08
同日、夜半。
風呂を終えたレーグルスのもとに訪れたのはカランコエだった。部屋にノックの音が響き、呼応すると彼が入ってくる。一礼の後に真っ直ぐ机へと向かい眉を顰めるのだ。
「殿下、きちんと食べないと倒れてしまいますよ」
そう語るカランコエの視線の先には皿を乗せたトレーがある。煌びやかな洋皿の上には、金箔をまぶしたような料理が半分ほど残っていた。
カランコエが専属執事として配属されて以降、レーグルスの部屋への配食も彼が任されることとなった。
レーグルスは何時も自室で食事をとる。そうして、毎度食事の大半を残すのだ。元より噂で聞いていた話と一致するが、毎食この量だと流石のカラン声も心配せずにはいられなかった。特に彼の一日の運動量や仕事量を見るにこの食事量で足りているわけがない。皿に乗せられた様々を完食したとて物足りなくなる量のように思う。
もともと食が細いのか、或いは獅子肉を喰らって味覚が変わったのか、まだ数日しか彼を見ていないカランコエには判別がつかなかった。
トレーへ移すためにピッチャーを手に取り、中の水が抜けて軽くなった様に安堵する。そのような数日間だ。
「俺の勝手だ。実際、食べずに此処まで動けてるだろ」
そう返されるのが何度目なのかも、もう数えていない。
「そうは言いますけど…」
執事が主人に小言を言っていい筈はない。だが、レーグルスがそれを咎めることもなかった。
カランコエは呆れながらレーグルスの方へと視線を流し、そうしてパチパチと瞬きを繰り返した。
「…何方へ行かれるんですか?」
真っ白なナイトガウンの上から、ショールをかけたレーグルスは燭台を片手に立ち上がる。
「…。夜間の散歩だ、いつも寝る前にしてるんだよ」
今日はもう寝るからな、とレーグルスは蝋燭についた灯火が揺らめくのを眺めて言う。
レーグルスは夜の食事を終えた後は本を取り出して読んでいたり書類仕事をしていた。そうして、カランコエが食事を下げて戻ってくる頃には扉を施錠しているのだ。
「ご同行させていただいてもよろしいでしょうか」
トレーに触れていた手を離してレーグルスに向き合う。カランコエはこの宮殿にまだ詳しくない。ましてやレーグルスが毎晩好んで出かける場など知る由もなかった。
「…好きにしろ」
レーグルスは数秒の逡巡の後、壁のフックに架けられたマスクを手に取り、廊下へ繋がる扉へと向かった。
薄暗い廊下だった。
城内は恐ろしいほど静まり返り、時折ポツポツと炎が揺れる蝋燭が壁付近に立っている。おかげで壁との距離は読み取れるが、その程度の灯火で廊下全体が照らされるわけでもない。大きな窓ガラスから差し込む月明かりの方がよっぽど先の道を示してくれていた。
閉塞感のある廊下を抜けて、一階の回廊へと出た。
冬の寒空の下、荒々しい風が吹いて頬がじんと熱を主張する。取り込む空気がトゲトゲとしていて体のうちから妙な感覚がした。
厳しい彫像が並ぶ道を進んだ先で、レーグルスは整備された道を外れて茂みへと足を踏み入れる。手入れされた小さな庭園は、青々とした草木を静かに揺らしていた。今でこそ深い緑に包まれているが、この寒さが去る頃にはきっと様々な色が映るのだろう。
カランコエがそんなことをぼんやりと考えていれば、レーグルスは足を止め、羽織っていたショールについたポケットから鈍色の鍵を一つ取り出した。その動作を受けて、横に佇む壁へと視線を遣る。
そこに取り付けられたのは灰色でできたシンプルな扉だ。
レーグルスは持っていた燭台を一度カランコエに預けると、取り付けられていた南京錠に鍵を通す。差し込まれた鍵が回り、南京錠が取り外される。
そうして彼は何を言うでもなく、取り付けられた扉を押した。
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