世界一強くなったら迎えに来てくれる?


 

 数多の知性ある魔物に対して下された指令は〝人間の暮らしの調査〟だった。その頃、カイツールはまだきれいな発音で喋ることもできず、二本足で立つこともままならない、ヤギ型の魔獣だった。四本のねじれたツノがあることを除けば、今のカイツールとは似ても似つかない。


 指令通り、ある街にやってきた。あくまで調査が目的である以上、魔王の意向を無視して騒ぎを起こすわけにはいかないが、毛むくじゃらの魔獣であるカイツールが街へ入るのは至難の業だ。途方に暮れて近場の平原をうろうろとしていると、自然に出来たであろう咲きっぱなしの花畑を見つけた。一休みして作戦を考えようと花畑に乗り込むと、あどけない女の声が上がった。

 

「だれ……?」

 

 声の正体は小さな女の子だった。彼女は花の咲いていない部分にへたり込んでいて、カイツールを見上げていた。奇妙なことに、怯えているふうではなかった。悲鳴でも上げようものなら即座に柔らかな首筋に牙を突き立てていたが、騒ぎ立てないので対処に戸惑い、判断が遅れた。

 

「ヤギさん?」

 

「……オレはヤギじゃナイ」

 

「お話できるの?」

 

「オレは強い。言葉くらい話セル」

 

「すごい……! 賢いんだね!」

 

「そうダロ、そうダロ。なにせオレは世界一強くナル。今はまだオレより強いのがイルガ……いずれはコエル。四天王より、イヤ、魔王様よりもずっとダ」

 

 口を滑らせた、と慌てて口を閉じた。けれど少女は四天王や魔王という単語には全く反応せず、ポカンとしていた。娘は薄汚れた襤褸ぼろを着ていて、身体中あちこちに擦り傷や痣がある。世間ズレをしたこの娘のことだ、きっとしょっちゅう間抜けに転んでは怪我を作るのだろう。そんなことだから俗世にも疎く、世界を混沌に陥れた魔王の存在すら知らないのだ。

 

「すごいなぁ……強いんだね」

 

「そういうキサマは弱そうダナ」

 

「うん……すごく弱い」

 

 俯いた娘がいつまで経っても立ちあがろうとしないことに気がついた。いくらカイツールが知性を持って間もないとはいえ、人間が二本足で生活する生き物だということくらいは知っている。疑問をそのままにしておけなかったカイツールは、花を掻き分けて娘の全身を視界に入れた。そこには、異様な細さの脚があった。下半身の筋肉が発達しておらず、娘の貧相な体つきと比較しても痩せほそっていて、棒切れのような脚が二本付いているだけだ。機能しているとは到底考えにくい。

 

「キサマ、歩けないのカ」


「わたし、小さい時からダメなんだ。おかあさんに迷惑かけてばっかり。言われたことなんか全然出来ないし、約束もちっとも守れない。この前なんか、おかあさんが元気なかったから、元気出してもらいたくてお料理したのに、失敗して怒らせちゃったし……それに、お漏らしだってこの前まで治らなかったの。わたし、なんでこんなふうなんだろう」

 

「フン、その程度のコトカ」

 

「え……?」


「オレには知性がなかった頃がアル。その頃のコトはよく覚えてナイが、今のようにはっきりとしたアシがなく、四本足で歩くコトは出来なかっタ。それと、糞尿などソコラでするものダロ」

 

 カイツールの言葉にきょとんとした少女は、わずかに瞼を瞬かせた後にふふっと吹き出した。「ヤギさん、面白い! じゃあ、わたしもいつかはちゃんとした人になれるのかなあ?」

 

「オレのは魔王様の力によるものダガ……まぁ、キサマは話がワカル人間のようだカラナ。オレが王になっテ、そうなれるようにシテやろう。ただの王ではナイ、世界一強い王ダ」

 

「じゃあ、世界一強くなったら迎えに来てくれる?」

 

「いいダロウ」と、得意げに返事をしたものの、現状世界一強い魔王の指令をすっかり忘れていたことに気がついてハッとした。「今日のところはココまでダ。マタ来ル」

 

 人間の暮らしを調査すること。そして男女の営みを知れという内容で、世界を覆う魔王の力に影響を受けた全ての知性を持った魔物に対して下された指令。この世において最強たる魔王がいったい人間ごときから何を学べというのか――人の気配も薄くなった深夜帯に街を徘徊するカイツールには反骨精神さえ芽生えていた。寝静まる者たち、灯りをつけたまま談笑する者たち、同じく深夜に徘徊している者、衣服を纏わぬ男の下で悲鳴を上げる女など、さまざまな人間を目の当たりにした。だが、魔王の目論見とは違い、心動かされるものは一つもなかった。

 

 朝日がのぼる頃、あの娘のことを思い出した。別れ際に声をかけられた気がしたからだ。それに、街で見てきた人間たちよりもずっと何かを得られた気分になったのもある。また会いに行けば何かが掴めるかもしれないと、ふと思い立って花畑に向かった。そこでは娘が以前と同じ場所で横になっていた。ねじれたツノで何度つついてみても、娘が目を覚ますことはない。

 

 つついた部分の服が破れ、以前からちらと見えていた痣が露わになった。カイツールが痣だと思い込んでいたものは、胸から下半身の一部にまで及ぶ酷い火傷の痕だった。この火傷を癒すために寝ているのだと、カイツールは出直すことにして、また次の日にやってきた。すると今度はそこに娘の姿はなかった。ただ、匂いは花畑の向こう側にある古ぼけた小屋にまで続いている。小屋の中では、寝ている娘に向かって火の魔法を使おうとしている女がいた。

 

 寝ている者に火を放つなど、人間とは外道に生きるものなのか――カイツールはその光景に我を忘れ、即座に女をツノで貫き、壁に向かって放り投げた。女の柔らかい肉体は壁を突き破り、どしゃりと地面に倒れ込む。彼女は微かに残った力を振り絞ってカイツールに視線を這わせたが、何かを言う前に大量の血を流したせいですぐに事切れてしまった。一方、娘の方はやはり寝たままだった。小さな瞼をうっすらと開けた状態で、天井を見つめながら眠っている。

 

「――世界一強くなったら迎えに来てくれる?」

 

 あの時の、娘の声がカイツールの頭の中に響いた。

 

(寝てル……? 違う、死んでイル。ナゼ気づかなカッタ……?)

 

 自問自答をする。それを認めようとしなかったのが何故なのか、カイツールには理解できない。

 ただ、娘の火傷はあの女が付けた傷だということだけは推測できた。あれが致命傷となり、娘は翌日になって死んだのだ。脚の動かせぬ厄介者だからと、あの女は自分が腹を痛めて産んだ子を、花畑に放り出すことで己の手を汚さず殺したのだ。それだけがわかれば、カイツールにとって十分なことだった。あの女は死んで当然の悪鬼だった。人間は醜い生き物だ。人間は全て殺さなければならない。魔王が知性の芽生えた魔物たちに学ばせたいこととは、きっとこれだったのだ。

 

(――オレは世界一強い王になる)

 

 魔王が死に、眷属デーモンとなり、序列六位となる六の眷属セクストの称号を与えられた。六の眷属セクストということは、魔王に匹敵する力とまでは認められなかったということだ。それはつまり、世界一には程遠いという事実でもある。だがそれも、序列上位の眷属デーモンたちを見れば納得だった。同じ眷属デーモンであっても、見上げるのも嫌になるほどの化け物だらけなのだ。カイツールはそんな現実を見られるほどの知性を身につけていた。代わりに、眷属デーモンとなるより以前の記憶が薄れていた。

 

 今となっては、世界一強い王になるという願いだけが残っていた。何故、そう決めたのかも覚えていない。思い出せない。思い出そうという気もない。だが、世界一強くなるために、カイツールはどんなに醜悪で汚い手を使おうとも生き延びることだけを念頭に置いている。

 

「――オレは! 世界一強い王になるッ!」

 

 うすら笑いを浮かべた男が歩み寄ろうとした瞬間、カイツールは握り締めていた拳を開いた。

 

「金星霜・跳ね土竜エント・カニンチェンッ!」


 差し伸べた手の先にある地面が迫り上がり、カイツールを上空へ押し出した。緻密に魔力を操る必要のある飛行魔法ヴォラールは使えないが、空に浮くだけが移動手段ではない。金星霜・跳ね土竜エント・カニンチェンは暴れ回る石柱を作り出して対象を土壌ごと食い荒らす魔法だが、己に向かって放てば反対方向への爆発的な推進力を得られる。その代わりに、足を失い、腕を失い、時には頭も吹き飛ぶ。肉体の再生が可能な眷属デーモンならではのなりふり構わぬ逃げの一手だった。


 頭領邸の塀を飛び越え、うねる石柱は入り組んだ街を破壊しながらカイツールを押し出す。あっという間に街の外にまで逃げ延びたが、平原に着地したと同時に「逃げても無駄だぞ」と真後ろで男の声が囁いた。即座に前転しながら背後を見やると、まるで歩いてついてきていたかのように、魔力の乱れも息切れも何もなく、男がただただ平然と立っていた。

 

「何なんだ……! 何なんだキサマはッ! 何者なんだッ!」

 

 眷属デーモンとして研ぎ澄まされた魔法が効かない。そのことが何よりもカイツールを焦らせた。身体中に散りばめられた眼球の一つに隠された魔核しんぞうを砕かれない限りカイツールは死なないが、それでもこの男の執拗さに、初めての恐怖を覚えていた。

 

 男は何も答えず、ゆらりと近づいて拳を握ると、それを振り抜いた。ただそれだけのはずが、カイツールは五体をバラバラに飛び散らせた。おかしい――散り散りになった己の姿を見つめながら冷静に分析する。本来カイツールの肉体は鋼にも劣らない耐久性を持つ。先ほども顔面を豆腐のように潰されたが、それもおかしなことだ。生身の拳など通るはずがない。その答えはつまり、一つしかなかった。何らかの魔法を、宣言レシタルも無しにこれほどの高威力で放っているのだ。

 

「俺はジーニアス・ナレッジ、ただの天才魔法使いだ」


「ジーニアス……、ナレッジ……っ!」

 

 絶大な魔法の力を操るジーニアスの姿を見て、カイツールはミノの屋敷で情報を目にしたときに自分が何に引っ掛かっていたのかを理解した。ジーニアスそのものは未知の存在ではあったが、ナレッジという姓が問題だった。かつて魔王を斃した勇者リドル・ブレイクの仲間、〝歩かない大書院〟の異名を持つリブラリィ・ナレッジと同じ性だったのだ。どこまでも魔王を追い詰め、ついには魔王にとどめを刺したリドルとその仲間たちの存在。魔王の死後、それが残された魔物や眷属デーモンにとってどういうことかを理解していたからこそ、勇者とその一行が死に絶えるまで逃げ隠れ、汚泥を啜ってでも生きてきた。なのに、今カイツールはその縁者と対峙してしまった。

 

「まあ、知ったところでおまえは弱いからこれから死ぬんだけど」

 

「オレは弱くなどない……ッ!」

 

「わりい、訂正する。まあまあ強い方かもな。でも、俺の方が強いよ」

 

 ジーニアスは言いながら手を上げ、空中に魔力の塊を形成した。ジーニアスの膨大な魔力で覆われた空間であってもくっきりと見える形の黄金球だ。それはつまり、魔力の中で魔力を練り上げた超高密度の魔力といえる。それが秒を重ねるごとに倍の大きさになり、気づけば空を覆うような黄金の円盤が浮かんでいた。触れればバラバラになる程度では済まないのは、一目見ただけで理解できる。魔核ごと潰せば死ぬということを、ジーニアスはこれまでの防戦で見抜いたのだ。

 

「や、やめろ……! キサマも、街も! ただでは済まんぞ!」

 

「俺や街が俺の魔法で潰れるって? 心配してくれてサンキューセックスくん。でも問題ないんだよ、俺がそうならないようにイメージすりゃいいんだからな」

 

「イメージ……⁉︎ イメージだと⁉︎ それだけで魔法をコントロールできると思っているのか! 魔法とはそんな浅い考えで行使できるものではない!」

 

 たとえば爆炎魔法エクスプロシオンという上級魔法がある。使い手によって威力の高低はあれど、ぶつければ対象地点で大爆発を起こすのが当然だ。それは周知の事実であり、一箇所だけを除いて爆風を操作するなどという技術は存在しない。爆発以降に起こる事そのものは単なる現象だから、というのもあるが、爆発が起こればその範囲にあるものは吹き飛ぶという〝常識〟があるから、でもある。

 

 空を覆う天蓋と化した超大質量の魔力を大地に向けて落とせば、その下にあるものは全てが微塵すら残さず潰れてしまう――それが〝常識〟だ。単なる固定概念とも違う、全くの事実そのもの。その事実から目を逸らし、対象だけが潰れるのだとイメージするのは、常軌を逸している。

 

「出来るんだよ、俺は天才だから」

 

 軽くそう言って、ジーニアスは手を下ろした。

 

「金星霜・大巨人の鉄槌マクシマル・エイゼンハマーッ‼︎」


 あの大質量の塊からカイツールが逃れる術はない。金星霜・跳ね土竜エント・カニンチェンを使って逃れられる範囲をゆうに超えていて、かといって術者本人を攻撃して魔法を解除させるのもこれまでの戦いで不可能だということがはっきりしている。ゆえにカイツールが選択したのは、魔力を以って魔力を打ち砕くというものだった。

 

 金星霜・大巨人の鉄槌マクシマル・エイゼンハマーは、大地を巨大な拳として形成し、対象を殴り抜ける魔法だ。大味でシンプルな魔法だが、コントロールを必要としないだけに破壊力も効果範囲も他のどの魔法より信頼が置ける。欠点と言えば、大地がすっかり抉れて土地が死んでしまうことだったが、今のカイツールに自然や他者を気にかける余裕はない。


 金星霜・大巨人の鉄槌マクシマル・エイゼンハマーが超速度で降りてくる魔力の天蓋に激突する。一瞬、魔力同士がぶつかって金星霜・大巨人の鉄槌マクシマル・エイゼンハマーがめり込み、押し留めたかのように見えて、カイツールは手に汗を握ったが、すぐに先端が霧散していることに気がついた。つまり、魔力の天蓋に吸い込まれていたのだ。予想を上回るほどの実力差――そもそも、街を越える範囲を魔力で覆う者が作り出した魔力とのぶつかり合いで敵うはずもないが、それでも少しくらいは対抗できてもいいはずだった。

 

 自らの無力さ、そして死が近づいたことを理解し、膝をついて自らの足元に視線をやったとき、そこが自然に出来た咲きっぱなしの花畑であることに気がついた。一面に白い菫の咲き乱れる花畑だ。無意識の内にそこを避けて金星霜・大巨人の鉄槌マクシマル・エイゼンハマーを形成したせいであっさりと押し負けたのだ。そのことに気づき、己の甘さを鼻で笑う。しかし、どこか懐かしい花の甘い匂いが鼻腔をくすぐって、悪い気はしなかった。それは目と鼻の先に魔力の天蓋が差し迫る直前のことだった。

 

「オレは……まだ、最強の王になってない。アイツを迎えに――」


 魔力の天蓋に押し潰されるさなか、誰かの笑う顔がカイツールの脳裏に浮かんだ。誰だったか、今はもう思い出せない。それのためだけに生きてきたような、気がしていた。



 

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