あたしが一番だって理解した?




 無理だ、とつぶやいた。王都を取り囲む壁から飛び降りてきた魔物を前に、プエルは立ち尽くしていた。それは曲がりくねった二本角を生やした頭に、広げれば全長二十メートルはあろうかという鷲の翼を持ち、下半身は剛健な獅子の姿をしている。これはA級討伐対象に指定されたグリホーンという魔物であり、A級討伐対象に指定される基準とは『被害甚大、出会えば死を覚悟せよ』である。そのことを知っていたからこそ、プエルは愕然としていた。C級護人ガードでしかないプエルでは為す術なく死ぬ。それほどの力の差がそこにある。

 

 そんな化け物に対して向かっていく護人ガードの少年がいた。プエルと同じくらいの年齢でありながら、果敢に火槍魔法フェゴ・ランザをぶつけている。グリホーンの恩寵は風であるため、火の魔法をぶつければ効果を期待できるが、並みの魔法使いではたいしたダメージにならない。案の定、少年の魔力ではグリホーンの分厚く堅い皮膚に阻まれてしまっていた。自分に対して攻撃をしてきた存在がいる、と気がついたグリホーンが翼を羽ばたかせ、少年に向かって突進した。

 

石切魔法ピエドラッ!」と、その光景を見たプエルは何かを考える間もなく宣言レシタルした。


 魔法はイメージが全てだ。魔力量はもちろんだが、術者の想像力次第で効力や効果範囲は大きく変化する。魔法をより確固たる現象として現実の世界に顕現させるため、魔法の名前を言葉として口にする。これを宣言レシタルという。宣言しなくても問題なく魔法を使うことはできるが、よほど熟達した魔法使いでもなければ、宣言レシタルした方が強力な魔法になるのは常識である。

 

 プエルが宣言レシタルした石切魔法ピエドラという魔法は、大地を任意の形に隆起させる生活魔法の一種で、地形を変える工事にも、攻撃にも防御にも使える万能の魔法だ。石切魔法ピエドラは少年とグリホーンとの間に石板のような形となって隆起し、すんでのところで少年を守ったが、グリホーンの突進を防ぎきれたわけではなく、勢いを殺されながらも石切魔法ピエドラをバラバラに破壊した。少年は吹き飛ばされた瓦礫に包まれてしまったかに見えて青ざめたプエルだったが、そこに少年の姿はなかった。

 

「えっ?」

 

「こういうときは石切魔法ピエドラより繰寄魔法アトラエル! 常識でしょ?」

 

 背後から声をかけたのは、マホだった。真紅の髪をかき上げて余裕の笑みを浮かべている。その隣には先ほどの少年も座り込んでいる。繰寄魔法アトラエルは目には見えない魔力の糸を伸ばし、対象を引き寄せることができる魔法だ。なんらかの理由で身動きできなくなった仲間への緊急回避手段として非常に有効であると、ブレイカーズ大学校の座学でも習った内容だった。

 

「よがっだ、よがっだよ"ぉ"、僕のぜいで殺じちゃっだがど……」

 

「すっごい泣く……でも、あんたでも判断を間違えることあるのね」ふふん、と得意げに鼻を鳴らして、マホは右手に魔力の炎を宿らせた。「それより、今はあいつね」

 

 マホの吊り目が捉えたのは、未だ外敵を排除せんとするグリホーンだ。マホの魔力量を前にして躊躇したのか出方を伺っているが、一瞬でも隙を見せれば食い殺すという気迫があった。

 

「ねえ、そこのあんた」と、マホはグリホーンから視線を外すことなく隣の少年に言った。

 

「は、はい!」

 

「ここから離れて先生を呼んできて。水晶魔法スマホは使えるでしょ?」

 

「え、でも、ふたりは……?」

 

「うるさいっ! いいからさっさと行きなさいよ! 全力出すのに邪魔なのッ!」

 

 叱咤を受けた少年は慌てて逃げ出した。その背中に狙いをつけて飛びついたグリホーンに、マホは即座に火槍魔法フェゴ・ランザ宣言レシタルしてぶん投げた。横っ腹に火炎の槍を突き刺されたグリホーンは呻き声を上げ、その巨体を隣にあった八百屋へともたれかかるようにして倒れ込んだ。野菜や果物が無惨に潰れ、辺り一面が黄色や赤、緑など奇妙な色模様になった。

 

「凄い! マホちゃんの火槍魔法フェゴ・ランザってこんなに強いんだ!」

 

「こんなもんで簡単に褒めないでよね。あんたより天才だってこと、教えてあげるわ」

 

 一時的に倒れはしたものの、グリホーンは初級攻撃魔法である火槍魔法フェゴ・ランザを一発もらった程度で絶命するような魔物ではない。すぐに体勢を立て直し、前脚のかぎ爪を開いてマホに飛び込んだ。

 

掌握魔法アガラル!」とマホが左手を握りしめると、グリホーンの前脚がピタリと止まった。その太い四肢をマホの創り出した魔力の輪がギュッと締め付けており、グリホーンの動きを完全に止めた。大きな両翼を羽ばたかせて抵抗してみせるが、マホはそれを許さない。

 

「こうべを垂れて死になさい! 爆炎魔法エクスプロシオン――ッ!」

 

 左手による魔法で拘束したまま、右手で上級攻撃魔法である爆炎魔法エクスプロシオンを放った。グリホーンの顔面で盛大な爆発が起こり、煙幕を焚いたような黒煙が辺りを包み込んだ。これほどの至近距離で放てば自分にも被害が及ぶ強力な魔法だが、マホはさらに三つ目となる防護魔法プロテクシオンを同時に展開しており、プエルやマホには火の粉の一つさえふりかかることはなかった。

 

 やがて煙は薄れ、そこには頭を黒焦げにしたグリホーンの残骸があった。頭部だけでなく、爆炎魔法エクスプロシオンによるダメージは胴体から巨大な両翼に至るまで広がり、背後の建物まで黒く焦げている。爆炎魔法エクスプロシオンはもともと強力な魔法だが、マホの魔力量がそれをさらに重い一撃に変えたのだ。

 

「どう? あたしが一番だって理解した?」

 

「すごいよマホちゃん! グリホーンを一人で倒せるなんて……!」

 

「ふふーん、まぁね? あたしにかかればこれくらいは序の口よ。まだまだ余力もあるし?」

 

「あんなに連続して強い魔法使ったのに魔力尽きないんだ……すごい……」


「何言ってんのよ、魔力が尽きるなんて二流じゃない。魔素を取り込みながら魔法を使えばいいんだもの」と、普通は出来ないことをさらっと言ってのけて、腕組みをしながらフフンと鼻を高くする。「ほらほら、そんなことよりもっとわたしを褒めなさい!」


「そんなこと、じゃないんだけどなぁ」


 魔法の源となる魔素は空気中に存在しているが、それを取り込むのは睡眠中にしか出来ないとされている。脳が魔素を嫌うという説もあるが、未だはっきりしたことはわかっていない。やっぱりマホちゃんは天才なんだ、とプエルは自分との差を強く意識した。

 

「ねえねえ」と、マホはちょこんと座り込み、倒れたグリホーンの残骸を指差した。「グリホーンの角って良い素材になるんだっけ?」

 

「うん、武器とか防具とか……僕たち魔法使いには集中力を高めるための杖なんかにも使えるね。でも今は剥ぎ取ってる場合じゃないよ。魔物の群れが来てるんだから」

 

「うっさいわね、記念に取っておこうと思っただけじゃない」

 

 むすっとしながら立ち上がり、マホはスカートの裾を手で払う。自信満々ではあったが、A級討伐対象を一人で倒したのは初めてだったのだろうことが窺える。そんなマホから視線をグリホーンに移したプエルは、グリホーンの角の形状がいびつであることに気がついた。

 

「でもオスだね、このグリホーン。オスの角はあんまり価値がないんだ。ぐにゃぐにゃで加工しづらい上に魔法の力が込められないから。あ、そっか、だから角を使って攻撃してこなかった――」


 あることにはっと気がついた瞬間、マホの足元になんらかの影が落とされた。上空に何かが迫っていると思い至って視線を上げたときには、マホが吹き飛ばされていた。

 

「マホちゃん⁉︎」と叫ぶと同時に突風が襲い、プエルは後方に転がり込んだ。


 ズン、と建物の壁面から音がしたのはその直後のことだった。マホは吹き飛ばされた瞬間に浮遊魔法フロタンテを使って衝撃に備えたが、間に合わず慣性により背中から激突してしまったのである。身体中に激痛が走り、マホは口から血をぽたりと吐き、その場に赤い斑点が作られた。上空から二人に強烈な突風を浴びせたのは、二体目のグリホーンだった。

  

「な、なんで……もう一体いたの……っ⁉︎」

 

 肩で息をしながら困惑するマホに、プエルはかぶりを振る。

 

「そうじゃないんだ、マホちゃん。グリホーンは基本的につがいで行動するんだよ。むしろ、さっき一体で行動していたことが異常で……くそ、眷属百鬼夜行デーモン・スタンピードだっていうことを忘れてた。異常行動があって当たり前なんだ。マホちゃん、動ける? 早く先生のところに――」

 

「逃げろって言ってる? 冗談。このあたしに傷をつけたこと、後悔させてやるんだから」

 

 背中を強打したせいか、強気な言葉とは裏腹にマホの脚はがくがくと震えていた。それでも右手からは炎の魔力が溢れ出していた。天才ゆえに、どんな時でも魔法を使う精神力があった。

 

「ダメだ、マホちゃん!」

 

 先ほど爆炎魔法エクスプロシオンの一撃で沈められたことを知ってなお、プエルはマホの攻撃を制止した。その理由は一つ。グリホーンがA級討伐対象に指定されているのは、オスとメスが同時に襲いかかってくるからでもあるが、その実態としてオスはB級討伐対象でメスは一体でもA級討伐対象となっている。つまり、今のマホはB級討伐対象を倒せただけに過ぎない。メスのグリホーンは獰猛で、かつ、つがいであるオスのグリホーンを殺された今、怒り狂うことが目に見えていた。


爆炎魔法エクスプロシオンッ! 爆炎魔法エクスプロシオンッ! 爆炎魔法エクスプロシオンッ! 爆炎魔法エクスプロシオン――ッ!」

 

 マホは感情任せに脅威の上級攻撃魔法四連打を撃ち込み、そのまま倒れるようにして地に膝をついた。一時的に魔力が尽きて心身に限界が来たからだった。これで倒せても倒せなくてもあとは死ぬだけ、という気概さえあった。


 四連続の大爆発を受けたグリホーン――が空中静止していた場所は黒い爆風で何も見えなくなったが、次の瞬間には翼のひとかきで爆煙が霧散し、その巨体が舞い降りてきた。そこにあったのは、まったくの無傷でマホを見つめるグリホーンの冷たい瞳だった。


「うそ……」と、マホが青ざめたのを嘲笑うかのように、グリホーンは鼻息を荒くする。それから天を衝くような立派な双角を突き出し、つがいを殺したマホに向かって突進した。

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