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 カランコエがレーグルスの専属執事として任命されて数節が経った、漸く草木が緑色を着飾り始めていた頃。暖かな陽射しが昼を知らせて国を照らす中、まだ少し肌寒い風が吹いていた。




 その日は朝から騒がしかった。

 と言うのも、王都に散りばめられた朝刊に目を疑う内容が記されていたからだ。

「…服毒」

 見出しに大きく綴られた文字。


レーグルス王太子の婚約者、心中を図る。


 カランコエは情報量の多さに頭を抑えながら続きの文を追って読んだ。

 綴られるのは隣国、ビオシュ公国のフレナ公爵令嬢が亡くなった旨を告げる文章。亡くなっていたのは公女一人だけではなく、幼少から彼女を支えていた侍女も共に遺体として発見されている。また二人の手元には小瓶が転がっており、調べたところ中身に残っていた液体が毒薬であると判明した。遺書が残されていた為、自殺の線が濃厚だが真相は未だ不明。

「…」

 パサと、質の悪い紙を机に落とす。

 窓の外を見やれば日向ぼっこができそうな、悠悠閑閑としていればものの数分で眠りこけそうな晴れやかな空が広がっている。現在時刻は昼過ぎ。

 明け方に、このような事態が発覚したこともありカランコエの主人であるレーグルスは早い時間帯から国王陛下より呼び出しがあった。カランコエはこの話に介入することはできない。故に、彼の身支度の手伝いをした後は休息を与えられていたのだ。

 主人も毎日生活を送る人間。それに仕える専属執事、特にレーグルスに当てられたたった一人の従者ともなれば、これといった休暇を与えられることもなくここまで来てしまった。種族故か、レーグルスがあまり我儘をいう性質ではないからか、日々の労働自体で疲弊が蓄積することもあまりなく業務に慣れてからはただのルーティンとして仕事を日常に組み込んでいた。

 即ち、この唐突に与えられた休暇がとても退屈なのだ。

 午前こそ、ベッドの上に横たわり天井を眺めていたが、きちりと起き上がり昼食を終えた今、再度横になる気にはなれなかった。

 カランコエは悩ましげに組んでいた腕を解いて、椅子から立ち上がる。部屋に閉じこもっていてもしょうがない。

「…少し散歩でもしますか」

 そう独りごち、ジャケットを羽織り直して自室の扉を開く。

 続く床を確認して顔を上げれば、相変わらず陽の光を浴びて爛漫と輝く眩しい廊下が続いている。自室より空気が循環しているのか、一歩踏み出せば、ひんやりとした感覚が肌に張り付いた。恐らくこの廊下を経由して運ばれた昼食の残り香が鼻腔を掠めるのを擽ったく思いながら磨かれた床の上を歩く。

 今頃、慌ただしく働いているであろうレーグルスやクロガネ、騎士団なんかとは打って変わってこの階は静謐だ。むず痒い長閑な空気にカランコエが再度溜息をついた時、不意に向かう先の曲がり角から懐かしい顔ぶれが覗く。


「あ。君、懐かしいねえ」

 ゆったりと間延びした声。揺れる槿花色と赤の二色でできた髪。青々とした宝石がちかりと陽射しを反射して眩しく輝いた。

「メリアさん?」

「久しぶり、元気してた?してそうだね。まだ生きてんだもん」

 相変わらず口元にはガスマスクをつけたまま、若干籠った声でケラケラと彼は元気に笑う。このご時世で、死生を扱ったブラックジョークを恐れ知らずで口にできるところが彼らしい。

「お陰様で。ところで、本日は何用でここに?」

 カランコエにとってメリアは一応は恩人に当たる。何より、今は立場的にもこの城の使用人と大方客人として招待されている者というのもある。緩めていた態度と脳を切り替えるように一度、頭を下げてから問うた。

「人間の運輸業だよ。ここからビオシュまで馬車で行くのは骨が折れるでしょ?」

 メリアが片手を己の背に回してポンポンと叩く仕草をしたのを見てカランコエは嗚呼と相槌を打った。

 確かに国の中心である現在地の王都は領土の範囲から出るまでも時間がかかる。カランコエは生まれてこの方、実際に目にする機会はなかったが人間界の貴族には竜族のお抱えがいるのだとか。竜族とは因縁があるキシペタカルレ王国で見る機会は無いだろうと勝手に思っていた。しかし言われてみると古くから王族と関わりがあるらしきメリアは適任だろうし、運輸を任されているともなれば彼がクロガネに頼られていたことや自由に宮殿を闊歩できていることにも納得がいく。しかし、同時に疑問点も浮かぶものだ。

 メリアと会う時、レーグルスはどうしているのだろう。

 レーグルスが、というよりかは彼が喰らった獅子の話だが、ステンドグラスに残されているものが正確ならば彼の獅子が好んでいたのは竜族の宝石、竜族が持つ魔力になる。カランコエこそ肉体に宝石を宿していないが、それでも初対面の時の彼は酷い動揺を見せた。今でも数十分、会話をしようものならマスクを必要とするくらいだ。それが目の前の彼、メリアとなったならどうするのだろう。メリアは竜族の中でも大きな宝石を露出させている方に思える。

 以前、共に肖像画を見た時の口ぶりからしてレーグルスはメリアのことを認識しているし、メリアがこれまでに渡り繰り返し宮殿を出入りしていることから面識があっても可笑しなことではない。思い返せば、彼がメリアと会話した話を聞いた気もするが、それもどうやって。

「あ、そうだ」

 考え込むカランコエを他所に、メリアが何か思い出したことを宣誓するように呟く。少し腑抜けた調子で溢れる言葉に反応したカランコエが視線をメリアへと戻した時、不意にメリアの背後の道からまた別の声が転がった。

「メリア、そろそろ出るぞ」

 投げかけたのはレーグルスだった。

 小走りでメリアの元へ寄った彼を見て、カランコエは目を丸くする。それと同時に、レーグルスもカランコエの存在に気がついたのかギョッとした様を見せたのちに鼻と口元を片手で覆った。彼の整った眉が寄せられ、眉間に皺が浮かぶ。

「フェルディア、居たのか」

「…え、ええ。メリアさんと少々立ち話を」

 カランコエが困惑の色をまざまざと浮かべながら頷くと、レーグルスはバツが悪そうに視線を逸らした。

 メリアはそんな二人を交互に見た後、愉快そうに下瞼をあげて目の色を変える。

「あーーーーー!!そっか!そうだった!あはは!君、心配しなくても大丈夫だよ。この子は俺のこととって食おうだなんてなんないから!」

 メリアはケラケラと高らかに笑いながらレーグルスと肩を組み、バシバシと彼を叩いて示す。不敬罪も良いところである。レーグルスは唐突にのしかかった重みに身体を前のめりにしつつ、鬱陶しげに手を跳ね除けた。メリアは態とらしく、おっとっとと後退し、つまらなさそうにぶつぶつと苦言を呈す。

「それはどういう…?」

 状況が飲み込めず疑問符を浮かべてばかりのカランコエを横目にレーグルスは、そういえば伝えてなかったなと小さく溢して溜息をついた。

「…いや、説明は後だ。今は時間がないからな」

 頭を抑えながらレーグルスは話題を改める。元はといえば彼は出発のためにメリアに声をかけたところだったのだ。

「今から出発ですか?」

「そうだ。向こうへの滞在が少し日数が要りそうでな。準備をしていた」

 つまり数日、この宮殿を空けることになる。レーグルスの言葉はそう意味していた。

「それでだ。俺が帰るまでの間、お前は休んでいてくれて良い」

 へ、とカランコエが間抜けな声を上げる。確かに、主人であるレーグルスがいなければカランコエに仕事は無い。実際、今日の休暇も同じ理由で与えられたものだ。

 とはいえ、だ。執事となってからずっと宮殿に缶詰の状態で生きてきた。唐突に連日の休みを与えられたとて、カランコエには縋る術がない。たった今だって退屈凌ぎに出てきたところだ。

 眉を下げたカランコエを気にも止めずにレーグルスは続ける。

「宮殿のことは執事長、侍女長が回してくれる。料理長にもお前には変わらず食事を用意するように指示を出しておいた」

「…そう、ですか。わかりました」

 着いていく、ではダメなのだろうか。

 カランコエは浮かんだ言葉を飲み込んで理解を示した。

 レーグルスとカランコエの主従関係は公になっていない。何より、カランコエの存在が人間界でどのように知らされているのかは不明だが、あくまでも元はアングスフォリア帝国の皇太子だ。気軽に連れ回すにわけにはいかないのだろう。

 そもそも彼と自身が長時間、同じ空間にいられないことの他にも、探せばカランコエが同行できない理由は多々ある。全ては自身の我儘なのだ。

「んー、ちょっと良い?」

 ぎこちない空気に割って入ったのはレーグルスに押し除けられた後、黙って聞いていたメリアだった。二人がメリアに視線を寄せたのを皮切りに彼は口を開く。

 ぐにゃりと、空気が歪むような不可思議な感覚であった。レーグルスにとっては耳慣れない言葉。言葉と称するのが正しいのかすらわからない。音波なのだろうか、輪郭としては丸みを帯びていそうな不可思議な音がメリアの口からごぽりと溢れ出た。

 却って、カランコエにとっては最早懐かしい響きであった。母の発するそれは滑らかで鈴の転がるようなものであったし、父のものは厚みのある輪唱のようだった。

 廊下に響いたそれは、確かな竜の声。

「 」

 ごぷり、と空気を呑むような音を最後に音色が止む。メリアはチラリとカランコエに視線を滑らせれば視界の先にある柔らかな髪をグシャリと撫でた。

「じゃあ、そういうことで俺たちは行くから。詳しい話は帰ってからね」

 カランコエが撫でられた箇所を手で押さえるのを見て、メリアはにこりと目元で笑みを作ると軽い調子で手を振った。次に置いてけぼりにされたレーグルスも押し黙ったままカランコエに視線だけ送り、数分前に来た道を戻っていく。

 二人が自身に背を向けて去る様を見守りながら、受け取ったメリアからの言葉を反芻する。

「…繁華街」

 ぽつり、と呟いたあと二人に倣うようにしてカランコエもその場を後にした。




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