筋遁之術《キントンノジツ》
頭領になるためには里の過半数に認められなければならない。そのために
まだ日も上がりきっていない開会の直前、広場には二十名ほどが集まっていた。それぞれ自慢の筋肉を惜しげもなく曝け出していて、気合いは十分といった面持ちだ。中には男顔負けの逞しい女性もちらほらと立っていたが、どこか自信なさげでもあった。いずれも男社会たるイーガの里で一番を取れるなどとは思っておらず、記念に参加する程度の意識にも見える。
そんな中、簡単な下衣と晒し布一枚を胸に巻いただけの大胆な格好で、自慢の艶やかな長い白黒の髪を煌びやかに結い上げていながら、腕組みをして意気揚々と立つシノカの存在はやはり異様と言えた。男らしさも、女らしさも、どちらも併せ持つ自分こそが一番であると疑わない目だ。
ややあって、長い顎髭を蓄えた現頭領、マスラオがステージに立った。そこでシノカの存在に気がついたマスラオは、うむと頷き、遠目にプエルへ視線をやった。参加の決め手となったのは、プエルの説得あってのことだと察したのだ。それからマスラオは大声を張り上げて宣言する。
「皆の者――まずはよく集まってくれた。頭領となるのに相応しい者が誰であるのか、これよりその任命の儀を執り行う。と、その前に。頭領任命の儀の内容がその都度、現頭領が考案することになっておることは知っておるだろう。そこで吾輩は半年にも渡って考えに考え抜いた。が……ここはやはり
うおおぉぉぉおおお! と広場が湧き上がった。隅の方で聞いていただけのプエルがジーニアスと顔を合わせながら首を傾けると、隣に立っていた観光客であろうメガネの男が神妙な顔をしながら「なるほど、
「何か知ってるんですか?」
「頭領の姿を切り出した丸太を抱えたまま山から街へと大移動する鍛錬法の一種です。なんでも、まだ里としての機能が整っていない頃に流行病に襲われてしまい、初代頭領が山から街まで百人もの病人を抱えたまま運び、無事に全員を救った逸話から生まれたという話です。一度持ってみればわかりますが、数百キロという重量がある丸太を抱えて行動するのは鍛え抜かれたシノビマスルのニンジャでも難しい。瞬発力、持久力、そして純粋な
「すごい早口ですね」
「そんなやついたら怖いよ。どうやったら人一人が百人も運べるんだよ」
「あくまでも実力を見るためだけのものですが、これを達成した者が頭領になると言っても差し支えないでしょう。なぜなら――」と、二人が引いているのも構わず喋り続けるメガネ男とプエルの間に、シノカが顔を差し込んだ。「それを達成した人は全員頭領になったから、なんよね」
「シノカさん! その格好かっこいい! すごく似合ってますね!」
「あんがとープエち! プエちもかっこいいよ!」
「全然思ってないでしょ! からかうの禁止ですっ!」
頬をぷにぷにとつままれたプエルが苦い顔をする中、ジーニアスは彫りの深い深刻な顔になっていた。
「エ、エロい……その布一枚の下に俺たちのでっけえ夢が詰まってるってのか……⁉︎」と、垂れてきたよだれを袖でぬぐい、プエルに鋭い視線を向けた。「つーか、おまっ、プエルテメこの、いつのまに仲良くなりやがった! その裏技教えろ!」
「ジーニアスさんが依頼のこと忘れて酔い潰れるからでしょ」
「いやそれは……必要経費っつーか……俺の前でイチャイチャするやつが悪いっつーか……」
「昨日もキモかったけど今日もキモいねーアンタ! 面白いけど!」
「おい、プエル聞いたか⁉︎ 俺のこと面白いって! おもしれー男認定⁉︎ ってことは、脈あり⁉︎ これ脈ありか⁉︎ なあどう思う⁉︎」
「キモいって言ったのは聞こえてないんですね」
なんとも都合のいい耳だと嘆息したプエルは、ふと先ほどまで
「あれ、どうしたんですか?」
「いえ、シノカさまがいらっしゃったので……わ、私などがお話ししていい存在では……」
メガネ男は過呼吸気味にふうふうと肩で息をしながら鼻息を吹かす。
「え? なになに? おしゃべり? いいよ別に、どしたん?」と、シノカが小首を傾けるとしゃらりと金色の頭飾りが揺れた。メガネ男はそこに後光を幻視し、燦然と輝く太陽を目の前にしたかの如く、両腕で目隠しをしながらよろめいて半歩下がった。
「シ、シノカさまはまさにイーガの
「草葉の陰ってそれ死んでっから! ウケるぅ〜」
「〝ウケる〟いただきました……もう死んでもいい……」
ケタケタと笑うシノカとは正反対に、天を仰いだ彼は大粒の涙をこぼしながら立ち去った。それは、この世の全てを手に入れた者の、堂々としていて満ち足りた背中だった。
「なんだったのかしらねぇ、あの子」
一人が去ったかと思えば、見知らぬ無精髭の男性がジーニアスの背後から声を上げた。そこいらのニンジャたちよりも一際大きい体を猫のように丸めてジーニアスの両肩を掴んでいる。その腕はそれこそ丸太のように太く、そこから繋がる胸筋の仕上がりはまるで双子の山そのものだった。
「ゲェッ! 髭面のオカマ二体目なんだけど⁉︎」
「ンマァ失礼な殿方! 可愛い顔してたからスキンシップしようと思っただけよ?」
「なんで俺んとこにはこんなのばっか来んだよ!」
「おっ、カガちゃーん!」シノカが手を挙げると、カガと呼ばれた男も手を挙げ、二人は「いえーい」と言いながらハイタッチをした。「カガちゃんも参加すんだ?」
「ええ、もちろん。頭領の座はアタクシが頂くわよ」
「あーしだって負けないかんね〜っ!」
拳と拳をこつんと当てる。このわずかな時間でも、二人の仲の良さが窺い知れた。女であろうとするという点では、二人は同じ道を歩んでいると言えるのかもしれない。
一同が雑談をしている間に、主催者であるマスラオからの説明は終わっており、頭領候補者の前にドンと丸太が置かれた。おおよそ直径六十センチ、全長二メートル程度に加工された丸太に、マスラオが何ヶ月も前から初代頭領の顔を彫ったものだ。ただでさえ威圧感のある丸太が、候補者全員の元に置かれたことに加え、それぞれに彫られた顔にジッと見つめられると圧迫感があった。
「えっ、これ……すごく大きいですよ」
「プエち持ってみる?」
「はいっ」と元気よく返事したものの、「んっ、んん、あぅっ」と重さに喘ぐばかりで一ミリと動かせないままあっさり力尽きた。「わかりきった結末でした」
「ん〜プエち、かんわぃ〜いっ!」
「ほーんと、食べちゃいたいくらい!」
右隣でシノカが、左隣でカガが悶える。後者の大きく開いた口には本当に食べられてしまいそうだ、と冷や汗をかいた。そんな中、ジーニアスが丸太の前に立つ。
「こんなもん、こうすりゃいいだろ?」と、シノカの丸太を自在に浮かせてみせる。それどころか、気づけば周囲の者たちの丸太ごと全てを浮かせていて、辺りは騒然としていた。
「ピピーっ! はいそこのヘンタイ失格〜っ!」
シノカは吃驚することなく、ビシッとジーニアスを指差して軽い口調で言った。
「なにィっ⁉︎」
「ヘンタイな自覚あったんですね」
「西の魔法はねぇ、使っちゃダメなんよ。頭領任命の儀は〝己の力のみを拠り所とすること〟って決まってんだー。使っていいのは東の魔法――つまり
「
「こういう感じ、ね!」プエルとシノカの間にぬっと体を差し込んできたカガは、掲げた両腕を折り曲げて拳を握り締め、極太の
「え、っと……?」
ただ、それに魔力は感じられず、ジーニアスも「魔力ねーよな?」とプエルに耳打ちした。
「これは筋肉を肥大させる
カガは
「わかった、わかったからポージングはもういいよ」
魔法が使えないとわかるやいなや、ジーニアスは途端にやる気をなくしたようだった。腑抜けたジーニアスの背後に、いつのまにか寄ってきていたマスラオが立つ。
「先ほど丸太を浮かせたのはやはりジーニアス殿ですな?」
「お、おう……魔法使っちゃダメなんだって? 悪かったよ、水差しちまった」
「いえ、とんでもない。あれほどの丸太を同時に浮かせるとは、恐るべきは魔法の力……しかと見させて頂きました。それに、まだ始まっておりませんから、一切の問題はありませぬ。丸太と候補者をそれぞれの位置に配置してからの開始となりますゆえ。それで、ものは相談なのですが、丸太を運ぶのを手伝ってもらえませぬか? 無論、報酬は別枠として支払わせていただきましょう」
「えー……?」
「よかったじゃないですか、初めて人の役に立てますよ」
「人を役立たずみたいに言うな、泣くぞ」
「それから、プエル殿にはシノカの立会人をお願いしてもよろしいか?」
「えっ、立会人?」
「候補者一人につき立会人一人を付けるのですが、不正が無いようにするため、可能なら里とは無関係の第三者にお願いしておるのです。なので観光の方などに立会人をお願いすることも多いのですが、ちょうど一人足りていなかったのですよ。お願いできますかな?」
「うぅ……っ」
「や、やります……」
「よかったな、役に立てるじゃねえか」と、ジーニアスが意趣返しとばかりにニヤニヤとする。
「では、位置に付きましょう。他の候補者たちはすでに向かっております。ジーニアス殿! 指定しますので丸太をそれぞれの場所に運んでくだされ!」
「へいへい、って俺一人で全部やんのかよ!」
文句を言いながらも、ジーニアスは二十以上もの丸太を同時に浮遊させた。それからマスラオに付き従い、その背中をついて行った。
「よーし! そんじゃプエちよろ〜!」
シノカはバシバシとプエルの肩を叩き、軽快に走り出した。それは位置に付くまでに体力を温存しなくても問題ないという自信の表れだ。
プエルは叩かれた肩にヒリヒリとした痛みを感じながら、シノカのスタートラインに指定された麓に向かってよろよろと歩き出した。
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