09
黄金のロカイユ模様が刻み込まれたワインレッドの床。クリーム色の壁。扉の先にはシンプルながら鮮麗された空間が広がっていた。
溜まり込んだ空気は少々埃っぽい。
そして、その壁には大きな額縁がいくつも並んで飾ってある。
「…これは」
「肖像画だ」
室内に足を踏み入れて見上げた一枚目。きっと、この空間にあるどの絵よりも大きいものだ。
金の額縁に埋め込められた、複数の色を重ねられた厚みのある塗り方をした肖像画。
短く切り揃えられた黄金の髪。青や赤、黄色、様々な色が重なって黒くなった瞳。細められた目に曲がった口角。傲岸不遜な表情。皺一つない白い肌には赤色が飛び散っている。白と青、金色で作られた服にもまた赤色が散り散りに混ざっている。
肖像画から視線を受けている。品定めをされているのだ。我々が、作品から。目の前の一枚には、そこに佇む男には、そんな感覚を持たざるを得ない風格があった。
クロム・アイオライト。
若くして国を立ち上げ統率を取った一人の男。この国、世界の諸悪の根源。その人の肖像画。
「ここには、代々の国王とその側近…この国に深く関わりがある人物の絵画が残されている」
レーグルスが、そっと凸凹とした絵画の表面に触れる。ざらりとした感覚に指先を浸らせながら、彼は絵画から目を離さずに続けた。
「クロム・アイオライト初代国王陛下。言ってしまえば、あの獅子の飼い主だな」
「…シシ様ですか」
カランコエが、先日聞いたばかりのその名を口にすればレーグルスは少し驚いたような顔でカランコエに視線を寄せた。その様にカランコエがきょとりと首を傾げて見せれば、納得したように再度肖像画へと顔の正面を切り替える。
「その呼び方、メリアから聞いたのか」
今度はカランコエが驚く番だった。見知った人物の、特に自分以外の竜族の名前がレーグルスから出たのだ。
「ええ。私を此方の王城まで招待したのもメリアさんです」
「…そうか」
レーグルスは苦虫を噛み潰したような顔をし、頭を抑えてため息をついた。
「アドーア」
「?」
「獅子、アドーアだ」
それが、レーグルス殿下が喰らった獅子の名前。そこまで口からこぼれそうになって、カランコエは慌てて唇を結んだ。
「普段は代々、聖ワシップ教皇台下の血筋が面倒を見ていたらしい。それをうちが自由に使ったり…最終的には掻っ攫って肉にしたってわけだ」
ワシップ家といえば、キシペタカルレ王国に隣接する宗教国家アナスを率いる教皇の血筋だ。古くから主神モルアを信仰する聖職貴族。曰く、その体をめぐる血液に主の血が混ざっているのだとか。
「しかし聖ワシップ教皇台下はクロム・アイオライト初代国王陛下と親しかったと歴史書に」
執事教育を受ける一環でキシペタカルレ王国の歴史を掻い摘んで習っていたが、確かその授業で説明を受けたはずだ。
もし仮に獅子アドーアが竜族と同様、主モルアに仕えていたのならば、かの主により此方へと送られてきたのであれば、獅子を迎えたキシペタカルレ王国とアナス共和国が友好関係を結んでいたのは不自然ではない。しかし、実際に引き取ったのがキシペタカルレ王国ではなく況してや授かり物を送った主モルアを主体とした国家のものとならば神からの授かり物を奪い殺め我が物にした重罪を元に戦争が起きていてもおかしくない。何せ、この世で一番大きな信仰宗教に手を出しているのだ。
カランコエが記憶を探りながら首を捻ればレーグルスは一つ頷いた。
「だからこそだろう。だからこそ我が国はアドーアに近づくことが許された」
しかし、と彼は自嘲気味に声音を上げて続ける。
「…アドーアの存在は向こうの国では混乱を招きかねないからか存在自体、綿密に秘匿されていたもののようで書物にも詳しい記録は残っていない。戦争が勃発していないように、アナスでも問題として取り上げられていないし、この国がいつアドーアを奪ったのかも判明していない」
自分が食ったものの話なのに何もわからないってわけだ、とレーグルスは言った。
竜族ですらその存在を知り得なかったように、獅子アドーアについては謎が多い。否、この国自体に不明瞭な部分が多すぎる。意図して情報の継承がなされていないのか、これもまた厳重に隠されているのかすら伺えない。
そんな状況で、この城の中で迫害を受けるレーグルスがアドーアの謎に迫るのは難しいことなのだろう。そうして、レーグルスも自身が探ることは難しいのを理解していて言葉を切ったのだ。
黙り込んだレーグルスを横目に、湿った空気を払拭するためにカランコエは慌てて言葉を探した。
「そういえば、殿下はメリアさんとお知り合いなんですね」
脳を掠めたのは先ほど話題に出た同胞のこと。カランコエの目を回した表情を見て無理矢理引っ張り出した話題と察したのかレーグルスは半ば呆れた視線を遣りながら、そうだな、と肯定した。
「メリアは王家と古くから関わりのある竜族なんだよ」
レーグルスはクロム・アイオライトの描かれた肖像画から離れ、奥へと続く空間へ身体向ける。倣うように部屋の奥へと視線を向け、其方を照らすように燭台を持つ手を伸ばした。手元で揺れる蝋燭の灯火が部屋の奥を視界に写す。
長く続く両サイドの壁に絵画が並んでいた。右手には金色に輝く髪を靡かせた男性が、左手には様々な格好をした複数の男女が描かれている。
そして左手に並ぶ絵画の一枚に見知った髪色の人物が描かれていた。
「こちらがメリアさん…?」
疑問符をつけずにはいられなかった。違和感が脳を巡っていた。
形の整った青く光る宝石で成り立つ、大きさの揃った二本のツノ。特徴的な槿花色と赤の二色でできた髪は短く切り揃えられている。白く透き通る肌に着いた口元は隠されておらず、露出した口角は柔らかくあがっていた。ほんのりと頬に色が乗り、黒い瞳が宿る目は優しげに細められている。白色でできたシンプルなチュニックをゆったりと着こなした人物。
カランコエの知る今現在のメリアと変わらない部分はその髪と瞳の色、それから耳に取り付けられた宝石の棘くらいだ。
さらに疑問を掻き立てるのは彼の視線の先に描かれた人物だった。
薄灰色の長髪を一つに束ねたその髪型は現在のメリアがしているものと一致する。
中性的で細い身体つき。ベッドに腰を下ろし、布団をかけられたその人は上半身だけを起こしてお揃いの白いチュニックを見せ、メリアと向かい合っている。
その姿は慈愛の形。優しげな微笑み。真っ直ぐとメリアへ向けられた眼差し。細い指先はメリアの頬を愛しげに撫でている。
古びた木造建築の一部屋で、暖かな陽射しを受けた一枚だった。舞う埃が陽に焼けて輝いている。そんな情景が目に浮かぶ絵画。
「ああ。格好からしてわかるように随分と昔に描かれたものだ」
レーグルスが言うように、額縁の中で二人を着飾る薄手のチュニックは一昔前の庶民の服装だ。実際、カランコエの記憶の中に居るメリアは何時の時代のものかも、どのような素材でできているのかも曖昧な奇抜で露出の多い服を着ていた。
何より、彼が浮かべる表情が現在のものと愕然とさせられる差があった。
カランコエの知りうるメリアはガスマスクによって口元こそ隠されていたものの、前髪の隙間を覗く目元は何時も悪戯を楽しむ子供のように細められているか何事にも関心がないように深い黒が落ちているものだった。
メリアとは時間にすれば数時間も会っていないようなものだが、それにしても絵の中に居る人物の顔立ちは彼が浮かべる表情としては想像できないものだ。
「相手の人間が誰か、というのは聞いてもはぐらかされてしまったがな」
カランコエが質問をする前にレーグルスが答える。
メリアのことを知る人物ならば誰もが疑問に思うのだろう。あの彼が、この表情を向ける人物が一体何者であるのか。況してや宮廷画家の絵画として残そうとするほどだ。余程所以があるに違いない。
そこまで考えて、レーグルスの言葉にふと引っ掛かりを覚える。
「…そっか、この人物は人間ですもんね」
カランコエが言葉を溢してレーグルスは瞼を大きく開いた。
宝石が肌を貫いて輝く男と、白い肌を骨に這わせた人物。ずっと昔に描かれた絵画。そして現在のメリアの髪型。
二人は其々、竜族と人間だった。
「私たちと同じ」
ぽつりとカランコエが声を落とす。その言葉が酷く物寂しいもののように思えた。
長寿である竜族にとってカランコエはまだ幼児だ。人間に例えるなら、漸く一歳と少し。竜族以外の種族の者が先に寿命で朽ちる姿など見たこともなかった。
「…フェル」
視線が交わらない。レーグルスが真っ直ぐと絵画を見つめるカランコエの気を引こうとした時だった。
呼び声を遮るように、部屋の扉が物音を立てた。
その音がレーグルスの鼓膜を揺さぶったと同時に咄嗟にカランコエの手から燭台を奪い取り、僅かな灯を頼りに部屋の奥へと駆け込む。
蝋燭の火では灯しきれなかった薄暗い最奥。其処に置かれていたのは、大きな獅子の石膏像だった。細かな毛並みと大きな翼の羽根一つ一つまでが再現された代物。
レーグルスは忌々しく思えるその存在に舌打ちをしながら、像の背後へとカランコエを押しやり、自分も転がり込んだ。
「殿下」
カランコエが燭台を持つレーグルスの手を引いて、僅かな燈に終止符を打った。
白煙が舞う。擽ったい匂いがした。
遠くからゴ、と扉が地面に擦れる硬い音がして、月明かりが室内にゆっくりと差し込む。
二人、その場で身を縮めて息を潜めた。
コツーンと、靴音が響いた。
それは真っ直ぐと迷いなく音を響かせて、軈て止まった。
扉が開いたままなのだろう。壁へと見やれば、うっすらとだが翼を今にも開かんとする獅子の影があった。
風が吹く音がする。寒々とした空気が滑り込む。
「…」
ぽそりと、小さな声がした。
低い、地を這う声だ。嗄れた声だった。寂しく落ちて拾われることのない言葉だった。
足音が遠ざかる。
もう一度、遠くからゴ、と扉が地面に擦れる硬い音がして、室内は再び暗闇に包まれた。
「…行ったか」
潜めた、息を含んだ声がした。
「そのようです」
カランコエの肯定を聞いて、レーグルスは胸元を撫で下ろす。普段は冷徹な雰囲気を醸し出す彼でも今回ばかりは肝を冷やしたらしい。
「…俺たちももう戻るか。折角、今日は仕事も早く終わらせたんだ。眠れるうちに眠っておこう」
レーグルスはそう言いながら、カランコエの方へと蝋燭を傾けて寄せる。その仕草にカランコエがきょとりとし、レーグルスと蝋燭を交互に見れば今度はレーグルスが首を傾げた。
「お前、火の魔法が使えるんじゃないのか」
「へ?」
まるで確証があるように、彼はそう言ってのけた。
「竜族は一体一体魔法が使えるだろ。お前は火が…」
「…いえ。見ての通り、私は宝石がありませんので能力はまだ目覚めていません」
レーグルスの声と重ねてカランコエが否定する。
竜族は其々得意とする魔法や能力を持って生まれる。その力の源、魔力が宿る場所が身体に生える宝石なのだ。カランコエは昔から、同族である竜族の魔力の流れこそ己の鼓動の変化で共鳴できたが自分自身の魔力はからきし感じることはなかった。
「…そうか」
レーグルスは腑に落ちない様子で、けれども頷くと獅子の彫像を手掛けのように扱って立ち上がる。
「まあ真っ直ぐ出れば問題ないだろう。行くぞ」
レーグルスが歩き出した足音を耳にカランコエも見え難い背を追う。
不意に、先程の足音が止まったあたりの壁を見た。
真っ暗なこの部屋では一寸先すら見えない。視線を向けた先の壁に絵画があるのかすら確かめられないほどだ。
「フェルディア?」
カランコエの足音が止まったことを気にかけてか、レーグルスが彼の名前を呼ぶ。
「…今行きます」
カランコエは壁から目を逸らすと真っ直ぐと前を向き直し、続く足音に置いていかれないように、この暗闇から早く抜け出せるように再度足を進めた。
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