シノビマスルの里編【下】
全員がそうだって決めつけるのは違くない?
鬱蒼とした茂みで覆われた道は、静寂と謎めいた雰囲気に包まれていた。太陽の光が枝葉の隙間から差し込み、地面に幻想的な模様を描き出す。鳥の囀りや風のざわめきが山の谷間に響き渡り、ときおり、小さな生き物が草木の間を素早く動き回る。それが小動物か妖魔かは定かではないが、たびたび感じられるそれらの気配にはぞくりとさせられた。整備されている山道は蛇行し、迷路のように入り組んでおり、見る者の冒険心をくすぐる。この里の山には、何かの秘密や不思議な力が潜んでいるように思えてならないが、シノカはあえて道なき道を選んでいた。
「シノカさん……っ!」
「どしたプエちー?」
這々の体で声をかけたプエルに反して、シノカは軽快に駆けながら応える。直径六十センチ、全長二メートルの丸太を肩に抱えてのことだ。人が抱えられる重さの限界をゆうに超えているはずだが、シノカは地面に足をめり込ませながらも顔色ひとつ変えない。
「どうして! 獣道を! 行くんですか!」
「どーしてって、まっすぐ行った方が近道じゃん?」
頭領任命の儀がスタートされたのは三十分ほど前のこと。目的地の山頂を中心に、頭領候補たちはそれぞれ同じだけ離れた位置から丸太を抱えて走り出す。あくまでも個人の
「近道、ですけどぉ、はぁ、はぁ、僕はぁ、体力がぁ、ひぃ、ヒィ」
「およ。プエち大丈夫そ?」
ピタリと立ち止まって振り向いた。シノカの肌にはぽつぽつと極小の水玉のような汗が浮いていたが、疲れという疲れを全く感じさせない、生き生きとした顔をしていた。
「だ、だいじょ……」
その反面、プエルは足元も覚束なくなっていた。慣れない登山に加え、妖魔への警戒も怠らず、さらにジーニアスに教わった魔法の練習も兼ねていて、えずくほど疲弊している。
「大丈夫じゃなさそー。そこでちょい休憩してこっか!」
獣道から飛び出して、バラストで整備された広い道に出たシノカは、古ぼけた小屋を指差す。登山客のために用意された空き小屋で、中には暖炉や毛布などの暖を取るための道具以外にたいしたものは置かれていないが、わずかばかりの休憩には十分な設備があるといえた。
「い、いいんですか?」
「当たり前じゃん、プエちを無理させらんないよ! それにみんな休憩くらい挟むっしょ!」
「そっか、そうですよね」
いかにシノビマスルの里のニンジャが優れた肉体を持っていようと、無限に動き続けられる生き物など存在しない。まして全長二メートルの丸太を抱えたままだ。小屋の前のベンチでシノカが地面に丸太を置いたのを確認して、プエルは支給されたストップウォッチを押した。
事前に配られた立会人用の評価基準表には、丸太を地面に下ろすのは良いとされている。ただ、一瞬でも手放した時点で失格にしなければならない。常に体のどこかが丸太に接触していなければならないし、地面に下ろしている時間も十分までと決まっている。
「そういえば、魔物……妖魔を見かけませんね?」
座る前にもシノカと二人で周囲を確認したが、妖魔はどこにもいなかった。ときおり、草木が揺れることはあっても、その正体はイタチかタヌキなどの動物だ。事前情報からして、それらを食らう妖魔と出くわすことがあってもおかしくはないはずだった。
「確かに全然いないねー。ま、一応あらかた片付けたんじゃね?」
「そうなんでしょうか? まあ、ラクだからいいんですけど……」
妙な予感が働くのを無理やり納得させたところで、どこかから男の叫び声が聞こえてきた。それも、一つ声が上がったかと思えば、断続的に前後左右いずれからも轟いた。決してやまびこではなく、全て異なる声質で、中には先ほど話したばかりのカガの声も混ざっていた。
「何……? カガちゃん?」
素早く立ち上がったシノカは、丸太を軽々と肩に抱えてから声のする方へと急ぎ、プエルもその後を追った。木々に阻まれながら道なき道を越えていくと、砂利の敷き詰められた広い山道にカガが血を流して倒れていた。そばには丸太も転がっていて、少なくとも失格なのは一目瞭然だ。
「カガちゃん! なんで……」
立ち尽くすシノカに代わって、すかさずプエルが確認してみると、命に別状はないようだった。ただ、胸から血を流しているのと気を失っていることもあり、すぐにでも医者に診てもらわなければならないだろう。
「あーし、カガちゃん病院に連れてく!」
「ダメですよ! 失格になっちゃいますから!」
丸太を手放そうとするシノカを慌てて制止する。
「でも……」
「僕が抱えます!」と、意気込んでカガを背負おうとしたが、上半身すら持ち上がらなかった。ただでさえプエルとカガでは二倍以上もの体格差があるうえ、意識のない人間は相手の重心に合わせることができないため、プエルの貧弱な力では支えられなかった。
「やっぱりあーしが――」と、飛び出そうとしたシノカの背後にニンジャが一人忍び寄る。
「大したことないねぇ、イーガの頭領候補なんてのぁ、こんなもんかい」
それは忍び装束を着た女だった。木々の緑や日光の輝きに溶け込み、まるで森の一部となったかのようだ。彼女の目は鷹のように鋭く、視界の端でゆっくりと立ち上がるプエルに対しても睥睨を向けていて、周囲の動きを見逃すことはない。彼女の忍び装束は、たとえ昼間でもその機敏さと隠密性を保ちながら、任務を果たすために完璧なカモフラージュとなっている。
「アンタ、コーガのヘッドとかいう……」
「はは、頭領の娘が覚えていてくれたとは光栄だねぇ」
「妖魔に堕ちたん?」
シノカはちらと彼女の隣を一瞥して言った。そこには彼女と同じ格好をした気性の荒そうな女もいて、その瞳は黄色く染まっており、白目がなく、どこを見ているかもわからなかった。プエルが本から得た知識によれば、妖魔に憑かれた者は黄色い瞳になるとの記載があった。そんな女性を連れているということは、彼女が妖魔を操ることの出来る何かを握っているということだ。
「妖魔はいいよぉ。やりたかったことが全部叶うんだ」
「よくないよ。妖魔なんか人間の敵だよ?」
「オマエはバカな男どもに洗脳されてんだ。筋肉しか頭にないイーガなんかにいないで、コーガに来なよ。こっちは楽しいよ?」
「楽しいのは好きだけど、あーしはみんなのことが好きぴなのよね」
「何が好きなんだい。脳みそまで筋肉で出来てるような頭クルクルパーばっかりじゃないか。おまけに頭領は絶対男、何をするにも男、男、男ばっかり。絶対に女より偉い立場で居たいんだって意識がある証拠だ。そんな男尊女卑の腐った連中なんか捨てちまいなよ!」
「まあ、筋肉なんかマジいらねーし、みんなバカだなーってのは否定しないけど。でも、男社会だなんだっていうけど、みんなにとって大事な
「はっ、それが洗脳だってわかんないかい? オマエは頭領の娘だからお目溢しをもらってんだよ! イーガの女は制限されてる! 現に女は活躍できてないじゃないか! 女を制限して可能性を奪う男尊女卑の文化なんて時代遅れだ! 女だって立ち上がれば活躍できるんだよ!」
「女は活躍しなくちゃいけないの? それって逆に押し付けてない? 男尊女卑男尊女卑ってゆーけどさ、単に役割分担してるだけじゃん。男が危険でキツい仕事して、女は家庭を守る。それの何が悪いの? そりゃ、それしか出来ないってなら問題だけど、やりたい人はやればいいし、それが難しい人はやらなくてもいいじゃん。それを許容し合えるのが大切なんじゃん? アンタが言ってるのは昔ながらのやり方を単純に否定して、自分の意見を押し付けてるだけじゃん」
「うるさいねぇ! そんなもん、ただの言い訳だよ! 女が家庭で役割を果たすことが唯一の幸せなのかい? 女にだって自分の夢を求める権利があるだろ!」
「唯一なんて言ってねーし、夢を追い求める権利なんか誰も奪ってないっつーの。追いたきゃ追えし。あーしはそうしてる……いや、でも正直、アンタの言うとおりあーしがお目溢しをもらってるってことはあるかもしんないけど……わかんないけど!」
「ほら! オマエはバカな男どもに煽られて思い上がってるだけなんだ! 男なんて若いオマエの体しか見てないよ。オマエにその気がないと知ればすぐに手のひら返すさ」
「何言ってっかわかんないけど……いや、まあ、わかんないでもないっていうか。そりゃ、男の人の中にはヘンな人がいるのは確かだよ。でも、それはその人がヘンなだけじゃん。全員が悪いわけじゃないんだから、男の人全員がそうだって決めつけるのは違くない?」
「ふん、男なんか全員クズさ。オマエはまだ若いから自分の不幸がわからないだけ。いいかい? アタシの言うことを聞いてりゃ幸せになれるよ。男なんか信用しちゃダメだ」
ヘッドの血走った目には涙が滲んでいた。過去に何かあったのは明白だったが、彼女がそれを深く語ることはない。ただ、信用してはならないという言葉は、信用したかった何かがあることの裏返しでもある。そして、今もどこかで信用したいと思っている。だけれど、過去の経験がそれを拒んでいる。想いの板挟みになって、誰かを仲間に引き入れたくてたまらないのだ。
「でもさ……みんなあーしみたいな変なのがいても否定しないんだ。強くてもすごいって褒めてくれるだけ。可愛くしてたら可愛いって言ってくれるだけ。誰も変な目で見たりしねーのよ。あーしがみんなを好きだってのにそれ以上の理由はねーし。アンタにあーしが洗脳されてるとか、不幸だって決めつけられるのは不快だわ。だから、コーガには行けない」
「そうかい……なら、やるしかないねぇ!」と、ヘッドは言い終わると同時に倒れ込みながらの蹴りを浴びせたが、シノカはそれを丸太で受けて事なきを得る。しかしながら、すぐにもう一人も加勢し、二人からの猛攻撃を捌ききれずに体勢を崩しかけていた。
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