アイドルにならない?




 リブラリィ・ナレッジ――勇者リドル・ブレイクと共に魔王と討ち倒した伝説の魔法使い。数多の後進を育てており、史上最も偉大な魔法使いとして語り継がれている。晩年はどこかに隠居し、その最期を誰にも告げずにこの世を去ったとされている……が、今も生きている上に女の子になっていたとは、弟子であったはずのジーニアスですら知らない。


「ようこそ、魔法少女養成所へ」


 ラブリと名乗った元リブラリィ・ナレッジは、揚々とソファーに腰掛けて言った。そのソファーは年代物のボロ布で覆われ、中の詰め物がところどころ顔を覗かせている。彼女が軽く腰を下ろしただけでも、ギシギシと悲鳴を上げるような音が響く。


「養成所……」プエルは目の前の光景に驚きを隠せなかった。薄暗い部屋には、ひび割れた石の壁が無造作に立ち並び、天井にはクモの巣が張り巡らされている。そちらに目を向けると、錆びついたランタンが天井からぶら下がり、その微かな明かりだけが部屋を照らしていた。


「なかなか良い部屋じゃろ?」とラブリは微笑みながら言った。「なんと家賃一万ドレンじゃ」


 納得の家賃だった。普通の借家なら安くても月六万ドレンはかかる。部屋の中央には、大きなオーク材のテーブルがあったが、その表面は長年の使用で擦り切れており、何らかの古びた巻物と乾きかけたインク壺が無造作に置かれている。テーブルの脚は不揃いで、今にも崩れそうだ。


 窓際には、古びた木製の椅子が一つだけ置かれていた。椅子の背もたれは壊れかけており、座ると腰に負担がかかるだろう。窓ガラスは薄汚れていて、外の景色はぼんやりとしか見えない。外には荒れ果てた庭が広がり、草木は手入れされずに伸び放題だった。


「あ、あの、本物……なんですか? あなたが、あのリブラリィ様……?」

 

 かの高名なリブラリィ・ナレッジがこのような酷い環境に居を構えているなど、到底信じがたい。きょろきょろと部屋の中と外とを見回すマホの目は、猜疑が見え隠れしていた。

 

「本物じゃよ? リドルたちと旅をした、そのリブラリィ・ナレッジじゃ。今はラブリじゃが」

 

 勇者御一行といえば、嘘を許さず悪を討つリドルをリーダーとして、巨竜を大剣の一振りで薙ぎ倒すという剛腕のバトレと、最高峰の治癒魔法を自在に操るルシア、そして常に宙を浮いて行動する〝歩かない大書院〟リブラリィだ。この四人の名前を知らない者はいない。リブラリィは魔王討伐の旅に出たときからすでに老齢で、口周りにはたっぷりの白い髭を蓄えていた。このような幼い少女のはずはないのだが、彼女の振る舞いはリブラリィ本人そのものだとしか思えなかった。


「リブラリィ様……いえ、ラブリ様!」マホは迷いながらも決断する。「勇者御一行について知っていることを聞かせてください! 本物かどうか確認したいので!」

 

 ラブリが自称する通りに本物ならば、このようなテストなど失礼極まりないことだ。それを理解していながらも、マホはそうせざるを得ない。リブラリィ・ナレッジといえば、全ての魔法使いが憧れる天才魔法使いの筆頭だ。それをこのような少女が騙っていた場合、到底許されることではない。プエルも一端の魔法使いとして、その気持ちは十分に理解できた。

 

「構わんよ。しかしこんなかわゆい子に問い詰められるの、ゾクゾクするのう」

 

 ずいと接近してその顔を見つめるマホに、ラブリは鼻の下を伸ばした。

 

「気持ちわりぃジジイだな……」

 

「ジーニアスさんとそう変わりませんよ」

 

「え⁉︎」

 

「では質問です!」マホは声を張り上げてどこからともなく資料を取り出した。「勇者御一行はどんなパーティでしたか? それぞれの特徴を挙げてください」

 

「ふーむ」抽象的な問いに、ラブリは顎に手を当てて少しばかり考えるそぶりを見せた。「わし以外はみんな脳筋じゃったな」

 

「ノーキン……」マホは予想だにしない返答に固まった。「で、でも勇者リドルはどんなに高い壁も乗り越えて見せた勇敢な剣士で……」

 

「リドルのヤツは特攻するだけが強みのヤバいやつじゃぞ。実際に高い壁に穴を開けて進んだのが概念的な伝わり方をしたみたいじゃが……ヤツは固有魔法である廻天する星の鋸剣ギガ・リドル・ブレイカーがなければただのバカじゃ。ヤツに助けられて誉めそやす者は多いが、魔王討伐に向けて突き進んだ結果、たまたま人助けに繋がっただけに過ぎん」

 

「えっと……それじゃバトレ様は?」


「バトレは手足を振り回すことしか能が無いアホじゃな。ドラゴンに全裸で戦いを挑んでそのままバーベキューにした男じゃぞ。旅のほとんどを裸で過ごしたのは後にも先にもこの男くらいじゃろ。魔王にも『服を着ろ』と突っ込まれておった」


「でも、ルシア様は……!」

 

「紅一点だと思うじゃろ? 皆が脳筋になった元凶は主にコイツじゃ。元は治癒魔法の使い手として着いてきとったんじゃが、ルシアの治癒魔法が上手すぎるせいでみんな特攻癖がついて、そのうちルシア自身も特攻しながら杖でぶん殴るようになったのう。全身から血を流しておるのに笑いながら魔物をボコボコにする姿、はっきり言って今でも怖い」


「ウーン……ルシア様の清楚なイメージが壊れる……」

 

 マホは水晶魔法スマホに投影された優しい微笑を湛える修道女の顔写真を見つめながら肩を落とす。


「ジジイはロリコンこじらせてロリになる始末だしなぁ」


「うぅ……っ」

 

 リドルの廻天する星の鋸剣ギガ・リドル・ブレイカーを知っていることと、ルシアが最上級の治癒魔法の使い手であること、バトレがほぼ半裸で過ごしていたこと、それに加えてジーニアスという天才魔法使いを育てた実績もあり、ラブリがリブラリィ本人であることは間違いない。認めたくはないようだったが、マホは歯を食いしば里ながらもその事実を咀嚼したようだった。


「ヤツらには苦労させられたわい。じゃが……」彼らに対して悪態こそ吐いたが、その目は慈しみを帯びていた。「それなりには楽しかったのう」


「つうかジジイ、この魔法解けよ」

 

 ジーニアスは腕で胸を押さえながら口を挟んだ。いくら適齢期の女なら誰でもいいジーニアスでも、女である自分には関心を向けられないらしく、不満げに口を尖らせる。

 

「わしには解けん」

 

「は⁉︎」

 

「自発的には解けんが、自然に解けるわい。わしはその都度かけ直しておる」

 

「自然にって……一時間とか?」

 

「平均して一週間くらいかの?」


「なげえ! 正気かよ!」


「まだ完成してそれほど経ってないからのう。不安定なのは仕方ないじゃろ、新しい魔法というのは常にトライアンドエラーのその先にあるものじゃ」


「師匠っぽいこと言いやがって……」

 

「そういえば」と、師匠というワードではたと気がついて、プエルは閑散とした室内に目を向ける。「この養成所、生徒がいませんね。本物のリブラリィ様がやってるんだったら、大盛況してそうなものですが……」


「おお、そうじゃ。実は生徒たちが辞めてしまってのう」

 

「ジジイがしごくからだろ」すかさずジーニアスが悪態をつく。二人が師匠と弟子の関係だった頃に、ジーニアスがどのような〝しごき〟を受けていたかの想像がつく。


「そうじゃない。辞めた理由はなんとなく察しておる。向かいの事務所に入るためじゃろう」


「事務所?」

 

「アイドル事務所があるんじゃよ。わしのところに来た子はみんな美少女を厳選しておったからのう。わしのダイヤの原石……」

 

「どうしよう、生粋のロリコンだわ」と、マホが顔をヒクつかせる。憧れの天才魔法使いの危うい側面を垣間見て、それでも憧れの方が勝っているようではあったが、旗色は悪い。


「ま、そういうわけで生徒がおらんから、そのへんのオッサンに女体化魔法バビニクをかけてうちの養成所に通わせようと思っておったところに、ジーニアスが邪魔をしたというわけじゃ」

 

「俺のせいかよ……って、アレおっさんだったの⁉︎ ァーッ!」


 大粒の涙と共に喀血したジーニアスを筆頭に、あの場にいた美女という美女が頭を過ぎる。特にジーニアスのお気に入りだった未亡人のような女は肉感的な体をしており、とても元が男だとは思えなかった。がしかし、それは今のジーニアスにも同じことが言える。


「というわけで、おぬしにはその賠償をしてもらおうかの」


「ば、賠償? ってことは、つまり生徒探しを手伝えと……?」


「そうと決まれば出発じゃ!」

 

「まだ返事してねえけど⁉︎」


 浮遊するラブリに首根っこを掴まれ、ジーニアスは無抵抗に引きずられていく。さすがのジーニアスでも実の親同然の師匠に全力は出せないのか、なすがままだ。あるいはラブリの実力がジーニアスを上回っているからなのか、プエルの目からはわからなかったが、少なくとも、口では悪態を吐きながらも二人の関係はそう悪いものではなさそうに見えた。


「あのジーニアスさんが振り回されっぱなしだ」


「ほんとね。いつもは傍若無人の変態なのに」

 

「マホちゃんも結構キツいこと言うよね」

 

「はぁ? 別にアンタにキツいこと言ったことないじゃない」

 

「そう、だね……感じ方は人それぞれだよね」

 

「何なの⁉︎ それどういう意味よ!」

 

 マホに追いかけられながら養成所の外へ飛び出したプエルは、先に行った二人に視線を走らせる。その背中を追って駆け出した直後、何者かにぶつかってぺたりと尻餅をついた。

 

「ご、ごめんなさい!」

 

 咄嗟に謝罪の言葉を口にしながら視線を上げると、そこには見知った顔があった。


「え、Pちゃん⁉︎」

 

 嬌声にも似た、甘く澄んだ声が耳に届く。目の前に立つ女性は、まるで絵画から抜け出してきたかのような美しさだった。栗色の長い髪がゆるやかなウェーブを描き、柔らかな陽光を受けて輝いている。洗練されたメガネの奥には、驚きと喜びが混ざった表情が浮かんでいた。


 彼女は完璧にフィットしたブラックスーツを身にまとい、短めのスカートが長く伸びた脚を強調していた。こぼれ落ちそうなほど豊満な胸元は、スーツの厳かさと不思議なほど調和している。その立ち姿からは、仕事への自信と能力が滲み出ていた。


 その精悍な雰囲気とは裏腹に、彼女の目には柔らかな光が宿っていた。それはプエルをじっと見つめ、幼い頃から変わらない愛情を湛えていた。彼女こそが、プエルの姉エルマナ・アドラブルだった。職務中の鋭さを残しつつも、弟を見つけた瞬間、その表情は溺愛する姉そのものに変化していたのだった。


「姉さん⁉︎」

 

「えっお姉さん?」と、後ろからついてきたマホが彼女に視線を向ける。

 

「あら可愛い、お友だち? 弟がお世話になってます」

 

「あっ、どうも……」

 

 先ほどまでの勢いがどこかへと消え失せ、借りてきた猫のように萎縮する。他人との間に壁を作りがちなマホらしく、プエルの肩に隠れてしまった。そんな小動物のような反応が微笑ましく見られてしまうことには気がつかないようだった。

 その後ろから、密かに戻ってきていたジーニアスがひょっこりと顔を覗かせた。目は血走り、鼻息も荒く、地獄耳でプエルの姉と聞いて慌てて戻ってきたのは明白だった。

 

「プエルのお姉さん⁉︎」

 

「こんにちは、あなたもPちゃんのお友だち?」

 

「紹介するよ、姉さん。この人は僕の師匠――」

 

「デヘヘッ、お姉さん胸デカいって言われるでしょ」

 

 紹介を遮り、ジーニアスは我慢しきれずに鼻の下を伸ばした。顔つきも体つきも完全に女性化しているのにもかかわらず、やはりジーニアスはジーニアスのままである。

 

「はいノンデリ。貴女への興味は失われました」

 

「は⁉︎ 俺にだけキツくない⁉︎ 我いま爆乳美女ぞ⁉︎」

 

「自分で爆乳美女とか言っちゃう人はちょっと。Pちゃん、お友だちは選んだ方がいいわよ」

 

 エルマナは眉を垂れ下げて苦言を呈する。言われるまでもなくジーニアスを友人に選ぶつもりはない。ついでに、初対面の女性にいきなり胸デカいとか言っちゃう人は一生モテないだろうな、と頭の中でエルマナの言葉に付け足す程度には同意しかなかった。

 

「そうだPちゃん、ちょうどいいところに来てくれたわ!」はたと気がついたようにパンと手を叩いて、エルマナはプエルの肩に手を乗せた。「Pちゃん、アイドルにならない?」


「僕が……アイドルに⁉︎」

 

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天才魔法使いの天才魔法使いによる天才魔法使いの為のモテ必勝法 ドバーデル・ベン @deruben

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