02
金髪の男の子が立っている。部屋も彼も血塗れで、異様な部屋が惨劇の全てを物語っていた。ぐるりとした丸い瞳が此方を覗いている。
彼は、小さく結んでいた口を綻ばせ、言葉を紡ぐ。
「フェルディア、…いや、カランコエ。ひとつ、お前に」
パツン、と夢が切れる。
「…雨」
窓の外から雑音が響く。寝ぼけ眼を擦りながら小さな体を起こすと、その影は窓の方へと顔を向けた。なんだか、いつにも増して重たい身体が動揺している。ぐらりと視界が大きく揺らいだ時、不意に背後の扉が力強い音と共に開かれた。
「カランコエ!」
低く滑らかな声が地面を滑る。
やけに高級感がある柔らかなマットレスが重力に逆らえない幼気な身体を受け止めて、未だに覚醒しない脳が、訪れた大きな影が父親だということだけを少年に伝える。
男の手が少年の額に当てられて、冷たい感覚が身体に走った。
「…まだ熱があるな。覚えているか?披露宴の最中に意識を失ったんだ」
控えめな声量で優しく問いかける男に、少年は首を横に振る。確かに、途切れる前の最後の記憶では女王の懐妊の公表と国民と初めて顔を合わせる披露会が行われていた。豪奢な広間を見下ろすことができるギャラリー。そこに自分は居た。だが、その後、途切れ途切れに断片的な記憶がある。あまりに曖昧だが、自分が非難され、両親が脅かされていた。
夢にしては現実味がある。確かにはっきりと告げられた声や脳を蝕む物音と感触。思い出せば未だにあの喧騒が頭の中で響き返りそうなほど。
「そうか。何も案ずることはないよ、全てこの父様に任せて今はゆっくりお休み」
確かに自分を父と称した男が、少年の視界を片手で塞ぐ。やけに広く煌びやかな一室には窓を叩く雨音と、少年が必死に生きようとする呼吸だけが落ちていた。
カランコエ・ブロスフェルディアナは新竜帝国、アングスフォリア次期皇帝第一候補者であり、竜族の落ちこぼれである。現に披露会後、カランコエに付けられたレッテルは落ちこぼれ、竜族の名折れ、神から見放された者などと言った彼の沽券を乏し、侮辱するものだった。
理由は単純で、竜族は己が種族の外見や伝承を重んじ、それらに対して強い矜持を持つが故だ。
竜族は髪が二色である。これは、一番初めに神の手に寄って使者として生み出された竜が人の地へと降り立つ際、種族地位を明確にするため神様の一部である髪を与えられたことから。
竜族は身体に宝石を持つ。これは、竜族がかつて人間の争いを鎮圧させた際に地上を守る英雄として讃え、与えられたことが由来になっている。その竜は宝石を身体に埋め込み、軈て子孫に繋いだと言う。今やその宝石は当人の魔力が巡る核とすらなっている。
何方も竜族が信仰し、自分達の地位を掲げるように伝承する神話。現に一般的な竜族の外見には其れ等が与太話ではないと示すかのように神話の文字列を沿った特徴が残っている。
そんな二つが、幼い身体を持つカランコエには欠如していた。柔らかな優しい金の髪は確かに母から継いだものだったが、そこに他の色は無い。絹のような綺麗な肌の何処にも硬く光る石は埋め込まれてなどいなかった。カランコエは伝承に叛く異端分子だと多くの貴族が声を荒げた。
いくらカランコエの立場が偉く気高いものだとしても、この世界で間違っているのはカランコエの方なのだ。何より、皇帝と云う、竜国に於いて民の親とも言えるその人の元で生まれた事が更に批判の声に拍車をかけた。
皇帝と皇妃は皆が目を見張るほど美しく大きな宝石と編み込まれた二色の髪を持っている。それこそ、まるで人間のような姿をした彼が並べばその差は歴然と言えるほど。カランコエは迷い込んだ人間だと揶揄されても可笑しくはないくらいに。
バサ、と複数の紙が重なっている、やけに文字の詰め込まれた其れが放り投げられた。あれからカランコエについての飛語がやけに回っている。当然と言えば当然だろう。特に話題もないのに繰り返し開かれる社交会などの暇潰しには打って付けのもの。プライドの高い貴族は笑う。皇族もそんなもの、と。竜族と云う名に囚われた貴賓は野次を飛ばす。最低な悪循環。
「ね、カランコエ」
「なんですか、母様」
頬杖をついてぼんやりと思考を飛ばしていた耳に二つの声が飛び込む。同じ髪色をした女性と少年が仲睦まじく共にいる姿は、誰がどう見ようと幸せそうな親子の図だ。少年には、母親が持つその輝く桃色の髪はついていないけれど。
「髪を結いましょうか」
その一言で、先程まで頬杖をついていた男からガタンと忙しない音が響いた。情けなく目を丸めた男に、女性が可笑しく笑う。あっけらかんと女性が告げた言葉は、つい昨晩も二人で難しい顔と共に話し合っていたこと。そんな二人の様子を遠目に、少年は足を揺らしていた。
思い立ったが吉日。
左側にできた違和感を確かめるようにカランコエが鏡を見つめる姿を少し哀しげな顔をして眺める夫婦は、先程より少し髪が短くなっていた。
件の出来事から数時間後の話。カランコエの髪色は二色に、細かく言えば三色に分けられていた。元々の金色に加え、父から黒髪を、母から桃色の髪を与えられ、魔力で結われた其れらは元々存在していたかのように彼の髪に馴染んでいた。何もなければその髪も問題なくあなたのものとして成長するわ、と女性がカランコエの頭を撫でる。母からの抱擁を受け入れていたカランコエを、背後に立っていた父が抱き上げた。視界がぐわんと揺れる。楽しそうに話しながら慈しむ笑みを自身へ向ける二人。
カランコエは二人のことが大好きだ。こんな自分へ愛を注いでくれる両親。逆に、二人もカランコエのことを愛していた。カランコエのその容姿の理由を知っている同情からではなく、心の底から大事にしている。其れだけは曇りのない事実。
母の手の甲に輝く宝石が、父の背を貫く宝石が、カランコエの視界の中でもチカリと輝いていた。
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