〝最強〟
頭領任命の儀を終えたシノカとカガ、候補者たちも含め、里では宴が開かれていた。最大の功労者たるジーニアスはもちろん、プエルも宴の主賓として招かれていた。先代頭領となったマスラオは、里の被害状況を調査しに行っている。宴と同時に調査が行われる事にシノカたちも抵抗を示したが、マスラオの「それはそれ、これはこれ」との言葉により宴が決行された。
「ほんとに
どでかい骨付き肉を頬張るジーニアスの横顔を見ながら、プエルは疑問を投げかけた。こんな間抜けな大口を開けた人物が
「おお、〝セック◯の開発〟な」
「だからなんなんですかそれ。下ネタなら訴えますよ」
「そう言ってたんだからしょうがねえだろ! 冤罪はもう懲り懲りだよ!」ジーニアスは湯呑みのお茶をぐいと煽った。玉露の苦味が鼻に抜ける。「まあ、自分で
「
二人の前にあるテーブルの向かいに、メガネをかけた痩躯の男が立った。
「あなたは……」彼の顔に見覚えのあったプエルは小さな声を上げた。頭領任命の儀が開催される直前、
「昨日ぶりです。ボクは
セイは懐から名刺を差し出した。そこには確かにその顔と名前が刻まれている。
王国が全世界の情報を把握するために設立された王立情報管理局に所属するインテリジェンス・オブザベイション・エージェンシー、略して
「ただのオタクにしか見えなかったんですけど……」
「嘘つきました。正直に言えば今回は全くの偶然で、シノカさん目当ての観光でした」
「白状すんの早すぎだろ」
ジーニアスの言葉に、セイはウフフと笑って誤魔化した。
「なんにせよ、ボクはただの
セイは胸を撫で下ろし、今一度ジーニアスに向き直って一礼をした。
「それで、
「いや、知らねえな」
「へー、ジーニアスさんでも知らないことがあるんですね」プエルは得意になって人差し指を立てた。「
「プエルさん、博識ですね」セイがその続きを語る。「
「へぇ、あのオッサン結構やるんだな」
「ジーニアスさん、ビアード先生のことなんだと思ってたんですか……?」
「なんか、変なオカマ……?」
ジーニアスからすれば、マスタッシュもプエルも大差はなく、赤子同然なのだろう。それにその評自体は間違っていない――と、湯呑みのお茶と一緒に言葉を飲み込んだ。
「それから」と、セイは続ける。「
「アサト……?」
「知らないんですか⁉︎」ジーニアスが顔を顰めたのを見て、プエルはすかさず声を上げた。「〝最強のアサト〟といえば
「俺
「あーしでも知ってる!」と、プエルの座る席の横からシノカが顔を出した。情熱的な赤い色の浴衣に着替えていたが、やはり胸元ははだけている。「生ける伝説ってやつよねー!」
「俺が世間知らずみたいなんすけど……」美の化身のごときシノカの肢体を直視できずに、ジーニアスは不貞腐れながら落とした視線の先にある骨付き肉にかぶりついた。柔らかいながらも高い弾力の肉は口内で跳ね回り、やがて舌に溶かされほろほろと解けていく。
「……そ、そう落ち込む必要はありませんよ」と、シノカの登場に動揺を隠しきれないながらも、セイはすかさずフォローを入れる。「アサト様は誰にもその顔を見せたことがありませんから」
「えっ、そうなの?
「アサト様は実質的にS級の地位にはありますが、正式な
「ガチでかっこいいよねー〝最強のアサト〟! お金にも女の子にも見向きもしないで一人で
「顔隠してんならスッゲーブサイクなんだろ」と、目の形をハートに変えたシノカに鋭い言葉を投げかける。ジーニアスにとって、自分以外の男に焦がれる女は女ではないのだ。
「なに言ってんのヘンタイ、アサト様に失礼なんですケドー?」
「〝様〟とか!」ブフ、と吹き出してニヤリ笑う。「じゃあ俺はジーニアス大統領だわ!」
「キモ! 何張り合ってんの?」
「俺も
「はー? アサト様が倒したの二体だよ? わかってる? アンタより多いっつーの!」
「いえ、それが……」セイが二人の詮無き言い争いに割って入った。「実は、
「えっと、それって……」
言葉に詰まり、プエルは固唾を呑んだ。マスタッシュが命からがら倒したキムラヌートと、アサトの倒したアィーアツブスとケムダ、この三人を同時に相手取って拮抗する力を持つのがカイツールということになる。それを無傷で倒したジーニアスが圧倒的なのは紛れもない事実ではあるが、まだ五体もの
「それは……ちょい、盛りすぎじゃね?」
いつも朗らかな笑顔のシノカも、今は貼り付けたような苦笑を浮かべた。
「いや、間違っちゃいねえだろうな」ジーニアスは珍しく神妙な顔つきで言った。「まあまあの強さだったしな。あれは多分、俺くらいのやつじゃねえとどうにもならなかったよ」
しん、と静まり返る。たまたまジーニアスがシノビマスルの里に来ていなければ、たまたまジーニアスが馬車を加速させようと思いついていなければ、里は全滅だった可能性すらあった。プエルの脳裏にはそのことが過ぎり、依頼があって良かったと心から胸を撫で下ろした。
「魔王が討たれてから百年が経過していますからね。彼らも力をつけているのでしょう」一同の暗い顔とは打って変わって、軽い調子でセイが言う。「ですが、人類も負けてはいません。今も
「あーしもやる!」シノカは天高く手を挙げた。「イーガとコーガはこれから元のシノビマスルの里として一つにしていくけど、それとは別にあーしの方でも
「それって……いいんですか?」
本気を出したシノカならば
「頭領になったはいいけど、正直まとめ役とかあんま向いてないかんね。メンドーなことはカガちゃんに任せるわ!」さらっと言ってのけて、にんまりと笑うと、シノカはプエルの耳元に囁いた。「それにさぁ、お忍びでどっか行くの、お姫様っぽくね?」
「お姫様はお姫様でもおてんばお姫様か……」
今から苦労人になることが約束されたカガの未来を案じて、プエルは心の中で手を合わせた。副頭領、もとい、事実上の頭領さん。どうか頑張ってください。
ともあれ、イーガでもコーガでもない、これからのシノビマスルは、シノカやカガのような、男や女といった価値観に囚われない人間が新しい時代を創るのだ。
「
「えっ」その言葉に、皆の視線が一斉に集まった。
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