あたし以上の天才がいるなんて




 セロスの森――王都パルティーダで護人ガードを志す者が初めに足を踏み入れることになる、王都に隣接した森である。魔物が多く棲むため近年伐採されつつあるが、同時に魔物の多さのせいでそれほど作業が進んでいない。棲んでいる魔物の多くは最下位であるE級の護人ガードでも対応可能だが、森の奥、つまり王都から離れるほどに強力な魔物が棲み着いている。ときおりA級の護人ガードでも歯が立たないような魔物が縄張りを広げてくることもあり、ブレイカーズ協会では等級毎に立ち入り区域を定めている。プエルたちがやってきたのは、C級護人ガードまでが立ち入れる第三区域である。

 

「なんにも出ないわねぇ。マッスルビーとか出てきてくれるといいんだけれど」

 

 マスタッシュが辺りを見回しながらつぶやいた。E級討伐対象であるスライムなら足元にちらほらと存在しているが、単体では脅威になりえない。スライムは自分の体に獲物を取り込んで吸収する恐るべき魔物ではあるが、自分の体よりも大きな相手を取り込むことができない。たくさんのスライムが集合した時はその分だけ巨大なスライムになってしまうので要注意だが、肝心のスライムに知性がないため誰かを狙うといった行動に出ることはなく、スライム同士が集まることもまずない。第三区域にはこうしたほとんど危険がないと判定されたD級以下の魔物しか存在せず、C級討伐対象であるマッスルビーが出没することは稀である。

 

「いるぞ」

 

 ぴたりと足を止めたジーニアスが言うと、あとの二人も周囲に目を走らせた。


「何もいませんけど……」


感知魔法ペルシヴィル使えねえのか? まぁセンセの方はわかったみてえだな」

 

「三、六……九匹ね。ギャング・ファングだわ」

 

 マスタッシュの視線に釣られ、プエルもようやく視認する。木々の陰に潜んで獲物を見定めているのはオオカミ型の魔物、ギャング・ファングだ。その名を冠する通り凶悪なまでに伸びた上下の牙は簡単に護人ガードたちの皮膚を切り裂き、素早い動きで獲物を翻弄する。それなりに知性があり、人間以外も輸送物資などが狙われるため被害も大きい。単体であれば脅威ではなく、かつてはE級討伐対象だったが、常に数匹の群れで行動しているためD級討伐対象とされている。

 

「囲まれてるみたいですけど……」

 

「何の問題もねえけどな」と、ジーニアスが手をかざすと、ギャング・ファングたちが隠れていた箇所の茂みがそれぞれ同時に揺れる音がした。プエルとマスタッシュが覗いてみると、そこには地面に押しつぶされそうになったまま身動きひとつできなくなったギャング・ファングがいた。他の個体も同様で、いずれも地面に縫い付けられたかのようだった。


「これ……まさか加重魔法グラベダ? ウソでしょう……?」


 マスタッシュが驚いたのは、加重魔法グラベダという魔法の難易度ではなく、複数の対象に同時展開させたことだった。加重魔法グラベダは重力を強める魔法で、効果範囲は術者によって異なるが、効果は一定範囲内に限られていて、範囲外のものにまで効果は及ばない。ギャング・ファングたちは同じ場所に固まっていたわけではないため、それぞれを地面に縛りつけるためには広大な範囲に対して使う必要がある。ところが、ギャング・ファングから数十センチ程度離れた位置には蝶々さえ羽ばたいていた。つまり、それぞれのギャング・ファングに対して同時に魔法を使ったということになる。魔法の同時展開それ自体は容易だが、その精度に圧倒されたのである。

 

「センセ、九匹って言ってたな?」

 

「ええ、そうね。九匹とも転がってるわよ」

 

「惜しいな、もう一匹来るぞ」

 

 ジーニアスが言い終わるやいなや、ギャング・ファング五体分はあろうかという巨躯の個体が木陰から飛び出した。何の音もなく、感知魔法ペルシヴィルをもすり抜けてのことだった。

 

「えっ」マスタッシュもプエルも反応が遅れたが、ジーニアスは微動だにしないまま目と鼻の先に鋭い爪がかかろうかというところまで接近を許した。だがその爪がジーニアスの皮膚を切り裂くことはなく、巨大な魔物は地面にひれ伏すこととなった。


「こいつはさすがに動けるか?」


 ジーニアスは指先を下に向けて加重魔法グラベダを追加した。魔物の脚が地面にめり込む。他の個体とは一味違う巨体の魔物は、その大きさの分だけ強大なパワーを秘めている。二重の加重魔法グラベダによって地面に押し潰されそうになったが、脚を震わせながらも今にも起きあがろうとしていた。

 

「ねぇ。これ、マフィア・ファングじゃないかしら……?」


「ですよね⁉︎ やっぱりそうですよね⁉︎」

 

 マスタッシュとプエルは顔を合わせながら言った。


 通常のギャング・ファングであれば大きく伸びた牙は四本だけだが、この個体はほとんど全ての牙が鋭く長く伸びているという特徴があった。ほかにも、身体を覆う毛並がまだら模様であるなどの特徴を持つ。これはマフィア・ファングと呼ばれる魔物の特徴である。


 ギャング・ファング自体がいくつものグループに分かれて群れを作る習性を持ち、群れごとにリーダーは存在するが、マフィア・ファングはその複数のグループの頂点に君臨する、ボスの中のボスとでも言うべき存在だ。その統率力と凶暴性から、生半可な護人ガードでは太刀打ちできず、A級討伐対象に指定されている危険極まりない魔物である。全盛期のマスタッシュならば問題なく対処できる相手ではあるが、衰えた今では、二人を守りながら相手をするには相当に苦労する魔物だ。

 

 ――マスタッシュは、ジーニアスを信用していなかった。

 つい先ほど展開された加重魔法グラベダを見るまでは、魔力の欠片も感じなかったからだ。ただ、普段は極限まで魔力を隠していて、魔法を使うときだけ魔力を大きくする、という魔法使いは存在する。その点において、それだけの技術があるということは、イコールである程度の使い手であることは確定していると言える。それでも、マフィア・ファング相手では話が別だ。

 

 マフィア・ファングには、単純な戦闘能力以外にも切り札として〝呪い〟がある。自分に傷をつけた相手の理性を奪う〝凶暴化〟を付与し、やがて死に至らせるという、恐るべき呪いだ。これを回避するために、罠や強力な魔法の重ねがけ等を駆使して闘う必要がある。つまり一撃で殺すか、気付かれないようにしながら殺すか、そのどちらかしか対処法がない魔物といえる。


 それが今、凶悪な牙を剥き出しにして、加重魔法グラベダによってひび割れた大地に爪痕をつけながらも立ち上がった。深淵に呑まれたような黒い目は真っ直ぐにプエルを捉えている。

 

「なんでぇーっ⁉︎ なんで僕を睨むの⁉︎」

 

「普通にうるせえからだろ」

 

「どど、どうするんですか⁉︎」


「どうするって、こうするんだよ」

 

 ジーニアスが天に向かって手を振り上げた瞬間、森が真っ暗になった。すでに日は落ちかけていたが、急に夜の帳が下りきったかのようだった。木々の隙間からは、黒雲に覆われた稲光が見え隠れしていた。ジーニアスの掲げた手がぎゅっと握り込められ、振り下ろされた時、今にもプエルに襲い掛かろうというマフィア・ファングの脳天に稲妻が落ちた。


 放電魔法トゥルエノという、魔力を放射状にして撃つ魔法がある。撃たれた相手は感電したようなショックを受けるが、本物の雷を出すわけではないので感電はせず、火傷しないのはもちろん焦げることもない。あくまで気絶させるのが目的の魔法である。術者次第では電紋を伴うような火傷を負わせることも可能だが、ジーニアスが放ったこの魔法は、明らかに本物の雷だ。現に、落雷の直撃を受けたマフィア・ファングは、すっかり焼け焦げて動かなくなってしまっていた。

 

「おっ、オオカミの丸焼き完成だな。こいつデカいから食い甲斐があるよな」

 

「今の……なに? 放電魔法トゥルエノじゃあないわよね?」

 

 マスタッシュが恐る恐るマフィア・ファングに近寄り、息がないことを確認しながら言った。

 

「ん……? まあ、スーパージーニアスサンダーって感じかな。いま決めた」


「名前ダサ!」マスタッシュが唖然とする。「って、いま決めた?」


「いま考えたからな。雷落としてみるかーって」


「アナタまさかその場で実験したの? マフィア・ファングを相手に?」


「こんなのただの犬だろ。オッサン、もしかしてビビってんの? ププー」

 

 規格外。ジーニアスの天才性を言い表すのにそれ以外の言葉は必要なかった。それとは別に、笑いを堪えているせいか顎を出して煽る顔がムカつくから殴りたい、という欲求に駆られたが、どうにか抑え込んで、座り込んだまま押し黙っていたプエルに声をかける。

 

「マスタ・プエル。もう大丈夫よ?」


「あ、はい……でも、その、腰が抜けちゃって……」


 えへへ、とバツが悪そうに振り返ったプエルの頬は紅潮していた。

 この子ったらどこまで可愛らしいのかしら、とマスタッシュはプエルを背負った。眼前にまでマフィア・ファングの爪が迫り、さらに稲妻が落ちたのだから、その恐怖は計り知れない。

 

「それにしても、どうしてマフィア・ファングが第三区域にいたのかしら」

 

「こいつ、普通は出ねえのか?」

 

 どんな魔法を使ったのか、あっという間にマフィア・ファングを解体していたらしいジーニアスが、どこの部位とも知れない骨付き肉にかぶりつきながら言った。

 

「第三区域にいるはずないのよ。こんな強力な魔物が王都に近いところにいたら輸送もままならないし、マスタ・プエルみたいな一人で頑張りすぎちゃう生徒の命がいくつあっても足りないわ。原因を究明するまで一般の方を立ち入り禁止にしないと……」

 

「ふうん、ザコだったけどな」

 

「あの雷がアナタの魔力で補強されたものだってことくらいアタシにも分かるわ。アナタとんでもないことしてるの。だからね、普通はアナタみたいな強い魔法使えないのよ。普通の人からしたらザコじゃないのよ、マフィア・ファングっていう魔物はね」

 

「そうですよ!」と、マスタッシュの背中でプエルが吠える。「マフィア・ファングはファング種の王様なんですよ⁉︎ なんでそんなに簡単に倒しちゃうんですか! 僕が倒して伝説の幕開けをするはずだったのに! そうだ、今からでも僕がやったことにしませんか⁉︎」

 

「おまえやっぱ図太いやつだよなぁ……かえって尊敬するよ」

 

「あ、そうそう、マフィア・ファングのせいで本来の目的を忘れてたわ。ミスタ・ジーニアスの実力が間違いないことはわかったけど、アナタ護人ガードの資格は何級なの?」

 

「資格……? ンなもんねえけど……」

 

「まーッ! 無資格者なの⁉︎ もったいないわねえ!」

 

「別にいらねえよ。めんどくさそうだし……」

 

「資格があれば依頼をこなした時に追加で報酬も貰えるし、活動実績にもよるけど等級に比例して毎月報酬が支払われる仕組みになってるし……絶対に損しないわよ?」

 

「パスパス、俺は自由にやりてえんだよ。めんどくせえことはしない主義なんだ」

 

「A級以上の有資格者はモテますけどね。収入が断然違いますから」

 

 プエルがぼそっと言うと、ジーニアスの目の色が変わった。

 

「俺、実はそろそろ資格取ろうと思ってたんだ。あとで資格の取り方教えてくれよ」

 

「ほんとチョロいわね、アナタ……」


 それからジーニアスの腹が満足してファングたちの肉を圧縮魔法ジップで荷物に詰め込み、ややあって三人は去っていったが、そこに気配を殺していた一人の少女が姿を現した。真紅の髪の天才魔法少女マホ・マギアは事の一部始終をひそかに見ていたのだった。

 

「認めない……あたし以上の天才がいるなんて」

 

 マホは右手に炎、左手に氷の魔法を放ちながら憤慨していた。この相反する二属性の魔法を同時展開する小手先の器用さとは決定的に違う、圧倒されるほどの魔力の差がそこにあり、本能では負けを認めていた。己には到底敵わない天才なのだと体の震えが認めていた。しかし彼女の心は認めていなかった。天才魔法少女マホ・マギアは世界一の魔法使いになると運命付けられている――そう信じられているからだ。信じてくれた者たちの信頼を裏切れないからだ。

 

「実力を隠して……陰であたしのことバカにしてたんだわ……ムカつく。ムカつく。ムカつく! あんたのこと絶対に許さないから! プエルッ‼︎」

 

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