イメージの向こう側に到達すりゃいいだけだ


 

 

 灯りの微かな薄暗い部屋に、顔を紅潮させたジーニアスがぐったりと倒れ込んでいた。寝息には酒気が混じり、室内はすでに酒臭い空気が充満している。静かに、足音を立てずに、可能な限りに気配を殺しながら、プエルはジーニアスの胸元に手をかざして放電魔法トゥルエノを放った。

 

 放電魔法トゥルエノはショックを与えて対象を気絶させる魔法だが、病気や怪我で昏倒している相手に使った場合には、逆に気付薬のような効果もあって強引に蘇生することも出来る。今回のように、泥酔している者に使うと危険行為となる。ところがジーニアスに放電魔法トゥルエノは届かなかった。強力な防護魔法プロテクシオンがかかっていて、衣服の寸前で魔力が弾け飛んでしまったのだ。そのことに気がついたのか、ジーニアスはぼんやりと起き上がってそばに立つプエルを見上げた。

 

「ん……おまえ、いま……?」と、自分に当てられた魔法とその性質を理解したジーニアスは口を尖らせた。「怖いな〜……普通寝てるヤツに電気ショック与える? 死ぬよ?」

 

「今ならジーニアスさんに勝てるかなって……」

 

「殺せば勝ちか? 暗殺者の生まれ?」

 

「寝てましたよね……? どうして魔法が使えたんですか? 実は起きてた、にしても、魔法っていうのは集中力の賜物なわけで、あんなに酔っ払ってたら使えなくなるはずですよね?」

 

「あー、魔法が使えたってのはちょっと違うんだよな」

 

「でも、いまのって防護魔法プロテクシオンですよね……?」

 

「魔法が使えないとき用に魔法が使えるようにしてあるんだよ」

 

 謎かけをされたようだった。何も合点がいかず目を点にして首を傾げる。

 

「やっぱり酔ってます?」

 

「誰かさんに殺されかけたから酔いは覚めた……と言いたいところだけど、いくら俺でもこれだけ酔ってたら魔法は使えねえな。でも、この通り」

 

 ジーニアスは手のひらサイズの火槍魔法フェゴ・ランザを形成する。魔力の量も質も一般魔法使いとは一線を画しており、小さいながらも精巧に作られた本物の槍がそこにあるようだった。

 

「ど、どうやってるんですか⁉︎ それも宣言レシタルなしで……⁉︎」

 

「んー、なんつうか……身体に這わせとく感じかな。魔法を貼り付けるっつーか。だいたい、本来なら宣言レシタルなんか必要ねえ、イメージ次第でなんでも出来るのが魔法だろ。俺はあらかじめそうしておいた魔法を剥がしてるだけだよ。おまえもいま言ったイメージで練習すりゃいい、多分普通に出来るよ。簡単に言えばイメージの向こう側に到達すりゃいいだけだ」

 

「簡単に言い過ぎでしょ」

 

 言われた瞬間は無茶苦茶だと感じたが、使用した魔法の意識を体表に向けるとその通りに張り付く感覚があった。滅多にあることではないが、世の中には〝魔法を使えなくする魔法・魔物〟が存在する。そんな時のために、これを常にイメージできているかどうかは魔法使いとして大きな差が出てくるだろう。力や体力のないプエルにすれば生命線と言い換えてもいい。ジーニアスの言葉通り、魔法はイメージ次第でなんでも出来るのだと、強い実感を伴う高揚感があった。

 

「――放電魔法トゥルエノッ!」

 

 バチリ、と首を掴んだ手が跳ね、プエルは地面に転がるようにして着地する。無事とは言えないが、身体中を這う魔法の力が今も流れているのが肌感覚でわかる。それをいつでも起爆させることのできる思考力くらいは残っている。

 

「バカな、魔法は使えないはず……!」

 

 プエルをただのザコ魔法使いだと考えていたゆえの、ありえない事態に狼狽えたヘッドは、どっと汗をかきながら弾かれた左手を押さえた。当たりどころが悪いとはいえ、一撃で失神させられない時点で弱い放電魔法トゥルエノといえたが、たったそれだけのことでも翻弄されてしまっていた。

 

「使えないよ……でも、すでに使っている魔法は阻害されないんだっ!」

 

「ずっと発動しっぱなしだったってのかい⁉︎ オマエみたいなガキがそんな化け物だなんて――」


「僕程度で化け物だなんて言ってたら一生立ち直れないよ!」

 

 全身を駆け巡る放電魔法トゥルエノをボール状にして、最後の力を振り絞って全力投球――雷電纏う魔力の塊が風を切り裂き、彼女の腹に直撃する。その瞬間、ヘッドは雷光と共に大きく体を揺らした。身体中に擬似的な電撃が走り、彼女の意識をあっという間に奪い去ったのだ。ヘッドは白目を剥いて、そのまま地面に横たえた。それと同時に、吹き飛ばされてから近くまで戻ってきていた妖魔憑きの方も、どうやらヘッドの意識と連動していたらしく、どさりと倒れ込んだ。

 

「よ、よかった……」

 

「プエち!」と、シノカがそばに寄り、倒れ込みそうになったプエルを肩で支える。「よかった、かっこよかったよぉ〜っ! 好きぃ〜っ!」

 

「ま、まずはこの人たちを拘束します……」

 

 シノカの柔らかな肌に密着して照れたのもあったが、そちらをどうにかしなければ気が気ではない。フラフラになりながらも、プエルは小屋から縄を持ってきて、二人をカガが持っていたであろう丸太に縛りつけた。傷だらけのプエル一人での作業では時間がかかり、かといってシノカの手伝いは拒否したため、ちょうどその作業が終わる頃にヘッドの目が覚めることになった。

 

「――気がついちゃった」と、じっと様子を見ていたシノカが冷え切った視線を送る。

 

「この状況……チッ、ザマァないね」


 ヘッドは、丸太に縄でがんじがらめにされた自分と妖魔を憑かせた女を見て険しい顔をする。それから諦めたふうに肩を落として大袈裟なため息を放った。

 

「で、誰の差し金? コーガに客分がついたって話と関係ある?」


「チッ、知ってたか……だけどもう遅い、アタシはもう本来の役目を終えてるからね」

 

「やっぱり……目的は時間稼ぎだったんですね」

 

「プエち、気づいてたの?」

 

「いえ、なんとなくですが……山から妖魔がいなくなっていたことと繋がっていたんじゃないでしょうか。少し心配はあったんです。頭領任命の儀の最中は里が手薄になりますよね? それで、たとえば山の妖魔をみんな集めてしまって、里に向かわせる準備をしていた……とか」


「それでコーガの精鋭だけをウチの頭領候補たちに差し向けて足止めをしてた……ってこと? ナメられたモンだけど、実際に超重量挙げ歩きバーベリング・ウォーキングを優先しちゃって妖魔無しでも追い詰められちゃってるわけだし……ンでもでも、里にはおっさんがいるよ?」

 

「ええ、マスラオさんは確かに年齢が年齢でもとても強そうでしたから……多分ですけど、その客分は相当に自信があるんじゃないでしょうか。集めた妖魔の力を吸収してるとか、そもそもの物量で里を潰すとか、きっとそういう卑怯な作戦があるんだと思います」

 

「プッ、ハハハ!」と、ヘッドが吹き出して嘲笑った。「ガキのくせに読みが鋭いねぇ、そのことに気づけたのは褒めとくよ。でも一つ間違いだ、妖魔を集めたのはミノ様の保険でしかないよ。あの男はそんなもんに頼ったりなんかしないだろうね。ムカつくが、奴ならイーガの頭領なんて一捻りさ。なんてったってアレは眷属デーモンだからねぇ」


「うそ、眷属デーモン……?」


「話は聞かせてもらったわよ」と、背後からカガが顔を覗かせた。今も血は固まっていないが、布切れで胸を縛り自力で止血をしたようだった。血が足りないのか顔色は悪く、足元も覚束ない様子ではあるものの、今の傷だらけなプエルやシノカよりはよほど健康体といえた。

 

「カガちゃん! よかったぁ、動けそうで……」

 

「まぁ、無事とは言えないわね。アタクシの立会人がまさかコーガからの刺客だったなんて……でもこの通り、アタクシにはコレがある。筋遁之術キントンノジツは完璧な止血を可能にするわ」

 

 そう言いながら、カガは両腕で自らを抱きしめるようなポージングを取る。ギュッと鳴動する大胸筋が、いや、全身を駆け巡る生きた筋肉が胸の傷口を引き絞り、確かに流血を止めていた。人間業ではない――と、プエルは息を飲んだ。

 

「そんなことより、今の話が本当なら里が危ないわ。頭領候補のみんなの回収と、コイツらを元パートナーとしてアタクシが責任を持ってどうにか連行するから、アンタたちは先に里に戻ってこのことを伝えて!」


「だね!」と、丸太を手放そうとしたシノカの腕を、プエルは慌てて掴んだ。


「いえ、シノカさんはこのまま超重量挙げ歩きバーベリング・ウォーキングを達成してください」

 

「プエち……? でも、今はそれどころじゃ……」

 

「里は問題ありません。ただ、ゴールは立会人の権限でマスラオさんの家に変更します。たしか、土石流とかで山が使えなくなったような時や非常事態にはそうしても問題ないはずですよね」

 

「それは、そうね。でも、急がなくていいの?」と、カガが眉を歪めて疑問を口にする。

 

「急ぐ必要はありません。僕を信じてください。今は〝決めたことを貫き〟ましょう!」


 カガもシノカも顔を見合わせて困惑していたが、プエルだけは里の無事を確信していた。

 たとえ眷属デーモンが相手であろうとも、あの天才魔法使いジーニアス・ナレッジの敗北など想像することさえできないからだ。そう考えてシノカに超重量挙げ歩きバーベリング・ウォーキングを決行させた後、ジーニアスが半ば二日酔いの状態であることを思い出す。さらに、阻害魔法インペディメントが今も効いていることを再確認し、里に眷属デーモンが向かっていることを知らせることも出来なかった。山を突き進むシノカの後に続きながら、とんでもない申し出をしてしまったのではないかとプエルは一人冷や汗をかいていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る