なんとか言えよクソメス
勇者御一行の一人、リブラリィの弟子であると謳うモンジュ・マギアの孫として生まれたマホは、幼年期から天才だった。物心ついた時に炎の魔法を使ったことで「この子は世界一の魔法使いになるぞ!」と父親が騒いだのをよく覚えている。その頃からすでに家族だけでなく周囲からの期待を受け、やがて街全体からの期待を一身に背負うようになっていた。
十四回目の誕生日に名門ブレイカーズ大学校からの招待状を受け取ったことは、マギア家の誇りであるとともに、今でもマホ自身の誇りでもある。街全体が盛大にマホを送り出したし、学校では暫定的に実質最高ランクとされるA級
(こいつ、このあたしに何の興味もないの?)
まさしく順風満帆、天才魔法少女としての凱旋が始まったというのに、隣の席になった生徒が自分に何の興味も示さないことに気がついて、心中で悪態をついた。他の生徒はわからないことがあれば群がってきたし、マホの趣味や好きなもの、何を食べているのか、どんな魔法の練習をしているのか、あるいは何もなくとも入学からずっと誰かがマホに声をかけてきた。それなのに。それなのに、この隣の席になったヤツだけが、マホに一度も声をかけなかった。
その人物の成績はよくなかった。そのくせ、座学が終わったらさっさと帰っていく。実習訓練でも全く目立たず、無難な威力の魔法を使ってみせるだけで終わる。マホにやり方を聞けばもっと高威力の魔法を撃てるのに、絶対にそうしない。他の者はそうしているのに、コイツだけはそうしない。媚びない。見向きもしない。顔を合わせたことなど一度もない。あたしが最強なのに。教えを乞えばいいのに、とマホは次第にその人物を目で追うようになった。
ある日、先生に呼び出されているのを目撃した。遅刻や欠席もなく、これといった成果も出していないはずの平々凡々な子が呼び出しを受ける理由など想像もつかなかった。何の用で呼び出されたのかと、さらにもう一つ、毎日急いで帰っていったい何をしているのかと聞き出そうとした。しかし、その人物は逃げるようにして行ってしまった。マホはその子に
マホは震えた。落とされた雷は魔力によってずいぶんと強化されており、その魔力量は尋常ではなく、マホが全身全霊で溜め込んだ魔力を使い果たしてもまだ及ばないほどの圧倒的なものだった。あたしに見向きもしないはずだ、と自嘲さえした。同時に、許せなかった。これほどの力を持っていながら周囲に誇示しないことを。そしてそれとは対照的に、周りの人間にチヤホヤされて満足していた自分を。マホはこの時、同じ女としてプエル・アドラブルを
「――あたしがッ! 一番天才なんだからッ‼︎」
迫り来るグリホーンの双角に向かって両手をかざして吠えるが、マホの手からはぽうとうっすら光るだけの魔力の残滓がこぼれ落ちるのみだった。脚はもう動かない。立ち上がることさえできない。終わった、と思った瞬間、これまでの軌跡が走馬灯のように駆け巡った。パパに対してもう少し素直になれたならよかったのに、と今まで思いもしなかった後悔が押し寄せる。その時、マホの視界は真っ白になった。否、目を閉じていた。なんらかの強い衝撃に耐えきれず、自然と瞼が抵抗していた。けれど痛みはない。バッと目を開けると、突進したグリホーンが先程までマホのいた場所に激突し、瓦礫に包み込まれていく瞬間が目に入った。
「あ、あたし……生きてる?」と困惑するマホは、自分が何者かの腕の中に抱かれていることに気がつく。首を回すと、そこにはプエルの安堵した顔があった。
「よかったぁ……間に合ったぁ〜。こういうときは
「なんであんたが……あたしを……?」
「なんでって、そんなの当たり前だよ」
「あたし、あんなにイヤなこと言ったじゃない。わかってないの? あんたのこと、嫌いなのよ。あんたに助けられるなんて人生で一番サイアク、惨めに死んだ方がマシだわ」
そうじゃない。助けてくれてありがとうの一言が、どうしてあたしは言えないんだろう――マホは顔を伏せてプエルと目を合わせないようにするので精一杯だった。
「そう? もっとサイアクなことあると思うけど」
「何それ、何かの嫌味?」
「いや、二人まとめて一緒に死にそうだなって……」
プエルが視線を向けた先には、崩れた瓦礫から這い出てくるグリホーンの姿があった。その目はやはりマホに狙いを定めており、今も復讐の焔を灯している。
「あんたなんとかしなさいよ! 強いんでしょ⁉︎ あたしなんかよりよっぽど……っ!」
「本気で言ってる⁉︎ 僕がマホちゃんより強いわけないでしょ!」
「あの雷落とせばいいじゃない!」
「雷……? え、あっ、もしかしてこの前のこと見てたの⁉︎ あれはジーニアスさんの魔法だよ! 僕があんなの使えるわけないじゃないか!」
「こんなときにウソばっかり! ビアード先生とあんたしかいなかったじゃない! ビアード先生の恩寵は水って聞いてるし、不得意な雷魔法をあんな高威力にできるはずがない。ってことは、あんたしかいないのよ!
「いやいやいやいやいやビアード先生もジーニアスさんのことは知ってるから! なんなら聞いてくれても大丈夫だから! 本当に僕は弱いんだって!」
その青い
「あんた、本当に弱いのね……」
「そんなゴミを見るような目で言わなくても……」
「じゃあ逃げなさいよ! さっさと! バカじゃないの⁉︎」
「無理だよ!」
「はいはい体が震えて動けないってことね⁉︎ 魔法で吹っ飛ばしてあげるから離しなさいよ!」
グリホーンを吹き飛ばすほどの魔力は回復していないが、プエル一人を押し出す程度の軽い魔法なら使えそうだった。最後に借りを返すくらいのことはしたかった。そう考えたマホが力一杯にプエルの抱く腕を解こうとしたが、プエルはそれを真っ向から力で押し留めた。
「マホちゃんを置いていきたくないからだよ!」
「力強っ! なんなのよ! なんであたしのためにそこまでするのよ! わかるでしょ、あたしはもう動けないの! わかってよ、離してよ、あたしのせいであんたまで死……」
「マホちゃんは僕の憧れなんだ! ここで死なせてたまるかぁーッ!」
グリホーンが双角に集めた魔力を放出するのを察知して、プエルは足元に向かって
しかし、グリホーンの脅威は魔力だけでなく、その恐るべき身体能力にもある。グリホーンは石柱の先に立つ二人を見上げ、翼を広げた。そのとき、広げたはずの巨大な翼の片翼がぼとりと地面に落ちた。右の翼があったところからは真っ赤な血が噴出していた。
何が起こったのか、とグリホーンは羽ばたくことのできない翼を見やり、周囲を見回す。マホが無力となった今、近場のどこにも魔力を感じず、脅威となる外敵はもはや存在しないはずだった。それなのに、次に左の翼が落ちた。ぼとり、と。鋼鉄製の武器でさえ傷をつけられぬはずの両の翼を失い、困惑したまま、グリホーンはその首から上だけを逆さにして地面に転がった。
「プエルくん‼︎‼︎‼︎ 大丈夫⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎」
「サヤちゃん……!」
死骸と化したグリホーンを足場にして石柱の上のプエルに呼びかけたのは、全身に夥しいほどのどす黒い血をまぶしたかのような姿のサヤだった。手に持った剣もなんらかの血と脂でベッタリとしていて、どれほどの魔物を薙ぎ倒してここまでやってきたのか想像に難くない。
「うわぁぁぁぁぁぁああああああああん‼︎」
グリホーンが斃されたことを知ったのと同時に、緊張の糸が切れたマホは大声を上げた。ギュッと閉じられた目からは大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。
「あたし、同い年のあんたに負けたと思って、頭が沸騰してよくわかんなくなって、でもほんとはあたしより弱くて、それなのにあたしのこと助けてくれて……なんなの! こんなの器で負けてるじゃん! 同い年の女の子に助けられるなんてちっとも伝説じゃないよお……!」
プエルはずっとマホのことを『手の届かない天才』だと思っていて、だからこそ避けていた部分があったが、いま腕の中で泣きじゃくるのは、本人にしかわからない劣等感や焦燥感を抱える普通の女の子でしかなかった。そして、同い年にして同じ期待を背負って
プエルは腕の中で大泣きするマホを少し離し、改めて肩にぽんと手を乗せる。
「マホちゃんは間違いなく凄い子だけど、一つ訂正するね。僕は男だよ」
「へぇっ?」と、マホは顔を離してプエルのきれいな顔を見つめる。超一級の女性アイドルと言っても差し支えないほど整った顔立ちに、マホの眉間がしわくちゃになる。「うそ……」
「グリホーンが突進してきたときと同じ顔してる」
「だ、だって……こんなにかわいいのに。服だって!」
プエルは今日もひらひらのフリルのついた可愛らしい服を着ていたし、短めのスカートも履いている。髪はセミロングのウルフカットで、女性とも男性とも取りづらい髪型ではあるが、顔立ちや体型はもちろん、仕草から何から女性そのものだった。
「うちの村の伝統でね。姉さんがよく服を送ってくるから、男物は持ってなくて……」
「性癖?」
「違います」
「じゃあ、あたし、男の子に助けられた……ってこと?」
「え? うん、まあ。でも僕もマホちゃんに助けられたし」
プエルの言葉を最後まで聞くことなく、マホは突如真っ赤になってプエルからすばやく離れた。男性と関わった経験のないマホは、これまでつっけんどんな対応をしていた相手が男の子だったというだけで頭がショートしたのだった。そんなマホに冷え切った視線が送られる。
「で、そのメスなに? なんでプエルくんにくっついてたの?」
蚊帳の外にされていたサヤは貼り付けたような固い笑顔のまま指差した。
「ひぃッ!」真っ赤な血に汚れた笑顔に狂気を感じたマホは、思わず声を上げて再びプエルに抱きついた。自然と抱きしめる手にも力が入る。あの剣士はグリホーンをあっさり殺した。あたしでさえ全く歯が立たなかったのに、という口惜しさと同時に、化け物を見るような感覚だった。
「マホちゃんは僕のクラスメイトで」と言いかけたプエルだったが、サヤは言葉を続けた。
「ねえなんで? なんでくっついたの? わたしでも抱きしめたことないのに? なんでオマエが抱きしめてるの? もしかして見せつけてる? ネトラレ? 殺すぞ? わたしなんかにプエルくんは渡さないって言ってる? それともプエルくんを誘惑してるの? プエルくんかわいいもんね。そこだけは同意するけどオマエは殺す。ねえ、オマエに言ってるんだよ? なんとか言えよクソメス。喋れるように小指から一本ずつ切り落としてやろうか?」
「ステイ、ステイだよサヤちゃん」
「グルル……」と歯茎を剥き出しにして威嚇するサヤに手のひらを向けながら、プエルは
「サヤちゃん、南門はもう大丈夫なの?」
ここ王都パルティーダに出入りするための門は北と南の位置に存在している。北門は比較的穏やかな魔物が多いものの、はるか北方には過激なエルフたちの住む里があるため普段から王都の騎士団が警戒して守りを固めている。騎士団と
魔物の群れが南西からやってきただけあって南門から王都へ入ろうとする魔物は非常に多く、門の周りでは多くの
「んー……わたしはプエルくん助ける方が大事だなって思ったから……」
「実際に助かったけど、さすがに僕一人よりみんなの方が大事だよ」
「なんで? プエルくんより重い命なんかないよ。そこのメスだって今に首落ちるから」
「ヒッ」と、狂気じみた目に睨まれたマホはプエルの背中に隠れて小さくなった。
「どうどう、威嚇しない」
腰の剣に手を伸ばそうとしたのを牽制されると、サヤは肩をすくめた。
「なんか、どうでもいいやって思っちゃってさ。騎士団の偉そうな人が話してるの聞いちゃってね。『このままでは街がもたない』とか『この街を捨てるしかない』とか。こっちは頑張ってるのに、偉い人たちは自分たちに都合のいい人だけ選んで城に閉じ籠ろうとしてるんだよ? やってられないよ。だったらわたしもプエルくんだけ助けちゃおうって……」
「そっか、騎士団がそんなことを……」
だからといって、全ての騎士団員がその意思と共にあるとは限らない。現に、南門への襲撃に駆けつけてきた者もいるのだから、最後まで力を合わせて魔物を撃退することには意味がある。けれどサヤはそれを言って納得する人間ではないのでどんな言い方をすべきかと言いあぐねていると、南門の方から「ウオォォーッ!」と野太い歓声が上がった。
三人とも顔を見合わせて頷き、急いで駆けつけてみると、門の外には巨大な黒い竜巻が発生しているようだった。否、それは夥しい数の魔物の群れをなんらかの風の魔法で竜巻状にまとめて延々と回転しているだけだった。ただそれだけのことで、中にはグリホーンやマフィア・ファング、ボールドラゴンなどのA級討伐対象も混ざっていたが、彼らの類まれな体格や凶悪な力は完全に無力化されており、やがて群れらしい群れは竜巻が消える頃にはどこにも残っていなかった。
消えた竜巻が在った、その向こう側に人が浮いていた。それは誰から求められるでもなく、私欲でもなく、ただただ邪魔な群れをねじ伏せた、天才魔法使いジーニアス・ナレッジだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます