シノビマスルの里編【上】

なんて酷い男なんだ…


 

 

 からんころん、と来客を知らせる鈴の音が鳴った。

 室内は簡素な作りで、受付のカウンターに付属したいくつかの席に、他にはソファーとテーブルがあるくらいで、他にはこれといったものが置かれていない。そのうえ部屋の隅には段ボールが山積みにされていて、開梱作業もまだ終わっていないようだった。それでも室内は程よい室温に保たれていて、やや肌寒さのあった外との寒暖差で鳥肌が立つ。客は今やってきたプエル以外には誰もおらず、閑古鳥が鳴いているようだったが、それは無理もないことだった。

 

「お、来たのか」と、カウンターに座って水晶魔法スマホを弄っていたジーニアスが言う。

 

「まあ、暇なんで」

 

「ん? 学校は?」

 

「休校になりましたよ。誰かさんのせいで」

 

 プエルは目を細めてジーニアスをじっとりと見つめた。

 先日の眷属百鬼夜行デーモン・スタンピードでは、死傷者こそ出なかったものの、物的被害は凄まじく、特に王都を囲う壁が崩れたせいで至る所で復興作業が行われている。損壊した施設の中にはブレイカーズ大学校も含まれており、勉学に励むどころではないとして一時的に長期休校となった。

 

「そう言うなよ、俺だって散々だったんだからな」

 

 ジーニアスは肩をすくめて大きなため息を吐いた。

 せっかく取得したS級の資格を即日剥奪されるという前代未聞の伝説を作ったジーニアスだったが、同伴したマジク・マギアの説得により、その能力は生かすべきだと結論づけられ、ブレイカーズ協会の補佐的な立ち位置として、この王都の隅にある空き店舗を支部として貸し出された。

 

 現実には、ジーニアスについて国を挙げての緊急会議が開かれ、「この恐ろしい男を野放しにしておくわけにはいかない」、「さっさと殺すべきだ」、「あんなとんでもない男を誰が殺せる? 私は遠慮しておくよ」、「それより利用すべきだ」、「だったらせめて管理下に置くのがいいだろう」というやりとりがあったのだが、当のジーニアスはそれを知る由もない。

 

「まあ、勾留されてるときはめんどくせえからいっそ全部吹っ飛ばしてやろうかとも思ったが、こうして一夜にして一国一城の主になったわけだ。我慢はするもんだな」


「でも、お客さんいませんよね?」

 

「そりゃあ、金払いのいい依頼しか回ってこないことになってるからな。ちまちました依頼なんか受ける気ねえし、協会からもそれでいいって話で決まってんだ」

 

「そうなんですね」と、頷きながらプエルは瞬時に悟った。厄介な依頼しか来ないんじゃないか、と。A級護人ガードでさえ持て余してしまうような、面倒な依頼だけを受けることになりそうだ。

 

「あれ? これって……」ふと、中央のテーブルの上に雑に置かれている、キラキラとした大粒の宝石が散りばめられたティアラに視線が向く。「まさか盗んだんじゃ……?」

 

 自然災害などの大規模な騒動が起きたとき、本来犯罪を取り締まるべき騎士団や護人ガードが機能しなくなってしまうせいもあってか、どうしても非行に走ってしまう者が現れる。先日の眷属百鬼夜行デーモン・スタンピードでも火事場泥棒は何十件と起きていて、被害総額は数えたくもないほどにも及ぶそうだった。ジーニアスもその中の一人だったらと、プエルは軽く顔を引いて身構えた。

 

「俺を何だと思ってんだ? 我、一応おまえの師匠ぞ?」

 

「そうですけど、疑うことを忘れてはいけないじゃないですか」

 

「ものは言いようだな」ジーニアスは水晶魔法スマホを弄りながら興味なさげに言った。「街の女の子から貰ったんだ、守ってくれてありがとうってな。オモチャだよ」

 

「へえ、ジーニアスさんでも女の子から感謝の品とか貰ったりするんですね。でも心配だな……緊張して女の子に対して変なこと口走ったりしませんでしたか?」


「だから、いったい俺を何だと思ってらっしゃる? 言っとくけど六歳くらいの子だぞ。ロリコンじゃないからな、そのくらいの子なら別に普通だよ。まあ、二十年後くらいにエロい女になってたら俺の子を産ませてやるって言っといたけどな、一応な?」

 

「最低なこと言ってる自覚なさそう」とつぶやいて、プエルはティアラを拾い上げた。宝石を模したガラス玉はそれぞれツヤツヤで、その子にとってはきっと大事な宝物だったのであろうことが伺える。その子にとってジーニアスという魔法使いは、自分の宝物を捧げられるほどまでの救世主なのだ。「子供って素直に感謝をぶつけますよね。これ、大事にしないと……」


「いや、別にいらねーからおまえにやるよ」 


「なんてひどい男なんだ……」

 

「捨てようと思ってたからちょうどよかったわ」

 

「なんてひどい男なんだ……」


 そういうところだぞ、と出かかった言葉を呑み込んだ。その子にとっては一世一代の告白のようなものであろうところを、いらないからと他人にあっさり渡してしまうなど言語道断だ。一生モテない呪いをかけてやろうと、プエルは心中で大きなため息を放った。

 

「子供って結構、小さい頃のこと覚えてますからね? その頃にあった出来事とか、今にして思えば些細な約束だったりとか。言った方は忘れても言われた方は覚えてるなんてこともよくありますし……僕もサヤちゃんと小さい頃にした約束とか覚えてますから」

 

「おっ、依頼回ってきた」


 全然話を聞いておらず、水晶魔法スマホを弄りながら小さく声を上げた。ジーニアスにとって本気でどうでもいいことなのだと理解すると同時に、本気で捨てかねないのでプエルは自分の荷物にティアラをしまい込んだ。

 ジーニアスは水晶魔法スマホから依頼書を出力し、テーブルにそれを広げる。


『とにかく我こそはという一番強い方に来てほしい。詳細は現地にて説明致します』

 

 依頼書にはこの一文が掲載されているだけだった。依頼元はシノビマスルの里とある。王都からずいぶんと東方へ行った先にある里だ。大昔から続く独自の文化が根強く、独立国家のような雰囲気があり、旅行者などに人気のスポットである。特にニンジャと云われる達人は手練れの者たちで構成されており、腕試しをしに行く者は数知れない。ただ、極東とも云われるだけあり王都からは非常に遠く、駿馬であっても一週間はかかることを覚悟しなければならない。

 

「よし、んじゃ行くか。おまえも来るだろ?」


「えっ、そんな簡単に決めちゃっていいんですか? これシノビマスルの里の依頼ですけど……」


 ブレイカーズ協会は王都にあるものが本部だが、当然ながらそれ以外にも全国に支部が展開されている。それこそシノビマスルの里にも支部はあるはずだった。それなのに王都にも依頼が出されたということは、支部では解決困難だったということだ。明らかに厄介な依頼を回されているだけだが、ジーニアスは何の問題もないとばかりに準備を始めていた。

 

「別にどこだろうと関係ねえよ。困ってる人がいる、それで十分だろ」

 

「ジーニアスさん……?」

 

 幼い子にもらったティアラを捨てるような薄情者のセリフとは思えず困惑したプエルだったが、依頼書と同時に出力されたシノビマスルの里のパンフレットに書かれていることを目にして確信した。そこにはこういったことがつらつらと書かれている。


『きみもニンジャになろう! ニンジャ体験会参加者募集!』

『シュリケン大会開催中!』

『美しく、気高く、舞うニンジャ』

『シノビマスルの里で引き締まった体を手に入れよう!』

『きれいなクノイチに翻弄されたい者たちへ』

 

 モデルに使われているクノイチの写真は大変な美女で、ジーニアスはシノビマスルの里のクノイチという女性が目当てなのだ。通常、モデルはモデルであって本物を使うことはまずないのだが、ウキウキとした様子のジーニアスが哀れに思えて、プエルは黙って準備を始めた。

 

「あ、でも、移動手段はどうするんですか? ものすごく遠いですよ」


「あー、馬車でいいんじゃねえかな」

 

「馬車だと一週間以上は確実ですけど……お金あるんですか?」

 

「カネがないのはおまえが冤罪で慰謝料ふんだくったからだろ」

 

「えへへ」

 

「えへへで済ますな。まあいいけど」と、成り行きで痴漢冤罪での慰謝料を受け取ったプエルにそれ以上追求はしなかった。水晶魔法スマホに送られてきた情報により、金の心配が必要なかったからだ。「一応、VIP扱いだからな。協会が馬車を出してくれるらしい」

 

「はぁー、そんなことあるんですね……」

 

 おそらく金がないせいで暴れたりしないようにとの配慮であろうことは想像に難くなかったが、理由はともかく特別待遇なのは間違いないので、素直に感心するプエルだった。


 ややあって準備を済ませたジーニアスが先に外へ出る。そのあとに遅れてプエルも外へ出た。柔らかな太陽の光が差し込み、薄暗い部屋に慣れた目に沁みた。これがピクニックや旅行ならば絶好の外出日和と言えるだろう。

 

 雑踏の中、表にはすでに馬車が待機しており、プエルが乗り込もうとすると、水晶魔法が鳴った。特有の魔力から察するに、通信相手はマホだ。

 

『もしもし……えっと、あたしだけど』

 

「マホちゃん? どうかしたの?」

 

『あのさ、学校無いし、あんた今日もヒマでしょ? それでさ……』

 

「ううん、ヒマじゃないよ。依頼があって、これからシノビマスルの里に行くんだ」

 

『でしょ? だからね、あたしと……え? いやいや待って、シノビマスルの里? 遠すぎない? もう旅行じゃんそれ。ウソでしょ?』

 

「マホちゃんにウソつくわけないよ。二週間は帰って来れないかなぁって思うけど、A級を目指すなら遠出くらい出来ないとだしね」

 

『えっ、あ、えと、じゃあそれあたしも』とマホが言いかけたとき、荷台からひょっこりと顔を出したジーニアスが、馬に跨っていた御者を足蹴にした。


「何やってるんですか⁉︎」

「何をするんですか⁉︎」

 

 驚愕するあまり水晶魔法スマホの通信を切ってしまったプエルが叫ぶとともに、落馬して地面に尻餅をついた御者も大声を絞り出す。ジーニアスは御者が先ほどまで座っていた馬の背中に跨った。

 

「俺が馬を走らせようと思ってな。あんた帰っていいぞ」


「そ、そういうわけにはいきませんよ! あっしもこれが仕事なんで! お客さんを迅速に、安全に、目的地へ送り届ける! あっしにはその責任と信念があるんですよ!」

 

「俺がいいって言ったらいいんだよ」


「できません! あっしは誇りを持ってこの仕事をしてるんです! それをあなたは……!」

 

「金のことなら心配すんな、俺から協会に満額支払うよう言っとくから」

 

「そうですか、それならあっしはこれで!」

 

 金の話をした途端、御者は笑顔になってあっさりと引き下がった。スキップしながら帰っていく後ろ姿には信念などどこにもなさそうだ。やはり世の中、金なのだと思わされる。

 跨った馬の手綱を手に持ち、さっそく馬を走らせようとするジーニアスに、プエルは不安げな表情を向けた。

 

「馬に乗るの上手いんですか?」


「いや、初めてだけど。魔法で加速しようかと思ってな」

 

「え……初めて……? 加速? えっ?」と、プエルが困惑する間に、ジーニアスに促された馬が走り出した。「助けて!」と叫んだのも束の間、一瞬にして損壊した南門をすり抜ける。復旧作業中の作業者たちが旋風だと勘違いするほどの速度が出ていた。一週間どころか一日で着きそうではあったが、その前に『死』に辿り着きそうだと、線のような景色を見ながらプエルは祈った。

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