02




 金を惜しみなく使った奢侈な扉とは打って変わり、室内は落ち着きのある様相だった。窓枠や辺にこそ金があしらわれているものの、全体は白を基調とした構造になっており、床に彫り込まれたアンティーク模様も目に優しくくすんだ鼠色だ。また、磨き上げられた床の表面には頭上の天井画が反射していた。天井画には、中央で眠りにつくシシ様の横に司祭平服を身に纏った男性が佇み、その場に羽を携えた天の使いが降り立つ様子が描かれている。

 そんな部屋の奥、数段床が上がった場所に三つの影があった。赤のサーコートに身を包んだ二人の騎士。その中心に置かれた黄金の枠と足、ワインレッドの生地で作られた大きな玉座。其処に腰を下ろしている者。

 その存在を視界に入れた途端、ピリリと空気が一転する感覚があった。

 長く伸ばされた輝かしい金髪。傷跡など一つもない陶器のような素肌。組んだ脚の膝上に置かれた骨張った大きな手。輝く大きな緑の石でできたピアス。深い青色を表面に乗せた、汚れのない白が裏地の大きなマント。細かな紋様が彫られた銀に輝くキュイラスとグリーブ、サバトン。その下に覗く服には精緻な柄が縫われている。

 絢爛な衣装とそれに見合う整った容姿。

 ゆっくりと、男の瞼が上がる。部屋に、深い深海のような青色が浮かんだ。

 その些細な行動にすら貫禄があった。この部屋を、この城を、この国を、我が物とする圧倒的な王者。

 クロガネ・アイオライト。

「…遅かったな」

 微かに開かれた口から、低く嗄れた声がポツと落ちた。地面を這った。張り詰めた空気を揺らした。

 青色の瞳孔がメリアとカランコエを刺す。

 カランコエは思わず肩を窄めた。父は偉大な皇帝であったが、これほどに冷たく重みのある声音で話すことは一度たりともなかった。父は何時も柔らかく優しい低い声でカランコエの鼓膜を撫ぜたのだ。父は淡い桃色の瞳をしていて、その視線はいつも暖かくカランコエのことを見守ってくれていたのだ。

 メリアはカランコエの方を一瞥すると、彼の萎縮したさまを見て眉を寄せた。メリアは瞼を下ろして、あからさまに大きなため息を吐き、左手で後頭部を投げやりに引っ掻きながら右手をカランコエに差し出す。

「ほら、挨拶の仕方は習ってるっしょ」

 長い前髪とガスマスクの間、僅かに覗く黒色の瞳に身体を強張らせた自分が写る。

 新竜帝国、アングスフォリアの次期皇帝第一候補者。それが、カランコエの今までの肩書きだった。今や剥奪されたようなものだが、両親はいくら民に痛罵されても一歩も譲らずにカランコエを愛し、皇帝となれるよう手助けをしてくれていた。カランコエには両親が教えてくれた作法が身に染みついている。多くの人に否定された自分を信じてくれた両親に恥を塗るわけにはいかない。

 カランコエは前を向き直し、差し出されたメリアの手に自分の手を重ねた。

 もしも、自分が皇帝になっていたなら何れ目の前の王とも対面する機会があったことだろう。少し時期が早まった、それだけのことだ。

 部屋に一歩踏み入る。滑らかな床の質感が蹠に伝った。二人分の足音だけが部屋に響く。

 玉座の前で、ゆっくりと足を止める。少しだけ呼吸を整えてから、右手を背に回し、左手を腹部に添えた。右足を少し下げ、腰を折って頭を垂らす。

「国王陛下にご挨拶申し上げます。此度、拝謁のお時間賜りました」

 緩やかに顔を上げ、自身を見下すその瞳を視界の中心に捉える。

「私、カランコエ・ブロスフェルディアナと申します」

 カランコエの透き通った芯のある声が部屋に広がった。

 桃色の瞳と青色の瞳がぶつかり合う。その横でメリアが呑気に欠伸をする。

 静寂が訪れて三十秒ほどが経った頃。ダン、と力強く地面が踏みつけられた。クロガネが椅子の背凭れに預けていた上体を勢い任せに起こした音だ。腿に肘をつき、背を丸めて俯かせた男の表情は窺えない。

 カランコエが不安の色を顔に滲ませ始めた時、その肩が大きく揺れた。

「かッははッ!」

 瞬時、大きな笑声が鼓膜を叩いた。先程も聞いた通りの低く嗄れた声だ。

 クロガネはゆっくりと顔を上げると、手を口元に添えたまま右肘を椅子の肘置きに置き、カランコエを見下した。

「ああ、…ああ、はは、なんだ?カランコエ?お前、カランコエと言ったか」

「ぁ、…はい。カランコエ・ブロスフェルディアナと申します。以後お見知り置きください」

 カランコエが改めて頭を下げれば、クロガネは目を細めて、ふうん、と呟いたあとメリアへ視線を流す。

「正直期待なぞしていなかったんだが…、ああ、これは大手柄だな」

「あはっ、俺に任せとけって言ったじゃ〜ん。良かったね、良いのが手に入って」

「全くだ」

 親しげに話す二人にカランコエは首を捻る。二人の交わす会話も生み出される空気感も、件のキシペタカルレ王国国王と竜族の話とは到底結びつかないものだ。メリアの肝が据わっていることは薄々感じていたが、クロガネの方もメリアの態度を特段、気にしていないように見える。

 先程までの緊張感で張り詰めた空気が一変し、カランコエは心の中でそっと胸を撫で下ろした。

「…さて、カランコエ」

「ぇ、はい」

 不意に自身の名前を呼ばれたことに驚きながらも慌ててクロガネへと顔を向ける。

 相変わらずの目つきだ。品定めするような好奇の目。

 居た堪れなさを感じながらも目を合わせていれば、軈て、クロガネは瞼を下ろして腰を持ち上げた。重々しいマントが引き摺られている。サバトンがガシャガシャと音を鳴らす。

 クロガネはカランコエの前に立つと腕を組み、視線を合わせるように腰を折って顔を近づけた。

 クロガネの長い金髪が重力に従って地面へと真っ直ぐ伸びている。その髪は、いつしかカランコエを守るために母親が作ってくれた淡い金色のカーテンと違って、カランコエを逃すまいと捉える黄金の牢獄のようにも思えた。

「俺はクロガネ。キシペタカルレ王国七代目国王、クロガネ・アイオライトだ」

 押し寄せる威厳。鋭い切長の瞳の片方は前髪で隠れているというのに、たった一つだけの視線で顔に穴が空いてしまいそうだった。

 数年もの間、一人で国を背負ってきた者が漂わせる空気感。カランコエも同じく貴族だと言うのに、クロガネの言動一つ一つにありありと格の違いを見せつけられた。目線の動き、立ち振る舞い、発する声の重み、人の上に立つために構成されたような器。

 クロガネはカランコエが唇を引き結んだのを見て視線を外すと、屈めていた身を起こし背後に寄ってきていた二人の騎士に手で合図を送った。

「場所を移動しよう。込み入った話もある」

 騎士は何も言わずにカランコエとクロガネの横を通り過ぎると二人で両開きの扉の前に立ち、ドアハンドルを押した。重い音がして扉が開かれていく。

「うし、じゃあ俺、報酬受け取って帰るから」

「ああ、わかった」

「え」

 メリアは半ば一方的にそう告げると、カランコエとクロガネに対し片手をひらりと揺らして開いた扉の先へ去って行く。取り残されたカランコエの虚しく落ちる呆然とした声を拾ったのは、不安の種でもあるクロガネしかいなかった。




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