16





 カランコエが王国に落ちてから七節ほど経った頃。そろそろ旱が強くなってきたなと外を眺めながら歩けば、進行方向に二つの影が並んで伸びていた。

 片方はもう見慣れた姿だ。主人であるレーグルス。彼は何やら大きな記事に目を通しているらしく片手で紙を支えながら空いた方で顎を撫でていた。

 もう片方はそんなレーグルスを眺めるクロガネの姿だった。

「────だろうな」

「わかりました」

 微かな話し声が鼓膜を撫でて息を呑む。

 空気が読めないわけでは無い。話し込む王族の横を通り過ぎるのも、挨拶で話を遮るのも配慮に欠ける。

 逡巡の末に、遠回りしようと踵を返したところで聞き慣れた単語を発する声が転がった。

「フェルディア」

 ぎこぎこと錆びた音が聞こえてきそうな、ぎこちない挙動で振り返る。先程と変わりない少し離れた位置に立つ二人がカランコエの方を捉えていた。踏み止まった場所のなんと居心地の悪いことか。

 ここ数日、吹く風の量が減ったこともあり、このくらいの距離ではレーグルスも気づきまいと思っていたが誤算だったらしい。

「…はい」

 おずおずと並ぶ二人の元へ近づき、頭を下げる。

「クロガネ・アイオライト国王陛下にご挨拶を申し上げます」

「ああ。…久しぶりだな」

 クロガネは目を細めて言う。彼の言葉の通り、カランコエとクロガネがまともに話すのは、あの日、レーグルスと初めて出会った日以来のことだった。

「背が少し伸びたか?」

 大きな手がカランコエの頭上に伸び、優しく髪を撫でた。

「竜族の人間体も20代までは人と同じ形で成長しますから」

 カランコエも、あと三節も経てば16歳になる。年齢的にも成長期真っ只中であった。

 思えば15歳になってからの多くはキシペタカルレ王国で過ごすことになっていた。もしもこの先、両親に再会することがあれば彼らもまたクロガネのように気づいてくれるだろうか。そうしてまた優しく頭を撫でてくれるだろうか。

 触れた手が離れるのを感じて顔を上げる。

「私は竜族ですから、きっと、レーグルス殿下よりも背が高く丈夫になりましょう。従者としても、きちんと護衛させていただきます」

 カランコエが胸を張れば、クロガネは満足そうに口角を上げた。

「そりゃあ、頼もしいな」

 ここ数節、レーグルスに仕えて従者としての自覚はかなり芽生えたと思う。かの出来事以来、竜族の少女、オリヴルと出会うのも避けている。オリヴルは事情を説明すればすんなりと聞き入れ深くは追及しなかったし、実際に彼女に魔力の活性化を手伝ってもらうことをやめてからはレーグルスもカランコエを避けるのをやめるようになった。

 とはいえ、あくまでもカランコエが竜族なのには変わりはなく長時間行動を共にできることもなければ普段はマスクをしたり、現在のように口元を手で覆わせてしまうことになるのだが。

「丁度いい、お前に伝えなければならないことがあってな」

 そう語るクロガネの瞳孔がレーグルスの元へと泳いだ。彼もそれを読み取ったのか、手はそのままに口を開く。

「来歳の初節、慶獅戦が行われることが決まった」

「けいしせん、ですか?」

 慶獅戦。各国の出場者が選ばれた際に行われ、戦に勝利したもののみがアナスの大聖堂にて主から祝福を与えられるという催しだ。

 今後の国へ送られる恩寵を巡って戦うこともあり、出場者は16歳から19歳の貴族、または各国の王家に仕える騎士と決まっている。

 慶獅戦は、あくまで人間界にて行われる行事ということもあり、竜族は干渉しない。カランコエも実際に目にしたことはなく詳しい規定や流れについては知らないものだった。

「本国からは、レーグルス殿下が出場なされるんですか?」

 来歳の初節ということはレーグルスの誕生日を迎えた後に開催されるのだろうか。そう踏んで問えば、レーグルスはあっさりと頷いた。

「そうだ。それで…」

 国代表に選ばれるなどめでたいことだ、とカランコエが言祝ごうとするのを遮るように、彼は目を泳がせて言葉尻に言い淀むような様子を滲ませた。

「?」

 カランコエが尋ねるように首を傾げれば、レーグルスは眉を寄せて目を細める。

「お前にも従者として共に出てもらうことになった」

 伝えにくそうな表情はそのままに観念したように彼は言った。

「…へ」

 予想だにしてなかった言葉に間抜けな声が落ちる。そうだ、カランコエは慶獅戦の形式をよく知っていない。

「慶獅戦に出るのは各国の代表の貴族、または仕える騎士…とも言うが、大概は貴族の一人とその国の騎士団長が共に出場する。二人一組での勝負となるからな」

 レーグルスの言葉を継ぎ、説明したのはクロガネだった。

 カランコエは貴族と騎士団長の組み合わせと言われ、王国騎士団の団長を思い起こす。確かクロガネと初めて出会った時、彼の傍についていた男だ。レーグルスと初めて対面した時にも、あの部屋にいた筈だ。彼は常にクロガネのそばを歩き、冷めた目つきでカランコエやレーグルスを見ていた。レーグルスとの相性が良いとは思えない。

 何より公表こそされてないが現在はカランコエが専属の従者でレーグルスの護衛も担っている。今後のことを考えるのならば、公の場でカランコエを差し置いて他の人が彼と肩を並べるのはあまり良くないだろう。

「…しかし、私は竜族ですが」

 とはいえ懸念点は幾らでもあった。カランコエの知識の通りであれば慶獅戦に竜族は関与しない。

「元々、人間の間だけで行われる催し事だから竜族は口出ししないってだけだ。竜族は参加禁止なんて規則は存在しない」

 無茶苦茶な、と思うカランコエを他所にクロガネは試すように笑った。

「それに、お前は能力は使えないだろう?ならば人間と大差ない」

 カランコエは大きく目を見開く。曰く、ただの人間は魔力の動きを認識できない。しかし、それを感知できる例外もいる。そうメリアは言っていた。

 カランコエが慌ててレーグルスの方を見れば、彼はふるふると顔を横に振った。伝えていないという意味だろう。

 理解が追いつかない表情をしたカランコエに、クロガネは小さくため息をついて続けた。

「当たりみたいだな。何、少し傍証を掴んでいただけだ」

 メリアにでも話を聞いたのだろうか、とカランコエは混乱を処理するように推察立てる。

「…とはいえ、あまり表立って竜族を使うのも良い気はされないのは確実だろうな。それこそ、帝国から目をつけられたら面倒だ」

 クロガネの主張にカランコエも頷いた。

 カランコエは現在、レーグルスの従者としての働きで目まぐるしい日々を送っている。そのこともあり、直近の情勢については追うことができていないのだが少なくとも数節前に与えられた休暇期間に新聞を読んでもカランコエについての情報は回っていなかった。

 それは、アングスフォリア帝国から彼を探す声が上がっていないことも意味するのだが。

「だから、慶獅戦に挑む際には変装をしてもらう」

 ぼんやりと考え込むカランコエの意識を戻すように、クロガネは彼の額を指の腹で押した。

「変装ですか?」

 カランコエは押された箇所を撫でながら問う。

「ああ。お前の見てくれは竜族そのものだからな。能力は使えないから参加に問題はないにしろ、無闇にひけらかすものでもないだろう」

 クロガネの見解は正しい。

 いくらカランコエの捜索がされていないとしても実際に彼の姿や現在の立場が世間に露見したならば話は別だ。

 新竜帝国の第一皇太子が人間界にいて、軋轢のある国の王太子の従者をしている。そして、帝国皇族は彼が行方知れずになったのを隠匿し探す素振りも見せなかった。

 ともなれば、世界を揺るがす大問題だ。

「国王陛下の仰る通りです。しかして、変装とはどのように…?」

「それに関しては心配しなくていい。手慣れた助っ人がいるからな」

 クロガネはお前にも直に紹介するさ、と腕を組んで言った。そう言われてしまっては深く追求するのも無粋だ。

 カランコエが押し黙ったのを確認すれば、レーグルスが口を開いた。

「まあ、そういうことだ。慶獅戦まで時間があるとは言え、今までより鍛錬を積まねばならない。お前も」

 レーグルスの言葉に改めて緊張が走った。そうだ。今回の慶獅戦は、今まで国民の前に全く姿を現さなかった彼にとっては晴れ舞台とも言えるだろう。そんな主人の顔に泥を塗るわけにはいかない。

「そうですね。帝国にいた時は指導を受けていましたが、もう身体も鈍っていることでしょうし…」

 昨歳、帝国にいた頃は護身術を習っていた。能力も使えない中、カランコエが自身を守る方法は体術を鍛える他なかったからだ。とはいえ、鍛途中の身であったことや、まだ成長途中の体では大人の竜族相手には太刀打ち出来なかったのだが。

「俺が稽古つけよう。ある程度は互いの動きを推測できるようにしておいた方がいいだろうしな」

 レーグルスはそう言いながら紙を持ち、後ろ手に回していた手を横に正しクロガネへと向き直す。

「それでは国王陛下。話の通り鍛錬へと移らせていただきますので、私共はこれにて失礼いたします」

 レーグルスは一礼を終えると、返事を待たずにクロガネに背を向ける。彼の露草色の虹彩がチラリとカランコエを追った。カランコエも倣うようにクロガネへと頭を下げる。

「失礼いたします」

「ああ。詳しくはまた改めて話をしに行こう」

 クロガネは一つ頷くとレーグルスの進行方向と反対側へ体を向けて緩慢に歩き出す。先にも思ったことだが、まるでカランコエがレーグルスと初めて会った日の流れを想起させる別れだった。

 レーグルスはクロガネから必要以上の返事が来ることを期待していないのだろう。



「それで、慶獅戦についてだが」

 場所を移り稽古場。

 向かう道中にレーグルスの部屋へと立ち寄り、彼は先程と変わってマスクを取り付けていた。

 カランコエはレーグルスが投げた模造剣を慌てた様子で受け止めながら、くぐもった声に耳を傾ける。

「試合には模擬剣が使われる」

「模擬剣…ですか?」

 レーグルスは自身が使う分の模造剣を籠から引き抜きながらカランコエを見る。

「そうだ。此方は模造剣だが…模擬剣はもっと豪奢なものだな」

 現在二人が持つ、この稽古場で扱われる木製の模造剣は装飾がついていないものだった。形こそ剣と同様に加工されているが、あくまでも消耗品だからか気を衒うデザインは無い。

 一方、模擬剣は木製ではあるものの塗装や装飾まで拘った、一見、本物との区別がつかない程ものだ。本物の剣と同じく職人による手で作られた一級品で、国ごとに特徴が見られる。

 国を背負って行われる慶獅戦に扱われるのも納得がいく。

「模擬剣に関しては国王陛下が用意してくれるらしい。鍛錬に使うものでも無いし、今は気にすることでも無いな」

 レーグルスは手に馴染ませるように模造刀を持ち直す。

「それより今はこっちに目を向けよう。お前、剣術の腕前は?」

「私は、あまり…。護身として体術はある程度は教わりましたが」

 竜族はその身に宿す宝石や、扱える能力がある。何より竜として変化した後の頑丈な鱗や鋭く重々しい尻尾など多くの武器を有する。その身一つで十分に戦える種族だ。

 勿論、剣などの武器を一切使わないわけでは無い。メリアのように能力が人に害を与えるもので無い竜族も多いし全ての竜族が身体能力が高いわけでも無い。そのようなものは剣やナイフ、弓矢なんかを扱ったりもする。

 そもそも竜族は滅多に人間に喧嘩を売らないし、カランコエの身に起こった異例を除けば同族争いも少ないものだから、扱う理由がないとも捉えられるが。

「そうか、まあ何も習ってないよりはマシだな…っと!」

「!?」

 レーグルスは頷きながら腕を振り上げるとカランコエに向かって模造剣を勢いよく振り下ろした。

 カランコエも咄嗟に後方へと退き、レーグルスはその影を追うように地を蹴って今度は剣を斜めに振るう。カランコエは身を屈ませ駆け抜けて剣を躱し、その勢いを加速させるようにレーグルスの背後へと転がれば、まだ持ち慣れない模造剣の先を向けた。

 しかし、それもレーグルスには予測できる範囲だったらしい。彼はその場から動くことなく片足は地面につけたまま、振り返る勢いで自身の模造剣とカランコエの模造剣を強くぶつけ合った。硬いものがぶつかり合う強い音があたりに響いて、次にカラカラと弱々しく何かが転がる音がした。

 手がジンジンと麻痺を訴える。カランコエの手中には何も残っていなかった。真っ赤な掌を上にして、少し顔を上げればレーグルスは模造剣の先をカランコエへと向けていた。自身の持っていた模造剣の在処を探せば、先ほど物音がした、自分より数メートル離れた部分に転がっている。カランコエの持っていた模造剣はあっさりと弾き飛ばされてしまったのだ。

「…は」

 は、と息を継ぐ。一瞬の出来事だった。模造剣だったから良かった。彼が味方であったから助かった。

「転脱はそこそこ長けてるみたいだが、もっと握力をつけないと悪いな」

 レーグルスは腕を下ろすと、その場からゆっくりと離れてカランコエの落とした模造剣を拾い上げに向かった。そうして、遠くで屈んで拾い上げればまたカランコエに投げ渡す。

「い…っ」

 痺れたままの手に衝撃が走り皮膚が痛んだ。

 半ば涙目になりながら手を押さえるカランコエにレーグルスは近寄りながら小さく可笑しそうに笑う。マスクによって口元は隠されているが、柔らかに寄った眉や細められた目を見てカランコエはむず痒くなった。普段は呆れた表情ばかりで、こうして笑顔を見せたのは初めての筈だ。

 カランコエが自身を落ち着かせるように胸元を押さえていると、レーグルスはその様子を気にも止めずに言った。

「今のは不意をついたのが悪かったな」

「本戦では不意を突かれてばかりになると思います。良い経験だったかと」

 レーグルスの呟きを否定するように発言すれば、彼はいつものように呆れた表情に戻った。

「あのな。それはその通りだが、お前はまだ基礎も教わってないんだ。これからは、しっかりと剣を持てるようになるところからだぞ」

 耳が痛い言葉にカランコエは押し黙る。

 いくらレーグルスが毎日欠かさず鍛錬を積んでいるとはいえ、竜族が人間に力負けしているのだ。それこそ、帝国民に知られてはまた非難を喰らう。

 黙り込んだカランコエを他所に、勿論、お前の現在の実力を掴むためではあったが、と続けるレーグルスにカランコエも少し可笑しく思って笑った。

 思えば、カランコエは不意を突かれて襲われ母国から指弾されたというのに、現在は軋轢がある筈の国にこうして受け入れられている。

 この国の国王はカランコエを竜族として見ているし、主人となった人はカランコエのことをよく気にかけてくれている様が滲んで見えた。今、カランコエはここに居場所がある。

 呼吸を整え直す。息がしやすい。

 先ほどの感覚を思い出しながらレーグルスを見る。

 確かに思ったのだ、この人が味方で良かったと。

 意味合いは違えど、この感情に間違いはない。

「改めまして、レーグルス殿下。ご指導のほど、よろしくお願いいたします」

 カランコエは両手で模造剣を握り直して頭を下げる。

 漸く彼の従者として世に出られる機会が巡ってきたのだ。主人に花を持たせず何故従者と言えよう。

「良いだろう。しっかり身につけろよ」

 カランコエの顔立ちを見たレーグルスも、フッと小さく笑った後に模造剣を構え直した。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る