15
「失礼いたします、レーグルス殿下はいらっしゃいますか?」
「レーグルス王太子殿下でしたら、先程、部屋を出て行かれましたよ」
場所は修習の間。レーグルスが家庭教師から座学を受ける一室だった。彼を探して部屋へと訪れたカランコエは肩を落とす。入れ違いになったらしい。
「授業の時間はまだ終わってない筈では…」
「ああ、それが殿下は本日の授業範囲を予習していらしていたようで。お疲れのようでしたから、早めに切り上げたのです」
前の節には長期的に国外に出ていらっしゃったようですし。家庭教師は束ねた紙を整えながら言う。
レーグルスの体調を案じてくれる人が居ることはカランコエにとっても嬉しいことだった。だが、気を利かせられたタイミングが悪い。
「そうですか…」
次にレーグルスが向かうところを推測しながら相槌を打つ。カランコエの生返事を耳にした家庭教師は珍しい、と呟いた。
カランコエは人当たりが良い。人の話を関心を持って聞く態度や積極的に業務に取り組むこともあり使用人達の中で評判が良かった。今回も、その執事としての立場の真面目さ故のものだろうと理解しながらも、彼がその場にいる人との会話で他を優先し、ここまで蔑ろに返事をしたことはなかった。
執事たるもの、主人が最優先だろう。特に彼は主人にとってたった一人の専属執事なのだから、すれ違いになり行方がわからないのなら今のように焦っているのも頷ける。故に彼の態度に対して不快感を抱くことはない。しかして、疑問は浮かんだ。彼が焦っているように見える。一体何に。
「どうかなさいましたか」
家庭教師は今日のために準備していた資料を纏める手を止めて、カランコエへと視線を真っ直ぐ遣った。曇りなき双眸に刺されては流石に居心地が悪かったのか、カランコエは考え事を中止して話しづらそうに語る。
「ここ最近、殿下から避けられているようで」
まあ、と驚いたような家庭教師。他人からはそのようには見えていなかったらしい。
いや、そもそもレーグルスはカランコエに対して必要以上に接してこないように再三忠告していたし他の使用人からして見れば二人は元々距離があったように見えていたことだろう。何を今更、と言った話だ。カランコエにとっては、大問題なのだが。
「具体的には、どのようにして?」
「ああ、それがどうもここ十日程、如何にも話をする機会がないんです」
カランコエは説明する。
もとより、一日の中でレーグルスとカランコエが会話を出来るタイミングは限られていた。カランコエはレーグルスが勉学や稽古に励んでいる間に彼の衣類を洗濯したり部屋を整えたりとなんだかんだ毎時間共に行動するわけではなかった。それもこれも、やたらと彼を放任したがるこの宮殿内が異質な所為だが。
兎も角、そんな感じでカランコエがレーグルスと接することができる時間は毎日目覚めた時の身支度の手伝いや朝と夜の食事くらいだ。以前は加えて稽古後にカランコエから会いに行ったりとアプローチをかけていたことから隙間時間に顔を合わせることも少なくなかった。
ところが、ここ最近はその隙間時間に会うことがパタリと途絶えてしまった。カランコエには如何にも、そこを避けられているように思える。
「たった今もそうですが…、時間を測って剣術の稽古場に向かった時もいなかったんです」
それも十日連続だ。最初の三日間ほどは偶然だとも思った。この広い宮殿では入れ違いになっても気が付かないなど何らおかしなことではない。
だが、それがカランコエとレーグルスの接触するタイミングで毎度起きる。早朝、身支度の手伝いのために彼の部屋へと向かえば部屋はもう蛻の殻だ。
稀に、配食の際には席についているが眉を寄せ、マスクで隠している口元を抑えて喋ろうともしない。食後に下膳の為に向かえば彼の姿は見当たらなくなっていたり、既にベッドの中に収まっていたりする。故に、話すことはできずに食事を平らげられて綺麗になった食器を回収して戻る他なかった。
そうしてすれ違う日々が続いており、今も理由を問いただそうとレーグルスの姿を探していたのだ。
「左様でしたか。授業の際はあまり態度も変わらないもので気がつきませんでした」
「今まで座学の終わりに話しかけに行く機会がなかったからかも知れません。今回は見越されて逃げられてしまいましたが」
カランコエが困窮した様子で頭を掻いた。家庭教師は、その様を眺めて顎に手を添えるとじゃあ、と提案する。
「でしたら明日の授業の際、少しだけ終わる時間を遅くしましょうか」
「…良いんですか?」
カランコエが予期せぬ助け舟に目を丸くすると、家庭教師はにこやかに細めていた目をさらに薄くして頷く。
「そのくらいでしたら造作もありませんよ。ブロスフェルディアナ様がレーグルス殿下を気にかけて励む姿は見てまいりましたから、機会があれば助力させていただきたく思っていたところです」
カランコエの胸がジンと響いたのがわかる。この城の使用人は良い人が多い。急に連れて来られ、従者として奮闘することになったカランコエをよく見守ってくれている。クロガネに言われているのか騎士達の圧があるのか、或いは身分の差か。兎も角、依然としてレーグルスとは関わりを持たぬように避けているようだったが。
カランコエは明日のレーグルスの時間割を想起する。確か夕食前、昼に詰められた予定の最後の授業を目の前の家庭教師、カマラが担当していた筈だ。公的である。カランコエは頷いた。彼を呼び止めて話をする時間は十分過ぎるほど作れそうだ。
「ありがとうございます。ではご厚意に甘えさせていただきたいと思います」
そう言ってカランコエが深く頭を下げれば、カマラはまたにこやかに微笑み頷いた。
同日、夜半。
カランコエは外套の頭巾を目深に被り、身体中を這う熱さに膝をついていた。
血液が沸騰しているような感覚があった。内臓に熱した鉄球を放り込んだようだった。吐き出す息はお湯を沸かした後に立ち昇る湯気のよう。
緩やかに風が吹く。周囲に広がる冷えた空気は自身と現実を切り離したかと感じさせるくらいにチグハグだった。
「魔力量が極端に小さいのか、或いは…」
ポツポツと小さな声が頭上から降ってくる。
カランコエの前に少女がしゃがみ込み、彼の頭に手を重ねる。そうすれば、次第に熱は引いていき、繰り返し空気を求めていた口から体内に冷たい風が入り込んだ。
「…すみません、ありがとうございます」
カランコエは息も絶え絶えながらお礼を述べる。
カラコンエはメリアに教えられて繁華街アブルスに向かったあの日から、5日に一度、路地裏にて魔力の活性化をしてもらっていた。
神竜王国シペミリア出身の竜族の少女、彼女はオリヴルというらしい。
彼女は路地前に出ている豚まんをとても気に入っているようで、毎度の活性化の報酬として手渡すことになっている。カランコエの魔力の活性化を促し、その間に豚まんを平らげたら鎮静する。それが、ここ数回に渡って築き上げられた流れ。
「私は別に構わないけど。それにしても貴方ってば、やっぱり魔力量が少ないみたいね」
オリヴルは口元に手を添えながら深く考えるような素振りで言った。
「魔力量が少ない…」
カランコエは、その言葉を反芻する。竜族の魔力の核となる宝石が無いからだろうか。カランコエは未だ微かに熱が残る胸元を撫でる。
「貴方、竜の姿になったことは?」
少女の問いにカランコエは首を横に振る。
カランコエは生まれてこの方、人間の姿のままだ。初めてこの場に訪れた時も幼少期、変化しようとして失敗したことを思い出していたなと懐かしむ。
「竜としての宝石の生成がまだ出来ていないから、魔力量が追いついてなくて働き方を上手く覚えられないんでしょうね」
「ということは、まずは竜の姿になる練習が必要でしょうか」
カランコエの問いにオリヴルは腕を組んだ。
「さあね、私は元々竜として生まれたし…メリアも、シペミリア出身みたいだから多分そうでしょう。と、なるとそこは教えられないわね」
神竜王国と新竜帝国の出生の出征の差。こればかりは仕方のない問題でカランコエは項垂れる。
カランコエの知る限り、この国に新竜帝国の知り合いなどいない。そもそも両親以外の帝国出身者がカランコエと取り合ってくれるかすら危うい話だ。
いや、そもそもの話、宮殿と王都、繁華街アブルスを往復する程度にしか出かけていないカランコエには竜になる練習ができるほど開けた場所すら知らないのだが。
「…そもそも」
少女が呟く。
「そもそも、何をそんなに急いているの?確かに他の竜族より能力の覚醒は遅いけれどそんなの待っていたら時期に芽吹くでしょうに。それに貴方、立場は安定しているようだし、まさか帝国に戻りたいってわけではないでしょう?」
彼女の問いかけにカランコエは黙り込む。
カランコエはレーグルスの専属の従者で、その仕事の一環に彼の護衛もある。
カランコエは竜族だ。当然、一般的な人間よりはある程度動けるし、体力も力もあるだろう。ただそれだけだった。
他の竜族のように鋭く尖った爪を作り攻撃することも、長い尾を使って遠くから叩くことも、大きな羽を広げて撤退の判断を下すことも、危機に陥った時に能力を扱うことも不可能だ。
奴隷商の場で、あの息の詰まる場で助けてくれたメリアを思い出す。彼は能力こそ使っていなかったものの、竜族としての武器を活かして颯爽とカランコエを救ってくれたのだ。あの姿がどれほど逞しく心強く思えたことか。
「…私には関係ないから良いけど。あまり急ぎ過ぎるのも良くないんじゃない?」
オリヴルは立ち上がり、カランコエへと手を差し伸べる。
その掌に手を重ねれば、ぐいと強く引っ張られそのままカランコエの体は身体が立ち上がる。竜族の力だ。目の前の少女ほどと同じ背丈の人間であればこうは出来ないだろう。
繋いだ手が何方ともなく離れて、カランコエは拳を作った。
「助言、感謝いたします。少し、私の方でも考えてみます」
日が暮れ始めた頃。
窓の外に映る傾いた太陽を睨んでカランコエは足早に廊下を進む。向かうのは昨日も訪ねた修習の間。
カマラの言う通りならば、彼はまだ足止めを喰らっている筈だ。
「…」
カランコエは軈て緩やかな足取りへと変える。音を立てないように扉の前に立ち、目の前に広がる壁のようなそれをノックも無しに押し開いた。
「レーグルス殿下」
室内にいた一人の影がぎくりと肩を揺らすように動いた。
彼が慌てたように振り返ると、一本に束ねられた髪がその動作に合わせて揺れる。彼、レーグルスは咄嗟に片手で口元を覆いながらカランコエの姿を認めると呆れたような顔持ちでジトリと視線を送る。
「…フェルディア、見ての通り今は…」
「いえ、殿下。お話があります」
レーグルスの言葉をカランコエが遮れば、カマラがタイミングを測ったように手に持っていた本を閉じた。パタンと物音がひとつ響いて、二人も口を閉じる。
「レーグルス王太子殿下、本日の授業はここまでとしましょう。明日は、このページの続きから」
カマラはそういうと、昨日とは違い、机の上で既に整えられていた書類の束を拾い上げて頭を下げる。
「…カマラ、お前…」
「お二方の話の阻害になると悪いので、私はこれにて失礼いたします」
カマラは身に纏った衣類を揺らしながら簡単な仕草で廊下へと続く扉に向かう。すれ違い様、カランコエの方に一度手を置けば応援をするようににこやかな一瞥を送り部屋から出ていった。
修習の間、その場に残されたのはカランコエとレーグルスの二人になった。
レーグルスは困ったように眉を寄せながら椅子から立ち上がる。
「お前達、謀ったな」
「さて、何のことでしょう」
カランコエがわざとらしく肩をすくめて見せれば、レーグルスも大袈裟に溜め息を吐いた。そうして、すんと一つ鼻を鳴らした後、口元に添えた手はそのままで余った手を腕を組むようにして置きながらレーグルスは背後の机に凭れるようにして続ける。
「慣れてきたのか随分と自由に振る舞うようになったな、お前は」
一先ず対話が続きそうなことに安堵して、カランコエもそっと胸を撫でる。態々カマラに協力して貰ったのだ、レーグルスが腹を立てて解雇を申し立てたりしてしまっては合わせる顔がない。カランコエもカマラもレーグルスがそんなことをする人ではないと知っていた企んだ計画だったが。
「ここ数日、出かけてきてただろ。誰に会ってたんだ」
ここ数日避けられていた理由を尋ねるより先にレーグルスからの問いかけが飛んできてカランコエは驚く。
「気がついていらっしゃったんですか」
カランコエが出かけていたのは深夜帯だ。それも、出かける日は既にレーグルスがベッドに入っているのを確認していた。
「…それでよく隠せてると思ったな。ビオシュ公国から戻ってすぐの頃は勘違いかと思ったが、お前の匂いの他に何か混ざってるんだ。他の竜族のやつか?」
レーグルスは呆れたように言う。
あ、とカランコエは再度自身の胸元に手を当てる。思い当たる節があった。
魔力の活性化。実際の深いところの原理を聞いていなかったが、魔力を持つもの同士になら可能なことと言っていたオリヴルの口調からしても恐らくは彼女の持つ魔力の一端を流し込んでいたのだろう。
彼女は新竜王国出身で優れた魔力を持つ。
活性化の際に送り込まれた魔力が微かに残っていたからレーグルスはカランコエを避けていたのだ。
なるほど、と勝手に理解が追いついてカランコエは心底安心する。どうやら嫌われたわけではなかったらしい。
「えっと、そうですね。メリアさんに同族の存在を教えていただいたので、それで…」
「…そうか」
レーグルスは先程までの困った顔を捨てて真剣に考え込むように緩やかに背を丸めた。
「…殿下?」
カランコエが問いかければ、彼ははたりと思考を区切って顔を上げる。
「いや、何でもない。それで、お前がカマラと手を組んでまで話そうとした理由は?」
「ああ、それは…殿下が私を避けていらっしゃったようでしたので」
言い淀みながら白状する。改めて考えてみると、冷静になれば避けられる理由も予測できたことだろう。帝国から追放されたことがトラウマとなって残っているのか自身の立場が危うくなると頭が回らなくなる。レーグルスがカランコエを専属の従者として受け入れたきっかけを考えれば、彼がそう簡単に手放すようにも思えなかったと言うのに。
カランコエは自身の不甲斐なさに溜息をついた。
「ふうん、そうか。誤解が解けたなら何よりだ」
レーグルスはもう話すこともないだろうと踏んだのか、改めて立ち直し、机に広げていた紙を纏める。
「…この後、部屋の方にお食事運ばさせていただきます」
「わかった。ああ、あと」
「?」
レーグルスは動かしていた手を止めてカランコエを見る。
「その竜族とはあまり関わらない方がいいかもな」
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