あーし、キスされちゃう?

 

 

 

「僕は素敵だと思う」と、彼は言った。

 

 シノカの力が強すぎることを不気味に思わず、お姫様になりたいと語る彼女の夢を少しもバカにしたりせず、彼はどちらも素敵だと言った。

 

「でも、こんなに強いと守られるより守るほうじゃないかなぁ?」

 

 幼いシノカは己の強さに恐怖していた。初めてその力を見せたのは、シノカ自身も覚えていない頃、まだ赤子のときだった。父親が戯れに指を掴ませたとき、赤子のシノカは父親の指を粉砕したときだった。それから母の乳首を吸い、その乳首をちぎってしまったこともあった。力をコントロールできない頃に、そういったさまざまな事があり、耐えられなくなった両親はシノカを泣く泣く川へ放流した。そうして流れ着いた先――シノビマスルの里では、その強さを喜ばれた。けれど、そこで自分の力が異常なのだと気づくのにそれほど時間を必要としなかった。

 

「シノカちゃんは力が強い。それは事実だ。でも、とても可愛らしい女の子でもある。どっちもきみの本当の顔で、どっちも素敵なことだ。守るとか、守られるとか、男女という括りでそういうものに縛られる必要はないんだ。それでいいんじゃないかな」

 

「でも、男の子より強いなんて、可愛くないよ」

 

「きみが自分のことをどう思っていても、僕にとっては可愛いお姫様だ」

 

 日頃から王子様になると言っていた彼は、オモチャの王冠をお互いの頭に載せて、二人で約束を交わした。一人は、王子様になること。もう一人は、お姫様になること。そして、王子様はお姫様を迎えに行くこと。その約束は十五年もの時を経た今も果たされていないが、今もシノカの脳裏には、もう思い出せなくなった彼の顔がぼんやりと張り付いたままでいる。

  

「――あの時の子が、プエち……?」

 

 口を開けたまましばらく固まっていたシノカは、ふとそんなことを言い出した。

 

「十五年前は生まれてないです」


「だよね! でも同じこと言うんだもん、ビクッたわー!」

 

 あはは、と赤くなった顔を手で仰ぐ。作られた照れ笑いが痛々しく、落ち込ませてしまった、と直感した。ありえないことであっても、シノカにとっては思わず口にしたいほど待ち望んでいたことだ。それをあっさり否定するだけで終えてしまったと後悔したプエルは、何かできることはないかと少し考えてから、あることを思い出して「あっ」と声を出した。

 

「そうだ、シノカさん。僕、いいもの持ってるんですよ。ちょっと目を瞑ってください」


「えーなになに? あーしキスされちゃう?」

 

 からかうように軽口を叩きながらも、シノカは指示に従ってぎこちなく瞼を閉じた。

 穏やかな表情で立つ彼女のまばゆい白と黒のストライプ模様のロングヘアは、そよ風になびきながら旋律を奏でているかのようだ。背後には、夜空が深い青に染まり、星々が静かに瞬いた。今も続く微かな祭りの音色が響き渡り、周囲の静けさがその美しい姿により一層際立って感じられる。困惑してはいても、彼女はプエルと立つこの場に深い安らぎを見出しているようだった。そんな彼女の頭に、プエルは自分の荷物の中からそっとオモチャのティアラを載せた。

 

「どうぞ、目を開けてください」

 

 水晶魔法スマホによる鏡面魔法を展開しながら言うと、シノカは目を開けて息を呑んだ。そこに映るのは、きらきらと大袈裟に輝くティアラを戴いたお姫様の様相だった。

 

「え……これって……?」

 

「シノカさん、お姫様みたいですよ」

 

「プエち何言ってんの、こんなのただのオモチャっしょー?」と悪態はつくが、まんざらでもない様子のシノカはティアラを外そうとはしなかった。

 

「確かにこれはオモチャです。でも、なんでもいいんじゃないでしょうか。偽物だとか本物だとか関係なくて。当時の二人にとって大事なものって本物かどうかじゃなかったはずですよ。シノカさんは、きっとそのとき、その人にとってのお姫様だったはずですから」

 

「プエち……」ふと、幼少の思い出が彼女の心に浮かび上がり、ほろりと流れた涙が頬を伝う。暖かな思いに包まれた彼女は瞳を潤ませた。それから指でそれを拭うと、誤魔化すようにいたずらに微笑んでプエルの白い頬をつついた。「プエち、なんか女慣れしてなぁい?」

 

「ダ、ダメでしたか?」

 

「ううん、ほんとは嬉しい。ありがとねプエち」

 

 両手で頭の上のティアラをそっと支え、愛おしそうに囁いた。プエルの優しさがなせる行為に心がじわりと暖まっていくのを感じ、口元を綻ばせながらも、疑問を口にする。

 

「でもこれ、どこで買ったの? 里にはないよね?」

 

「それ、ジーニアスさんが街を救ったお礼にって子供から貰ったものなんです。ただジーニアスさんはアレな人なので……その子の気持ちを無駄にしたくないから僕が取っておいたんです」

 

「それ、あーしが貰って大丈夫そ?」


「大丈夫です。お姫様になりたいシノカさんが持っているのが一番だと思います。これをくれた子もきっとその方が嬉しいはずですから。それに、ジーニアスさんは捨てるつもりでしたし……」


「最低じゃん」

 

「最低なんです」

 

 ふふ、とお互いに吹き出した。それからシノカは腕を広げて大きく背伸びをして、今も祭りの煌めきを放つ里の夜景に向かって「よし!」と気合の乗った声を上げた。

 

「あーし、頭領になるわ! でも、お姫様もやる!」

 

「両方ですか?」


「うん! 両方とかありえねーって思ってたけど、ワガママなのがあーしだもんね! バカみたいでもなんでも、まずあーしが頭領に相応しいって認めさせて、お姫様みたいな制度もむりやり受け入れさせる! ありえないことなら、ありえることに作り変えればいーんだし!」


「すごい力押し……!」

 

 面食らいはしたが、本来ワガママを押し通す力とは、ある意味、まつりごとに携わる人間に最も必要なことなのかもしれないとプエルは頷いた。男でなければならない、子を持つことを捨てる、きんにくにこだわるという不文律を打ち破るのには、ときに別方向からのパワーが必要になる。そして彼女にはその力がある。明確なビジョンがある。そして、己を貫く自信とその美しさがあった。

 

「プエちが言ってくれたっしょ? 自分を貫くのがかっこいいって!」

 

 

 

 

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