〝最強〟



 

 頭領任命の儀を終えたシノカとカガ、候補者たちも含め、里では宴が開かれていた。最大の功労者たるジーニアスはもちろん、プエルも宴の主賓として招かれていた。先代頭領となったマスラオは、里の被害状況を調査しに行っている。宴と同時に調査が行われる事にシノカたちも抵抗を示したが、マスラオの「それはそれ、これはこれ」との言葉により宴が決行された。

 

「ほんとに眷属デーモンだったんですか?」

 

 どでかい骨付き肉を頬張るジーニアスの横顔を見ながら、プエルは疑問を投げかけた。こんな間抜けな大口を開けた人物が眷属デーモンを無傷で倒したなどとは、到底信じられない。いや、ジーニアスならなんとかしてくれるとは思っていたが、まるで手応えを感じていなさそうな顔をしているのが奇妙で、問わざるを得なかった。あるいは、ジーニアスが別の何かを敵のボスだと思い込んでいるだけで、実際には眷属デーモンがまだ里へ来ておらず、どこかからひょっこり顔を出して襲いかかってくるかも知れないと思うと、居ても立ってもいられない気持ちになったのが大きい。

 

「おお、〝セック◯の開発〟な」


「だからなんなんですかそれ。下ネタなら訴えますよ」


「そう言ってたんだからしょうがねえだろ! 冤罪はもう懲り懲りだよ!」ジーニアスは湯呑みのお茶をぐいと煽った。玉露の苦味が鼻に抜ける。「まあ、自分で眷属デーモンだって言ってたし、間違いないんじゃねえかな。なんか頭にツノ生えてたし、目ん玉もいっぱいあってキモかったしな」

 

六の眷属セクストのカイツールでしょう」


 二人の前にあるテーブルの向かいに、メガネをかけた痩躯の男が立った。


「あなたは……」彼の顔に見覚えのあったプエルは小さな声を上げた。頭領任命の儀が開催される直前、超重量挙げ歩きバーベリング・ウォーキングを解説し、シノカを前に感涙して去っていった限界オタクだ。

 

「昨日ぶりです。ボクは情報管理官IOAのセイツー・オールミテルと申します」セイと呼んでください、と頭を下げる。「ここには眷属デーモンの出没情報があったため確認のため来ていました」

 

 セイは懐から名刺を差し出した。そこには確かにその顔と名前が刻まれている。

 王国が全世界の情報を把握するために設立された王立情報管理局に所属するインテリジェンス・オブザベイション・エージェンシー、略して情報管理官IOA。王直々に選ばれた特別な者のみがこれを名乗ることができ、護人ガードには依頼できないような裏の調査を担うとされる。

 

「ただのオタクにしか見えなかったんですけど……」

 

「嘘つきました。正直に言えば今回は全くの偶然で、シノカさん目当ての観光でした」

 

「白状すんの早すぎだろ」

 

 ジーニアスの言葉に、セイはウフフと笑って誤魔化した。

 

「なんにせよ、ボクはただの情報管理官IOAですから、たいした能力はありません。対眷属デーモンでは力になれませんでした。ジーニアス様がいて本当に良かった……」

 

 セイは胸を撫で下ろし、今一度ジーニアスに向き直って一礼をした。

 

「それで、眷属デーモンですが……ジーニアス様の証言する特徴からしてカイツールで間違いないでしょうね。ちなみに、眷属デーモンはほかにどのようなものがいるかはご存知ですか?」

 

「いや、知らねえな」

 

「へー、ジーニアスさんでも知らないことがあるんですね」プエルは得意になって人差し指を立てた。「眷属デーモンは十から一までがいるんですよ。これは単純に魔王の魂が十に別れて飛び散ったからで、これまでに発見されたのは今のところ三体……いや、四体です!」

 

「プエルさん、博識ですね」セイがその続きを語る。「十の眷属デシモのキムラヌート、九の眷属ノベーノのアィーアツブス、八の眷属オクターバのケムダ、そして六の眷属セクストのカイツールです。このうち、キムラヌートは元S級護人ガードのマスタッシュ様が討伐しています。もっとも、その時の負傷が原因で第一線を引いていますが……今は次代の護人ガードを育てる教育係として活躍されていますね」

 

「へぇ、あのオッサン結構やるんだな」

 

「ジーニアスさん、ビアード先生のことなんだと思ってたんですか……?」

 

「なんか、変なオカマ……?」

 

 ジーニアスからすれば、マスタッシュもプエルも大差はなく、赤子同然なのだろう。それにその評自体は間違っていない――と、湯呑みのお茶と一緒に言葉を飲み込んだ。

 

「それから」と、セイは続ける。「九の眷属ノベーノのアィーアツブスと八の眷属オクターバのケムダは現代最強の護人ガードと名高いアサト様が討伐しています」

 

「アサト……?」

 

「知らないんですか⁉︎」ジーニアスが顔を顰めたのを見て、プエルはすかさず声を上げた。「〝最強のアサト〟といえば護人ガードを志す者なら誰でも知ってますよ⁉︎」

 

「俺護人ガードじゃねえし……」

 

「あーしでも知ってる!」と、プエルの座る席の横からシノカが顔を出した。情熱的な赤い色の浴衣に着替えていたが、やはり胸元ははだけている。「生ける伝説ってやつよねー!」


「俺が世間知らずみたいなんすけど……」美の化身のごときシノカの肢体を直視できずに、ジーニアスは不貞腐れながら落とした視線の先にある骨付き肉にかぶりついた。柔らかいながらも高い弾力の肉は口内で跳ね回り、やがて舌に溶かされほろほろと解けていく。

 

「……そ、そう落ち込む必要はありませんよ」と、シノカの登場に動揺を隠しきれないながらも、セイはすかさずフォローを入れる。「アサト様は誰にもその顔を見せたことがありませんから」

 

「えっ、そうなの? 護人ガード認定証って顔写真付きじゃなかったか?」

 

「アサト様は実質的にS級の地位にはありますが、正式な護人ガードではありませんからね。国の依頼を受けて眷属デーモンを追っているわけではありません。ボクの推測ですが、おそらくは過去に眷属デーモンと何かしらの因縁があり、彼らに対して並々ならぬ想いがあるのだと思われます」


「ガチでかっこいいよねー〝最強のアサト〟! お金にも女の子にも見向きもしないで一人で眷属デーモンを追ってんだもん! この人があーしの王子様だったらいいのに!」

 

「顔隠してんならスッゲーブサイクなんだろ」と、目の形をハートに変えたシノカに鋭い言葉を投げかける。ジーニアスにとって、自分以外の男に焦がれる女は女ではないのだ。

 

「なに言ってんのヘンタイ、アサト様に失礼なんですケドー?」

 

「〝様〟とか!」ブフ、と吹き出してニヤリ笑う。「じゃあ俺はジーニアス大統領だわ!」

 

「キモ! 何張り合ってんの?」

 

「俺も眷属デーモン倒してるもんねー! アサトなんかより俺の方がつえーしイケメン! はい勝ち!」

 

「はー? アサト様が倒したの二体だよ? わかってる? アンタより多いっつーの!」

 

「いえ、それが……」セイが二人の詮無き言い争いに割って入った。「実は、六の眷属セクストのカイツールなんですが……先ほど魔力の残滓を計測したところ、これまでのどの眷属デーモンよりも強い眷属デーモンであるとわかったのです。それも、文字通り桁違いに。おそらく、彼らは序列が上がるごとに、それまでの眷属デーモンを束にしてやっと対等になる強さを持っていると思われます」

 

「えっと、それって……」

 

 言葉に詰まり、プエルは固唾を呑んだ。マスタッシュが命からがら倒したキムラヌートと、アサトの倒したアィーアツブスとケムダ、この三人を同時に相手取って拮抗する力を持つのがカイツールということになる。それを無傷で倒したジーニアスが圧倒的なのは紛れもない事実ではあるが、まだ五体もの眷属デーモンが控えていることを考えると、心臓が凍りつくような感覚に陥った。


「それは……ちょい、盛りすぎじゃね?」

 

 いつも朗らかな笑顔のシノカも、今は貼り付けたような苦笑を浮かべた。

 

「いや、間違っちゃいねえだろうな」ジーニアスは珍しく神妙な顔つきで言った。「まあまあの強さだったしな。あれは多分、俺くらいのやつじゃねえとどうにもならなかったよ」

 

 しん、と静まり返る。たまたまジーニアスがシノビマスルの里に来ていなければ、たまたまジーニアスが馬車を加速させようと思いついていなければ、里は全滅だった可能性すらあった。プエルの脳裏にはそのことが過ぎり、依頼があって良かったと心から胸を撫で下ろした。


「魔王が討たれてから百年が経過していますからね。彼らも力をつけているのでしょう」一同の暗い顔とは打って変わって、軽い調子でセイが言う。「ですが、人類も負けてはいません。今も眷属デーモンの捜索を続けているS級の方々や〝最強のアサト〟様もいますし、なによりジーニアス様がいます。我々人類はきっと、かつてないほどの平穏を手に入れられますよ!」

 

「あーしもやる!」シノカは天高く手を挙げた。「イーガとコーガはこれから元のシノビマスルの里として一つにしていくけど、それとは別にあーしの方でも眷属デーモンを探す! そんで倒す! 里をこんな荒らせる奴……よりもヤバい奴らなんて放っとけないもんね!」

 

「それって……いいんですか?」

 

 本気を出したシノカならば眷属デーモンが相手でも対抗できるだろう、という確信めいたものを感じられた。しかしながら、眷属デーモンを捜索するとなると頭領の仕事は放棄することになる。当然、その自由な行動はお姫様とも言い難い。頭領でありつつお姫様になるというシノカの誓いとはかけ離れてしまっていると言わざるを得ないだろう。

 

「頭領になったはいいけど、正直まとめ役とかあんま向いてないかんね。メンドーなことはカガちゃんに任せるわ!」さらっと言ってのけて、にんまりと笑うと、シノカはプエルの耳元に囁いた。「それにさぁ、お忍びでどっか行くの、お姫様っぽくね?」

 

「お姫様はお姫様でもおてんばお姫様か……」

 

 今から苦労人になることが約束されたカガの未来を案じて、プエルは心の中で手を合わせた。副頭領、もとい、事実上の頭領さん。どうか頑張ってください。

 ともあれ、イーガでもコーガでもない、これからのシノビマスルは、シノカやカガのような、男や女といった価値観に囚われない人間が新しい時代を創るのだ。

 

眷属デーモン討伐か……」と、ジーニアスはつぶやいた。「俺はやらねえ」

 

「えっ」その言葉に、皆の視線が一斉に集まった。

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