モテない天才魔法使いは迷走中です。
ドバーデル・ベン
消滅編
俺の子を産んでもらおうカナ!?
世界を脅かす魔王が勇者に討伐されてから、百年の時が過ぎた頃の事――。魔王の脅威は魔王本人の圧倒的な能力だけではなく、魔王の力を分け与えられて在来の動植物の生きる場を奪う、魔物の存在にもあった。無数の魔物たちは次第に勢力を広げ、我が物顔で世界中を闊歩した。それらを駆逐するために設立されたのがブレイカーズ協会であリ、そこに所属する
(僕は絶対、歴史に名を刻む魔法使いになるんだ……!)
プエル・アドラブルもまた
ここに入るだけでも強い魔法の才を見せつける必要があり、入学できた時点で鼻を高くしていたが、そこで彼は現実を垣間見ることになる。
隣の席になったマホ・マギアからして異常だった。彼女は相反する二属性を同時に扱える天才魔法使いで、試験では両手から炎と氷の魔法を同時に放ってみせた。それにより彼女に与えられた
他の学生も才を見込まれて入学しただけあって、村一番の魔法使いと持て囃されて王都にやってきたプエルと同じか、それよりも優れた魔法使いばかりだった。まさに青天の霹靂、そして井の中の蛙だ。自分という存在の小ささを直視することの辛さは筆舌に尽くし難い。
プエルに与えられたランクはC級で、先生に同伴してもらわなければ討伐に向かうことができない。ただ隣の席の子に負けているという事実は、村の期待を受けてやってきたプエルを焦らせた。ゆえに、だった。受けた討伐依頼を一人でこなしにきたのは。
(マッスルビーの討伐くらい、C級の僕でもやれるはず)
巨大な蜂型の魔物で、腹部が赤いルビーのようであるためにそう名付けられている。臀部の針は岩を易々と砕き、筋肉隆々の両腕から繰り出される拳は言わずもがなの破壊力を秘めている。討伐対象ランクはCだが、プエルは誤解していた。対象ランクとはそのランクの
(大丈夫、あんなのただのでかいハチだ)
プエルは懐から手のひらに収まる程度の短い小剣を取り出し、魔力を込める。
全ての生き物には〝恩寵〟と呼ばれる魔力の特質が備わっていて、それらはそれぞれに相性がある。マッスルビーの恩寵は〝地〟だ。
聖典の一節に〝大地は炎を飲み込み、炎は水を干上がらせ、水は大地を穿つ〟とある通り、恩寵は基本的にこの三属性だが、氷や風、雷に光などといった例外も存在する。ただ今回のマッスルビーは水に弱いので水の魔法をぶつければ効果的、というわけだ。
「
イメージした魔法の名を告げるのとほぼ同時に形作られた魔力の塊が、瞬時に鋭い水の槍となり、宙を舞うマッスルビーを貫いた。急所に入ったと、勝ちを確信したプエルをよそに、マッスルビーは槍の射出された位置を見定める。本来四人で立ち向かうべき相手を一撃で倒すことなど出来るわけもなく。マッスルビーは両腕を振り上げて怒りを露わにした。
「や、やば」逃げようとしたが足がすくんだ。生まれて初めて身に受ける何者かからの殺意を前に、プエルは自分の体が言うことを聞かない感覚を知った。次の瞬間、ギィ、と威嚇するような鳴き声がした時には、マッスルビーの音よりも速い剛拳がプエルの腹に入っていた。
「ゔァっ」
痛みよりも先に、圧迫と衝撃で声にならない呻き声が勝手に上がった。容易に吹き飛ばされたプエルの小さな体は、背後の木にめり込んだ。かろうじて意識を失わなかったのは、はたして幸か不幸か、プエルは眼前に迫り来るマッスルビーの剛腕という絶望に、ギュッと目を瞑ることさえ出来なかった。その時。プエルの顔面が潰されるという、その時だった。マッスルビーの体が横から何らかの衝撃波に巻き込まれるようにしてねじ切れ、そのまま弾け飛んでしまった。あとに残るのはマッスルビーの魔力を帯びた羽根の欠片だけだった。
(い、いまのは……いったい何が?)
体の痛みを堪えながらも辺りを見回すと、長身の男が立っていた。
「大丈夫か?」
濡羽色の美しい長髪を靡かせ、未だ木にめり込んだままのプエルに手を差し出した。彼は彫りの深い整った顔立ちに高い鼻、控えめな逆三角の輪郭に鋭い目をしていた。
彼の手を取ると、プエルの体に暖かな魔力が流れ込んできた。先ほどまで骨に軋みを感じていたが、プエルの体はあっという間に癒されていた。
治癒魔法は本人の自然治癒力を高めるものであって、通常これほど瞬時に回復することはありえない。そもそも治癒魔法自体が国に認定を受けた魔法医師にしか扱えない高度なものということもあり、彼が並みの魔法使いではないことだけはプエルにも理解できた。
「あ、ありがとうございます。あなたは……?」
「俺はジーニアス。ただの通りすがりだよ。あんたは討伐依頼か? 一人で?」
「その、はい、そうです」
「へえ、度胸あるんだな」
「え? えへへ……ありがとうございます」
「……うん、やっぱいい女だ。俺の子を産んでもらおうかな」
「はっ?」素っ頓狂な声が漏れ出た。「僕、男ですよ⁉︎」
「ふぅん、お断りの常套句か? けど、あんたみたいな可愛らしい子が男だなんて流石に無理があるだろ。声も高いし、小柄だし、肩幅もなくて華奢だし、足腰の肉付きはそこそこエロいし? まあ胸が無いのは残念だけど、でも若いから将来性あるしな」
「それ、僕が本当に女の子だったら物凄く最低なこと言ってますからね」
プエルは苦い顔をしながらバッグからブレイカーズ魔法学校の学生証を取り出して見せつける。
「ほー、本当に可愛い女の子は証明写真でも可愛いんだな。名前はプエル・アドラブルか。可愛らしい名前だ、よく似合ってるじゃねえか。そんでえーと、年齢が十四……げ、まだ全然ガキじゃねえかよ。まあこの際なんでもいいや。性別、男――男……?」
性別の欄を目にした途端、ジーニアスは学生証とプエルの顔を見比べた。何度見比べてみても、本人であることは疑いようのない事実だ。
「おまっ……! 本当に男かよ! 男なのかよ!」
「だからそう言ってるじゃないですか!」
「じゃあなんでタイツにミニスカートなんて履いてるんだよ! こんな可愛い顔して女装してんじゃねえよ! 詐欺だろ! ふざけんな! 俺の純情を返せ!」
「『俺の子を産んでもらおう』なんて純情の欠片もないセリフを吐いといて言うセリフですか⁉︎」
「チッ、野郎なんざ助けて損したわ。さっさと帰れ、このチビ助が」
「何だこの人」女性と勘違いしていた時と打って変わって真逆といってもいい彼の悪態は、低身長を気にしていたプエルの眉を顰めさせた。「ジーニアスさん、モテないでしょ」
「ンだとォ……? 助けてもらっといてなんだこの女装癖変態野郎がッ!」
「この衣装はうちの村の伝統なんですぅ〜! 村で選ばれた優秀な魔法使いはこのフリルの付いた服装で過ごすんです〜ッ! 僕を育ててくれた姉さんが丹精込めて用意してくれた衣装をバカにしないでくれます⁉︎」
「えっ、それ……そんなことある、のか? いや、まぁ、それが本当なら悪かったけど……いやでもやっぱ騙されてねぇ? 姉ちゃんに着せ替え人形にされてねぇ?」
「姉さんを詐欺師みたいに言わないでください! そんなだからモテないんですよ!」
「う……ウルセェな! 俺はモテるっつーんだよ!」
「『俺の子を産んでもらおうカナ?』でしたっけ? いきなりこんなこと言うヤツがモテるわけないでしょ! バカなんじゃないですか⁉︎」
「言い方に悪意ありすぎだろ! 俺は顔がいいから何言ったってモテるんだよ!」
「じゃあモテてモテて仕方がないってとこ見せてくれます? そしたら謝りますよ」
「おーおー、いいぜ! ついてこいや! 王都で俺の最強ナンパ術を見せてやるよ!」
双方睨み合いの末、ジーニアスはのしのしと大股で王都へ向かった。
王都パルティーダ。かつての勇者リドル・ブレイクが生まれ、そして魔王討伐の旅に出ることを決意した街だ。当時はそれほど大きな街ではなかったが、勇者リドルを輩出した街として有名になり、いつしか首都となり、王都となった経緯を持つ。ゆえに国としての歴史は浅く、国王の人気も知名度も低いが、勇者グッズは未だ冒険者たちに人気で、この街随一の売れ筋商品となっている。街の中心に立つ勇者リドル像は、待ち合わせ場所としても観光名所としても人気である。
その勇者像の前で、彼は最強ナンパ術を披露していた。
「そこの、お嬢さん! ボクと、今から子作りしちゃお? ナンチャッテ!」
道ゆく女たちは足を止めることなく、むしろ歩く足を早めた。ジーニアスは誰の目にも容姿端麗であることは疑いようのない事実で、声をかける直前までは見惚れている女も多数見られたが、ひとたび行動に移せば「何?」「キモッ」などと女たちは不快感をあらわにした。
「『最強ナンパ術を見せちゃうゾ!』って、いつ見せてくれるんですか?」
「悪意を感じる言い方!」
「やっぱりモテないですよね。認めてください」
「そうだ、俺は……モテない……っ!」
ジーニアスは膝から崩れ落ち、ちょうど土下座をするような格好になり、ぼろぼろと大粒の涙で地面に染みを作った。結構あっさり認めるんだ、と拍子抜けしたのと同時に、辛酸を舐めたジーニアスのあまりの感情の大きさに罪悪感めいたものを感じてしまい、プエルは慌てて取り繕った。
「ま、まぁまぁ……落ち着いてくださいよ」
「落ち着いてられるか!」ガバッと起き上がり、ジーニアスは両肩をがっしりと掴んだ。「きゃっ!」などとプエルは可憐な少女のような声を出したが、構わず続けた。
「おまえも魔法使いなら魔法使いにとって後継者の育成がいかに重要なことかは知ってんだろ。一般的な魔法を覚えるための才覚はもちろんだが、その魔法使いが編み出した『固有魔法』に至っては血縁しか受け継ぐことはできない。俺みてえに例外はあんだけど……けど俺以上の天才なんざいるはずねえ。だから俺の子が必要なんだ。俺の血を継ぐ子が……」
「わかりますけど、だからってなんでそんなに……ジーニアスさん、まだ若いじゃないですか。まぁ僕よりは年上でしょうけど、子宝を急ぐほどの年齢じゃないでしょ?」
「わかってねえな。魔法使いってのはいつ死ぬかわからねえんだぞ? 魔法の研究中に爆発して死に、素材集め中になんらかの事故に遭って死に、魔法の研究中に突然寿命が早まって死に、どっかの知らん魔法使いの妬みに遭って陰謀で死に、魔法の研究中に毒魔法が暴走して死に、魔法の研究の成果を奪いに来た暗殺者に狙われて死ぬ! とにかく死と隣り合わせなんだよ!」
「死を想定しすぎですよ! だいたい研究中だし!」
「あァ〜……天才の孤独ってのは誰にもわかってもらえねえんだよなァ……」
がっくりと大袈裟に肩を落として〝孤高〟に浸り始めたジーニアスに白い目を向けたとき、背後から「プエルくん!」と少女の声が上がった。
ツーサイドアップの短いお下げ髪を揺らす彼女の名はサヤ・ブレイドといい、身につけた軽鎧と腰に履いた長剣からもわかる通り、剣士である。プエルとは同郷の幼馴染であり、プエルよりも一足先に上京して、ブレイカーズ大学校を出た先輩でもある。魔法使いでないにもかかわらず、わずか一年で正式なA級
「サヤちゃん? どうしたの?」
「プエルきゅんの匂いがしたから……」
「え?」
「ううん、なんでもない。それより討伐依頼を受けたって聞いたんだけど大丈夫なの⁉︎ プエルくんに何かあったら私暴れちゃうよ! 一緒に行こ⁉︎ 私と組も⁉︎」
「暴れないでね」両肩に置かれたサヤの手を取り、プエルは微苦笑を浮かべた。「でも大丈夫、いつまでもサヤちゃんに守ってもらうわけにはいかないしさ」
「で、でも……プエルくん……」
「うん、僕が弱いのはわかってる」
「ち、違う違う! そういうことが言いたいんじゃないよ!」
「わかってるよ。でもね、僕だって男なんだ。それともサヤちゃんは僕がこのままでいいと思う? サヤちゃんの後ろで震えてるばっかりの弱い男でいい?」
「えっ……それは……その……」
「僕はそんなのゴメンだよ。言ったことなかったけどさ、僕はサヤちゃんを守れるくらい……いや、支え合えるくらい強くなりたいんだ。歴史に名を残す魔法使いが強い仲間におんぶにだっこだなんて有り得ないでしょ? だから今はサヤちゃんとは組めないんだ。わかってくれる?」
「はわぁ〜……プエルきゅんかっこいいよぉ……えっ? いや、えっ、えっ待って今なんて……え? 支え合……えっ? 私と? 支え合いたい? 言ったよね? 言ってたよね? いやもうそんなんプロポーズじゃん。言い逃れできないよ。やば……待って待って私まだ心の準備が」
「サヤちゃん? どうしたの? 大丈夫? よだれ出てるよ。鼻血も」
「はっ!」サヤは自分の頬を引っ叩いて、ハンカチでよだれと鼻血を拭き取った。「ごめんね。私、プエルくんのこと全然考えてなかった……自分のことばっかりで最低だよね……」
「大丈夫だよ。それより、心配してくれてありがとう!」
「優しい……こんな私を受け入れてくれる……は〜……プエルくんの笑顔が可愛すぎる……反則だよ……溶けそう……。私、式の準備しておくね……」
「え? うん、それじゃあまた明日ね」
フラフラと去っていくサヤの後ろ姿を見送っているとき、プエルは強烈な殺意を感じ取ってバッと振り返った。そこには建物の陰から血の涙を流しながら睨みつけるジーニアスの姿があった。
「こわいこわいこわい! いなくなったと思ったら何やってるんですか⁉︎」
「おまえこそなんだあの子は……?」
「サヤちゃんですか? 幼馴染ですよ。昔から仲良くて……」
「オサナジミ……? おさな、なじみ? ひょっとして幼馴染か……⁉︎ 噂に聞く……あの⁉︎ おまえ! ずるいぞ! おまえだけ! ずるい! ズルイ! ズールーイ!」
「子供ですか。地団駄踏まないでください。幼馴染くらいわりと誰でもいますよ」
「いねーよ! ばか! 幼馴染なんて伝説の生き物がそうそういてたまるか! だいたい、そんな相手がいたら女と話すのにこんな苦労しねーんだよ!」
「そういえば、張り切ってナンパ術とか言ってたのに実際やると様子が変でしたよね。僕に声かけたときは普通だったのに……いったいどうしたんですか? あの感じで行けばいいのに。いや、それでもいきなり子作りなんて言い出すのはあり得ませんけど……」
「俺は女に対してコミュ障だッ!」
「大声で言うことじゃないですよ」
「俺は孤児でな。育ててくれた師匠たちはみんな男だったし……男だらけの環境で育ったんだ。師匠たちの修行はとにかく厳しかった。俺が天才すぎたから詰め込みたくなったんだろうけどよ、まぁ俺からすりゃ地獄だったわけよ。で、あるとき師匠が魔法書とは違う、誰にも見られないように隠してた本を初めてこっそり読んだ。女というものがどんなものかよく知らねえ俺は、それがエロ本だと気づくのにも時間がかかったもんだが……それからは隠れてエロ本を読むことだけが生きがいになった。初めて読んだのは緊縛モノだったが俺は人妻モノが好みで」
「性癖の話はいいです」
「つまりだ! おまえとは難なく話せたからイケると思ったんだよ! それがさぁ! 実は男でさぁ! 裏切られてさぁ! そいつは幼馴染までいてさぁ! 俺の純情を返せよぉ!」
「誤解を受けるのはしょっちゅうですけど、ここまで泣かれたのは初めてですよ。なんか、ごめんなさい」
ぺこり、とプエルはしっかりと頭を下げた。
「なんかフラれたみたいなんだけど⁉︎」
「フりました。じゃあ僕、もう一回マッスルビーの討伐に行くので、これで失礼します」
「おい待て、それはダメだ。行くなら俺もついていく」
ジーニアスは唐突に神妙な顔になって、低い声で制止した。
「えっ、どうしてですか?」
「今のおまえじゃ確実に死にに行くだけだからだ。さっきので十分わかったんじゃないのか?」
「それは……さっきは油断があったからで……」
「戦いにおいて油断は言い訳にならねえよ。殺すか、殺されるかだ」
「で、でも、僕一人で出来なきゃサヤちゃんの隣には立てないんです」
「その覚悟ならさっき聞いた。何も行くなとは言ってねえだろ? 後ろで見ててやるって言ってんだ。手は貸さねえ。けど死にそうだと判断したらこのジーニアス様が守ってやる」
「それは助かりますけど……どうしてそこまでしてくれるんですか?」
「別におまえのためじゃねえよ。おまえを死なせたらさっきの子が悲しむだろ」
「ジーニアスさん……ありがとうございます!」
魔法の腕前も天才を自称するだけあって恐ろしく優れ、プエルという男に対してはすらすらと他人を気遣う言葉も出てくる。女の人に対してもそうやって接すればモテそうなのに、とプエルはジーニアスの鋭く整った美しい横顔を見ながらそう思わざるをえなかった。心の中で師匠と呼ぶことにして、プエルは再びマッスルビーの討伐に赴いた。その結果、あっさり死にかけてジーニアスに再び助けられ、何の成果も上げられないまま王都に舞い戻ったのだった。
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