11




 空の色は深まり、散りばめられた星の真ん中に月が鎮座している。夜風がキンと冷えていた。吐き出した息が未だ若干白む季節の夜。外套に取り付いたフードを深く被って、往来する人々の波に逆らって歩いた。

 場所は王都と郊外を繋ぐ橋、繁華街アブルス。住宅街の寂寞も捨て置いて、この場は賑わっている。詰め込められた人間の熱気に圧倒されながら小さな隙間を細道にして歩く。

 動き続ける人混みもあって辺りは大層見渡し難い。

「そこのお前さん!良かったら買ってかない?この寒さに持ってこいだよ」

 そんな売り文句が飛び交う、屋台で作り上げられた道。

「お前さん、お前さんだよ!」

「…は、え。あ、私ですか?」

 真っ直ぐ鼓膜に飛び込んだ声にカランコエが足を止めて小さく問うと、そうそう!と快活なおじさん店主は頷いた。

「その上着、何処ぞのボンボンなんだろう?うちのモン、余裕があるなら食っといて損は無いぜ」

 店主は内緒話をするように口元に手を添えながら然程落ちていない声量で言う。

 言葉をなぞるように指の腹を外套へと添えた。不快感のない感触。保温性の高い厚みのある上質な生地は確かに一眼で裕福層であると見抜く根拠足り得るだろう。実際、この外套は寒い時期を乗り越えられるようにと、クロガネから執事服と共に贈られたものだ。

「なるほど、商売上手ですね。何を売っていらっしゃるんです?」

 此処であまり反発して騒ぎを起こすのも面倒だと判断し、カランコエは小銭袋を取り出した。執事としての生活にも一応は給料が発生している。何かあった時の為にと貯金の一部を持ってきていたのだ。

「おうおう。そう来なくっちゃ。うちは豚まん専門店だよ」

 店主は調子良く笑って、木でできた円柱の箱を取り出した。聞き慣れない単語と見慣れない道具にカランコエが首を傾げると、店主はもう一つ大きく笑い、そうだよなあ、その反応と頷きながら箱の蓋を開けた。

 蒸気が視界を白く染める。堪らぬ熱気と素朴な香り。

「…これが?」

 中にあったのは柔らかな白色をした丸い形の何か。一見してパンのようにも見える。

「ああ。この箱みたいなのは、せいろ。まあ蒸し器だな。そんで中に入ってるのが豚まん。外国の食べ物さ」

「へえ」

 確かに、このような食べ物は今まで目にしたことがない。今のところ、ただの白い球体であるそれに食欲がそそるかと言われてみると、そうでもないが態々別の国から作り方を学び取り込んでいる代物のだ。それ程までに価値があるものとも捉えられる。

「…では此方を二つ」

「おお!毎度あり!」

 カランコエは悩んだ挙句、指を二本立てた。

 実際のところ今回は偶然が重なって長期的な休暇を与えられたが、今までの日々を振り返るにこういった休みの機会は少ないだろう。少しくらい贅沢をしてみるのも悪くない。

 何より、この先の手土産にもちょうどいい。

 手元の袋から数枚、小銭を取り出して豚まんとやらと交換する。

 受け取った薄い紙袋は豚まんの熱を滲ませて、ほんのりと暖かかった。



 さて、とカランコエはその場から離れて再度屋台の奥を見遣った。

 偶然お目にかかった豚まん屋。目的地はその近くの路地裏であった。

 きょろりと双眸を動かせば一つ、屋台の背に構えられた家々に人が倒れそうな少し余裕のある隙間が開いているのが見える。人混みを抜けてその場へと滑り込む。ぷはりと息を吐けば、薄暗い道一帯に冷たい空気が込められていた。

 繁華街道から一転して、不気味なくらいに静まり返った細道。

「…」

 カランコエは喉元を抑え、少し咳払いをしてから口を開いた。

 暫く発することのなかった声。音。空気を揺らす吐息。

「アブルスの豚まん屋、その近くに路地がある。そこで、この言葉を使って俺の名前を出してごらん」

 昼時、メリアに伝えられた言葉だった。

 こくこくと呼び出す。彼に教えられた存在を。

「……は〜あ。この国、案外同族が多いものなのね」

 大袈裟なため息と退屈に染まった声音。突き放すような、優しさの含まれないぼやきは幼い声だった。

 影で作り上げられた暗闇から姿を現したのは身長が150にも届かない少女。白銀の髪。白黒の左右色が異なる瞳。肌は所々黒く硬化しており、耳は竜族を象徴するように尖っている。彼女が動くたびに、耳に取り付けられたベルがリンと音を鳴らし、タグのような紙が揺れた。

 どく、と胸が騒つく。この存在に覚えがあった。

 彼女の額にできた大きな傷の痕。

「貴女は、あの時の…?」

 今や随分昔のことのように思えるあの日。下衆な商人に捕らえられ、地下牢のような空間に閉じ込められていたあの時、耳にした悲痛な声とあの商人が手にしていた赤い宝石から漂った魔力が確かに目の前の人物と一致する。

「…。ああ、メリアから聞いたわ。他にも助けた竜族がいるってね」

 彼女は幼気な外見には見合わない落ち着いた表情で、身近にあった段差に腰を下ろした。

「貴方だったのね。大変ね、人間なんかに従う羽目になって」

 彼女の口から出るのは刺々しい言葉。当然だろう。彼女は竜族の尊厳を踏み躙られたのだ。奪われたのだ、身体の一部を。

「…私はそうでもないです。拾われた先が良かったようで」

 とは言え、カランコエは言葉通り現状を憂いているわけではなかった。元は皇太子であった身が、執事として他人に尽くすこととなった。それも竜族と軋轢のある人が主人だと言う。最初こそは頭を抱えた。しかし、なんだかんだ主人となったレーグルス自身の人となりは温厚なものだと思う。酷な命令を受けた覚えもない。

「衣食住も安定してますしね。おまけに、きちんと自分で買い物ができるくらいには金銭も得ていますし」

 先程、購入した豚まんの入った紙袋を持ち上げる。影がカランコエの仕草を真似して動く。少女はちらりと丸と十字の重なったロゴがプリントされたそれを眺めて、そうしてぐううと腹の虫を歌わせた。

「……食べますか?」

「いただくわ」

 即答であった。袋ごと手渡せば、少女は躊躇なく中を弄り、自身の手のひらより大きなそれを取り出しざまに口に含んだ。必死に喰らいつく姿を見て、如何に自分が恵まれた待遇を受けているのかを考えさせられる。

 勿論、城内で後ろ指をさされるレーグルスの専属執事というのもあってカランコエに寄せられるのは好奇の目。だが、同じく執事の立場であるものや侍女、料理人なんかは時折会話を交えてくれる程度には特に偏見の目を持たない良い人たちだ。母国でこそ迫害を受けたカランコエにとっては今の場の方が心地よさすら感じていたかもしれない。

 そうこう考えているうちに彼女は与えた豚まんの内一つをぺろりと平らげていた。ぎとぎとと輝く掌を眺めながら、会話を切り出す。

「で、メリアに教えられて此処に来たみたいだけど何の用?その口ぶりだと別に城を追い出された訳でもなさそうだし」

 本題に移りたいのだと察してカランコエも切り替えるように頷いた。彼女の言葉を汲むに、カランコエが現在執事としての立場であることはメリアから共有されているらしい。ならば話が早かった。

「今日発覚した、ビオシュ公国のフレナ公女についてなのですが」

「はあ」

 遮るような強引な相槌であった。彼女は眉を寄せ不服な態度を顕著に表す。あまり表情を隠す気がないらしい。

 メリアが、あのタイミングで態々レーグルスに伝わらないような形で共有してきた情報。どうやら今世間を騒がせている件と目の前の少女が絡んでいるというのは間違いないらしい。メリアがどこまで把握しているのかまではわからないが。

「可能であれば、知っている事を教えていただけませんか」

 害した気分を紛らわすようにもう一つの豚まんを齧る彼女に追求する。

「…貴方が知って何になるの?」

 そう返されて押し黙る。

 確かに、カランコエが状況を理解したところでどうしようもないのだ。レーグルスやクロガネに伝えることはできる。ただし得られた情報に根拠はない。目の前の少女の言葉がどこまで真実であるかはカランコエにはわからないことだし、何より王族に伝えたことで情報の出所を探られこの少女がまた危険に晒される可能性だってある。

 ただ、ただこの現状はカランコエにとってあまり気分が良いものではなかった。

 カランコエは何も知らないのだ。たった今日、この出来事をきっかけにしなければ自分の主人に婚約者がいることすら知らなかった。蚊帳の外だ。

 当然だろう。この国の生まれではない。人間ですらない。自分が仕えている人の普通であれば共有されるであろう事柄すらカランコエは教えてもらうことができない。

「…はあ。まあ良いや。誰にも言わないこと、それだけは約束ね」

 少女はカランコエの曇った表情を見て同情するように言う。カランコエがハッとして頭を縦に振ると彼女は引き続き豚まんを頬張りながら、あまり死人の噂話をしたくないんだけどと前置きをした。

「フレナ公女…。フレナは私の客だった」

「…客?」

 伝えられた二人の関係性が理解できずにカランコエは疑問を示すように単語を引き抜いて問う。彼女はこくりと一つ頷くと自身を指さした。

「私、今は薬師をやってるの。とは言え自分の能力で作ったのを売ってるだけだから専門的な知識がある訳じゃないし、私が作れるのは二つだけだけど」

 彼女の語る能力は、きっと竜族が其々持つ固有のものだろう。彼女は空いた片手で指を一つずつ立てて言った。

「毒薬と、解毒薬」

「…毒薬」

 少女の売り物が公女の死因と一致する。

「そう。彼女は私から毒薬を買って自殺した。売った事を後悔なんてしてないわ。だって彼女が選んだ事だもの」

「侍女との自殺をですか?」

 朝刊には公女と侍女が心中したと発表されていた筈だ。カランコエは昼間に追った文字列を思い返しながら話に耳を傾けた。

「ええ。彼女、侍女に恋をしていたから他の人のものにはなりたくなかったみたいね」

 少女はこの国の誰も知らない衝撃の事実を、まるで常識のように当たり前に語った。

「同時に侍女もフレナに恋をしていた。小さい頃から面倒を見ていた上に自分に懐いてくれていた相手だもの。可愛くって仕方がなかったのでしょう。二人で毒薬を買いに来たわ」

 少女は、もう冷え切ったであろう豚まんの最後の一欠片を口に放り、空になった手を退屈そうに握りしめる。

「だから貴方の主人が悪いとか、そういう事はないわ。今回婚約関係が結ばれたのが偶然貴方の主人だっただけで、フレナは立場上、誰かとは婚約を結ばされることになったろうから」

 少女はカランコエに虹彩を寄せて言う。

 レーグルスは悪くない、その言葉にカランコエは心の奥底でホッとした。ここ数節、フレナとレーグルスが会う機会が与えられていなかったように、レーグルスが彼女の死因に関係があるとはなかなか思い難かった。とは言え、あのような見出しの記事を見てしまっては落ち着かないものだ。

「教えてくださりありがとうございます」

 全容が明らかになったわけではない。そもそもフレナが如何して少女を知ったのか、薬物を取り扱っている事を知っていたのか。わからない事だらけだ。だが、カランコエが其処に踏み込むのもまた意味のない事だった。今回のことも少女がカランコエの事情を汲んで教えてくれた事だ。あまり漬け込む真似をするのも礼儀が悪い。

 カランコエは探究心を押し込んで他に浮かんだ疑問を挙げた。

「そういえば、能力が使えるんですね。その、宝石を取られてしまっても」

 少し口籠もりながら喋る。配慮の欠けた話題である事は理解している。だが、カランコエにも深く関わりがある事だ。カランコエは宝石を宿していないため、魔法を使うことができなかった。できないと思っていた。しかし、目の前の少女からは確かに宝石と同様の魔力の巡りを感じ取ることができる。

 カランコエの問いに対して、少女は奇異の目で彼を見た。

「そりゃあだって、竜の姿に戻ればまだ折れていない宝石なんてたくさんあるもの」

 そうあっけらかんと言ってのける。

 竜の姿、とカランコエは聞こえた言葉を脳内で反響させた。そこで、ああと一つ思い当たった。

「貴女は神竜…シペミリア国出身の方だったんですね」

 神竜王国、シペミリア。新竜帝国アングスフォリアの姉妹国家にあたる、竜族のみが暮らす国だ。新竜帝国が過去の伝説を神話や逸話として扱うのに対し、神竜王国は伝統として引き継いでいた。故に、神竜王国では皆一様に竜としての姿で生活を送る。

 新竜帝国、アングスフォリアは主から人間としての姿を授けられ、人と手を取り合って生きていく未来を築く。神竜王国シペミリアは主からの言い付け通り上位の存在として顕現し世界を見守り続ける。

 竜族はそのように国によって分担されており、同族と言えど思考や知識が変わっている部分がある。

「ええ。普段は竜の姿で生きていたから人間としては全く成長してないけれど、こう見えて数百年は生きてるのよ」

 小柄な身体で胸を張って、少女は足を組み直す。ふん、と鼻を鳴らしたのちにカランコエの方を頭から爪先まで眺め、頬杖をついた。

「その様子じゃあ、まだまだ赤ん坊ね。新竜出身なら尚のこと」

「…まあ、百年単位で生きている方からしたらそうですね」

 カランコエは苦笑を溢しながら、彼女の発言を振り返って顎を撫でた。

 カランコエは未だ竜の姿になったことがない。それこそ多くの民に弾圧された幼少期には試してみたが、当時はまだ成長半ばだったからか変わることができなかった。それに新竜帝国では多くの竜族が人としての姿で過ごしていたため人間の姿であることはなんら可笑しくないのだ。無理に竜になる必要は無かった。

「では、私も能力が使えるんでしょうか」

 ぽつりと呟く。人間界に馴染んだ今、使えなくても支障はない。だがそれは別として己に何の能力があるのかは気になるものだ。このような形にはなってしまったが偉大な両親の元で生まれた自覚はある。

「そりゃああるわよ。曲がりなりにも竜族でしょう」

 少女は立ち上がり、身軽に段差から降りてカランコエに歩み寄る。そうして、細い人差し指を立てて彼の胸元を指した。

「貴方は炎」

 どく、と指された先が大きく跳ねた。

「は、…っ」

 心臓がうるさい。呼吸が難しい。もう体内に残っていない二酸化炭素を吐くように口からごふごふと何かが溢れる。熱い。熱が回る。内臓が沸騰したようだった。

 カランコエは困惑すら消え失せた顔でその場に頽れる。

「貴方は竜族。忘れちゃ駄目よ」

 見下ろして、冷たい目で少女は言った。カランコエが力無く頷くと、少女は顔色ひとつ変えず自身より大きな体躯を抱き締める。

 次第に、呼吸が落ち着く。熱が柔らかく引いていき、冷えた風の温度を肌が拾う。

「魔力の活性化と鎮静。魔力を持つもの同士であれば出来るはず。覚えておいて損はないわ」

 詳しくはメリアに聞いたほうがいいかもね、と少女は共有していた体温を遠ざけながら言った。彼女はその場で立ち上がり、数歩ずつ後ずさる。空になった紙袋をくしゃりと握り潰した。

「今日はもう帰ったほうがいいかもね」

「…そうですね、ありがとうございました」

 冷や汗を拭って、カランコエも立ち上がった。思わぬところでドッと疲労感が押し寄せた。今となっては、これからの休暇が有難いくらいだ。

 少女はカランコエが深々と頭を下げる姿を確認すると何も言わずにその場から駆け出して夜闇の中に溶けていった。



 動き出すのも億劫で、その場に佇みゆっくり呼吸を整える。冷えた空気が体内に浸透する感覚が心地良い。こんな時間にもかかわらず、少し離れた先で響く喧騒が鼓膜を揺らしていた。

「…炎」

 自身の胸元に、そっと手を当てた。

 確かにカランコエは同族と出会った時、魔力を感じ取る力があった。それこそがカランコエ自身も魔力を持つ証拠。なんだこんな単純なことだったのかと己が少し馬鹿らしくて笑う。

 同時に、また不可思議な点が思い浮かび思考を促進させた。

「…殿下は、どうして」

 カランコエが使える能力を火だと当てて見せたのだろう。

 肖像画を共に見たあの日、彼は何の迷いもない様子で言っていたのだ。「お前、火の魔法が使えるんじゃないのか」と。

 知らないことを知ろうとして、逆に理解が追いつかなくなった部分が発祥した。

 カランコエは数秒こめかみを抑えた後、深く息を整える。そうして閉じていた瞼を開けて、外套のフードを深く被った。

 不明なことが多すぎる。多すぎて、それから、自分達はまるで会話をしていなかったのだと思い知った。これから先は、もっと踏み込んで話せる気がする。あまりにも一方的な感覚だが、もう少し歩み寄って話をしてみたいと思った。聞きたいことなど山ほど思い浮かぶ。

 カランコエはラスノービリス宮殿に続く道へと体の方向を転換し急足で歩き出す。今早く帰ったとて其処にレーグルスはいない。それは理解しているが、ただむず痒い感覚がまだカランコエの胸の奥底で燻っているのだ。




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