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「ただいまあ」

 そう間延びした声と共にメリアが帰ってきたのはレーグルス達と共に旅立って十五日程が経過してからのこと。

 カランコエは休暇として与えられていたその日数分、暇を潰すようにレーグルスの部屋に訪れては、もう何処にも汚れなど残ってないというのに掃除を繰り返していた。メリアはまるで、それを推測していたかのように扉を開けると同時に、たった今もレーグルスの部屋の窓を拭いていたカランコエに声をかけたのだ。

 カランコエは扉の方へと振り返り、雑巾を持った手を下ろして一つお辞儀する。

「お帰りなさいませ。…レーグルス殿下は?」

 ぱたぱたとメリアの方に駆け寄り、廊下を覗く。しかし其処にはカランコエのお目当ての影どころか、人一人いない無駄に広々とした廊下が続いているのみであった。

 メリアは肩を落としたカランコエを一瞥して少し悩ましげにガスマスクを撫でる。

「一応、帰っては来てるけどまだ王様と話してるよ」

 説明を受け、カランコエは急いていた気持ちを落ち着けるように「なるほど」と頷いた。ビオシュで得た話を整理つける時間が必要だ。それこそ、向こうの国に滞在していた時期には出せなかった話題や推察だってあることだろう。

 焦りが言動に出てしまっていると照れ隠しのように前髪を撫でていると、メリアは考え込む態度で逸らしていた双眸をカランコエへと戻して息を吐いた。

「ま、その様子だと会えたみたいだね。あの子に」

「…ああ、はい」

 メリアの言葉が示す人物が脳裏に過ぎって頭を縦に振った。彼から紹介された竜族の少女。少女とは言っても、生きてきた年数はカランコエより数倍以上も多いようだったが。

「ヨシ、じゃあ王子様を待ってる間、暇だろうし話をしようか。こっちにだって竜族同士じゃないと話せないこともあるでしょ?」

 メリアは決まり、と自身の片手を腰に当てると空いた腕でカランコエの肩を抱く。

「さ、君の部屋まで案内してよ。流石に用意されてるよね?」

 そう言いながら、メリアはまだ室内に入っていたカランコエの半身を廊下へと引き摺り出し、パタリと後ろ手に戸を閉めた。メリアの言う通り、カランコエにはレーグルスに会うよりも先に竜族として確認しなければならないことや知っておかなければならないことがある。そして、それを話すにはこの場所は不芳だ。

 カランコエは、力強いその腕の中から抜け出すことも叶わないまま強引な誘いに乗ったのだった。





 場所は変わってカランコエに与えられた一室。

 簡素な室内には机と椅子、シンプルなベッド、窓を隠すためのカーテンと執事教育の一環で与えられた冊子類をまとめる棚のみが置かれている。

 この部屋に数日置かれるなど、そりゃあ退屈にもなるか、とメリアはビオシュへと出発する前に見たカランコエの態度を振り返る。当然だが娯楽の類は一切なく、目を休める為の絵画なども一つも置かれていない。退屈の色に染まった、義務的な一室。

「…んじゃ、こっちはこっちで色々整理しますか」

 メリアはカランコエの身柄を開放し、そのまま部屋の中に入り込んではベッドに腰掛けて悠悠閑閑と伸びをする。カランコエも倣うように室内に入り扉を閉めた。机の元に置かれていた椅子を引っ張り出し、ベッドの付近へ運んで腰を下ろす。

 メリアは片手で口を覆うマスクを撫でた後、何から話そうかなと呟く。

「…質問しても良いですか?」

 話題を渋るメリアを見かねてカランコエがこっそりと挙手する。

「何?」

「あの、ご紹介いただいた竜族の方についてになるんですが」

 つい先ほどにも話題に出た少女だ。名前を出さずとも通じたのだろう。メリアは「うん」と相槌を一つ、話を促す。

「…メリアさんはフレナ公女の死と彼女が関わっていることをどうして知っていたんですか?」

 メリアと竜族の少女が出会ったきっかけが奴隷商のあの場であることまでは察することができた。それを理由に、メリアが彼女の能力である毒薬の調合を何処かで知る機会があっても可笑しくはない。実際、彼女はカランコエにも自身の能力をすぐ明かしてくれた。普段から隠秘していたようにはあまり思えない。

 しかし、フレナ公女の死が副毒と報道されていたにしろ、毒薬となって一番に思い浮かぶ者が竜族の少女だったにしろ、たったこれだけの情報で二つを結びつけるのは軽率だ。特に、フレナと婚約関係にあたる王太子がいるこの国のお抱えであるメリアが、そこまで膚浅なわけがない。

「どういう風に説明を受けたかは知らないけど、あの子、公女様の昔からの知り合いなんだよ」

「…昔から?彼女がやってる薬屋の顧客であったとは聞きましたが」

「そう。客とは言っても常連さ。人間の姿が成長していないほどのあの子が、態々シペミリアから飛び立って此処にいたのは公女様に会う為だ」

 シペミリアに生まれ落ちた竜族は余程、奔放な者で無い限りは王国から出ることなく骨を埋める。長らく生きてきたにもかかわらず、まだ未熟な人間の身体である彼女がシペミリア王国から飛び出して居たのには並みならぬ理由があった筈だ。言われるまで気が付かなかったとカランコエは驚きつつも問う。

「公女様とあの竜族の方が繋がりがあるのを知っていたから私を会わせようと…?」

「そうだね。君なら僕以上に彼女から何か話を聞き出せるかもしれないとも思ったし、もしも推測が間違っていてもその場に僕は居ないから、あの子から責められることもないしね」

 確かに、メリアからの話を受けても、先日竜族の少女と出会った時の態度を思い返してみても二人は互いの事情に深入りしそうにない。

「まあでも、公女様とあの子がどのくらい深い関係だったかは興味もなくて聞いてなかったしわからないんだけど」

 メリアは、先の言辞を迷うように言葉尻を濁す。傍若無人な彼にしては珍しいとカランコエがまじまじと視線を送ってみれば、メリアは「あくまで憶測なんだけど」と前置きを添えて喋り出した。

「公女様の自殺には、この国の情勢が大きく関わってるんじゃないかなって」

 メリアは扉の方を横目で確認した後に声を顰めて言う。

「竜族のあの子が奴隷商に捕まっていたのは、わかってるでしょ?で、その奴隷商はこの国の人間」

 メリアが床を指すためにベッドのシーツを人差し指の腹で撫でたのを確認して、カランコエは黙ったまま頷いた。

「公女様は、あの子の昔からの客で、あの子は公女様に会うためにシペミリアから降りてくるくらいには二人は親しい仲ってわけ。で、そんなあの子が人間に攫われて次に会った時は憫然なる姿だった」

 公女と竜族の少女が旧知の仲であったとすれば、傷一つない肌に輝やかしい宝石を宿す竜族特有の嬋媛とした姿で見慣れていた筈だ。しかし、次に会った時カランコエの知る現在の痛ましい姿になって居たのならば。白い肌には傷が残り、目を惹く爛々とした宝石がなくなっていたとしたなら。

 そうして、その姿となってしまったきっかけが人間によるもので、そんな人間と出会ったのが自身が人間界へと呼んだからなのだとすれば。

「…公女様は自身のせいで彼女が奴隷商に出会し、捕えられてしまったと自責の念を抱いて…?」

 カランコエの推察にメリアは頷いて続ける。

「しかも、その奴隷商がいるのは自身と婚約関係にあたる王太子がいる国」

 どくりと心臓が跳ねる。

 確かに旧知の仲、仮に友人だとする人物が傷痍を負った原因を見す見す逃している国だ。公女からすれば、そんな国勢に今後振り回されることになるなど言語道断だろう。

 先日、少女から聞いた自殺の原因とは一致しない。しかし、まさか当人に貴方が死ぬ理由に関与してますなどと伝えられる人は少ないだろう。それに、少女から聞いた話だって、この理由に付け加えることができる。

 公女と侍女の二人は愛し合っていた。されど身分違い。今のように傍に居ることができる、それだけで良かった。しかし、何らかの繋がりがあった知人が自身の婚約者が統治せんとする国から虐げられ、それが後押しとなった。

「…」

 フレナ公女にも侍女にも、もう話を伺うことはできない。かと言って、彼女達に近しい人間に聞いたとて、二人は恐らく何かを隠し通して自死を選んだことから正解に辿り着くのは難しいだろう。

「最初にも言ったけど憶測に過ぎないよ」

 メリアは、顔を青くして口元を抑えたカランコエの肩をポンと叩く。

「ただ、今回の件についてどう受け止めるかも向こうの国次第だ」

カランコエが視線を上げると、真剣な顔をしたメリアの瞳と視線がかち合う。

「これから先、ビオシュとの国際関係がどう動くかはわからない。殿下のそばにいる君は特に気をつけなきゃいけないってこと」

 




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