一章 歪で不確かな人間の形。

01






 

 キシペタカルレ王国。210年前に建国し、代々アイオライト家が玉座を継いでいる。国王は代々常に好戦的であり、非常に戦に長けていた。ある代は優れた剣術や武術を持ち騎士団を率いた。また、ある代は優れた策略を考案し指揮をとった。王国は徐々に領地を拡大。現在では六千万人もの国民が居り、七代目国王のクロガネ・アイオライトが国を統治している。







 奴隷商の元から連れ出された後、どういうわけかカランコエは、その国の王宮が一つ、ラスノービリス宮殿へと連れてこられていた。

 カランコエを救い出した竜族、メリアと名乗った男が語るには現国王であるクロガネから直々に命を受け、奴隷商へと乗り込んだという。依頼内容は奴隷商の捕縛と捕えられている人達の解放。加えて、もし保護する者の中に竜族がいたのであれば、その竜族のみ騎士団でなく国王に引き渡す、というものだった。

「まァ、もう一人いたけどあの子は薬飲んだ後すぐ先に逃げ出しちゃったしぃ、そもそも宝石とか全部抉られてたから〜」

 そう説明を足しながら迷いなく宮殿の中を進むメリアの後をカランコエは小走りで追う。要するに、カランコエからしてみれば、その身を売り飛ばす商人が同族に変わっただけのことだった。

 キシペタカルレ王国といえば竜国との間で深い軋轢がある国だ。過去に国同士で戦争があったというわけではないが、キシペタカルレ王国は竜族を道具として扱っている、というのは専らの噂だった。現に、奴隷商が竜族の宝石を取ったという話をメリアから耳にしたし、地下に響いていた悲痛な叫び声は鼓膜にこびりついている。その他にも過去、王政により竜族の殺戮が行われていた期間がある。

 何故メリアが竜族と敵対していると言える国と手を組んでいるのか、何故国王は竜族を求めていたのか、それらの理由は検討も付かないまま、カランコエは一つの豪奢な扉の前へと導かれた。

 高い天井と広々とした廊下に合わせて作られた扉は、一面に様々な装飾が施されている。カランコエも生まれて此の方、宮殿に身を置いていた立場だが、目の前に立ちはだかる扉の輝かしさに目を窄めた。矢鱈と金を配う眼前の扉と自国の扉は雲泥万里とも言えるだろう。

 アングスフォリア帝国の宮殿は、大きさこそラスノービリス宮殿の倍以上を誇るが、内装はかなり簡素な物だった。職人の手によって天井画が描かれていたり壁の細部にまで彫刻が施されていたりはしていたが、竜族自身が宝石を身にしていることもあり、高価な物が装飾に扱われることはなかったのだ。他にもアングスフォリア帝国の姉妹国である神竜王国から竜のままの姿をした使者が訪れることがあり、煌びやかな内装より空間のゆとりを優先する必要があった、など複数の理由が重なって成り立ったものだが。

 あんぐりとしたカランコエを見て、メリアは不思議そうに首を傾げた。

「何?まあ大きいし変に気合い入ってる扉だけど、別に此処に来るまでも全部がド派手だったでしょ。この城」

 メリアが指摘したように、目が痛くなる絢爛さは、この扉だけでなく宮殿全体の話だ。ここに辿り着くまでの数分間の視界の中で、この扉の装飾が一番に豪壮なことに間違いはない。ただ先ほど歩いた道程にも大きな額縁に収められた絵画や、磨かれた彫像、細かな模様の描かれた壁などがあった。その何れも、金で構成されていたり輝く石が嵌め込まれていたり、高価な青の顔料がふんだんに使われていたりなど、此処、ラスノービリス宮殿はカランコエの常識の内にある宮殿よりも非常に豪奢な作りでできていた。

 今更何を、と付け足して呆れる彼にカランコエは否と言葉を濁しながら扉の上方を指した。カランコエが驚いていたのは、この眩さに対してだけではない。

 前方の壁でカランコエが目を止めたのは、扉の上から天井までの隙間に組み込まれたステンドグラス。そこにあったのは白く輝く羽を背に生やして眠る獅子の姿だった。

「ああ、これ」

 メリアはカランコエの視線の先を追って納得したように頷いてみせた。

「シシ様だよ」

「しし様?」

 聞きなれない単語を鸚鵡返ししたカランコエにメリアは頷いて、来た道を振り返った。

「一階の回廊に彫像が並んでたと思うけど、あれの一番最後にあったやつ、それがキシペタカルレの初代国王陛下。弱齢にして領地を抑え、建国した異例の王様だ」

 クロム・アイオライト。歴史を語る上で欠かせない存在。カランコエも帝王学教育の一環で教師から幾度か名を耳にした覚えがある。

 二十七歳の若さで建国し、国を安定して存続できるまでに持ち込み後世に継いだ聖君。まさに歴史上の偉人。そして、キシペタカルレ王国国民の竜族へ非人道的な行いを赦した残虐行為の先駆者である。

「彼が建国できたのはシシ様の力があってこそ、ってのがこの国の民間説話」

 メリアは再度ステンドグラスに視線を向けて目を細めた。

「シシ様、神の使いさ。俺らと同じ」

「え」

 カランコエが喫驚し、思わず声を洩らしたのを見てメリアは困ったように笑った。

「まあ、シシ様が本当に神の使いとして降り立っていたなら俺ら竜族と同じくらい逸話が残っているものだと思うけどね」

 メリアの指摘通り、シシ様を神の使いというには些か無理があった。世界ではクロム・アイオライトがキシペタカルレ王国を建国した事実だけが出回っている。

 もしシシ様などといった存在が側にいたのなら、その存在はもっと語り継がれているはずだ。背中から生えた白い翼は天の使いを指す者の様だし、大きな立て髪と体躯は眠るために丸めているというのに威圧感が拭いきれていない。この世に命持つ生き物の中で異質な存在。竜族がこうも世界に功績とその相貌を馳せているというのに、シシ様は一片の噂すらないのだから不自然極まりない。

 カランコエほど上等な教育を受けているものすら教わっていなかった。それに、シシ様がもし実在しうるのなら、同じく神の側についていた種族である竜族は知っていても可笑しくない筈だ。だと言うのに、カランコエより長く生きている竜族であり、この国に身を置くメリアですらシシ様のことを詳しくは知らない様子だった。

 カランコエはメリアに向けていた視線を改めて頭上へと移す。眠る獅子の足元には輝かしい緑色の他に、ちらほらと何かの欠片が落ちていた。獅子が眠る場所を草原とするならば赤や青に発色する其れ等は似つかわしくない。胸中がざわつく。

「ま、昔のこと考えたってしょうがないっしょ。実話がどうであれ今は変わりないわけだし、俺らだって竜族の伝承を証明できるわけじゃないしね」

 メリアはカランコエの思案を断ち切るように言って退けると、ドアハンドルに手をかけた。黒い瞳孔がちらりとカランコエの方へと寄せられる。

「無駄話しすぎちゃったね。開けるよ」

 有無を言わさぬように、吐いた言葉が途切れるよりも早くドアハンドルがガチャリと鳴いた。重厚な扉はメリアの片手に寄って軽々と開いていく。




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