぶ姿があった。また、川辺では少人数用の船が行き交い、水辺の風景が街の景色に彩りを添えていた。まだ日は高いが、至る所に備え付けられた提灯からは、夕刻になれば提灯の明かりで街全体が幻想的な風景になることも想像できた。シノビマスルの里の風景は、人々の息吹と歴史の深みが交錯し、その魅力に溢れていた。一つ、疑問点はあった。見かけた人々は、皆一様に筋骨逞しかったのだ。子供から老人まで、誰一人として貧相な体をしているものはいない。また、プエルの目に映る限りでは、男ばかりであるように見えた。

 

「こちらが頭領の家です」

 

 丁寧に一礼をすると、案内役の男は二人に玄関の前へ立つよう促した。

 頭領の家は一般の家屋とは異なる格式と風格があった。玄関には絢爛豪華な屋根がかかり、見るからに重厚な扉が建てられていた。その扉は精緻な彫刻や金属細工で飾られ、頭領一族のものであろう家紋らしき紋章が施されている。高い塀に囲まれた立派な門をくぐることは、まさに異世界への入り口を開くような感覚だったが、インターホンから聞こえてきた声で現実に引き戻された。

 

『合言葉を』

 

 またか、とプエルとジーニアスは顔を見合わせる。

 

「シノビマッスル」

 

『声が小さい』

 

 マジか、とジーニアスが顔をしわくちゃにする。

 

「シノビマッスーゥ!」

 

『声が小さい‼︎』


 勘弁してくれ、とジーニアスはプエルに代わるよう促した。

 

「シノビマッスルっ!」


『声がカワイイッ! 通ってよし!』

 

「こいつぶん殴っていいか?」

 

「話を聞いてから殴りましょう」

 

 重厚な扉が自動で開き、二人は案内役から奥へ入るように指示される。

 玄関の先に足を踏み入れると、石畳が敷かれた通路が広がり、両側には美しい庭園や建物が見えることがあった。また、玄関先には、おそらく頭領を模したであろう、筋骨隆々の大男の形をした銅像が厳かな構えで立ち、訪れる者に対する警戒と厳粛さ、それから力の誇示をしていた。

 頭領の私室らしき場所にまで辿り着くと、「お客様をお連れしました」と案内役が声かけた。通せ、と一言だけ返ってくると、注意深く耳を立てないと聞こえないほど静かに襖が開けられた。部屋の奥には長い髭を蓄えた老人が一人、座布団の上に鎮座していた。やはり彼も筋肉質で――いや、彼も、ではなく、頭領らしく里の誰よりも筋骨が発達しているようだった。

 

「よくぞ参られた。吾輩はシノビマスルの里、イーガの頭領マスラオ・イーガと申す」

 

「はあ、どうも。俺はジーニアス、こっちは弟子のプエル」

 

 いかにも偉そうな、否、実際に偉い立場の頭領に対して雑な紹介をするジーニアスに「ちょっと!」とプエルは焦って脇を小突いたが、マスラオは「グハハハッ!」と豪気に笑った。

 

「いや肝が据わっておる。ジーニアス殿のご高明はこの老輩にも届いております。失礼ながらあまり強そうには見えませぬが、その立ち居振る舞いを見て一目で強さが分かりました」

 

「ふうん……一目でねぇ。実際に試してみせてもいいんだけど」

 

「いえいえ、王都で破壊の限りを尽くしていた眷属デーモンを無傷で追い返し、挙句に湿地まで追い込んで眷属デーモンを湿地丸ごと潰したあなたの実力を見るには、この里では狭すぎましょう」

 

「なんか尾ヒレついてない?」と、ジーニアスはプエルに耳打ちする。


「噂って、そういうものですから」


「そういうもんか……?」


「意図的に噂を広められてる場合もありますけど、規格外な人は近寄りがたさで交流の幅が狭いですから、良し悪しはともかくそういう噂は付き物ですよ」


「俺、近寄りがたいのか……?」


「少なくともすぐ自分の子を産ませようとする人間には近寄りがたいですね」


 世間とは異なる感性を持ったジーニアスには衝撃的な事実だったのか、その言葉を前に俯いてしまった。マスラオはそこに咳払いを一つ差し込む。

 

「それで、本題の依頼の件なのですが……」

 

「あ、はい」

 

「実はせがれが妖魔に襲撃を受けたのです」


 妖魔とは、ここ東方の地での魔物の呼び名だが、魔物はこちらで独自の進化を遂げており、言葉通りに別種の存在と化していると言っても過言ではない。人を脅かし、人の恐怖を煽り、人を食らうものが大部分を占めており、西方の魔物よりもくだらないことをするものもたくさん存在しているが、人に害をなすものに関しては知性を持っていて脅威度が高いものが多い。

 

「おっ、じゃあそいつを懲らしめたらいいんだな?」

 

 ジーニアスが顔を上げて質問する。魔法で解決できそうなら元気になる男である。

 

「いえ、その妖魔はお付きのものが胸筋で弾き飛ばしました」と、マスラオは服の上からでも一目でデカさがわかるほど盛り上がった大胸筋をピクピクとさせてみせる。

  

「なんなん?」

 

「妖魔は退治しましたが、せがれは妖魔を倒せなかったのです。そこで、ジーニアス殿にはせがれを鍛え直してほしいと考えておるのです」

 

「いや、鍛えるならあんたらのほうが向いてるでしょ」

 

 ジーニアスたちを連れてきた案内役も、頭領であるマスラオも、見てきた限りの住人たちが全て目を瞠るほどの筋肉をその身で震わせている。ジーニアスは魔法において最強であるとさえ思えたが、体は良くて細マッチョ程度だ。鍛えるとなると話は別、とプエルも深く頷いた。

 

「吾輩の方でも鍛錬は促しておるのです。幼少から見てきた限り、潜在能力自体は高いはずなのですが……いかんせん本人に鍛える気がない。いずれは頭領になってもらわねばならぬのですが、今のままでは里の皆に力を認めてもらうことはできませぬ」


「なるほど。じゃあ、つまりは説得しろってことか」

 

「そういうことです。ジーニアス殿は吾輩とは異なる方向の力を持つ者。吾輩とは違ったアプローチができれば、と……というわけで、せがれを別室に呼んでおります。参りましょう」

 

 立ち上がったマスラオは案内役を下がらせ、自らが先導して廊下を突き進んでいく。出入り口付近にある客間にまで行くと、豪快に襖を開け放った。

 

「シノカ! 来ておるなッ!」

 

 畳の上にあぐらをかいて座り込んでいる女がいた。彼女の髪は黒々と艶やかに輝き、ところどころに等間隔で白銀色に染められた毛束がその美しさを彩っている。頭頂部位には高い髷が結われている。髷の周りにはカラフルなリボンや花が飾られ、彼女の個性を際立たせていた。また、耳元からは長い髪が優雅に垂れ下がり、モダンなタッチを加えていた。里の伝統と西方の流行を巧みに融合させたもので、彼女の強いこだわりが垣間見えた。手には水晶魔法スマホが握られ、何かしらのゲームで遊んでいるようだったが、マスラオの叫ぶような大声に水晶魔法スマホはすぐに閉じられた。

 

「声でかくて草。そりゃ呼ばれりゃ来るっての」と、立ち上がった彼女の豊満な胸元が揺れる。上半分の乳房がまろび出ており、ジーニアスはそこに釘付けになった。

 

「おいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおい」

 

「ジーニアスさんバグっちゃった」

 

「こ、このおっぱいでっかいお嬢さんが? いいの? 手取り足取り教えちゃっても?」

 

 ジーニアスは途端に鼻息を荒くしてわきわきと両手指を動かす。手取り足取りとは言われていない。シノカは視線の先にある胸元を腕でサッと隠し、きつく睨みつけた。

 

「キモっ、何こいつ?」

 

「紹介しよう。王都での活躍は聞いておるだろう? 眷属デーモンを討伐せしめた最強の魔法使い・ジーニアス殿と、そちらの可憐な少女はその弟子のプエル殿だ」

 

「どうも〜……」と、ジーニアスのセクハラのせいで最悪となった初顔合わせに苦笑するばかりで、もはや自分は男だと反論する意思を失っていることに後から気がついた。己を見失わないように、プエルは「男です」とほんの小さな声で糾弾したが、時すでに遅しというもの。誰も聞いていなかった。

 

「あ〜はいはい、わかっちったわ。また鍛えろってやつね。あーし、筋肉とかマジいらねーから。てことでこの人らには帰ってもろて。お疲れ。そんじゃね〜」


「シノカ、待ちなさい!」

 

 マスラオの呼びかけも虚しく、シノカはにべもなく去っていった。マスラオの力なら簡単に連れ戻せるはずだが、そうしないのは娘に気を遣ってのことだろう。後に残ったのは、シノカのおっぱいを前に気の狂ったジーニアスと、眉を垂れるばかりのマスラオのどうしようもなく頼りない大人の男二人のみ。プエルはこの依頼の先行きに不安を感じて肩からため息を落とした。

 

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